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スターゲイザー  作者: ミズノハル
第一章 赤い目の悪魔
21/29

21. 潜入

 最近、同じような夢を何度も見る。知らないはずの風景が、妙な懐かしさとともに思い出される。眼下に広がる都市。消毒液の匂いがする無機質な部屋。太った男の背中。左右の目に焦点の違う絵を見せられているように、うまく注視できない。(めぐ)るその映像の行き着く先は、決まって同じだった。


 岩場に囲まれた砂浜。赤く染まったまま時の止まった空。以前、心に触れる異能で見た、自分の心の中の景色だ。そこにはいつも少女の姿がある。砂浜にどこか似つかわしくないベンチに座り、水平線の(きわ)で輝く太陽を見つめている。その後ろ姿を、レイドはいつも離れたところから見ていた。

 少女の名を呼ぶと、彼女はいつも振り向いた。呼ばれることがわかっていたように、ゆっくりとこちらを向き、微笑んで首をかしげた。金色の髪が海風に揺れ、赤い陽光の中で炎のように(きら)めいた。唇がかすかに動く。名を呼んでいる。あの不器用な発音で、何かを語りかけている。しかし、レイドにはその声は届かなかった。聞こえるのは不協和音の耳鳴りだけだ。それは泥をはねる雨の音で、耳元を通り過ぎる風の音で、消えゆく呼吸の音だ。

 そうして時間だけが過ぎていく。彼女のもとへ向かいたい意思とは裏腹に、体は石のように固まったまま動かなかった。白い砂を踏み、波の音の中に、彼女の隣に行きたい。そう強く願えば願うほど、体は自由がきかなくなり、耳鳴りは激しくなっていく。


 目の前の光景が、灰色の雲に塗り替わっていく。四角に切り取られた空から、細かい雨粒が落ちてくる。決定的な何かが壊れた感覚があり、体の芯から冷たいものが広がっていく。浅い呼吸の音だけが聞こえる。辛うじて動く左手に触れるのは冷たい泥だけだ。あの時の温もりを求めて持ち上げた左手は、力なく泥の中に落ちる。迫る雨粒の輪郭がかすみ、目の前が暗くなっていく。



  ◇ ◇ ◇



 大きく息を吸い込むと同時に、レイドは目を覚ました。重なり合う黒い葉の隙間から月が見えた。目線を左に移すと、冷たい月光を浴びた金色の髪が白く輝いている。普段よりわずかばかり見開かれた赤い目はこちらを向いていた。

「おはようございます」とエリナは言った。

「おはよう」とレイドは返した。その言い慣れた響きは妙に心を落ち着かせた。

「悪い夢でも見ましたか?」

 首をかしげるエリナの姿に胸がざわつくのを感じた。

「どうだろう。あれがいいか悪いか、分からないな」

「……そうですか」


 エリナが姿勢を直すと、レイドは異変に気づいた。自分の手が、エリナが身を包む毛布の端を固く握りしめていた。レイドはあわててそれを放すと、きまりが悪いのを誤魔化そうと勢いをつけて起き上がった。

「見張り、交代しようか。そろそろ時間じゃないか」

「月が――」エリナはゆっくりと目線を上げた。「傾いてきたら、起こそうと思ってました。まだちょっと早いですね。もう少し寝ててください」

「いいよ。ちょうど起きたんだし、もう眠気も覚めた」

「だめです」彼女の声は抑えられていたが、有無を言わせぬ力があった。「横になるだけでもいいですから、休んでください。休むことも任務の一つです」

 いつになく素っ気ないエリナの態度に()され、レイドは仰向けに寝転がった。しかし、分かってはいたが、また眠れそうにはない。頭の芯から響くような鈍い頭痛があった。


「作戦はレイドさん一人で遂行する予定でした。私は――私やリオさんは、本来ここにいるべき人間ではありません」

 エリナは目を閉じ、長く息を吐いた。普段の彼女には似つかわしくないはずの動作だったが、なぜかそれは今までに見たどんなものよりも自然に思えた。

「私にはあなたが必要なんです」

 エリナの口からこぼれた言葉はレイドの心を大きく波立たせた。レイドの視線からそれを察したのか、彼女は姿勢を正した。

「変なこと言ってすみません。今のは忘れてください」エリナは毛布を鼻先まで引き上げた。「言いたかったのは、この作戦の要はレイドさんだってことです。それを忘れないでくださいね。無理は禁物ですよ」

