第10話「わたしという概念」
今日は概念的に死んだ。
どういうことか説明するのが難しいけど、「輪廻」という概念が一時的に揺らいだ。
原因は第0世界線バーガーの仕込み中の事故だった。
第0世界線というのは、世界線の番号が0——つまり世界線の概念が発生する前の状態、みたいな世界線らしい。概念そのものが素材になってるバーガーで、調理するには特別な手順が必要だった。
わたしはその手順を一個飛ばした。
そうしたら、概念的な何かがキッチンに漏れた。
漏れたものは、「存在の定義を一時的に書き換える」種類のものだったらしい。
わたしに当たったとき、「輪廻」という概念が一瞬ぼやけた。
体は動いてた。培養槽に入る必要もなかった。でも、わたしが「輪廻である」という感覚が、しばらくなかった。
それが今回の死だった——死、というより「輪廻であることの一時停止」に近かったが、幽玄ちゃんが「概念的な死です」と言ったので、そういうことにした。
半日くらい、わたしはわたしがよくわからないままキッチンにいた。
培養槽に入ったわけじゃないから、パーツは変わっていない。
でも棚を開けたら、「概念再構成パーツ(暫定・安定性要確認)」が一式あった。
幽玄ちゃんが「一応換えておいた方がいい。概念的な影響を受けたパーツは不安定になってることがある」と言ったので、全部換えた。
安定性要確認。
まあ、いっか。
第一章「だれがわたし?」
◆概念的な死の最中
概念的な死の最中——つまり「輪廻である」という感覚がない状態——のことを、できるだけ説明しようとする。
体は動いてた。包丁も持てた。パティも成形できた。においもわかった。
ただ、鏡を見たときに「これがわたし」という感覚がなかった。
ツギハギの体が映ってる。水色と赤のまだら。縫合跡。これは誰だ、と思った。
輪廻だよ、とは思えなかった。「輪廻」という名前と、この体が繋がらなかった。
なんか変な感じだ、とは思ってた。
でも困ってはいなかった。
パティは成形できてる。においはわかる。仕事はできる。
「わたし」がよくわからなくても、仕事はできる。
その事実が、なんか面白かった。
◆万寿ちゃんが気づいた
万寿ちゃんが「……輪廻、今日少し違う」と言った。
「違う?」
「……何かが薄い。いつもの輪廻のにおいが、少し遠い感じ」
「概念的な死、ってやつで、わたしがわたしかどうかよくわからない」
万寿ちゃんが少し止まった。
「……体は輪廻でしょ?」
「体は多分そう。でも輪廻である感覚がない」
「……それ、怖い?」
わたしは少し考えた。
「怖くない。ただ変な感じ。仕事はできてる」
「……仕事ができてるなら、輪廻ね」と万寿ちゃんが言った。「仕事のやり方は輪廻のやり方だから」
仕事のやり方が輪廻のやり方。
なるほど。
わたしは万寿ちゃんの言葉を聞いて、少しだけ「輪廻」という感触が戻ってきた気がした。
全部じゃないけど、少しだけ。
◆幽玄ちゃんの観察
昼前、幽玄ちゃんが来た。
「……今日の輪廻、外側は輪廻だけど、内側の気配が薄い。概念的な影響が出てる」
「半日くらいで治る?」
「……たぶん。第0世界線の概念漏れは、時間が経つと自然に戻ることが多い。でも——」と幽玄ちゃんが少し止まった。「……ちょっと確認していい?」
「何を?」
「……輪廻の後ろ」
幽玄ちゃんがわたしの後ろを見た。しばらく見てた。
「……ある」と幽玄ちゃんが言った。少し安心した声だった。
「何が?」
「……いつもの気配たちが、全部ある。食材の気配、前の持ち主の残留、植物の気配、呪詛の気配。全部ちゃんとある。輪廻の「概念」が薄くなっても、後ろにあるものは消えなかった」
後ろにあるものは消えなかった。
「……それ、いいことなの?」
「……わからない。でも——後ろにいるものたちが、輪廻をちゃんと輪廻として見てる気がする。輪廻の概念が薄くなっても、彼らは輪廻の後ろにいつも通りいる」
いつも通りいる。
よくわかんないけど、なんかそれは、少し良い感じがした。
第二章「概念再構成パーツの確認」
◆午後の調理
午後には「輪廻である感覚」が戻ってきた。
だいぶ普通に戻った。でも、概念再構成パーツはまだ安定性が確認できていなかった。
