↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
12/22

第12話「バーガーに、なりかけた」


 今日はバーガーになりかけた。


 因果律プレス工場に、荷物の搬入補助で行った。


 因果律プレス工場というのは、世界線の時間や記憶を物理的に圧縮してパティにする工場だ。巨大なプレス機が並んでいる。圧力がすごい。


 搬入が終わって、帰ろうとしたとき——プレス機の一台が誤作動した。


 輸送台ごとわたしが圧縮範囲に入った。


 あ、これやばい、と思った瞬間には、プレスが降りてた。


 体が圧縮されて、平たくなって——そのままパティの形になりかけた。


 直前で止まった。


 工場の緊急停止システムが作動したからだ。


 でも体の九割くらいはすでにパティ状に圧縮されてた。九割パティのわたしが、工場の床にいた。


 因果律プレス工場の圧力は、世界線の記憶と時間を圧縮する規模だ。輪廻の再生力など、問答無用で潰れる。


 培養槽で再生したら、体の九割分のパーツが必要だった。棚がほぼ空になった。


 補充したパーツは「因果律プレス工場回収素材(使用可・成分不明)」と書いてあるものが多かった。


 成分不明。


 まあ、いっか。






第一章「秩序ちゃんが来た」


◆翌朝のキッチン


 翌朝、キッチンに入った。


 万寿ちゃんがいた。幽玄ちゃんがいた。


 そして秩序ちゃんがいた。


 秩序ちゃんがキッチンにいることは、珍しくはない。記録確認や品質チェックで来ることはある。


 でも今日の秩序ちゃんは、記録書類を持っていなかった。


 ただ立っていた。


「……秩序ちゃん、何か?」


「確認に来ました」と秩序ちゃんが言った。「昨日の因果律プレス工場の件。輪廻さんの状態確認と、再発防止の聞き取りです」


「あー、誤作動のやつ」


「はい」と秩序ちゃんが言った。いつも通りの秩序ちゃんだ。「工場の緊急停止が正常に作動したことは確認済みです。輸送台の固定が不十分だったことが原因で、改善策は既に提出しました」


「じゃあもう大丈夫?」


「……はい」と秩序ちゃんが言った。


 少し間があった。


「……大丈夫です」と秩序ちゃんがもう一回言った。


 わたしは秩序ちゃんを見た。


 秩序ちゃんの目が、少し赤かった。


「……泣いてた?」


「いいえ」と秩序ちゃんが即座に言った。


「……目が赤い」


「花粉です」


「nの次元に花粉はないと思う」


 秩序ちゃんが少し止まった。書類のない手が、何かを探すように動いた。


「……花粉に相当する何かです」


 万寿ちゃんが「……泣いてたわよ」とさらっと言った。


「万寿さん」と秩序ちゃんが言った。少し声が低くなった。


「……わたし見てたもの。昨日、輪廻が工場から戻ってきて培養槽に入ってから、秩序ちゃんが廊下で少し泣いてた」


 秩序ちゃんが完璧主義の苦労人であることはわかってる。でも泣くとは思わなかった。


「……なんで?」てわたしは聞いた。


「記録の管理上、クルーが不在になる可能性は常に想定しています」と秩序ちゃんが言った。「輪廻さんは再生能力があるので、通常の意味での「不在」にはなりませんが——あの圧縮率では、再生に必要な細胞が残るか微妙でした」


「でも残ってた」


「……残っていました。パーツの補充が必要でしたが」


 秩序ちゃんが書類を持っていない手を、制服の袖で少し隠した。


「管理者として、必要な確認をするために来ました。以上です」


 そう言って帰ろうとした。


「……ありがとう」てわたしは言った。


 秩序ちゃんが一瞬止まった。


「……次は安全管理を徹底してください」と言って、帰った。


 キッチンが少し静かになった。


「……秩序ちゃん、泣いてたんだ」てわたしは言った。


「……珍しかった」と幽玄ちゃんが言った。


「……美しかったわ」と万寿ちゃんが言った。「整然とした人が崩れる瞬間って、美しい」


◆渾沌ちゃんが来なかった


 午前中ずっと、渾沌ちゃんが来ると思ってた。


 こういう派手な事故があると、渾沌ちゃんが「事件現場みたいな!」「パティになりかけたの!?」ってにぎやかに来るイメージがある。渾沌ちゃんはそういう子だ。


 来なかった。


 昼になっても来なかった。


 万寿ちゃんに「渾沌ちゃん来ないね」と言ったら「……今日は渾沌ちゃん、別の世界線に行ってるみたい」と言われた。


 なんかいつもより静かなキッチンだった。




第二章「パーツが歌った」


◆午後の仕込み


 午後の仕込みを始めた。


 今日の担当は「第66世界線残滓バーガー」だ。第66世界線は音楽文明の世界線——第8世界線とは違って、音楽が「言語」として機能していた世界線だ。パティにすると、成形するときに微かなメロディが漏れることがある。


