6. 友
帝国と革命軍の戦争が続く中、レイドは謎の少女エリナの護衛をすることとなった。その道半ばで、少女は何者かにさらわれてしまう。
「またあいつか?」
部屋に戻るなり、二段ベッドの上段から声が投げかけられた。レイドは下の段に静かに横になった。日付はとっくに変わっている時刻だった。
「何のこと?」とレイドは言った。
「あの子のことだよ。もう噂になってるぞ」
レイドは深くため息をついた。頭がずしりと重くなるのを感じた。
「なあ、リオ」とレイドは言った。「出ていってほしいなら、いつでも言ってくれよ」
「は?」
「俺といたら、お前にも迷惑がかかるだろ」
「そういうことじゃない」とリオは言い、上の段から顔を出した。「お前が誰と一緒にいようと、俺はかまわないさ。でも、ルークに目をつけられてるんだろ? お前が心配なんだよ。正直に言うと、あいつにはきっと関わらないほうがいいと思うんだ」
「なるほどね」とレイドは言っておいた。言葉とは裏腹に、何ひとつ納得はしていなかった。
「明日は行くのやめとけ。な?」
レイドは返事をせずに、リオに背を向けた。彼の頭が引っ込む気配があった。
「何があっても、俺は味方でいるから」と上から声がした。「俺たちは友達だからな」
冷たい寂しさが、レイドの胸に突き刺さった。
「ごめんなさい」と少女は言った。
レイドは少女を見た。彼女はいつものように星空を見上げるのではなく、自分のつま先の辺りを見ていた。
「何のこと?」とレイドは言った。
「めいわく、かけてる」
「迷惑なことなんて無いよ」
少女は涙でうるんだ目をレイドに向けた。塀の中では他の誰もしないような、綺麗な目だった。彼女はレイドの左目の傷を指先でなでた。
「これ、わたしが」と彼女は言った。「わたしの、せい。めいわく……」
「君のせいじゃない」とレイドは言い、彼女の手を、長いスカートの上に戻した。「俺に何かあったなら、それは俺の責任だよ。俺は来たくてここに来てるんだから」
「ほんとう?」
「本当だよ」
少女は涙の残る顔で微笑んで、空を見上げた。レイドもそれにならった。空は一点の曇りも無く、どこまでも続いているように見えた。白い塀を越えて、どこまでも遠く、広く、深く、透きとおった空は続いている。ここにいることが、生きることのすべてだった。彼女と一緒にこの空を見ることができるなら、他のことはどうだっていい。
「大丈夫」とレイドは言った。「誰が何と言おうと、俺は味方でいるから」
ありがとう、と少女は小さく言った。
◇ ◇ ◇
森は依然として薄暗かった。何日も歩いた森と、そこは見た目にはほとんど変わらない場所だった。夕暮れ時ということもあったかもしれない。しかし、そのとき足を踏み入れた森はより薄暗く、近寄りがたく思えた。風に乗って、気味の悪いものが漂っていた。
レイドはそれと同じようなものを、これまでも感じたことがあった。何度目かで正体に気付いた。近くで人が死んだとき、それを強く感じるのだった。少しして、研ぎ澄まされた視力のように、それは自分にしかない感覚だとわかった。レイドは行方不明者の捜索に駆り出されることが多くなった。鳥のようにその姿を探し、犬のように死の臭いを嗅ぎつける能力はぴったりだった。
それよりも強烈な気配が、この森にはあった。森の空気が侵入者を拒んでいるように思えた。
レイドは剣の柄を握り直した。刀身の重みが腕から肩に伝わる。レイドは動揺していた。エリナを連れ去った男と、あのとき目が合った。その顔もしっかりと見えた。彼に剣を向けることを考えると、レイドの心は激しく揺らいだ。
半ばやけになって頭を振り、レイドは森の中を走った。今はエリナの救出を優先しなければならない。背筋の凍るこの空気の濃いほうへ、その男のいるほうへ、行かなくてはならない。