幽玄ちゃんが「……今日の調理、少し様子を見ながらやった方がいい。パーツが不安定なときは、予期しない反応が出ることがある」と言った。
「どんな反応?」
「……わからない。概念再構成パーツは通常パーツと違って、どこに影響が出るか予測しにくい」
まあ、動きながら確認するか。
今日の担当は「第8世界線残滓バーガー」だ。第8世界線は音楽が物理的な力を持つ世界線で、パティから微かに音が聞こえる。成形するときに少し振動が来る。
パティを触った。振動が来た。
いつも通り。問題ない。
成形した。いつも通り。
形にした。いつも通り。
全部いつも通りだった。
「……問題ないっぽい」
「……そう」と幽玄ちゃんが言った。「意外と安定してる」
「概念が揺れたのに、仕事は普通にできてるな」
「……輪廻はいつもそう」と幽玄ちゃんが言った。「何かが変わっても、調理はできる。それが毎回変わらない」
◆考えすぎるやつを使ってみた
午後の終わりに、理性ちゃんが来た。
「輪廻よ。今日の概念的な死について、確認しておきたいことがある」
「はい」
「概念が揺らいだとき、どんな状態だったか説明できるかや?」
わたしは説明した。体は動いてた。でも「輪廻」という感覚がなかった。仕事はできた。
理性ちゃんが「ふむ」と言った。「それで困らなかったのか?」
「困らなかった。変な感じはしたけど」
「……考えすぎるやつを一回使ってみるか。今日の状態を言語化できるかもしれん」
理性ちゃんが棚から「考えすぎるやつ」を取り出した。摩天ちゃんのラベルのやつだ。
鏡の前で換装した。
◆〔考えすぎるやつ、換装中〕
*視界が変わった。*
*今日の状態を言語化する。「輪廻」という概念が揺らいだ——それは具体的に何を意味していたか。*
*「輪廻」とは、この体に付与された固有名であり、それを持つ存在の同一性の根拠だ。概念的な死は、その根拠を一時的に揺るがした。*
*だが体は動いた。調理はできた。後ろにある気配も消えなかった。*
*結論:「輪廻」という概念は同一性の根拠ではなかった。少なくとも、唯一の根拠ではない。概念が消えても「これ」は動いた。「これ」は調理した。「これ」の後ろには積み重なったものがあった。*
*「輪廻」という概念がない状態でも存在したこの「これ」は何か。*
*——演算が止まった。*
*また出た。答えの出ない問いだ。でも今日の問いは、以前より一段深い。以前は「輪廻はどこにあるのか」だった。今日は「輪廻という概念がなくても「これ」はあった。ならば「これ」は何か」だ。*
*問いが深くなっている。穴が深くなっている。*
*——うるさい。*
*瓶をとりだした。*
◆換装後
理性ちゃんが「どうだったか?」と聞いた。
「穴が深くなった気がした」
「穴?」
「わたしが何かよくわからないっていう穴。今日は概念がなくなって、穴の形がちょっとはっきりした」
理性ちゃんが「ふむ」と言った。「はっきりしたことで、何か変わったか?」
「変わってない。でも——ちょっとだけ、輪郭がわかった感じがした。答えはわかんないけど、何がわからないかはわかった」
「……それで十分じゃ」と理性ちゃんが言った。「何がわからないかわかることは、答えを知るより先に必要なことじゃから」
理性ちゃんが帰った。
第三章「概念が戻った夜」
◆夜のキッチン
夜には「輪廻」という感覚が完全に戻ってた。
鏡を見た。ツギハギの体。水色と赤のまだら。縫合跡。わたしだ、と思えた。
今朝は思えなかった。今は思える。
変わったのは感覚だけで、体は同じだ。
「……感覚って、なんか変だな」てわたしは言った。声に出してた。
幽玄ちゃんがまだいた。
「……何が?」
「今朝は「わたしがわたし」って思えなかった。今は思える。でも体は同じ。感覚だけ変わった」
「……そう」と幽玄ちゃんが言った。「でも——今朝、輪廻は仕事してた。感覚がなくても」
「うん」
「……だから今夜、輪廻が「わたしだ」って思えるのは、体のせいでも概念のせいでもなくて、今朝も仕事してたからじゃないかと思う」
「今朝仕事してたから、今夜わたしだってわかる?」
「……うまく言えないけど。今朝の輪廻が今夜の輪廻と繋がってる。その繋がりが、わたしだ、って感覚の正体なのかもしれない」
