16. 激情
「あなたの異能について話があるの」
ユノは窓の外の断頭台を眺めていた。朝日を浴びたその錆びた刃は、よりいっそう禍々(まがまが)しく見えた。
「俺の異能、か」レイドは断頭台から目をそらした。「本当に何も無い、なんて話じゃないよな」
「やっぱり気付いてた?」
「気付いたのは最近だよ。リオと闘ったとき、変なことがあったんだ」
「どんな?」
レイドは左腕をさすった。あのときの感覚をより鮮明に思い出そうとした。「あいつの風が消えたんだ。俺も何が起こったのかわからなかったけど。そのおかげで、なんとかこうして生きてる」
ミラの幻が見えたことは黙っていようと思った。それがもし関係の無いことだったら、冷やかされそうな気がしたからだ。
「これではっきりしたわね。今までは仮説でしかなかったんだけど……」
レイドはユノの言葉を待ちながら、あのとき見た光景を思い返していた。ミラが囁いた言葉が、まだ耳に残っている。
「万物に宿るエネルギーの結晶体である“凶星”。それを体内に取り込んで、そのエネルギーを憑依させる形で、物質を操ることができるようになる。それがあなたたちなのだけれど」ユノは昔よくそうしていたように脚を組んだ。「あなたが持つ異能は、そのエネルギーを消し去る能力。つまり、相手の異能を無力化することができるの」
レイドは自分の組んだ手を見つめながら、その説明を聞いていた。
それだけなのか?
少なからず落胆していたが、それを悟られないようにまじめな顔でうなずきながら、いかにその能力が特別なものなのかという講釈を聞き流していた。そしてずっと、このもどかしい思いの正体を探していた。
一つだけ、ようやく興味を向けられるようなことをユノは言っていた。
「普通、異能はその使用者の名前で呼ばれるんだけど、類稀なものは別に名前を付けられることになってるの。やっぱり特別なものは特別な名前で呼ばないとね」
「俺の能力も、特別な名前とやらが付けられてるのか?」
「もちろん」とユノは言った。「あなたの能力の名前は“スターゲイザー”。あなたにぴったりだと思わない?」
◇ ◇ ◇
「これでいいか?」
ハナは小さく飛んだり跳ねたりして自分の脚にくくりつけられた小さな筒の感触を確かめた。中には簡単に状況を書きつけた紙片と、エリナの短い手紙が入っている。
「出るときに置手紙はしておいたんですが、さすがにそれだけだとレオンに申し訳ないと思って」エリナは手紙を小さく折りたたみながら言っていた。
ハナは満足そうに短く鳴くと、陽の傾きはじめた空に飛び立った。その姿はあっという間に山の向こうへ消えた。彼女が戻ってくるのは二日後。それまでは安息の時間だ。
宿に戻ろうとするレイドの肩を、リオが後ろからつかんだ。
「ちょっと歩かないか」とリオは言った。珍しく笑みを浮かべていた。
「ああ。いいよ」突然の誘いに戸惑いながらも、レイドは返した。
エリナがもの言いたげな視線を送ってきたが、リオが歩き出すと、彼女はすぐに目をそらして宿に向かった。
町にはときどきあわただしく動き回る人の姿が見られたが、戦場のような緊迫感は無かった。目の前が帝国の領土ということになってはいるが、帝国軍はすでにこの地を捨てて撤退しているため、事実上の境はずっと帝都に寄ったものとなっている。今、この町は後方部隊の基地だ。戦時中とはいえ、勝ち戦であることが誰の目にも明らかな戦況だ。ここで日々の仕事を消化し、食べて寝ていれば平和が訪れることはわかっている。口には出さないが、ここにいる誰もがそう感じているのが伝わってくる。
何か話したいことがあって誘ったのだと思っていたが、リオはなかなか口を開かなかった。彼はただ足を進めていた。その迷いの無い歩調が、レイドの頭に疑問を生んだ。
「ここを知ってるのか?」とレイドは尋ねた。
