第12話「バーガーに、なりかけた」
今日はバーガーになりかけた。
因果律プレス工場に、荷物の搬入補助で行った。
因果律プレス工場というのは、世界線の時間や記憶を物理的に圧縮してパティにする工場だ。巨大なプレス機が並んでいる。圧力がすごい。
搬入が終わって、帰ろうとしたとき——プレス機の一台が誤作動した。
輸送台ごとわたしが圧縮範囲に入った。
あ、これやばい、と思った瞬間には、プレスが降りてた。
体が圧縮されて、平たくなって——そのままパティの形になりかけた。
直前で止まった。
工場の緊急停止システムが作動したからだ。
でも体の九割くらいはすでにパティ状に圧縮されてた。九割パティのわたしが、工場の床にいた。
因果律プレス工場の圧力は、世界線の記憶と時間を圧縮する規模だ。輪廻の再生力など、問答無用で潰れる。
培養槽で再生したら、体の九割分のパーツが必要だった。棚がほぼ空になった。
補充したパーツは「因果律プレス工場回収素材(使用可・成分不明)」と書いてあるものが多かった。
成分不明。
まあ、いっか。
第一章「秩序ちゃんが来た」
◆翌朝のキッチン
翌朝、キッチンに入った。
万寿ちゃんがいた。幽玄ちゃんがいた。
そして秩序ちゃんがいた。
秩序ちゃんがキッチンにいることは、珍しくはない。記録確認や品質チェックで来ることはある。
でも今日の秩序ちゃんは、記録書類を持っていなかった。
ただ立っていた。
「……秩序ちゃん、何か?」
「確認に来ました」と秩序ちゃんが言った。「昨日の因果律プレス工場の件。輪廻さんの状態確認と、再発防止の聞き取りです」
「あー、誤作動のやつ」
「はい」と秩序ちゃんが言った。いつも通りの秩序ちゃんだ。「工場の緊急停止が正常に作動したことは確認済みです。輸送台の固定が不十分だったことが原因で、改善策は既に提出しました」
「じゃあもう大丈夫?」
「……はい」と秩序ちゃんが言った。
少し間があった。
「……大丈夫です」と秩序ちゃんがもう一回言った。
わたしは秩序ちゃんを見た。
秩序ちゃんの目が、少し赤かった。
「……泣いてた?」
「いいえ」と秩序ちゃんが即座に言った。
「……目が赤い」
「花粉です」
「nの次元に花粉はないと思う」
秩序ちゃんが少し止まった。書類のない手が、何かを探すように動いた。
「……花粉に相当する何かです」
万寿ちゃんが「……泣いてたわよ」とさらっと言った。
「万寿さん」と秩序ちゃんが言った。少し声が低くなった。
「……わたし見てたもの。昨日、輪廻が工場から戻ってきて培養槽に入ってから、秩序ちゃんが廊下で少し泣いてた」
秩序ちゃんが完璧主義の苦労人であることはわかってる。でも泣くとは思わなかった。
「……なんで?」てわたしは聞いた。
「記録の管理上、クルーが不在になる可能性は常に想定しています」と秩序ちゃんが言った。「輪廻さんは再生能力があるので、通常の意味での「不在」にはなりませんが——あの圧縮率では、再生に必要な細胞が残るか微妙でした」
「でも残ってた」
「……残っていました。パーツの補充が必要でしたが」
秩序ちゃんが書類を持っていない手を、制服の袖で少し隠した。
「管理者として、必要な確認をするために来ました。以上です」
そう言って帰ろうとした。
「……ありがとう」てわたしは言った。
秩序ちゃんが一瞬止まった。
「……次は安全管理を徹底してください」と言って、帰った。
キッチンが少し静かになった。
「……秩序ちゃん、泣いてたんだ」てわたしは言った。
「……珍しかった」と幽玄ちゃんが言った。
「……美しかったわ」と万寿ちゃんが言った。「整然とした人が崩れる瞬間って、美しい」
◆渾沌ちゃんが来なかった
午前中ずっと、渾沌ちゃんが来ると思ってた。
こういう派手な事故があると、渾沌ちゃんが「事件現場みたいな!」「パティになりかけたの!?」ってにぎやかに来るイメージがある。渾沌ちゃんはそういう子だ。
来なかった。
昼になっても来なかった。
万寿ちゃんに「渾沌ちゃん来ないね」と言ったら「……今日は渾沌ちゃん、別の世界線に行ってるみたい」と言われた。
なんかいつもより静かなキッチンだった。
第二章「パーツが歌った」
◆午後の仕込み
午後の仕込みを始めた。
