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スターゲイザー  作者: ミズノハル
第一章 赤い目の悪魔
22/29

22. 轟

 手首を止め、襟をつかんで、足を払う。倒れたらすかさず追撃するか、相手の手首を曲げ武器を奪う。下段を攻撃されたら。この角度からはどうか。得物を変えてみる。何度も何度も、二人は交互に地面に転がった。周囲の仲間が訓練に飽きて無駄話を始めても、受け身が甘く体を擦りむいても、たまに短い助言を交わしながら、儀式のように黙々と相手を地面に転がしていた。


 訓練終了の笛が鳴り、反応速度を競うかのように皆は引き上げた。二人は服の汚れを払いながらゆっくりと彼らの後を追った。

「助かったよ」とリオは言った。「もう誰も相手してくれないんだ。俺とやってたら体がもたないってさ。馬鹿だよな。体を鍛えるために毎日こんなことしてるのに」

「みんながそう言いたくなる気持ちは分かる」レイドはため息まじりにつぶやいた。

「へえ、楽しそうに見えたけどな。結局最後まで付き合ってくれたし」

「話す相手もいないから暇だっただけだよ」

「あいつは? 同じ部屋だろ」

 リオは前方を歩く背の高い少年を指差した。彼の後ろにはいつも小太りの少年と痩せた少年がくっついている。

「来月の部屋替え、一番楽しみにしてるのはあいつだと思う」とレイドは言った。


「……希望はもう出したのか?」とリオは尋ねた。

「さあ。後ろの二人のどっちかじゃないかな」

「あいつじゃなくて、お前だよ」

「えっ? いや、出してないけど」

「もし良かったら、俺と一緒の部屋にならないか。互いに希望出せば、たぶん通るから」

「どうしてまた俺なんかと?」

「俺もちょうど同室の奴に愛想尽かされてたところだ。今日こうして話したのも何かの縁だと思ってさ。変な奴と一緒になるくらいなら、お前とがいいな」

 リオの眼差しが、なぜか肩を重くした。

「……考えておくよ」

「はは。期待してる」

 彼は力強く肩を叩いた。その感触は数日の間消えることはなかった。



  ◇ ◇ ◇



 地響きがやまない。城壁の上にいる兵はじっと一点を見つめている。おそらく迫り来る戦線が見えるのだろう。時々思い出したように城壁の付近に敵がいないか目を走らせるが、磁石に吸い込まれるように振り向いてまた戦場を見つめる。レイドはそれを雨戸の隙間から観察していた。上の兵士の顔色から察するに、もう外壁は突破されただろう。

 陽は傾き始めていた。体に巻き付けられたベルトと、それにぶら下がる武器が妙に重く感じた。




「思ったより守りが堅いみたいだ」

 ティムから望遠鏡を受け取り、レオンもそれを覗いた。

「雲行きが怪しくなってきたな」

「数で不利な分、長引くとまずいよ」

「そろそろ俺たちの出番か」レオンは望遠鏡をティムに返した。

「ヴァンは? 姿が見えないけど」

「さあな。作戦には入れるなと昨日言われた。自分で勝手に動くらしい」

「何考えてんだ、あの人……」

「それが分かるのは世界中探してもほんの数人だろうな」


 レオンが装備の確認をしていると、ティムが肩をつかんだ。

「おい、あれ……」彼は望遠鏡を覗く目を大きく見開いた。「まずい。奴ら大砲を使ってる」

 レオンが戦場に目を向けたそのとき、二台ある攻城槌の片方に砲弾が直撃した。城壁の上に、四台の大砲が並んでいる。砲弾は残った攻城槌の横をかすめ、民家を吹き飛ばした。

「街がどうなってもいいのかよ」レオンは顔をしかめ、マントを脱ぎ捨てた。「ティム、ここは任せた。ハナ、行くぞ」


 レオンが馬に乗って駆け出すと、背後から一羽の鷹――ハナが飛び出し、後を追った。

「お前は城壁の上の大砲を止めてくれ。その後は昨日説明した通りだ。……好きなだけ暴れろ。こんな機会、めったにないだろう?」

 ハナの周囲の空気がゆらめいた。彼女は軽やかに飛び上がり、レオンを追い越して城に直進した。

 レオンは踏み荒らされたスラムで馬から飛び降り、剣を一本抜いて再び駆け出した。崩壊した壁を越え、前線まで一気に走り抜けようと細い路地に入った。

 そのとき、路地裏で組み合う二人組が目に入った。帝国兵が、革命軍の兵に馬乗りになって剣を振り上げている。助けるか、先を急ぐか。その決断を下すより早く、レオンは能力を起動していた。


