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スターゲイザー  作者: ミズノハル
第一章 赤い目の悪魔
24/29

24. 灯火

「俺たち、これからどうなるんだろうな」レイドの声が狭い部屋に響く。「どうやって生きていくんだろう」

 二段の寝台の板がきしむ。幼いころ、上から人が落ちてこないか不安で眠れない夜があったことを思い出した。部屋の窓と高い塀に切り取られた狭い空を、半月が横切ろうとしていた。


「返事したほうがいいか?」上の段のリオが眠そうな声で言った。

「眠かったら無視していいよ」

 いつも通りのやり取りだ。たまに、昔と似た不安を感じて、こんな漠然とした言葉を投げかけたくなる。欲しい答えはあるのに、もっと狭い話をすればそれは得られそうだと分かっているのに、ただこの膨大な選択肢の中でその言葉と出会えたなら幸福だろうという身勝手な希望が、この日もとらえどころのない言葉を口に出させた。我ながら面倒な奴だとレイドは思った。リオの反応は二つ。そのまま寝てしまうか、レイドをいつもの失望に沈めるかのどちらかだ。この日は後者だった。

「俺もお前も、この国のどこかで国のために働くんだ。俺たちは徴兵された一般人とは違う、特別な教育を受けた優秀な人材だ。育ててくれた恩返しのためにも、立派な兵士になる義務がある」

 聞き飽きた言葉だ。大人たちがよく口にする呪言。レイドは何も言わずに小さな夜空を眺めた。この窓の外に高い壁があるように、この壁の外の世界にもさらなる障壁が待っていて、また小さく押し込められてしまうような気がした。


「お前、夢はあるか?」

「夢?」レイドは思わず聞き返した。

「俺はここの誰よりも偉くなりたい」リオは力強くそう言った。「ヘラヘラして取り繕うのが上手いだけの連中よりも上に立ってやる。人が実力で評価されるように、俺がその風を取り入れるために、俺は社会を動かせる人間になりたい。今回は周りに認められるだけの力が俺にはなかった。だから次は誰にも文句を言わせないくらいに、強くなりたい」

 彼が望まない地に飛ばされることになっているのは噂で聞いていた。自分にも他人にも厳しい彼らしい言葉だと思った。

「お前はどうだ?」

 俺はどうだ?

 ミラと一緒にここを出たい。

 口には出せなかった。

「夢や目標がないから不安になるんだ。明日が見えないのは、行くべき先を見出していないからだ。絶対に叶えてやる、って強い気持ちがあれば、不安なんて感じてる暇はないよ」

 諦められるほどの夢なら、その程度のものということだろうか。この想いは他人に鼻で笑われても仕方のない重さしかないのか。


 胸が苦しくなり、レイドは頭から毛布をかぶった。

 最初から諦めたい夢なんてものはない。諦めざるをえなくなって、どうしようもなく追い詰められて諦めるしかなくなるんだ。この世界はこんなちっぽけな人間の『絶対』なんて簡単に踏み潰す。

 リオ、俺はお前ほど強くなれない。



  ◇ ◇ ◇



 誰もが忙しく走り回っていた。戦火に見舞われた市街地のあちこちで帝国兵の残党が最後の悪あがきをし、それ以外にも暴動が頻繁しているらしい。


 レイドは城壁の上から街を見下ろしていた。うごめく人の波が何かの生き物に見える。今もこの下で誰かが命を落としている。やるせない気持ちにうなだれることしかできない。右腕に巻かれた包帯の端が風に揺れていた。種類の違う資材が添え木にされている。折れた農具の柄、椅子の脚、細い板のようなもの。

 深く息を吸い込むと、服の下にも巻かれた包帯の存在を感じた。体のあらゆるところが熱をもって痛む。

 またこうなってしまった。レイドは振り向いて、石の山と化した城を見下ろした。



 石の雨が迫る。恐怖が背中を貫いた。レイドは立ち上がりかけた姿勢のまま、ただうろたえていた。どこか隠れる場所は……いや、逃げなければ。大階段はだめだ。入口の扉は開く保証がない。どこだ。窓がある。あそこならなんとか脱出できそうか。しかしもう――。