今日の担当は「第66世界線残滓バーガー」だ。第66世界線は音楽文明の世界線——第8世界線とは違って、音楽が「言語」として機能していた世界線だ。パティにすると、成形するときに微かなメロディが漏れることがある。
パティを触った。
メロディが来た。
わたしの右手から来た。
「……え」
右手から音楽が出てた。
因果律プレス工場回収素材のパーツだ。成分不明と書いてあった。何世界線の素材かわからない。
でも今日のパティと接触して、何かが反応した。
幽玄ちゃんが来た。
「……輪廻の右手から音が出てる」
「知ってる。なんで?」
「……因果律プレス工場の素材に、音楽世界線の世界線記憶が混入してるのかもしれない。プレス機で圧縮された他の世界線の記憶と、第66世界線のパティが共鳴してる」
つまりわたしの手に、別の世界線の記憶が入ってる。
しかもそれが今日のパティに反応して歌い始めた。
「……歌は止まる?」
「……パティから離れれば止まると思う」
パティから手を離した。歌が止まった。
「……パティを成形できない」
「……手袋は?」
手袋をはめた。パティを触った。歌が手袋ごしに来た。
「……手袋でも来た」
「……共鳴が強い」
どうしようかと思っていたら、万寿ちゃんが「……一緒に歌えばいいんじゃないかしら」と言った。
「一緒に歌う?」
「……音楽言語の世界線のバーガーを成形しながら、そのメロディに合わせて手を動かす。抵抗するより合わせた方が早い」
まあ、試してみるか。
メロディに合わせてパティを成形した。
うまくいった。
第66世界線の音楽に合わせてパティを作った。変な仕込みだった。でも形は綺麗にできた。
「……なんか今日、キッチンで音楽が流れてる」と黄昏ちゃんが来て言った。「めずらしい」
「手が歌ってる」
「へえ」と黄昏ちゃんが言った。「もうすぐ夜が来るけど、今日は歌いながら来る感じ」
◆悲醒ちゃんが歌に参加した
歌いながら仕込みをしてたら、悲醒ちゃんがキッチンを通りかかった。
足を止めた。
メロディを聴いてた。
「……これ、祓う必要がありますか?」てわたしは聞いた。
「……いいえ」と悲醒ちゃんが言った。「害はないので」
悲醒ちゃんがそのまま立ってた。帰らなかった。
しばらくしてから、悲醒ちゃんが小さく口ずさんだ。
え、と思った。
悲醒ちゃんが、第66世界線のメロディに合わせて、小さく何かを歌っていた。
祝詞みたいな感じだった。でもメロディには合ってた。
「……悲醒ちゃん、歌える?」
「……祓いで使う音律と似ているので」と悲醒ちゃんが言った。少し顔が赤かった。「騒がしくしてごめんなさい」
「全然騒がしくない。むしろよかった」
悲醒ちゃんがまた少し歌った。
幽玄ちゃんが「……きれい」と小声で言った。
万寿ちゃんがうっとりした顔で聴いてた。
黄昏ちゃんが「夜が来るのに歌があると、終わり方が変わる感じがする」と言った。
変な午後だった。でも悪くなかった。
第三章「パーツが自己主張した」
◆夜
仕込みが全部終わって、片付けをしてた。
第66世界線の仕込みが終わったら、右手の歌は止まった。
でも夜、ラボで鏡を見てたら——右手が少し動いた。
わたしが動かしていないのに、指が一本だけ動いた。
「……なに?」
指がもう一回動いた。
リズムを刻むような動きだった。
さっきのメロディの続きをやってる。
「……覚えてるの?」
指がもう一回動いた。返事みたいに。
因果律プレス工場の回収素材のパーツ。成分不明。でも今日のパティのメロディが気に入ったらしい。
指がしばらくリズムを刻んでた。
止まった。
「……満足した?」
指は動かなかった。
満足したらしい。
なんか今日のパーツは自己主張が強い。まあ、悪いやつじゃなかった。
◆幽玄ちゃんが笑った
片付けの最中に幽玄ちゃんがいた。
「……今日、輪廻の後ろがにぎやかだった。音楽の気配が加わった」
「手が歌ったから」
「……うん。でもそれだけじゃなくて——今日は輪廻の後ろにいるものたちが、珍しく表に出てきた感じがした。いつもは静かにそこにいるのに、今日は出てきた。音楽に引き寄せられた、みたいな」
「みんな音楽好きなのかな、後ろにいるやつら」
「……かもしれない」と幽玄ちゃんが言った。
そしてわずかに、幽玄ちゃんの口の端が上がった。
笑った。
幽玄ちゃんが笑うのは見たことがなかった。
「……幽玄ちゃん、笑った?」
「……笑ってない」
「笑った」
