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第17話「履歴は全部は言わない」


 昨日、Aのバーガーを食べなかった。


 理由は簡単。


 最後の履歴が途中で切れていたから。


 誰かが食べた。


 そのあとがない。


 だから調べる。


 そう決めた。


 今日は朝から、その続きを探していた。




第一章「最後の一行」


◆記録室


「これです」


 秩序ちゃんが端末を開いた。


 Aのパティ。


 製造記録。


 搬送記録。


 調理記録。


 提供記録。


 全部ある。


 最後だけ、


 空白。


「ここ」


 わたしが指した。


「食べたところ」


「はい」


「その人、誰?」


「不明です」


「なんで?」


「記録が残っていません」


「じゃあ、食べたことも嘘?」


「いいえ」


 秩序ちゃんは首を振った。


「食べたことは記録されています」


「でも誰かはわからない」


「そうです」


「変なの」


「記録というものは、すべてを残すものではありません」


「じゃあ何を残すの?」


「残ったものです」


 少し考えた。


「残らなかったものは?」


「……記録できません」


 透明な右腕を見る。


 ここにも線がある。


 使った。


 触った。


 調理した。


 残った。


 でも、


 残らなかったものは見えない。


「じゃあ、この腕も同じ?」


「同じ、とは?」


「見えるものしか見えない」


 秩序ちゃんが黙った。


「……その可能性はあります」


 それだけだった。




◆万寿ちゃんが来た


「何を調べておるのじゃ?」


「Aの最後」


「ああ、昨日のあれか」


「うん」


 万寿ちゃんは記録を見た。


「ふむ」


「わかる?」


「わからぬ」


「万寿ちゃんでも?」


「わらわは記録する側じゃよ」


 万寿ちゃんは少し笑った。


「記録したものから、記録されなかったものを直接取り出すことはできぬ」


「そっか」


「ただし」


 万寿ちゃんがAの履歴を指した。


「記録が途中で終わっておること自体は、記録されておる」


「……?」


「何かがないこともまた、情報なのじゃよ」


 透明な腕を見る。


「空白も履歴?」


「そういうことじゃ」


 少し考えた。


「じゃあ、空白にも意味がある?」


「あるかもしれぬ」


「何の意味?」


「それは、まだわからぬ」


 万寿ちゃんは笑った。


「わからぬものを、わからぬまま残すのも記録じゃよ」




第二章「空白を見る」


◆昼


 Aをもう一度触った。


 透明な右腕に線が浮かぶ。


 製造。


 運搬。


 調理。


 提供。


 食べた。


 そして、


 空白。


 前よりよく見える。


 でも、わからない。


「……これ」


 指を伸ばした。


 空白のところ。


 触れようとした瞬間、


 黒い一滴が動いた。


「……あ」


 腕の中。


 黒い一滴が、指先へ移動している。


 そして、


 空白の場所に重なった。


 何も起きない。


「……なんでそこに行ったの?」


 答えはない。


 幽玄ちゃんが後ろから見ていた。


「……輪廻」


「うん」


「……それ、昨日も動いた?」


「動いた」


「……今日も?」


「うん」


「……Aに触ったときだけ?」


 わたしはもう一度Aに触った。


 黒い一滴が、


 少しだけ動いた。


 空白へ。


 幽玄ちゃんの顔が変わった。


「……やっぱり」


「何?」


「……後ろのものが、そこを気にしてる」


「後ろのもの?」


「……うん」


「なんで?」


「……わからない」


「また?」


「……うん」


 少し考えた。


「じゃあ、調べた方がいいね」


「……そうだね」




第三章「食べた人」


 記録室を出た。


 次に向かったのは、厨房だった。


 Aが提供された日の担当者を探した。


 担当者。


 運搬担当。


 清掃担当。


 全部聞いた。


 誰も知らない。


「最後に食べた人、誰だった?」


 流焔ちゃんが答えた。


「俺っちは知らねえな」


 夢幻ちゃんも知らない。


 幽玄ちゃんも見ていない。


 万寿ちゃんも記録していない。


 秩序ちゃんだけが端末を見ている。


「……一人だけ」


「誰?」


「記録上、このバーガーを持ち出した人物がいます」


「誰?」


 名前が表示された。


 でも、


 わたしはその名前を知らなかった。


「この人、どこにいるの?」


「現在位置は不明です」


