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スターゲイザー  作者: ミズノハル
第一章 赤い目の悪魔
17/29

17. 掟


 この湖の町には、以前にも来たことがある。



 煙草の強すぎない甘い香りが部屋に広がっていた。銘柄などは知らないが、この匂いは心を落ち着かせる。ただこの匂いの中で言いわたされる指令は、いつも心を乱すものばかりだった。


「新しい仲間?」

 ユーリは予想外の言葉に眉をひそめた。最近チームに加入させられたルークのことで参っていた時期だった。これ以上あんな問題児を押し付けられては困る。

 この頃はまだ目の下にくまが無かった大佐は、片付いた机越しに手を伸ばして資料を手渡してきた。いつもの仕事のときに見せられるのと同じ、見慣れた書面だ。いつもと違うのは、右下に「保留」と走り書きされているところだ。

「これは?」

「この前、上から回された。研修が終わったところだが、“処分”だそうだ」

 大佐はせわしなくパイプをふかしていた。能力者に関することで決定を下す権限は、なぜか彼には無い。彼は上層部からの指令をユーリに伝え、そしてその責任を負う。この仕事は心底嫌だったが、捨て駒同然に扱われている大佐は憎みきれなかったし、自分が消えたときの彼の末路を思うとユーリは逃げ出すこともできなかった。


「いつもの仲間殺しですか」ユーリはため息まじりに言った。

「それなんだがな」大佐はパイプを机に置いた。「そいつは帝国に敵対心を持っているわけじゃない。報告によれば異能も問題なく使える。そんな人材を“処分”するとは……こればかりは俺も納得がいかない」

 目の前の中年男が何を言おうとしているのか、ユーリはなんとなくわかってきた。

「ユーリ、君にはその男の討伐に向かってもらう。ただし――」大佐は再びパイプをふかした。「有用と思われたなら、殺さずに連れて来い。責任は俺が取る。我々の仲間に入れてやろうじゃないか」

「新しい仲間って、そういうことでしたか」

「なんだ。さっきからつれない顔をして」

「そんなことないですよ」ユーリは資料に目を落とした。「ところで、こいつの能力は何です? そんなに買うってことは、よっぽど強いものを持ってるんでしょう?」

 大佐はパイプの燃え殻を紙に載せて、几帳面に折りたたんで捨てた。

「風を操る能力だ。もし戦闘することになったら、覚悟するんだな」




 早く帰りたい。ユーリは目の前に広がる湖を眺めながらそう思っていた。この地に足を踏み入れたときからずっと気分が落ち着かない。それは当然のことだった。ここ数か月で革命軍の侵攻が進み、その戦線がこの町に達するのも時間の問題だ。ここが剣呑な地であることは赤子にもわかる。


 ユーリは湖岸の桟橋に座る人影を見つけ、首から提げていた望遠鏡を覗いた。背中を曲げ、湖面を眺めている。町は張りつめた空気が黒い霧になって見えそうなほど緊迫しているのに、彼はそれを気にするそぶりも見せず、ただじっと湖を見つめている。

 ユーリは湖を回り込んで、彼の元へ向かった。彼はユーリが背後に立っても振り向かなかった。気付いていないわけではない。足音さえ殺さなかったし、木の桟橋は一歩踏み出すごとに大きな音を立てた。気付いていて振り向かないのか、それにさえ気付かないほど何かに心をうずめているのか。