木々が作る迷宮の奥に、二つの人影があった。レイドは全速力でそこへ向かった。音を消しても意味が無いことを薄々感じていた。
男はエリナに手錠をはめていた。手錠には真っ黒な石が埋めこまれていた。凶星を見たときと同じ胸騒ぎがした。あの石はとてつもなく危険なものだと、レイドは一瞬で察知した。男はぐったりしているエリナを無理矢理立ち上がらせた。彼女の背中には血の跡があった。
「待て」とレイドは言った。「その子から離れろ」
男はゆっくり振り向いた。フードの下の赤い目が、自分に向けられた剣先をじっと見つめた。男は無言でエリナを手放し、両手に短剣を持ち、身構えた。漂う殺気が濃くなった。レイドは気圧されていた。
相手は何度もこういう経験をしてきたのだろう。敵に刃を向け、命を奪い合う経験を。塀の中でも、綺麗にならされた土の上でも、訓練用の鉄の棒でもない、本物の戦闘の経験を。レイドは意識して剣を握る手に力をこめた。そして自分に言い聞かせた。たとえ訓練だろうと、俺はできる。怪物とまで言われるアイクとやりあったのだから。
男は姿勢を低くして詰め寄ってきた。レイドはその頭に剣を振り下ろしたが、男はそれを片手で受け流し、まっすぐ首元を突いてきた。レイドは身をよじって刃をかわし、その反動を使って男の顎に向けて剣を振り上げた。男は大きくのけぞって、剣は鈍い音を立てて空を切った。二人は体勢を立て直しながら互いに距離をおいた。
フードがめくれ、男の顔があらわになっていた。かつて毎日のように目にした顔が、そこにあった。
「変わってないな、リオ」とレイドは言った。
「変わったさ」とリオは言った。
リオのコートが揺れ、彼の姿がわずかに歪んだ。レイドは一瞬何が起きているのかわからなくなった。まずい、と思った瞬間、腹部を殴られたような衝撃があり、レイドは大きく後ろに吹き飛ばされた。息ができなくなり咳こんだが、休む間は与えられなかった。重なり合う枝葉の隙間から、黒い影が見えた。その姿が、また歪んだ。それは枝葉を吹き飛ばしながら向かってきた。レイドは横に転がり、突風を受けさらに転がった。自分がいた場所が大きくえぐられているのを見て、全身から血の気が引いた。
上空からリオが急降下してくるのを、目の端でとらえた。手元に剣は無い。立ち上がる暇も。レイドはあおむけのまま、素手で対峙した。降下する勢いを乗せて、短剣が投げ飛ばされた。レイドの拳は短剣の腹をぴたりととらえ、その軌道をずらした。それは頬をかすめ、地面に突き刺さった。
リオはもう一本を構え、そのまま突進してきた。かわせない、とレイドは思い、とっさに左腕を体の前に出し、右手でそれを支えた。短剣は左腕に深々と刺さった。貫通はしたが、それは胸には届かなかった。レイドは悲鳴と雄叫びが一緒になった声を上げながら、残った手でリオの胸ぐらをつかみ、脚も使って彼を投げ飛ばした。そしてすぐに立ち上がり、エリナの元へ戻った。
エリナはしぼんだ気球のように地面に横たわっていた。レイドは彼女に駆け寄り、肩をゆすった。
「大丈夫か、エリナ」とレイドは言った。
エリナは返事をしなかったが、小さく首を動かした。レイドは胸をなでおろした。
彼女は背中を刺されていた。たいした傷ではないが、問題はそこではない。彼女が負った傷は、普段はたちどころに治ってしまう。しかし今は、治りが悪くなっている。
原因はおそらく――。レイドはエリナの手首に目をやった。この手錠だろう。正確には、この黒い石だ。
「ここで待ってろ。すぐに終わらせる」とレイドは言った。「俺があいつを倒すから」