 初めてこの能力の本質に気づいたのは、長年暮らした研究施設を占拠した日、踊らされていた(てのひら)に刃を突き立てたあの日のことだった。相手の行動を鈍らせる能力、といった認識を初めは持っていた。原理は分からないが、とにかく能力を使うと相手の動きが悪くなる。その程度のものだと思っていた。しかし、能力の抑制が外されたあの瞬間、文字通り世界が変わった。

 高揚した瞬間、あるいは死の間際の瞬間、時間がゆっくり流れるように感じることがあるそうだ。一瞬の時間が、指を曲げて数えられるほどに長く感じるような。そういう(たぐい)の現象かと初めは思った。しかしすぐに異変に気づいた。ゆっくりと流れる時間の中で、自分の呼吸と鼓動の早さが変わっていない。それだけではない。体も普段通りの速さで動いている。周囲の時間は未だにゆっくり流れているのに。獣のような雄叫びを上げ突進してくる職員を歩いてかわし、足を払って床に組み伏せる。緩慢に行ったこの一連の動きが周囲にはどれだけの速さに見えただろうか。驚愕の視線がゆっくりと集まる中、レオンは自分の異能の正体に(おそ)れさえ抱いていた。

 比類なき速さ。自らを加速させる能力だ。


 レオンは剣を振り上げた帝国兵の腕をつかみ、逆の手で針のように鋭い短剣を腰から抜き、背中から兵の胸を突き刺した。兵はうめき声を上げてその場に崩れ落ちた。

「あ、ありが――」

「礼はいい。さっさと持ち場に戻れ」レオンは短剣の血をぬぐい、鞘に戻した。「お前、その装備は二七班か。これからお前の力が必要になるかもしれない。北門まで全速力で向かえ」

 レオンが踵を返した直後、轟音とともに激しく地面が揺れた。すぐに大通りへ出ると、レオンは足を止めた。残り一つの攻城槌が半壊していた。ハナが通った後か、城壁の上の大砲部隊は壊滅いていたが、地上にはまだ二台の大砲が残っている。あの攻城槌はまだ使える。壊されるわけにはいかない。レオンは両手に剣を構え、銃弾が飛び交う戦場に突撃した。敵側の銃口は一斉に突然の来襲者に向くが、あまりの速さに誰一人照準を合わせることができない。レオンは真正面から飛んでくる銃弾をかわし、進路にいる兵を斬り伏せ、(またた)く間に大砲の前までたどり着いた。至近距離で放たれた弾丸が頬をかすめたが、兵は彼をほとんど傷つけることもできずに凶刃の前に散った。胸に重い空気が詰まるような疲労感を覚えたが、まだ立ち止まるわけにはいかない。レオンはもう一方の大砲に足を向けた。しかしそのとき、大砲から黒い塊が吐き出された。砲弾は緩やかな放物線を描いて丸太を抱えた怪物に向かっていく。もうあれは止めようがない。レオンがもう一方の大砲も占拠すると同時に、背後から爆発の衝撃が押し寄せた。体勢を立て直しながら振り向くと、今まさに攻城槌が崩れようとしていた。膝をつきそうになるのをこらえ、レオンは来た道を戻った。まだこの通りにはかなりの数の帝国兵が残っている。こちらの士気が下がる前に、敵にも味方にも、能力者という存在を見せつけてやらなければならない。レオンは雄叫びを上げて、街道を駆けた。




「来た」

 リオがそうささやくと同時に、レイドの目は城壁の上を滑空する一羽の鷹の姿をとらえた。彼女の真下では石の壁が削り取られ、石の破片と赤い血が舞い上がっている。レイドは全身の毛が逆立つのを感じた。以前彼女が林を一瞬で更地にしたときのことを思い出した。高い機動力と殺傷力。生物兵器という観点で言えば、人間の能力者よりもはるかに能力が高い。人間より成功率が低くても動物実験をやめなかった帝国は正しかったのだろう。彼女の扱い方を間違え、生みの親に牙を剥くようにさえならなければ。

「そろそろだ。準備はいいか」

 リオの言葉に、他の三人はうなずいた。エリナはシュウを抱え、その後ろからレイドはエリナの体に腕を回した。できるだけ小さく、と頭で念じながらも、レイドはあまり腕に力を込めることができなかった。

「レイドさん」エリナはすかさず口を出した。「ちゃんとつかまってください。投げ出されたら大けがしますよ」

「……わかった」

 レイドはエリナをしっかりと抱き寄せた。腕に伝わる彼女の体温と柔らかさを頭から追い払うために、これからの段取りと城壁内の地図を頭の中で繰り返し確認した。今は余計なことを考えている場合ではない。