 パティを触った。


 メロディが来た。


 わたしの右手から来た。


「……え」


 右手から音楽が出てた。


 因果律プレス工場回収素材のパーツだ。成分不明と書いてあった。何世界線の素材かわからない。


 でも今日のパティと接触して、何かが反応した。


 幽玄ちゃんが来た。


「……輪廻の右手から音が出てる」


「知ってる。なんで?」


「……因果律プレス工場の素材に、音楽世界線の世界線記憶が混入してるのかもしれない。プレス機で圧縮された他の世界線の記憶と、第66世界線のパティが共鳴してる」


 つまりわたしの手に、別の世界線の記憶が入ってる。


 しかもそれが今日のパティに反応して歌い始めた。


「……歌は止まる?」


「……パティから離れれば止まると思う」


 パティから手を離した。歌が止まった。


「……パティを成形できない」


「……手袋は?」


 手袋をはめた。パティを触った。歌が手袋ごしに来た。


「……手袋でも来た」


「……共鳴が強い」


 どうしようかと思っていたら、万寿ちゃんが「……一緒に歌えばいいんじゃないかしら」と言った。


「一緒に歌う?」


「……音楽言語の世界線のバーガーを成形しながら、そのメロディに合わせて手を動かす。抵抗するより合わせた方が早い」


 まあ、試してみるか。


 メロディに合わせてパティを成形した。


 うまくいった。


 第66世界線の音楽に合わせてパティを作った。変な仕込みだった。でも形は綺麗にできた。


「……なんか今日、キッチンで音楽が流れてる」と黄昏ちゃんが来て言った。「めずらしい」


「手が歌ってる」


「へえ」と黄昏ちゃんが言った。「もうすぐ夜が来るけど、今日は歌いながら来る感じ」


◆悲醒ちゃんが歌に参加した


 歌いながら仕込みをしてたら、悲醒ちゃんがキッチンを通りかかった。


 足を止めた。


 メロディを聴いてた。


「……これ、祓う必要がありますか?」てわたしは聞いた。


「……いいえ」と悲醒ちゃんが言った。「害はないので」


 悲醒ちゃんがそのまま立ってた。帰らなかった。


 しばらくしてから、悲醒ちゃんが小さく口ずさんだ。


 え、と思った。


 悲醒ちゃんが、第66世界線のメロディに合わせて、小さく何かを歌っていた。


 祝詞みたいな感じだった。でもメロディには合ってた。


「……悲醒ちゃん、歌える?」


「……祓いで使う音律と似ているので」と悲醒ちゃんが言った。少し顔が赤かった。「騒がしくしてごめんなさい」


「全然騒がしくない。むしろよかった」


 悲醒ちゃんがまた少し歌った。


 幽玄ちゃんが「……きれい」と小声で言った。


 万寿ちゃんがうっとりした顔で聴いてた。


 黄昏ちゃんが「夜が来るのに歌があると、終わり方が変わる感じがする」と言った。


 変な午後だった。でも悪くなかった。




第三章「パーツが自己主張した」


◆夜


 仕込みが全部終わって、片付けをしてた。


 第66世界線の仕込みが終わったら、右手の歌は止まった。


 でも夜、ラボで鏡を見てたら——右手が少し動いた。


 わたしが動かしていないのに、指が一本だけ動いた。


「……なに?」


 指がもう一回動いた。


 リズムを刻むような動きだった。


 さっきのメロディの続きをやってる。


「……覚えてるの?」


 指がもう一回動いた。返事みたいに。


 因果律プレス工場の回収素材のパーツ。成分不明。でも今日のパティのメロディが気に入ったらしい。


 指がしばらくリズムを刻んでた。


 止まった。


「……満足した?」


 指は動かなかった。


 満足したらしい。


 なんか今日のパーツは自己主張が強い。まあ、悪いやつじゃなかった。


◆幽玄ちゃんが笑った


 片付けの最中に幽玄ちゃんがいた。


「……今日、輪廻の後ろがにぎやかだった。音楽の気配が加わった」


「手が歌ったから」


「……うん。でもそれだけじゃなくて——今日は輪廻の後ろにいるものたちが、珍しく表に出てきた感じがした。いつもは静かにそこにいるのに、今日は出てきた。音楽に引き寄せられた、みたいな」