レイドは来た道を引き返し、森の奥を見た。闇の中をリオが歩いてくるのが見えた。この状況で、彼はの姿は異様に落ち着いて見えた。廊下の角に追いやられたほこりを箒で掃き取ろうとでもしているような目だった。その目はレイドをぞっとさせた。彼にとっては、これは何でもないことなんだ。
レイドは自分の左腕から短剣を抜いた。それが刺さっていたあたりで、左腕は変な方向に曲がっていた。脇腹も激しく痛んだ。
風が後ろから吹いた。空気がリオに吸いこまれるように動いているのがわかった。
「風……空気か? お前の異能は」とレイドは言った。「光が歪むほど空気を凝縮させて爆弾のようにしたり、風を使って空を飛んだりするのか」
リオははにかんだ。いたずらがばれたときに、よくしていた顔だった。しかしすぐに元の無表情に戻った。
「正直に言うと、今ので右の手首を軽くくじいた。肩も痛めたし、膝も擦りむいた」とリオは言った。「でも、お前はもっと重傷だ。左腕はもう使えない。こんな状況で俺の能力を見破ったところでどうなる? お前はただの手負いの兵卒で、俺は帝国が正式に認めた異能戦闘員だ。肩書を自慢したいんじゃない。それだけの差があるってことを、お前にわかってほしい」
レイドは短剣を握りしめた。リオは昔と同じように小さな手振りを添えて、さらに続けた。
「断言しよう。異能を持たないお前では、俺に勝てない。さっきも見ただろう。これは人を簡単に殺せる力だ」リオは手のひらに落ちてきた枯れ葉を握りつぶした。「でも、俺はお前を殺したくない。友達として、俺の願いを聞いてくれ。今すぐ、エリナを俺に引き渡してほしい。俺に嫌なことをさせないでくれ」
リオはこちらに手を差し伸べた。その手がエリナを連れ去ろうとしているのか、それとも自分を救おうとしているのか、レイドにはどちらでもよかった。
レイドはリオに、短剣を向けた。昔と同じだよ、とレイドは心の中でリオに語りかけた。何も変わってない。お前は何もわかってないんだ。
彼女の味方でないお前が、俺の味方であるはずがないんだ。
「そうか、残念だ」とリオは言った。彼は本当に悲しそうな表情をした。しかし、彼が短く息を吐くとそれも消えた。「お前とはここでお別れだ」
リオが手を前に突き出すと、突風がレイドを襲った。レイドは両足で踏ん張って耐えたが、それも長くはもたなかった。レイドは宙に投げ出され、背中から地面に落ちた。さっき見た地面の穴を思い出し、背筋が凍った。体勢を立て直そうとしたが、すでに目の前に巨大な球体が迫っていた。向こう側の景色を歪めながら、球体の内部で異常に凝縮された空気が渦を巻いていた。無意味と知りながらも、レイドは両腕で体をかばい、きつく目を閉じた。地面が削られる音が聞こえる。風がめちゃくちゃな方向から吹きつけた。もうだめだ、とレイドは思った。自分の体がバラバラに吹き飛ばされる光景が頭に浮かんだ。
音が止んだ。風の音も、土がえぐられる音も、葉がこすれあう音も、何も聞こえなかった。死んだのだろうか。痛みを感じる間も無かった。あっけないものだ。そう思いながら、レイドは目を開けた。森の中だ。折れた木の枝が散らばっている。奇妙に曲がった腕が見える。目を見開いたリオの顔も。
目の前に、小さな背中があった。後ろで組んだ手と、背中まで伸びた金色の髪があった。長いスカートが揺れ、少女は振り向いた。レイドは彼女の名前を呼ぼうとしたが、声にはならなかった。彼女は微笑み、レイドの耳に口を寄せた。
「だいじょうぶ」と少女は囁いた。
ぱきん、と乾いた音がした。折れた枝が地面に落ちた。止まった時が動き出したかのように、世界に音が戻った。気が付くと、少女の姿はどこにも無かった。