 ハナが四人の頭上を通り過ぎた。

「今だ、跳べ」

 リオの掛け声で、レイドは城壁に向かって跳び上がった。直後、足元から突風が吹き上げ、三人は壁の上まで飛んだ。北門で(やぐら)のようなものが崩れていく。下で風を操るリオに数人の男が歩み寄る。傾いた陽が長い影を都市に落とす。死の空気が華やかな街並みに満ちていく。体勢を崩して回転しながら落下する三人を、風が羽毛のように受け止め、石畳の上に降ろした。


 地を踏むなり、三人は城に向けて走り出した。先導するのはシュウだ。帝都に来たレイドたちを見つけたときのように、彼は周囲の人間の気配を察知して、接触を避ける。戦闘に積極的に関わらない異能を持つ三人にとってはただの兵士でも十分な脅威となりうる。確実に城内に侵入するためには、戦闘を最小限に抑えることが重要だ。

「気をつけて。前から来る」

 シュウの警告の直後、前方の建物の陰から四人の兵が現れた。彼らは三人の姿を見て躊躇(ちゅうちょ)したように見えたが、武装が目に入ったのかすぐに銃を構えた。レイドとエリナは足を止めようとした。

「止まらないで。走り抜けるんだ」

 そう叫んだのはシュウだ。同時に先頭の兵が体をひるがえし、背後の一人の頭を撃ち抜いた。シュウの目が赤く輝き、その兵はさらにもう一人の胸に銃剣を突き立てる。事態を理解した残りの一人は操られた仲間を止めようとした。レイドはその横から兵の腕を切りつけた。しかし傷は深くない。兵は雄叫びを上げて銃剣を振り上げた。シュウに操られた兵がその胸に短剣を突き刺す。そしてその短剣で自分の命を絶った。

 立ち尽くしていたレイドの脚に、シュウが爪を立てた。

「今の騒ぎで人が集まってくる。早く行こう」

 レイドはうなずき、鉛のように重い足を持ち上げてシュウの後を追った。考えるのは全部終わってからだ。そう何度も自分に言い聞かせていた。




 煙が晴れてきた。黒い鋼鉄の扉は(おごそ)かに立ち塞がっている。煙とともに、淡い期待は風に流されていった。レオンはとうとう膝を折った。

「兵長、どうされました」

「問題ない。俺のことは気にするな」レオンは北門を閉ざす扉をにらみつけた。「お前らはここを突破できるまで周りを警戒しろ。増援が来るはずだ。……しかしこんなクソ堅えもの造りやがって。大砲を三発も食らってびくともしないとは」

「大砲はもう弾切れのようです。これでは……」

 レオンの目は門扉と城壁のつなぎ目を見ていた。

「いや、まだいける。二七班はいるか」

 レオンが声を張り上げると、すぐに数人の兵が駆け寄ってきた。

「出番だ。扉と壁の間、あそこを爆破しろ。さっきの大砲で弱ってきてるみたいだ」

 彼らは威勢のいい声を上げ、作業を開始した。レオンはその様子を眺めていたが、その中の一人が何度も視線を送ってくることに気がついた。

「どうした。何かあったか」

 男はレオンが近づくとあわてて目をそらした。

「ん? お前はさっきの……」

「はい。先程はありがとうございました」

 その男は路地裏で助けた青年だった。彼は手を動かしたまま話し始めた。

「兵長の戦いぶり、後方から拝見させていただきました。その……あれが異能というやつですか。すごいですね。一人で一中隊くらいの力があるんじゃないでしょうか。あっという間にここを制圧できましたから。もっと早く来ていれば、攻城槌も壊されずに済んだのかも――」

「おい」レオンは彼の言葉を(さえぎ)った。「無駄話はそこまでにしておけ。作業に集中しろ」

「……はい。すみませんでした」

 しばらくすると、準備が整ったのか壁に集まっていた者たちが次々と立ち上がった。レオンは彼らに言われるままにその場を離れた。目の前にまたあの男がやってきた。今度は何も言わずに壁を見つめている。レオンは彼の隣に歩み出て、同じように壁を向いたまま口を開いた。

「俺がお前を助けなければ、ひょっとしたら作戦はもっと楽に進んだかもしれない。だが、お前を殺した敵はさらに他の誰かに襲いかかるかもしれない。そいつにやられるはずだった者の力が、この先必要になってくるかもしれない。今は考えれば考えるほど、どっちが正解だったかなんて分からなくなるんだ。後悔するのは全部終わってからにしろ。今は、目の前のことだ。自分にできる最善を考えるんだ。お前の仕事は謝ることじゃなくて、皆が行く道を切り開くことだろう」