 髪の毛が上方からの圧を感知して一気に逆立つ。もう間に合わない。そう思ったとき、横から強い力で胸ぐらをつかまれた。なすすべなく体を引き寄せられながら、アイクと目が合った。

「生きろよ」

 耳を裂く轟音の中でも、彼のその一言ははっきりと聞こえた。

 次の瞬間、レイドは空中に投げ出され、ガラスを破って外に飛び出した。砂煙が押し寄せ、視界は灰色に染まる。上下左右が分からないまま石畳に叩きつけられ、体中の関節が外れてしまいそうな激しい振動の中、目の前がさっと暗くなった。



 城の敷地の片隅、荒れた花壇の前にレイドは立っていた。巨大な爪が何度も引っかいたかのように、ここだけ地面が荒れている。そしてなぎ倒された花の中心で、原型の分からない肉塊が地面にこびりついていた。かろうじて、鳥の羽毛のようなものが判別できる。レイドは膝をつき、無事な左手でその上に土を寄せ集めた。盛られた土の上に小さな石と花を置く。

「こんなのしか作れなくてごめんな」


 目を閉じて祈るレイドのもとに近づく足音があった。

 その主は何も言わずに隣にしゃがんだ。レイドが目を開けると、見知らぬ男が胸に手を当てて頭を下げていた。

「君がレイドかい?」祈りが終わると、男は口を開いた。「僕はティム。レオンの補佐役みたいなことをしてる」

「初めまして」レイドは小さく頭を下げた。

「これは誰の墓?」

「ハナ――鷹の異能使いです。ご存知ですか」

「知ってるよ。そうか、彼女がね……」

 彼の眼差しは目の前の死よりも、その先を見つめているように見えた。

「ああ、そうだ。今からレオンのところに行けるかい」

「……今日の夜、直接報告しに来いとの話でしたが」

「今すぐ来てほしいそうだ。悪いけど、一人で行ってくれないかな。君を案内してる暇がないもので」

「分かりました」

「じゃあ、よろしく」

 ティムはそう言うと足早に去っていった。雑踏に入ったその後ろ姿はすぐに見分けがつかなくなった。

 やるべきことがない、先が見えないのは自分だけか。



 テントの群れの中で目的の旗を見つけ、レイドは入口の鈴を鳴らした。返事はなかったが、重い垂れ幕をくぐって中に入った。

 レオンは机に肘をついて頭を抱えていた。来訪者に気付くと、憔悴しきった目を向けた。昨日から彼の様子がおかしいと噂が流れていた。無理もないことだとレイドは思った。

「失礼します」

 傷だらけの青年が目の前までやってくる間も、レオンは何も言わずうなだれていた。

「四六班、報告します。我々は南門から城内への侵入に成功しました。しかし城の防衛にあたっていたアイク・ハンセンと戦闘になり、シュウが死亡しました。その後の城の倒壊により、敵も死亡したと思われます。エリナは――」レオンの肩が反応するのを見て、レイドは思わず言葉を止めた。「……エリナは、城への侵入直後に敵の罠により分断され、生死不明のまま消息を絶っています。報告は以上です」

