↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/22

第13話 「鏡のなかと、幻と」


 今日は鏡に吸い込まれた。


 夢幻ちゃんの部屋の近くを通りかかったとき、廊下に置いてあった鏡が光った。


 夢幻ちゃんの部屋から流れ出た幻覚の余波が鏡に溜まってたらしい。


 吸い込まれた。


 鏡面世界に入った。正確には「欲望が映る鏡」の内側だ。


 中は——よくわからなかった。


 何かが見えた気がするが、わたしには欲望があまりないので、鏡が映すものがなくて、代わりに構造が崩れた。


 崩れたまま出られなくなって、鏡の中で溶けた。


 夢幻ちゃんが回収してくれた。


 培養槽に入って出た。棚を開けた。


 「鏡面世界由来パーツ(視覚接続不安定・幻覚混入の可能性あり)」があった。


 幻覚混入の可能性あり。


 まあ、いっか。






第一章 「幻覚が地味だった」


◆ 朝のキッチン


 翌朝、キッチンに入った。


 幻覚が見えた。


 右目が鏡面世界の影響を受けていた。視覚接続が不安定で、時々現実とは違うものが見える。


 何が見えたか。


 パティが少し赤く見えた。


 それだけだ。


 夢幻ちゃんの幻覚なら、もっとすごいものが見えると思ってた。欲望が溢れるとか、恐怖が具現化するとか、自分の深層心理が見えるとか。


 パティが赤かった。


「……地味だな」てわたしは言った。


「……何が見えてるの?」と幽玄ちゃんが聞いた。


「パティが赤い。それだけ」


「……それだけ?」


「それだけ」


 幽玄ちゃんが少し考えた。「……鏡面世界の幻覚は、見る者の内面を映す。欲望が深い人には強い幻覚が出る。輪廻の場合——」


「欲望が少ないから地味?」


「……そうかもしれない」


 まあ、困らないからいっか。


◆ 夢幻ちゃんが謝りに来た


 昼前、夢幻ちゃんが来た。


 水色と緑の服。小悪魔めいた笑顔——ではなく、今日は少し申し訳なさそうな顔をしてた。


「輪廻ちゃん、昨日はごめんね♡」


「まあ、死んだけど戻ってきたから」


「鏡の管理ができてなかった。幻覚が溜まりすぎてたの。ちゃんと確認しておけばよかった」


 夢幻ちゃんが素直に謝ってる。珍しい気がした。夢幻ちゃんはもっとひらひら笑いながら「悪いことした♡」って感じかと思ってた。


「……夢幻ちゃん、素直に謝るんだ」


「え? 謝るよ? 自分の管理ミスだもん」と夢幻ちゃんが言った。少し不思議そうな顔をした。「わたし、悪いことしたら謝る」


「意外だった」


「……そうかな。幻覚見せるのは仕事だけど、管理ミスで迷惑かけるのは別の話じゃん」


 夢幻ちゃんが仕事と管理ミスを区別してた。


「……輪廻ちゃん、今日幻覚見えてる?」


「パティが赤いのが見える。それだけ」


「それだけ!?」と夢幻ちゃんが言った。今度は本当に驚いた顔だった。「わたしの幻覚でそれだけ……」


「地味だった」


「……輪廻ちゃん、欲望少なすぎない? 大丈夫?」


「困ってないから大丈夫」


 夢幻ちゃんが少し複雑な顔をした。「……わたしが幻覚見せた中で一番地味だったかも。少し悔しい」


「悔しいの」


「……うん。幻覚師として」




第二章 「夢幻ちゃんがキッチンで仕事した」


◆ 午後


「……わたしも今日一緒にキッチンいていい?」と夢幻ちゃんが言った。


「なんで?」


「……迷惑かけたお詫びと、輪廻ちゃんの幻覚の様子を見たいのと、あと——実は」と夢幻ちゃんが少し言いにくそうにした。「今日の仕込み、少し手伝いたい」


「手伝いたい?」


「……わたし、本当はキッチンの仕事も好きなんだよね」と夢幻ちゃんが言った。「調理神秘班でしょ、一応。でもいつも幻覚の仕事の方が多くて、キッチンにあまり来れない。今日、時間があるから」