「……笑っていない」
「口の端が上がった」
幽玄ちゃんが目をそらした。
「……後ろにいるものたちが音楽に出てきた、っていうのが——少し面白かっただけ」
面白かったら笑っていい。
「……まあ」と幽玄ちゃんがいった。それ以上は言わなかった。
エピローグ「翌日、手は普通だった」
翌日、右手は普通だった。
歌わなかった。リズムも刻まなかった。
今日の仕込みは「第3世界線」だった。湿った土と魚のにおい。前にも仕込んだことある、おだやかな世界線だ。
パティを成形した。メロディが来なかった。
まあ、それはそれでいい。
悲醒ちゃんが通りかかった。
「……今日は歌ってないんですね」と言った。
「手が普通に戻った」
「……そうですか」と悲醒ちゃんが言った。
少し間があった。
「……昨日は、少し聴いてしまいました」と悲醒ちゃんが言った。棒読みに近い声で。「騒がしくして申し訳なかったです」
「全然騒がしくなかった」
「……そうですか」
悲醒ちゃんが去った。
幽玄ちゃんが「……また笑ってない顔でいつも通りだ」と言った。
「昨日笑ったの認めてないもんね」
「……認めなくていい」と幽玄ちゃんが言った。「わたしは見た」
それで十分だった。
前が広い。
それはたぶん、今日も変わらない。
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◇クルー視点モノローグ——秩序——記録
昨日、廊下で少し泣いた。
万寿さんに見られていた。キッチンで言われた。
管理上、クルーの不在は想定している。でも——因果律プレス機の圧縮率は、細胞の残存を保証しない水準だった。
再生には細胞が一つでも残れば良い。それが輪廻さんの能力だ。
でも「一つでも残れば」という条件が、あの圧縮率では——際どかった。
結果として残っていた。戻ってきた。
泣いた理由は管理上の懸念からだ。以上。
翌朝、状態確認に行った。輪廻さんは普通にキッチンにいた。
「ありがとう」と言われた。
確認に来ただけなので、感謝される理由はない。
……でも、少し困った。
管理上の確認に感謝されると、管理上の記録にどう書けばいいかわからない。
今回は「状態確認・問題なし」とだけ書いた。
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◇クルー視点モノローグ——悲醒——所感
昨日、キッチンで歌ってしまった。
第66世界線の音楽は、祓いで使う音律と構造が似ていた。
手が動いた。口が動いた。
騒がしくした。輪廻は「全然騒がしくなかった」と言った。
幽玄が「きれい」と言った。
幽玄に言われるとは思わなかった。
今日通りかかったら、歌は止まっていた。
少し残念だと思ったが、口には出さなかった。
……出さなかった。
出さないのが正しい。
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◇クルー視点モノローグ——幽玄——観察記録
今日の輪廻の後ろは、音楽の気配が加わってにぎやかだった。
後ろにいるものたちが表に出てきた。
いつもは静かにそこにいるのに、音楽に反応して出てきた。
それが面白かった。
……少し、笑った。
輪廻に見られた。
笑っていないと言ったが、笑った。
面白かったから笑った。それだけだ。
否定する必要もなかった気がするが、なぜか否定した。
……後ろ、気をつけて。
今日の後ろは、音楽の気配で少し明るかった。
おだやかな場所が、今日は少し明るかった。
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◇クルー視点モノローグ——万寿——記録
今日は美しいものをたくさん見た。
秩序ちゃんが泣いた。
悲醒ちゃんが歌った。
幽玄ちゃんが笑った。
輪廻の手がリズムを刻んだ。
後ろにいるものたちが音楽に出てきた。
全部、いつもとは違うものだった。
バーガーになりかけた翌日に、こんな日が来た。
輪廻は「まあいっか」で通り過ぎた。
でもこの日は記録しておく。
九割パティになって、成分不明のパーツを詰め込んで、その翌日に音楽が流れたキッチンのこと。
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