 長い沈黙。そしてレオンの長いため息があった。

「了解した。長い間、ご苦労だったな」レオンは並んだ長椅子を手で指した。「座って話さないか。時間はあるだろう」

 レイドは予想外の提案に戸惑いながらも、言われるがままに長椅子に座った。レオンもその斜め向かいにどしりと腰を落とした。

「兵長、お疲れのようですね」

 レオンは頬杖をついて曖昧な返事をした。

「一応言っておくが、俺はもう兵長じゃない。今回のことでいくらか階級が上がったんだ」

「失礼しました。えっと……」

「階級なんてそんなに重要じゃない。いくらかのやれることと、たくさんのしがらみが増えただけだ」

 彼は以前も同じようなことを言っていた。皮肉にも、能力者の中では彼が最も出世しているようだが。

「では、これからは何とお呼びしたらいいでしょうか」とレイドは尋ねた。

「レオンでいい。あと、その気持ち悪い言葉遣いも必要ない。これからずっと聞くとなると鬱陶しくてかなわないからな」

「……ずっと?」

「そうだ」レオンはうなずく代わりにゆっくりとまばたいた。「お前を俺の隊に引き入れる。今日から俺の直属の部下だ」

 テントの中が静寂に包まれる。

「もっと嬉しそうな顔でもしたらどうだ」レオンは引きつった笑みを見せた。

「あ、いえ、すみません。実感がわかないというか、どれくらいすごいことなのかも分からなくて」

「まあいい。これからよろしくな」

「はい。よろしくお願いします」

 レオンが差し出した手を、レイドは握った。大きな手から熱が伝わってくる。なぜか懐かしい気持ちになった。


「この隊には他に何人くらい所属しているんですか?」

「今は二人だ。ティムとエリナだ」

 あんたの身内だけじゃないか、という言葉をレイドは飲み込んだ。

「今は、というと?」とレイドは尋ねた。

「先の戦いで二人減った。お前もよく知ってる奴らだ」

「シュウとハナですか」

「ああ」レオンは立ち上がり、机の上に山積みになった紙の束を投げるように()けはじめた。「ハナも行方知れずだ。逃げたか、殺されたか。おそらく後者だろうが」

「さっき彼女の遺体を見つけました。中庭の花壇のあたりです」

 レオンの手が一瞬止まる。小さなため息があった。

「……そうか。後で行ってやらないとな」

「レオン、俺には犯人の心当たりがあります」

「まあ待て。その前に話さなきゃならないことがある」レオンは長く息を吐く。やはり体調が悪そうだ。「お前を呼び出したのには理由がある。異動の件もそうだが、もう一つ、大事なことが」

 彼は目的のものを見つけたらしく、紙の山の下からそれを拾い上げた。小さな紙片だった。

「崩落に巻き込まれたってことは……たぶんお前が城に入った後のことだと思うが、そのときハナが何をしていたか知っているか?」

「いいえ」

「あいつは帝国の能力者と闘っていた。かなり派手にやりあっていたよ。城が半壊するほどにな」

 レイドは城が崩れたときのことを思い返した。あのときたしかに、彼女の刃のような軌跡が見えた気がしていた。

「ハナは逃げようとするその能力者を追っていた。そいつは子供を抱えて空を飛び回っていたそうだ」

 レイドは思わず息を止めた。焼けつくような痛みが胸に走る。疑惑が確信に変わった。変わってしまった。


 レオンは紙片をレイドの前に置いた。帝都周辺の地図の一部だった。森の中に矢印が引かれ、書き殴られた文字が並んでいる。

「その字に見覚えはあるか?」

「……リオのものです」

「そこには空き家がある。何年も前に放棄された金持ちの別荘だ。あいつはエリナをさらってその館に向かうらしい。そしてお前が一人で来いとの要求だ。あっちのお望みどおり、お前には奴の討伐に向かってもらう」

 討伐。空き缶が転がるような空虚な響きが、その言葉にはあった。

 また、あいつは敵になってしまったのか。

「何人か兵を同行させよう。俺が行きたいところだが、今はここを離れるわけにいかない」

 レオンはもどかしそうに頭を抱えた。彼の動きの随所に不調がにじみ出ている。ここを離れられないというのは政治的な意味だけではないだろう。


「すまないな」とレオンは言った。

「えっ?」

「過程はどうあれ、リオの解放を認めてしまった結果だ。今回の件は俺に責任がある。それなのに、手負いのお前を見送ることしかできない」

 うなだれる上官をレイドはとうとう見ていられなくなった。

「それを言うなら俺にも責任があります。反対するシュウを押し切って仲間に加えようとしました。城内でエリナと別れてしまったのも、俺の慢心からです。それに、リオの解放のきっかけを作ったのは他ならぬエリナだ。責任なんて一人だけにあるものじゃないし、わざわざ誰か一人が背負うものじゃない。俺はそう思います」