「じゃあ、探す?」


 秩序ちゃんが少し考えた。


「……必要性は?」


「気になる」


「それだけですか?」


「うん」


 秩序ちゃんが端末を閉じた。


「では、探しましょう」


「いいの?」


「輪廻さんがここまで気にするのは珍しいので」


「そう?」


「はい」


 少し考えた。


「じゃあ探そう」


 歩き出した。




第四章「後ろからの声」


 廊下。


 前に進む。


 透明な右腕を見る。


 黒い一滴は、


 まだ空白のところにいる。


 少し気になった。


「ねえ、幽玄ちゃん」


「……うん」


「これって、わたしが探したいと思ってるのかな」


 幽玄ちゃんが止まった。


「……どういう意味?」


「だって、さっきから黒いのがここを気にしてる」


 透明な腕を見る。


「だからわたしも気になってるのかなって」


 幽玄ちゃんがしばらく黙った。


「……わからない」


「自分で決めたのか、後ろが決めさせてるのか」


「……うん」


「どっちだと思う?」


 幽玄ちゃんは答えなかった。


 代わりに、


「……後ろ、気をつけて」


 と言った。


 いつもの言葉。


 でも今日は少し違った。


 わたしは後ろを見た。


 誰もいない。


 ただ、


 床に小さな黒い線があった。


 昨日までなかった。


 わたしが歩いたところから、


 後ろへ続いている。


「……これ、何?」


 幽玄ちゃんが見た。


「……輪廻が残したもの」


「わたしが?」


「……たぶん」


「いつ?」


「……今」


 振り返る。


 線は少しずつ消えていた。


「……じゃあ、後ろに残るのは死んだものだけじゃないんだ」


「……うん」


 少し考えた。


「じゃあ、今歩いてるわたしも、ちょっとずつ後ろにいるんだね」


「……そうかもしれない」


 不思議だった。


 前に進んでいる。


 でも、


 進んだ場所は後ろになる。


 当たり前のことなのに、


 今日は少し怖かった。




第五章「探す理由」


◆夕方


 結局、Aを持ち出した人物は見つからなかった。


 記録だけが残っていた。


 名前。


 時刻。


 持ち出した場所。


 それだけ。


「見つからないね」


「はい」


「じゃあ、まあ——」


 言いかけた。


「……」


 止まった。


 いつもの言葉。


 まあ、いっか。


 でも、


 今日は言えなかった。


 透明な腕を見る。


 空白。


 黒い一滴。


 そして、


 自分の後ろに残った黒い線。


「……いや」


 口から出た。


 秩序ちゃんがこちらを見る。


「まだ調べたい」


「はい」


「理由は?」


「わからない」


「……」


「でも」


 Aを見る。


「空白があるから」


「空白が気になりますか?」


「うん」


「それは、輪廻さん自身の判断ですか?」


「……」


 少し考えた。


「たぶん」


 後ろを見る。


 誰もいない。


 でも、


 いる。


「たぶん、わたし」


 もう一度前を見る。


「だから探す」


 秩序ちゃんが頷いた。


「わかりました」




エピローグ「空白」


 夜。


 透明な右腕を見る。


 今日の履歴が増えている。


 Aに触った。


 空白を見た。


 調べた。


 見つからなかった。


 それでも探すと決めた。


 線が一本増えた。


 黒い一滴は、


 まだ空白にいる。


「……ねえ」


 話しかけた。


「ここに何があるの?」


 返事はない。


 でも、


 コン。


 後ろから音がした。


 いつものフライパン。


 コン。


 もう一度。


 コン。


 今度は三回。


 少し違う。


「……何?」


 聞いた。


 返事はない。


 ただ、


 透明な腕の黒い一滴が、


 初めて空白から離れた。


 右腕の中を移動する。


 指先。


 手首。


 肘。


 肩。


 そして、


 胸の方へ。


「……そっち?」


 黒い一滴が止まった。


 心臓の近く。


 輪廻は少し黙った。


「……Aじゃないの?」


 黒い一滴は動かない。


 わたしは考えた。


 Aの空白を調べていた。


 でも、


 本当に気にしていたのは、


 Aではなかったのかもしれない。


「……まあ、明日考えよう」


 今日は、


 そこで止めた。


 でも完全には止められない。


 黒い一滴が、


 胸の中にいる。


 後ろのものが、


 何かを知っている。


 わたしは知らない。


 でも、