 小さな爆発があり、城壁から切り離された扉がゆっくりと向こう側に倒れた。

「俺たちが望んだ未来はもう目の前だ。行くぞ。俺に続け」

 レオンの叫びに、地を揺らす(とき)の声が呼応した。




 レイドは足を踏み出せずにいた。それは他の二人も同じだろう。目標の南門を目の前にして、三人はその不気味さのあまり立ち尽くしていた。

「どうなってるんだ」怯えたようなシュウの声がした。「どうして誰もいない? 革命軍が侵攻してくるのは確かに向こう側だけど、こっちに兵を置かなくていい理由にはならない。城門も開けっ放し。入ってくれと言ってるようなものじゃないか」

「罠でしょうね。ここまで胡散臭いのも初めて見ますけど」エリナは眉を寄せた。

「レイド、どうする?」

「どうする、って」レイドは腕を組んだ。「行くしかないよ。そういう任務なんだから。撤退は認められてない」

「ボクは行きたくない」

「もう一度言うけど、行くしかないんだ。俺たちには他に壁の中に入る手段がない」

 シュウは尻尾を左右に振りながら黙りこんだ。

「周りに人がいるか、お前なら分かるはずだ。危険が近づいたらすぐに察知できる。危なくなったら逃げればいいさ」

 シュウは何も言わないまま立ち上がり、音も無く門をくぐっていった。二人も後に続いた。


 遠くの轟音や地響きが無ければ、ここが戦場であると誰が思うだろうか。地面を覆う石畳には隙間や歪みが一切無く、左右対称に植えられた樹木は輪郭までもが鏡合わせになるように剪定されている。目の前にそびえる尖塔の群れには素人には理解しきれないほどの美が詰めこまれていた。城下町と比較しても、この空間には異質な美しさがあった。

 そして、ここにも人の姿はない。

「誰もいないか」半分は独り言、半分はシュウへの問いかけだった。

「ここから見える範囲には敵はいないみたい」シュウの声には不安がにじみ出ていた。「ただ、それが逆に不気味だ。どうして誰もいないんだろう」


 三人は広場を素早く通り抜けた。城の扉は上がっていて、薄暗い大広間が見える。レイドとシュウは扉をくぐったが、すぐに二人とも振り向いた。エリナが足を止め、上空を見上げている。

「どうした?」

 レイドが声をかけると、彼女は言葉を出そうと口を開いた。しかしその瞬間、上がっていた鋼鉄の扉が目の前で落ちた。衝撃で体が飛び上がった。レイドとシュウはすぐに扉に駆け寄った。

「おい、エリナ。大丈夫か」

 返事は無い。音が届かないのだろうか。それとも――。暗い想像が頭をよぎったとき、シュウの意識の接触があった。

「エリナは無事みたい。他の入り口を探してみるって」

 レイドは何度か扉を叩いてみた。返ってくるのはわずかの希望もない感触だ。

「心配かい?」とシュウは尋ねた。

「当たり前だ。こんな所で一人になるなんて」

「大丈夫だよ。よっぽどのことがないとエリナは死なない」

「あいつの能力を考えたらそうだけど、問題は死ぬかどうかだけじゃないだろ」

「……こんなこと言うのも悔しいけど、彼女はボクたちよりずっと頼りになると思うよ。むしろこっちが心配されてるんじゃないかな」

 レイドは扉に触れた手を下ろした。シュウの言うことはもっともだと思った。彼女ならうまくやるだろう。そして何事もなかったかのようにまた顔を見せる。


 シュウが低いうなり声を上げた。同時に、重い足音が広間に響く。胸の奥が一瞬温かくなり、すぐに冷たい波が押し寄せた。この音の主を知っている。レイドはゆっくりと振り向いた。大階段を下りてくる男と目が合った。男は眉ひとつ動かさなかった。

 窓から差す黄金色の光の筋の中で、彼は立ち止まった。芸術作品のような光景だった。長い四肢の強靭な筋肉は動きやすさを重視した装備の下からでもそのを熱量を感じさせ、背中の大剣は重々しい輝きを(まと)う。繕った美などそこには存在しない。戦うこと、すべてがそこに集約されていた。

「久しぶりだな」通りの良い声が反響した。

 レイドは何も言わず、剣の柄を握る手に力をこめた。

「ああ、そうだ。言葉はいらない。始めようか」

 二人は同時に剣を抜いた。

「アイク・ハンセン、侵入者を排除する」


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