「お前がリオだな」ユーリは静かにそう言った。「第六特殊部隊隊長のユーリだ。お前に会いに帝都から来た。話はできるか?」

 湖の小さな波のさざめきが響いていた。何もかも不気味な場所だった。この湖も、この風も。

 リオの返答を諦め、ユーリは続けた。「第六特殊部隊の仕事は知ってるか? 能力者の抹殺を主としている。俺がここに来た理由は、もうわかるよな」

 木々がざわめきはじめた。リオの背中がわずかに動いたような気がしたが、風のせいかもしれない。

「まあ、本来の仕事はお前の抹殺なんだが」ユーリは懐に忍ばせている水筒の蓋を開けた。「俺たちのボスがお前のことをえらく気に入ってる。お前にもチームに入ってほしい」

「……俺に仲間を殺せと?」

 リオはようやく一言だけ言葉を発した。予想よりしっかりした声だ。

「お前が何をしたかは知ってるよ」

「知ってるなら、どうしてそんな話を持ちかけるんだ」リオの声には静かな怒りがあった。「仲間殺しをした俺なら見込みがあるとでも? お前に俺の何がわかる」

「べつに俺が決めたわけじゃない」ユーリはため息まじりに言った。「警告しておこう。さっきも言ったように、俺の本来の仕事はお前の抹殺だ。お前とこうやって仲良くおしゃべりしてるのは、うちのボスのわがままに付き合ってるから。お前がこの申し出を断るって言うなら、俺は俺の仕事を遂行する」

「今度は脅しか」リオは吐き捨てるように言った。

「お前の飲みこみが悪いから、警告してやったんだよ」


 リオは立ち上がって、ゆっくりと振り返った。怒りよりもずっと深く、彼の顔には悲哀が刻まれていた。ユーリは懐の水筒の水に意識を伸ばした。

「帝国に反抗する気は無い。このまま帰ってくれないか」とリオは言った。

「無理な相談だな。俺はお前を連れて帰らなきゃならない。生きたお前か、生首のお前のどちらかと」

「俺はもう仲間を殺したくないんだ」

 不意に突風が吹き、ユーリは数歩後ろに下がった。風は方向も強さばらばらのまま、リオを中心として吹き荒れていた。さっきから感じていた違和感の正体はこれだ。彼の乱れた精神がこの一帯の風に干渉していたのだ。

 彼がやけになって暴れ出す危険もあったが、ユーリは腹をくくった。

「お前がどれだけごねようが、もう仲間殺しは避けられないんだよ。俺と仲間殺しをするか、この場で俺を殺すかの二択だ。ああ、ここでお前が死ぬって選択肢もあるな」

「俺は……まだ死ねない」

 煮え切らない態度をとり続けるリオの姿に、ユーリは苛立ちを覚えた。

「だったら受け入れるしかない。そういうもんなんだ。生きたいなら、どんなに嫌なことでも受け入れなきゃいけないんだよ」


 リオはその場にうずくまり、声を上げて泣き出した。にわかに風が強くなり、ユーリは一瞬身構えようとしたが、その風に害意が無いことはすぐにわかった。ただ感情を吐き出したいだけなのだ。

 ユーリは拳をきつく握りしめた。この男に苛立つ自分を苛立たしく思った。頭を抱えて泣きわめくその姿に、自分の姿が重なる。

「逃げられないんだよ。俺も、お前も」



  ◇ ◇ ◇



 火柱が立ち上った方向にユーリは目を向けた。その周囲の木の枝には火炎の痕跡が残っている。舟小屋や木々でその発生源は見えない。もちろん炎はサラのものではない。レイドのものでもないはずだ。彼の能力には炎なんて関与する余地も無い。炎といえば、ルーク? リオが生きていたように、ルークも生かされていたのだろうか。考えにくいことではあるが。とにかく、サラの様子を見に行かなければならない。こちらの仕事は終わったのだから。


 そのとき、背後から滝のような水音が響き、水面が大きく揺れた。リオを捕えた能力はまだ解いていないはず。ユーリが素早く振り向くと、水の檻から逃れたリオが夕陽を背にして風を(まと)い滞空していた。溺死寸前だったからか、遠目に見てもわかるほど肩を上下させていた。

 目を離す直前の光景が脳裏をよぎった。リオは大きく息を吐いていた。力尽きたのだと思ったが、そうではなかった。彼はそのわずかな空気を操り、あの水の檻を打ち破った。火柱が上がるという突然の出来事に気を取られている場合ではなかったのだ。異能は、能力者に内在するエネルギーで物質を操るもの。リオの口から吐き出される空気は、彼にとって最高の武器だ。ユーリ自身がそうしているように。ほんの少し考えればわかるはずだった。ユーリは自分の慢心を悔やんだ。