 レイドが仰向けのままうなずくと、エリナは逃げるように横になった。

「時間です。交代お願いします」

 レイドは体を起こすと、少しの間、彼女の丸まった背中を眺めていた。

「エリナ」

 彼女はさっきと同じような顔で振り向いた。名前を呼んでみたものの、特に用があったわけではない。

「何ですか」痺れを切らせたエリナが尋ねてきた。

「何でもない。忘れてくれ」

「……そうですか。おやすみなさい」

「おやすみ」


 エリナが元通り横になると、森は静まり返った。風もない夜だった。レイドは周囲に目を走らせ、異常がないことを確認すると空を見上げた。長年そうしてきた経験から、それはすぐに見つけられた。輝く月のすぐそばで、赤い星はかすかな光を発していた。口には出さず、その名前を呼んだ。赤い光は揺れたような気がした。しかし気のせいでないとも言いきれなかった。

 レイドはエリナの小さな背中を思い浮かべた。彼女はあの小さな体でどんなことを考えているのだろう。どんなものを見てきたのだろう。何を知り、どんな未来を見ているのだろう。彼女が見る未来の中で、俺はどんな存在であるのだろう。

「レイドさん」

 エリナの声が静寂を破った。今度はこちらが振り向く番だった。

「明後日――作戦の日は、とても大きな意味のある日になると思います。この国にとっても、私たちにとっても」深く息を吸う気配があった。「一つだけ、お願いがあります。危ないと思ったら、逃げてください。仲間のことよりも、自分の命を最優先に行動してください。それで革命軍が負けることになったとしても、生きることを考えてください。絶対に、死なないでください」

 彼女の最後の言葉はわずかにうわずった。いつも気丈で凛としている彼女には珍しいことだった。しかしそこに、彼女の揺るぎない意志を感じた気がした。

「俺は死なない」とレイドは言った。「お前がいれば、大丈夫だよ。どんな大けがでも治してくれるんだろ?」

 長い沈黙があった。互いの表情は見えなかった。

「そうですね。そのためについてきたんですから」

 彼女の肩から力が抜けるのがわかった。顔は見えないが、彼女はきっと笑っていた。

「無事に帰りましょうね、レイドさん」

「……そうだな。お互いに」

「はい。じゃあ改めて、おやすみなさい」

「うん。おやすみ」

 レイドは月を見上げた。明後日は満月だろう。少し傾いた月は白く輝き、冬の森に刺々しい陰影を落としていた。




 帝都は大きく二つの区域に分けられる。それらを分かつのは高く堅牢な城壁だ。城壁の内に住むことが許されている者は貴族と高い地位をもつ役人で、一部の役人や兵士を含むほとんどの住民は壁の外で暮らしている。壁の内側に一般市民が許可なく立ち入ることは禁じられている。そのため壁の内と外とでは、同じ都市という扱いではあるがその様相は大きく異なる。秩序という言葉を形にしたような壁の内側に対して、外は混沌だ。壁に近い区域はまだ通常の都市と大差ないが、外側に広がるにつれて町並みは無秩序になっていく。城壁のさらに外周には防衛のために造られた粗末な(ほり)や壁があり、その内側を帝都の領域としている。

 外壁の外側はスラムで占められている。スラム街の面積は帝都のそれより大きく、推定では帝都の人口の三倍もの住民がそこにひしめき合っている。革命軍の進軍を見越して、戦闘が予想される地区の住民は退去を命じられた。結果、補償もないまま放り出された人々はスラムの他地区や帝都に流れ入り、治安は急激に悪化していった。

 そしてある日、帝国の兵士が一人の住民を公衆の面前で"処刑"した。



 地獄。その地に足を踏み入れたとき、その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。最初に襲いかかってきたのは、口に苦いものがこみ上げるほどの悪臭だ。風が吹いても流れてくるのは別の悪臭だった。乱雑に建てられた家屋が作る広さも向きもバラバラな道はまさに迷路で、レイドたちは何度も袋小路に行き当たった。帝都の中心にそびえ立つ尖塔が無ければ、どちらから来たのかさえも分からなくなっていただろう。屋根という概念しかない家屋や道端には人がたくさんいたが、そのほとんどが横たわっているか下を向いたまま動かなかった。生死もはっきりしなかったが中には明らかに腐敗している者もいた。街は絶えず誰かの声が聞こえた。泣き声や叫び声、または怒鳴り声だった。この地を地獄と思わせた真の要因は、悪臭でも生活環境の悪さでもなく、極限まで張り詰めた空気だった。