 夢幻ちゃんがキッチンの仕事をしたいと言った。


 全然思っていなかった。


「……いいよ」


 夢幻ちゃんがエプロンをつけた。


 手際よかった。


 パティの成形も、手順を知ってた。刃物の扱いも普通にできた。


「……夢幻ちゃん、できるんだね」


「調理神秘班だもん」と夢幻ちゃんが言った。「最初はキッチンの仕事も覚えたよ。幻覚の仕事が多くなってからは来なくなったけど」


 幽玄ちゃんが「……夢幻ちゃんがキッチンで仕事してる。珍しい」と言った。


「久しぶり〜」と夢幻ちゃんが言った。「幽玄ちゃん、元気だった?」


「……まあ」


「あんまり会わないよね。同じ班なのに」


「……うん」


 夢幻ちゃんと幽玄ちゃんが普通に会話してた。


 調理神秘班が同じ班なのに、あまり絡まない二人が、今日は一緒にキッチンにいた。


◆ 夢幻ちゃんの幻覚が輪廻に効かなかった


 午後の途中、夢幻ちゃんが「少し試してもいい?」と言った。


「何を?」


「……輪廻ちゃんに幻覚を見せてみたい。鏡の幻覚は地味だったけど、わたしが直接見せたらどうなるか」


「怖くない?」


「怖いやつは見せないよ。わたし、相手を選んで幻覚を変えるから」


「じゃあいいよ」


 夢幻ちゃんがわたしを見た。


 何かが来た。


 ……パティが、また赤かった。


「……どうだった?」


「赤かった。また」


 夢幻ちゃんが固まった。


「……わたしが直接見せても赤いだけ?」


「赤いだけ」


「……輪廻ちゃん、幻覚耐性高すぎない?」と夢幻ちゃんが言った。少し声が暗かった。「わたしの幻覚、輪廻ちゃんには効かないんだ」


「効かないというか、地味になる」


「……欲望がないから幻覚が入る余地がないのかな。でも……」と夢幻ちゃんが少し考えた。「少し悲しい。幻覚師なのに」


 幻覚師が悲しいと言った。


 幽玄ちゃんが「……わたしも試してみていい? 輪廻の幻覚が地味な理由、霊感で見えるかもしれない」と言った。


 見てもらった。


「……あ」と幽玄ちゃんが言った。


「何?」


「……輪廻の後ろにいるものたちが、幻覚を吸収してる。夢幻ちゃんの幻覚が来るたびに、後ろにいるものたちが受け取ってる。輪廻本人に届く前に」


「後ろにいるやつらが幻覚を受け取ってる?」


「……うん。輪廻に代わって。だから輪廻には地味なものしか届かない」


 夢幻ちゃんが「……後ろにいるものたちが輪廻ちゃんを守ってるみたいな感じ!?」と言った。


「……守ってるというより、受け取ってる、という感じだと思う」と幽玄ちゃんが言った。「でも——後ろのものたちに幻覚が届いてるなら、彼らは今日、夢幻ちゃんの幻覚を見てる」


 後ろにいるやつらが、夢幻ちゃんの幻覚を見てる。


 食材の気配とか、前の持ち主たちとか、植物の気配とかが、今日は夢幻ちゃんの幻覚を見てる。


「……なんか、後ろにいるやつらがにぎやかになってる感じがする」てわたしは言った。


「……してる」と幽玄ちゃんが言った。「今日は特ににぎやかだ」


 夢幻ちゃんが「……わたしの幻覚、輪廻ちゃんじゃなくて後ろのみんなに届いてたんだ」と言った。少し複雑な顔から、少し嬉しそうな顔になった。「……地味じゃなかったかも」




第三章 「万寿ちゃんが羨ましがった」


◆ 夕方


 夕方、万寿ちゃんに今日の話をした。


「……後ろにいるものたちが夢幻ちゃんの幻覚を受け取った?」


「幽玄ちゃんがそう言ってた」


 万寿ちゃんが少し間を置いた。


「……羨ましい」


「万寿ちゃんが羨ましいって言った」


「……言ったわ」と万寿ちゃんが普通に認めた。「わたし、輪廻の後ろにいるものたちをずっと観察してるけど——わたしは直接彼らに届けられない。霊安室で保存はできても、幻覚みたいな「経験」は渡せない」


「万寿ちゃんは保存担当だから」


「……そうなの。でも——今日、夢幻ちゃんが彼らに幻覚という経験を渡した。わたしにはできないことだった」


「万寿ちゃんが渡してるものは別にあるじゃん。記録とか、保存とか」


「……そうね」と万寿ちゃんが言った。少し間を置いて「……輪廻は、フォローが上手ね」


「フォローじゃなくて本当のことを言った」


「……それがフォローよ」と万寿ちゃんが言った。「ありがとう」


◆ 夢幻ちゃんが残った


 夜の片付けの時間、夢幻ちゃんはまだキッチンにいた。


「帰らないの?」


「……キッチン、久しぶりに来たら片付けまでしたくなった」と夢幻ちゃんが言った。「いつもは幻覚の仕事だけして帰るから、キッチンの後片付けってあんまりしたことなかった」