「お前はいつもそうだ」リオは呼吸を整えながら言った。「挑発したり、口車に乗せたり。そうやっていろんなことを隠して、だますんだ」

「そしてお前はいつもだまされるんだよな」ユーリは鼻で笑ってみせた。しかし心の中では焦りが生まれはじめていた。腕の傷と、ここまでの消耗。この条件下でまともにリオと闘えるだろうか。とにかく今は気を強く見せなければならない。「来いよ。何度だろうと沈めてやる」


 リオは急降下し、水面すれすれを滑空して向かってきた。ユーリは自らの身長の倍もある水の人形を作り出し、小さな嵐を迎えた。

 この人形の水には血が混ざっている。リオに蹴散らされたものよりは格段に強くなっているはず。しかし、先ほどのように波や水柱を使うような大振りな動きはもうしないほうがいい。リオはもうあっさりとは捕まってくれないだろうし、体力勝負となれば分が悪いのはわかりきっている。近接戦闘に集中して、一気に決める。それしか道は無い。

 水の大きな拳と、風を纏った拳がぶつかり合った。




「ねえ、聞いてる?」

 サラは机を叩いて、横から身を乗り出してきた。インクの入った瓶がはねたが、中身は一滴もこぼれない。そこの加減は心得ているようだ。

「聞いてるよ」ユーリは報告書の作成を諦めて、彼女に体を向けた。「とりあえず、任務はちゃんとこなしたんだろ? お疲れさま」

「ああ疲れたよ。あいつのせいで、無駄に疲れた」

「初めての任務なんだ。成功しただけでも(おん)の字だろ」

「そういう問題じゃないんだよ」サラは耳元の髪をかきあげた。「リオのやり方は……なんていうか、胸くそ悪い」

「あいつはまだ慣れてないんだ」

「……ユーリは人を殺すのが平気なの?」

 ユーリは予想外の質問に言葉を失い、サラの顔を見ることしかできなかった。

「ごめん。忘れて」サラは小さく首を振ってそう言うと、くるりと背を向けて離れていった。「とにかく、もうリオと仕事はしたくないの。あんなに時間かけて追いかけまわすなんて、見てるのも嫌」


 いつだったか、サラと組むことになったときに、ある(おきて)を作った。

 命を尊重すること。

「あいつ、慣れてないとか、殺すのが怖いとか、そんなのじゃないよ」とサラは言った。「獲物を泳がせて、遊んでるんだ」




 水の拳は風に飲まれてはじけた。ユーリの水の人形は体勢を立て直そうとするも、リオは自らの身に纏っている風をまるごとぶつけてきた。防御を捨てた強力な一撃を受け、ユーリは為すすべなく湖岸まで吹き飛ばされた。


 ユーリはうめき声を上げて草むらから()い出た。地面を転げまわったせいで、全身に擦り傷ができた。骨折は無さそうだが、やはり左腕の傷は足を引っ張ってくる。痛みが集中力を削ぎ、出血は体を弱らせる。今の一撃も、きちんと対処できていれば湖から離されることはなかっただろう。

 リオは岸辺に立ち、よろよろと林から出てくるユーリを待ち構えていた。リオの服はびしょ濡れになっている。あの後、湖に落ちたのだろう。自分の体を支える力さえ惜しんで、あの一撃を放ったのだ。それがどれほど危険な行為か、彼もわかっているはずだ。その危険を冒してでも、ユーリを湖から引き離そうとした。


「今日はやけに積極的だな」とユーリは言った。「お前が捨て身の攻撃なんて、予想外だ。やればできるじゃないか」

 リオは再び風を纏った。「降伏しろ。お前を殺したくはない」

「サラが聞いたら激怒するだろうな、それ。レイドに毒されたのか?」

「お前とサラには恩がある。だから生かしたいだけだ」

「生かしたい、だって?」ユーリは笑った。「お前はたまたま生きてるが、敵側の能力者なんて普通は生かしておかない。俺が生きるには、お前を倒すしかないんだよ」

「もう諦めろ。ここじゃあお前の能力は使えない」

「使えるさ」


 ユーリの左腕から流れる血が、骸骨のような形に姿を変えた。見た目は貧弱だが、湖の水で作るものよりははるかに強力だ。ただし、強さの代償は大きい。ユーリは強烈なめまいに耐え、二本の脚を震わせながら、なんとか意識を保っていた。