「みんな音楽好きなのかな、後ろにいるやつら」


「……かもしれない」と幽玄ちゃんが言った。


 そしてわずかに、幽玄ちゃんの口の端が上がった。


 笑った。


 幽玄ちゃんが笑うのは見たことがなかった。


「……幽玄ちゃん、笑った?」


「……笑ってない」


「笑った」


「……笑っていない」


「口の端が上がった」


 幽玄ちゃんが目をそらした。


「……後ろにいるものたちが音楽に出てきた、っていうのが——少し面白かっただけ」


 面白かったら笑っていい。


「……まあ」と幽玄ちゃんがいった。それ以上は言わなかった。




エピローグ「翌日、手は普通だった」


 翌日、右手は普通だった。


 歌わなかった。リズムも刻まなかった。


 今日の仕込みは「第3世界線」だった。湿った土と魚のにおい。前にも仕込んだことある、おだやかな世界線だ。


 パティを成形した。メロディが来なかった。


 まあ、それはそれでいい。


 悲醒ちゃんが通りかかった。


「……今日は歌ってないんですね」と言った。


「手が普通に戻った」


「……そうですか」と悲醒ちゃんが言った。


 少し間があった。


「……昨日は、少し聴いてしまいました」と悲醒ちゃんが言った。棒読みに近い声で。「騒がしくして申し訳なかったです」


「全然騒がしくなかった」


「……そうですか」


 悲醒ちゃんが去った。


 幽玄ちゃんが「……また笑ってない顔でいつも通りだ」と言った。


「昨日笑ったの認めてないもんね」


「……認めなくていい」と幽玄ちゃんが言った。「わたしは見た」


 それで十分だった。


 前が広い。


 それはたぶん、今日も変わらない。






──────────────────

◇クルー視点モノローグ——秩序——記録


 昨日、廊下で少し泣いた。


 万寿さんに見られていた。キッチンで言われた。


 管理上、クルーの不在は想定している。でも——因果律プレス機の圧縮率は、細胞の残存を保証しない水準だった。


 再生には細胞が一つでも残れば良い。それが輪廻さんの能力だ。

 でも「一つでも残れば」という条件が、あの圧縮率では——際どかった。


 結果として残っていた。戻ってきた。


 泣いた理由は管理上の懸念からだ。以上。


 翌朝、状態確認に行った。輪廻さんは普通にキッチンにいた。

 「ありがとう」と言われた。


 確認に来ただけなので、感謝される理由はない。


 ……でも、少し困った。

 管理上の確認に感謝されると、管理上の記録にどう書けばいいかわからない。


 今回は「状態確認・問題なし」とだけ書いた。

──────────────────


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——悲醒——所感


 昨日、キッチンで歌ってしまった。


 第66世界線の音楽は、祓いで使う音律と構造が似ていた。

 手が動いた。口が動いた。


 騒がしくした。輪廻は「全然騒がしくなかった」と言った。


 幽玄が「きれい」と言った。

 幽玄に言われるとは思わなかった。


 今日通りかかったら、歌は止まっていた。

 少し残念だと思ったが、口には出さなかった。


 ……出さなかった。

 出さないのが正しい。

──────────────────


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——幽玄——観察記録


 今日の輪廻の後ろは、音楽の気配が加わってにぎやかだった。


 後ろにいるものたちが表に出てきた。

 いつもは静かにそこにいるのに、音楽に反応して出てきた。


 それが面白かった。


 ……少し、笑った。


 輪廻に見られた。


 笑っていないと言ったが、笑った。

 面白かったから笑った。それだけだ。


 否定する必要もなかった気がするが、なぜか否定した。


 ……後ろ、気をつけて。

 今日の後ろは、音楽の気配で少し明るかった。

 おだやかな場所が、今日は少し明るかった。

──────────────────


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——万寿——記録


 今日は美しいものをたくさん見た。


 秩序ちゃんが泣いた。

 悲醒ちゃんが歌った。

 幽玄ちゃんが笑った。

 輪廻の手がリズムを刻んだ。

 後ろにいるものたちが音楽に出てきた。


 全部、いつもとは違うものだった。


 バーガーになりかけた翌日に、こんな日が来た。


 輪廻は「まあいっか」で通り過ぎた。


 でもこの日は記録しておく。


 九割パティになって、成分不明のパーツを詰め込んで、その翌日に音楽が流れたキッチンのこと。

──────────────────


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。