繋がってる。
今朝の輪廻と今夜の輪廻が繋がってる。死んでも戻ってくるように、概念が消えても戻ってくる。それが続いてることが、わたしという感覚の根っこかもしれない。
「……難しいことを言うね、今日の幽玄ちゃん」
「……今日は考えすぎるやつの影響が残ってるのかもしれない」
「うつるの?」
「……わからない。でも——輪廻が換装してる間、少し考えてた」
幽玄ちゃんも考えてたんだ。
まあ、今日はそういう日だった。
エピローグ「翌日、普通に死んだ」
翌日、普通に死んだ。
キッチンで包丁の扱いを誤った。左腕が半分なくなった。培養槽に入った。出た。スペアをつけた。
いつもの死に方だ。
今日は「輪廻がよくわからない」感覚はなかった。普通に死んで、普通に戻ってきた。
万寿ちゃんが「今日の死に顔はよかったわ」と言った。
「昨日は死に顔もなかったから?」
「……概念的な死は死に顔がないの。体は動いてるから。だから物足りなかった。今日はちゃんと死んだ」
「それはよかった」
万寿ちゃんがうっとりした顔をした。
幽玄ちゃんが「……今日の後ろ、昨日と同じにぎやかさがある。また一個増えた」と言った。
「何が増えたの?」
「……今日の死の気配。昨日の、概念的な死の気配は、少し違う種類のものだった。今日のはいつものやつ」
いつもの気配が増えた。
まあ、いつも通りだ。
前が広い。
それはたぶん、今日も変わらない。
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◇クルー視点モノローグ——幽玄——観察記録
今日の輪廻は、概念が薄かった。
でも後ろにある気配は全部あった。概念が揺らいでも、後ろにいるものたちは消えなかった。
不思議だと思った。
輪廻の概念は薄くなった。でも、輪廻を輪廻として見ていたものたちは、いつも通りそこにいた。
輪廻が「わたし」かどうか関係なく、そこにいた。
それが輪廻の後ろをおだやかにしているのかもしれない。
輪廻がわたしだと思えなくなっても、後ろにいるものたちは輪廻の後ろにいる。
今日、輪廻に「今朝の輪廻と今夜の輪廻が繋がってる」と言った。
うまく言えた自信はない。でも——輪廻が「そっか」と言った。
それで十分だった。
……後ろ、気をつけて。
でも今日は、後ろがいつよりあたたかかった。
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◇クルー視点モノローグ——万寿——記録
今日の輪廻は死に顔がなかった。
概念的な死だから。体が動いてるから。死に顔がない。
少し物足りなかった。でも——輪廻が「わたしがよくわからない」と言いながら、パティを成形してたのは、面白かった。
わたしを知らない状態で、手は仕事をしてた。
わたしが何かわからなくても、手の仕事はわかってた。
翌日、輪廻は普通に死んだ。ちゃんとした死に顔だった。
よかった。
ただ——昨日の「わたしがよくわからない輪廻」も、今日の「普通に死んだ輪廻」も、どっちも輪廻だ。
どちらも記録しておく。
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◇クルー視点モノローグ——理性——記録
輪廻に考えすぎるやつを使わせた。
概念的な死の状態を言語化させるためだった。
輪廻は「穴が深くなった」と言った。「何がわからないかはわかった」とも言った。
正確な言語化だと思う。
輪廻は普段、この種の問いを通り過ぎる。「まあいっか」で流れていく。
でも今日は、通り過ぎなかった。概念的な死を経験したことで、問いが具体的になった。
「輪廻という概念がなくても「これ」はあった。ならば「これ」は何か」——これは答えの出ない問いだが、問いの形は明確だ。
明確な問いを持つことは、答えを知るより先に価値がある。
輪廻はその問いを、今日拾った。
いつか、この問いが何かに繋がるかもしれない。
あるいは繋がらないかもしれない。
どちらでも、記録しておく価値はある。
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