「何が起こった?」とリオはうわごとのように言った。「お前、一体何をしたんだ?」
二人は呆然として向かい合っていた。リオははっとして戦闘態勢に戻り、風の球を飛ばした。レイドも身構えたが、それはレイドの目の前で弾け、弱々しい風になった。リオは目を血走らせながら、急ごしらえの空気弾をいくつも飛ばした。しかし、どれもレイドに命中する直前で消え去ってしまった。
「どうして効かないんだ」とリオは叫んだ。
レイドは素早く立ち上がり、リオに詰め寄った。リオは風を使って飛び上がった。しかし、レイドがその足元に手を伸ばすと、彼はバランスを崩して地面に墜落した。レイドは彼の首に腕を回し、短剣をつきつけた。
「お前の負けだ、リオ」とレイドは言った。
リオは抵抗せずに両手を上げた。
「さて、いくつか聞くことがある。さっきも言ったが、正直に答えろ」
リオは自分の首元につきつけられた剣先を見つめていた。
「どうしてエリナを狙う?」とアイクは尋ねた。
「わかるだろ。そいつはどんな傷でもあっという間に治せるんだ。使い道なんていくらでもある。お前たち革命軍も、同じ理由でそいつを迎え入れようとしてるんじゃないのか。子供だろうと、いくらでも働かせるんだろう」
「聞かれたことだけを話せ」とアイクは鋭く言った。「お前の他に、あと何人の能力者がいる?」
「何人いるかは知らないな」
「知っているだけ話せ」アイクは切先をリオの首に当てた。
「……二人だけ、知ってる。ユーリとサラ」
「能力は?」
「それは話せない」
「話せ」
「話そうが話すまいが、どうせ俺は殺されるんだろう」
アイクは手を軽くひねらせ、リオの腕を斬りつけた。傷は深く、血がぼたぼたと地面にしたたり落ちた。
「動くな」とアイクは言った。「もう一度聞く。その二人はどんな異能を使うんだ?」
「俺は何をされようと口は割らない。殺すならそうすればいい。何が悪に投じる光だ。何が人々の幸福だ。村をつぶして、どうして人のためになる? 人々の声を圧殺して勝手な思想を押しつけるのが、お前たちが言う理想の世界なのか?」
「もういい。口を開くな」とアイクは言い、剣を引いて構えた。
「お前たちは破滅する。この戦いに勝っても、いつか必ず――」
暗闇に白く浮かぶ刃の軌跡が、リオの頭部をとらえた。
「待ってくれ」
思わずレイドは叫んでいた。剣はぎりぎりで静止した。アイクが一瞬、横目でレイドをうかがった。
「なぜだ」とアイクは言った。「こいつはもう情報を出さない。知っていることも多くないだろう。もう生かしておく理由は無い」
「……捕虜にはできないか?」
「こいつは異能を使える。お前と戦いながら、風を使って遠くで俺をかく乱できるほど器用な奴だ。それを見張りながら行動するのは無理だ」
「これを使えばいい」レイドは手錠を拾い上げた。さきほどエリナにつけられていた、異能を封じる手錠だ。「そいつは取引か何かに使えるかもしれない。国も戦闘に使える異能を失いたくないはずだ。そいつと取引して革命軍の戦力にしたっていい。生かしておいても損は無いだろう」
アイクは手錠を見て、リオに目を戻した。リオは彼をにらみ返した。レイドは肝を冷やしながらそれを見ていた。やがて、アイクは剣を下ろした。レイドはほっと胸をなでおろした。
「あいつに感謝することだな」とアイクは言い、リオの手首に手錠をはめた。「レイド、こいつはお前が見張れ。俺は関与しないからな」
レイドは手錠に通されたひもを投げ渡された。村へ戻るアイクの背中に、レイドは深く頭を下げた。
「どうしてだ?」とリオはおずおずと言った。「どうして俺を助けた? お前を殺そうともしたのに」
レイドは自分の左腕をさすった。
「俺たちは友達だからな」とレイドは言った。