「無茶はやめろ」とリオは言った。水の中にいるように、その声はくぐもって聞こえた。

「黙れ」ユーリは自らを鼓舞するように叫んだ。「俺たちがやってるのは命のやり取りだ。これまでと、これからのすべてを懸けてるんだ。その覚悟でここに来てるんだよ」


 血の骸骨は鋭くとがった手をリオに伸ばした。それは風の防壁に阻まれるが、ユーリは力を緩めなかった。どうせ長くはもたない。このまま一撃で決める。真紅の手がリオの首筋に迫っていた。

 その手がリオの命に届くことはなかった。彼の体に触れる一寸手前で、血の手は指先からぼろぼろと崩れていった。強風にさらされ、血液は乾燥に耐えきれずに赤黒い塵になって飛ばされていく。ユーリはそれでも攻撃を続けた。

 ここで死ねるかもしれない。

 血の塵は夕陽の光に飲みこまれていき、風の轟音も途絶えた。




 石造りの螺旋(らせん)階段には黒い汚れが目立ち、カビのように陰鬱な空気が根付いていた。足音は反響を繰り返し不気味なうねりとなって狭い空間を走り抜ける。階段を上りきった先の扉を開け、ユーリは外に出た。風が吹いていたが、油や人の臭いにまみれ、爽快な気分はしなかった。

 眼下に広がるのは整然と並ぶ建造物の群れと、それを囲う高い外壁。正確に引かれた直線と、直角。人工物であふれた景色だ。リオは城壁の(ふち)に腰掛け、人のうごめく都市を見下ろしていた。


「ここにいたのか。探したぞ」

 ユーリはリオの背中に声をかけた。その丸まった背中は、背が高いくせに小さく見えた。

 リオは後ろを一瞥して、無言で都市の風景に目を戻した。

「どうだ、帝都は」ユーリは歩み寄りながら尋ねた。

「……でかいな」

「他には?」

「空気が悪い」

「それは同感だ」


 ユーリはリオの斜め後ろに立った。隣に座ろうという気にはならなかった。

「初めての任務、ご苦労さま」

「どうも」とリオは言った。「まさか、それを言うためだけに来たんじゃないよな」

 ユーリは肩をすくめた。リオは見ていないが。

「サラから、お前の仕事ぶりを聞いた。ずいぶんと時間をかけたそうじゃないか」ユーリは散々文句を言われたことは話す気は無かった。リオなら言わずともそれに気付いているだろうとは思っていた。「時間がかかってしまうことを責めるつもりはないが、故意とあれば話は別だ。このチームの掟は話したよな」

「……命を尊重すること」

 生ぬるい不快な風が吹いていた。リオが操っているのかどうかはわからない。

「いたずらに時間をかけると、無関係の人間を巻き込む危険が増す。今回はそうはならなかったが、いつか――」

「そうじゃないだろ」リオは言葉をさえぎり、ユーリをにらみつけた。「適当な言葉でごまかすなよ。そんな単純な意味じゃないんだろ。殺しをしてるのに、命を尊重しろだなんて」

 ユーリはその視線を受け止めた。

 そこまで馬鹿じゃないか。


「言葉通りだよ。これは命を扱う仕事だ。命は尊重しなきゃならない。相手のも、自分のもな」

 不満を表情にあらわにするリオに、ユーリは背を向けた。

「まあ、よーく考えな。間違いそうになったら、俺がまた教えてやるよ」

「またそうやって煙に巻くのか」

 ユーリは一度だけ振り返った。

「自分で考えろって言ってんだよ。何かに思考停止で従って、取り返しのつかないことになる前に」

 思考停止しているのは自分ではないのか。そんなことを考えながら。



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