 明日も仕事がある。


 布団に入った。


 目を閉じる。


 後ろから、


 小さく声がした。


「……輪廻」


 誰の声かは、


 わからなかった。


 でも、


 初めて名前を呼ばれた気がした。


 前が広い。


 だから、


 今日は寝る。


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——幽玄——観察記録


 今日、輪廻は初めて、


「自分の判断なのか」


を疑った。


 これは重要。


 今まで輪廻は、


 後ろにいるものを受け取っていた。


 幻覚も。


 残留も。


 経験も。


 でも今日は、


 自分の判断そのものに、


 後ろの影響がある可能性を考えた。


 まだ判断はできない。


 輪廻がAを調べたいと思った理由が、


 輪廻自身の興味なのか、


 後ろにいるものの誘導なのか、


 両方なのか。


 わからない。


 だから私は、


 まだ言わない。


 ただ一つ。


 今日、後ろに新しい線ができた。


 輪廻が歩いた跡。


 それはすぐ消えた。


 でも、


 一度できたこと自体は、


 私には見えた。


 輪廻は、


 死んだものだけを後ろに残しているわけではない。


 生きて歩いた一歩まで、


 少しずつ後ろになっている。


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——万寿——記録


 今日は、


 「空白」


 を記録した。


 空白そのものは、


 何もないように見える。


 しかし、


 何もないことが記録されると、


 それは「何かがない」という情報になる。


 輪廻の透明な腕も、


 同じなのだと思う。


 あれは、


 過去を見せているのではない。


 残った履歴を見せている。


 だから、


 残らなかったものは見えない。


 そして、


 見えないこと自体が、


 新しい情報になる。


 輪廻は今日、


 それに気づいた。


 少し嬉しい。


 ただし、


 最後に黒い一滴が胸へ移動した理由は、


 まだ記録できない。


 ……記録できないものがある。


 そのこと自体も、


 記録しておこう。


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——秩序——正式記録


 今日の輪廻さんの判断について。


 初期判断:


「Aは過去に使用されている」



 判断:


「Aを選択」



 新Evidence:


「過去の履歴が途中で途切れている」



 状態変化:


「履歴=安全という仮説を撤回」



 新状態:


「履歴は判断材料だが、保証ではない」



 さらに新Evidence:


「空白そのものが意味を持つ可能性」



 現在:


「空白を調べる」


 ここまでは明確です。


 ただし、最後に問題が発生しました。


 輪廻さん自身が、


「この判断は自分のものなのか」


と疑い始めた。


 これは今までと異なります。


 これまで輪廻さんは、


 身体が変わること。


 感覚が変わること。


 死ぬこと。


 戻ること。


 後ろに何かがいること。


 それらを受け入れてきました。


 しかし今回は、


「自分の判断」


そのものを疑いました。


 まだ長期的な変化とは認定しません。


 ただ、


 非常に重要なCASEです。


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——輪廻——夜の記録


 今日は、


 Aを調べた。


 結局、わからなかった。


 誰が食べたのか。


 何があったのか。


 どうして最後だけ空白なのか。


 全部わからない。


 でも、


 空白があることはわかった。


 だから、


 明日も調べる。


 ……たぶん。


 それから、


 ちょっと変なことを考えた。


 わたしがAを気にしたのは、


 本当にわたしが気にしたからなのかな。


 後ろのやつが、


 「ここを見て」


 って言ってるだけだったら?


 でも、


 それなら、


 今考えてることも、


 わたしじゃないのかな。


 ……よくわからない。


 でも、


 考えているのは、


 今のわたしだから。


 たぶん。


 今日はもう寝る。


 明日、


 Aをもう一回見る。


 それでいい。


 前が広い。


 でも、


 後ろが、


 少し近くなった。

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