 レオンはゆっくりと顔を上げた。

「なぜお前を引き抜こうと思ったのか、自分でもよく分からなかった。だが今、その理由がなんとなく理解できた気がするよ」

「えっ?」

「まあとにかく、エリナのことは頼んだ」

「……分かりました」

 レイドは力強くうなずいた。



 ところどころが崩れた城壁の上、ランプの光のそばに黒い影がいる。昼間見た、人懐っこそうな顔がそこにあった。レイドは足元に気をつけながら彼のもとへ向かった。

「こんなところで何してるんですか」

 声をかけるとティムは振り向いた。そのときの鋭い視線に、レイドは彼が隠し持つものを垣間見たような気がした。

 顔が見えるようにランプを顔の近くまで持ち上げると、彼は昼間と同じ笑顔を見せた。

「ああ、君か。今日はもう解放されたからね。ここで息抜きさ」そう言ってティムは水筒を揺らした。たぶん酒だろう。「レオンから話は聞いた。これからよろしく」

「はい、よろしくお願いします。隣、いいですか?」

「ああ、構わないよ」


 下のテントの群れからは時折酒飲みの歓声が聞こえてくる。ティムはそれを気にもとめずに、まだところどころで火が上がっている帝都の街を見下ろしていた。

「昼間、君もこうして街を見てただろう」とティムは言った。

「はい」

「どう思った?」

 レイドはティムの顔を(うかが)ったが、彼は仮面のように変わらない表情でじっと前を向いていた。


「虚しかったです」レイドは包帯の巻かれた右腕をさすった。「俺には政治が分かりません。これからこの国がどうなるのか、想像もつかない。正直に言うと、世の中を変えたいと思って戦ってきたんじゃないんです……この戦いで、たくさんの人が、たくさんのものを失いました。俺にはそればかりが見えてしまうんです。目の前の光景に囚われて未来を見ない俺は、やっぱり愚か者でしょうか」

「そう思う人もいるだろうね」

 彼がどう思うのか、その表情からは読めなかった。

「ひとつ、聞いていいかい?」とティムは言った。「世の中のために戦ってきたんじゃない、って君は言ったね。じゃあ何のためにここまで来たんだ?」

 彼は今度は目を見てきた。

 きっと答えを間違えてはいけない。しかし、何が正解かも分からない。

 考えても無駄なら、正直な気持ちをぶつけるだけだ。

「生きたかったから、でしょうか……いや、そうじゃないですね。死んでもかまわないと思ったこともありました。エリナを守って……」

 勝気な彼女の顔を思い浮かべた。それによく似た少女の顔も。

 そうだ、とレイドは口に出していた。

「守りたかったんだと思います。守れなかった人の代わりに、最後まで誰かを守り抜きたかった。こんな動機、身勝手ですよね」

 ティムの視線がそれるのを感じた。最後の一言は余計だったか、とレイドが思ったとき、彼は口を開いた。

「たしかに、とんだ独りよがりだ」ティムは演劇のように朗々とそう言った。「でも、君みたいな人間が最も信用できると僕は思ってる。レオンもね」

「……どうしてですか?」

「自分で考えなよ。いずれ分かるから」


 ティムは立ち上がり、レイドの肩に手を添えた。

「君の戦いはまだ終わりじゃない。お姫様は最後まで守り抜かなきゃな」

「はい。絶対に連れ戻します」

「いい返事だ」彼は笑った。「ここで二人の帰りを待ってる。今度は酒でも交わしながら話そう」

 器用に瓦礫の上を歩いていくティムの後ろ姿を見つめながら、レイドは彼の手があった場所に触れた。背中を押すような熱と力がそこに残っている気がした。


 レイドは立ち上がり、帰り道へ足を向けた。そのとき、足の下にあった石がぐらりと傾き、レイドは体勢を崩してとっさに右手をついた。折れた側の手だ。血の気が引き、顔をしかめた。

 しかし、予期していた痛みはなかった。何かがおかしい。レイドは全体重を支えたはずの腕を眺め回した。指を動かし、手首をひねってみる。ついには包帯をほどき、揉んで骨の感触を確かめた。

「……もう治ってる」


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