「一触即発、って感じだな」とリオは言った。

「毎日そこら中で暴動が起きてるらしい。今もどこかでやってるんじゃないか?」

「たぶんあっちだ。さっきから空気がビリビリ震えてる」

 リオは西のほうを指差した。かすかに黒い煙が上がっている。

「どれくらい離れてる?」とレイドは尋ねた。

「正確にはわからない。巻き込まれることはないと思うが、用心したほうがいいかもな」

「だったら好都合だ」



 スラムは三つの区域に分けられていて、それぞれの区域にはそこを取り仕切る組織がある。スラム街はその組織の性格を色濃く反映し、まさに三者三様の様相を見せる。帝都防衛戦に先立って退去を命じられた区域は三者の中で最も過激な地域だった。

 彼らは退去の命を断固として受け入れなかった。自分たちの住む地は自分たちの手で守る。彼らにとっては革命軍も国も大差ない。その地を侵害する者はみな等しく敵だ。その信念を知らない帝都は、力を見せつければ彼らは大人しく引き下がると予想し、武力行使でもって彼らを立ち退かせる姿勢を示した。しかし予想とは反対にその行動は彼らの荒々しい心にに火をつけてしまう。結果、住民を退去させることには成功したが、住民を守るために講じられた策によって、逆にその住民の多くを虐殺することになってしまった。

 圧倒的な軍事力を前に撤退を余儀なくされたスラムの首領は、生き残った住民とともに他地区に避難した。しかし彼の獰猛な精神はそこで折れることはなく、彼は残りの二地区の力を借りて再び牙をむこうとしていた。帝都側はそれを察知するや否や彼の潜伏場所を特定し、見せしめのためにその場で彼の首をはねてしまった。またしてもそれは逆効果となる。首領の残した火種は炎を上げた。



 瓦礫(がれき)の上を、人がせわしなく駆けていた。女性や子供の姿もあったが、明らかに堅気(かたぎ)ではない者が多い。今は許可なく帝都に足を踏み入れることは重罪と言われている。崩れた外壁を自由に通り抜けることは困難だ。ちょうど今のように、どこかで騒ぎがあり警備が手薄にならない限りは。


 三人も周囲を警戒しつつ、不安定な石と木材の上を走った。すれ違う人と何度か目が合ったが、彼らはすぐに視線を自分の行く先へと戻した。

「スラムの奴らが壁を壊してくれてるとは」リオは高揚した様子でそう言った。

「暴動、ですよね」エリナの視線の先では、崩れた外壁の上をまだ人が行き来している。「帝都の中にも人が流れ込んでるみたいですね。明日の戦闘に巻き込まれないといいんですけど……」

「難しいだろうな」とリオは言った。「スラムの連中には革命軍も国も関係ない。自分の領土を侵害するのは誰だろうと敵だって頭なんだからな」

「とりあえずここから離れよう。いつ警備の兵が戻ってくるか分からない」


 三人は細い路地に入った。薄暗く鼻につく臭いがしたが、スラムよりはましに思えた。

「レイド、どうした?」

 路地の奥からリオが声をかけてきた。

「どうしたって、何が?」

「何か言いたそうな顔してるから」

「……べつに何も」

「言えよ。作戦に支障が出るかもしれない」

 レイドは古い石造り建物が並ぶ街路を見つめていた。初めて来るはずなのに、なぜか見覚えがあるような気がした。

「革命軍はスラムの敵。だったら、なぜ俺たちはここまでたどり着けた?」

「気づかなかっただけじゃないのか? 俺たち以外にも、たくさん人がウロウロしてた」

「いや、スラムの人は俺たちに気づいてるよ。たぶん俺たちが革命軍の工作員だってことも。だとしたらもうスラムの頭にもその情報は行ってるだろう。それなのに俺たちは、こうしてスラムを素通りして帝都の中に潜り込めた。運良くスラムを巡回してる帝国兵に見つからず、素性もバレず、壁の穴から適度に離れた場所で騒ぎがあったおかげで」