 夢幻ちゃんが棚を拭いてた。丁寧に。


「……夢幻ちゃんって、思ってたのと違うな」てわたしは言った。


「どう思ってたの?」


「もっとひらひらしてる感じ。悪いことしたら笑いながら「いい夢見せてあげる♡」みたいな感じかと」


 夢幻ちゃんが少し笑った。


「……それ、仕事中の話。仕事中はそうするの。雰囲気が大事だから」と夢幻ちゃんが言った。「仕事中じゃないときは普通だよ」


「普通なんだ」


「……輪廻ちゃんって、みんなのこと「仕事中」の顔で判断してない?」


 そう言われると——そうかもしれない。


 悲醒ちゃんが昨日歌ったのも、秩序ちゃんが泣いたのも、幽玄ちゃんが笑ったのも——みんな「仕事中」じゃない顔だった。


「……そういうこと、最近多い気がする」


「最近多いって?」


「いつもと違う顔を見る機会が多い」


 夢幻ちゃんが棚を拭きながら「……それ、輪廻ちゃんがちゃんと見てるからじゃないかな」と言った。


「見てるから?」


「……ちゃんと見てると、仕事中じゃない顔も見える。ちゃんと見てない人には、わたしの仕事中の顔しか見えない。輪廻ちゃんは——」と夢幻ちゃんが少し考えた。「仕事中じゃない顔も見える人なんだと思う」


 よくわかんないけど——なんかそういうことなのかもしれない。




エピローグ 「視覚は翌日治った」


 翌日、視覚が戻った。


 パティが赤くなくなった。普通の色に見えた。


 幽玄ちゃんが「……今日は後ろが少し静かだ。昨日の幻覚の余韻が落ち着いた感じ」と言った。


「後ろのやつらも落ち着いた?」


「……うん。でも昨日、夢幻ちゃんの幻覚を見たから——少し変わった気がする。何かを経験した後みたいな」


 後ろにいるやつらが、幻覚を経験した。


 培養槽に入ってた間も、食材として使われた後も、わたしの後ろに来てずっといる連中が、昨日は夢幻ちゃんの幻覚を見てた。


 何を見たんだろ。


 まあ、聞けないからわかんないけど。


 今日も仕込みが始まる。今日は第3世界線だ。湿った土と魚のにおい。おだやかな世界線。


 パティを成形した。いつもの色に見えた。いつもの感触。いつもの電流は来なかった——第3世界線はそういう世界線じゃないから。


 においがした。湿った土と魚。この世界線は、水の多い場所で生きてた文明のにおいだ。


 前が広い。


 それはたぶん、今日も変わらない。






──────────────────

◇ クルー視点モノローグ —— 夢幻 —— 覚書


 今日、久しぶりにキッチンで仕事した。


 楽しかった。


 わたしの幻覚が輪廻ちゃんに効かなかった。効いたのは輪廻ちゃんの後ろにいるものたちだった。


 最初は悔しかった。幻覚師として。


 でも——後ろのものたちが幻覚を受け取ってくれた。彼らに経験を渡せた。


 悔しくなくなった。


 輪廻ちゃんは「仕事中じゃない顔を見る」と言ってた。


 わたしも輪廻ちゃんの顔を少し見た。


 仕事中じゃない輪廻ちゃんは——「まあいっか」しか言わないけど、ちゃんと見てる。


 幻覚師は見せる側だけど、今日は見られた側だった。


 それが少し面白かった。♡

──────────────────


──────────────────

◇ クルー視点モノローグ —— 幽玄 —— 観察記録


 今日、夢幻ちゃんと話した。


 久しぶりだった。同じ班なのに、あまり話さない。


 夢幻ちゃんはいつも幻覚の仕事で忙しい。わたしはキッチン周辺で残留を見てる。

 同じ調理神秘班でも、動いてる場所が違う。


 今日はキッチンで一緒にいた。


 夢幻ちゃんの幻覚が輪廻の後ろのものたちに届いていた。

 面白かった。


 あと——夢幻ちゃんが棚を拭いていた。

 丁寧だった。


 仕事中の夢幻ちゃんしか知らなかった。

 今日は棚を拭く夢幻ちゃんを見た。


 輪廻が言ってた。「いつもと違う顔を見る機会が多い」と。


 わたしも今日、そうだった。


 ……後ろ、気をつけて。

 昨日の幻覚の後、後ろが少し豊かになった気がする。

 経験が積まれた感じ。

──────────────────


──────────────────

◇ クルー視点モノローグ —— 万寿 —— 記録


 今日、羨ましいと言ってしまった。


 夢幻ちゃんが後ろのものたちに幻覚という経験を渡した。わたしにはできないことだ。


 輪廻が「万寿ちゃんが渡してるものは別にある」と言った。


 そう。記録して、保存して、返す。それがわたしの仕事だ。


 でも——経験を渡すことができないのは、少し寂しいと思った。


 記録された死に顔を見るのは好きだ。でも——後ろのものたちが生きた経験をするのを見たとき、少し違う感情が来た。


 名前はわからない。でも来た。


 輪廻に「ありがとう」と言った。


 珍しかった。わたしが輪廻に感謝するのは。


 でも言ったのは本当だった。

──────────────────


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。