「俺たちは招き入れられたって?」とリオは言った。

「おそらく」

「上が根回しでもしてくれたってか」

「……罠と考えるのが妥当でしょうね」エリナが口をはさんだ。

「じゃあどうする。ここで引き返すか?」

「指示が無い以上、任務は続行しましょう」

「罠だと知って突っ込むのは得策じゃないと思うが」

「手足を投げ出して寝られるほど安全な場所なんて、私たちにはもう残されていませんよ」エリナは静かで、しかし強い声で言った。「ここは敵地のど真ん中なんです。この現状で、安全である可能性が最も高いのは、私たちが明日まで潜伏するために用意された場所です。今はそこに向かうしかありません」

「エリナの言う通りだ」レイドは自分の左の袖をきつく握りしめた。「今は進もう。ちょうど迎えも来たみたいだ」

 路地の奥から、一対の赤い目が近づいてくる。家屋の隙間から差す光がその姿を一瞬あらわにした。黒猫――シュウだ。彼は一度鳴くと、(きびす)を返して路地を進んでいった。三人は静かに彼の後を追った。


 この内戦を裏で操っている人間が必ずいる。以前から感じていた。これはあまりに稚拙すぎる。まるで子供の盤上遊びだ。取ってつけたような理由に、急ごしらえの対応。駒を動かす奴がただ自分の意のままに事を動かしたいだけ。そんな意思が透けて見える。他人の人生が曲がってしまうことも、命が散ることも、意に介していない。

 レイドは拳を強く握りしめた。手の感覚がなくなっても、ずっと握りしめていた。



「近くで見ると、けっこう高いですね」

 エリナは雨戸の隙間から城壁を見上げた。雨戸を閉め切った薄暗い室内の中央でランプの灯が揺れていた。エリナと初めて会った場所と似ている。

「リオ、いけるか?」

「壁を越えるだけなら問題ない。むしろこっちがその質問をしたいところだ」

「え?」

「この作戦の成否とお前たちの命は俺が握ってるわけだ。ちょっと俺の気が変わったら、全部おしまいになる。それでも、俺に身を預けるのか?」

 部屋の隅で丸まっているシュウと一瞬目が合った。久しぶりに会っても、彼はやはりリオに近づこうとはしなかった。

「まあ、そう言われればそうなんだけど」レイドは机に腰かけた。それに合わせてランプの光が揺れた。「これまでだって、俺たちの寝首をかける機会は山ほどあったんだ。今になってそんな心配をしたって仕方ないよ。それに、今はお前を信用するしかない。他の方法はあまり現実的じゃなさそうだし」

「心配いらないよ」シュウの心の声が聞こえた。他の二人にも聞こえているようだった。「君がボクたちに危害を加えようとしたなら、ボクが君を壊す。ボクにはそれができる。世界中のどこに逃げようと、必ず見つけ出してやる。だから安心して裏切るといい。後悔や恐怖なんて感情も生まれないくらい君の心をズタズタにしてやるから」

 シュウの憎悪とも言えるほどの敵意に満ちた目に、レイドは悪寒を覚えた。対してそれを正面から受け止めるリオはいやに落ち着いていた。彼は肩をすくめ、シュウに背を向けた。

「俺はお前たちを安全に壁の向こうに送ってやる。それで誰も損せず事が終わるんだ。裏切りなんてしないさ」

 シュウはリオをにらみつけていたが、彼は地図に目を落としたまま振り向かなかった。やがてシュウはあきらめたように首を振った。

「外の様子を見てるよ。時間になったら戻ってくる。今の戦況だと、たぶん明日の夕方だろうね。正午を過ぎたらいつでも出られるように準備してて」

 レイドの足元を通り過ぎるとき、シュウは顔を上げた。

「リオはまだ何かを隠してる」今度はレイドだけに話しかけているようだった。「彼に気づかれずにそれを探るのはボクの力じゃできない。こんなときに力になれなくて、ごめん」

 レイドは小さく首を振った。今の話について口に出すわけにはいかない。自分の思考はおそらくシュウには言わずとも伝わると思った。言いたいこと、言わずにおきたいこと、そして――。


 シュウは鼻先で器用に戸を開け、その奥に消えた。すぐに意識の接続が断たれたのを感じた。レイドは窓辺に向かい、エリナと同じように城壁を見上げた。

 誰もが口に出せないものを抱えている。リオも、エリナも、自分もだ。シュウにはそれが伝わっただろうか。自分でも言葉に表せないこの漠然とした不安を、彼はどう見たのだろう。

 彼に尋ねたかった。自分が本当に恐れているものは何かを。

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