リオはちらりと後ろを見て、また前を向いた。話しかけられて初めて同行者の存在に気付いたかのような無関心さすらあるように見えた。
「よく知ってる」とリオは言った。「短い期間だったけど、ここにいたことがある。俺が施設を出たばかりで、まだここが革命軍に占領される前のことだ」
二人は町のはずれの舟小屋の前に来た。リオは湖にせり出した桟橋に腰掛けた。波は山脈と夕日がつくる息をのむほどに壮大な陰影を細かく裂いて、湖の上に散りばめていた。その隙間からは、底の見えぬ深い闇がのぞいている。
「この町は全然変わってないよ。変わったのは居座ってる人間だけだ」リオの声は穏やかだった。「地図で見たよな。この湖、真ん丸なんだ。いつ見ても美しいと思うよ。ここでこうやって湖を眺めるのが好きだった。あの人も……」
目の端で何かがちらついて、レイドは反射的に目を向けた。舟小屋のずっと向こうの岸に動くものがあった。
「なあ、レイド」リオは不意に立ち上がり、振り返った。レイドは彼に目を戻した。「どうして自分がここにいるのか、考えたことはあるか?」
「どうして?」その言葉が意味するところがわからず、レイドは戸惑った。一瞬だけさっきの岸辺の様子をうかがったが、何もいなかった。見間違いだったのだろうか。
「税や法でがんじがらめにする帝国も間違ってるんだろう。でも、革命軍が声高に叫ぶ夢物語は本当に叶うのか。どっちに転んでも、この国は良くならないかもしれない。それを考えて動いてるのかってことだ」
冷たい風が湖から吹いていた。背中から悪寒が全身に広がった。リオの瞳には、この湖のように深い闇があった。敵意ではない。それよりももっと暗く恐ろしいものがあった。命を救ってもらった恩を返したい。彼のその言葉に嘘はないとシュウは言っていた。では彼は何を考えている? どうしてこんな目を向けてくるんだ?
「いや」リオは視線を落として、湖に向き直った。「今のは忘れてくれ。懐かしい場所に来て、なんか変な気分になっただけだ」
彼が背を向けて座ってからも、レイドは体を動かせずにいた。さきほどの視線がまだ体を刺し貫いたまま残っているようだった。その傷口からしみだすように、自分の中にある疑念が芽生えるのをレイドは感じた。しかしそれはすぐに打ち消された。シュウの読心は騙せない。それに、こんな考えが心に浮かんでいいはずがない。こんな自分を友人と思ってくれている彼を疑うようなことをしてはいけない。
湖のゆらめく水面を眺めているうちに、レイドは気分が悪くなった。この湖が美しいと言われる理由はわからないでもない。だがこの湖は何かがおかしい。はっきりと知覚できない何かを、体が確かに感じ取っている。
レイドが湖から顔を背けると、町の方向からエリナが駆け寄ってきていることに気付いた。
「ここにいましたか」彼女は息を切らせながら言った。
「どうした?」
「ここの町長が、話がしたいらしくて。夕食も一緒にどうかと誘われました」
「……これから?」
「ごめんなさい。私も疲れてたんですけど、押しが強くて断りきれませんでした」
長旅でくたくたになっているのに目上の人間と会うことを考えると気が滅入った。だがその思いとは裏腹に、この場を離れられることに安堵している自分がいることにもレイドは気付いていた。
「わかった。行こうか」
エリナはうなずいて、レイドの体の向こう側に話しかけた。「リオさん、行きましょう」
リオは背を向けたまま手を上げただけだった。エリナは眉をひそめた。
「おいしい食事と温かいベッドがほしいって、いつも言ってたじゃないですか」
「俺が行ったら話がややこしくなる。腹を壊したとでも言っておいてくれ」
エリナは彼の背中をしばらくにらんで、目を閉じると大きくため息をついて踵を返した。
レイドは無言で歩く彼女についていったが、舟小屋を通り過ぎたところで立ち止まった。ここならリオに声は届かない。
エリナは背後の足音が止まったことに気付いて振り向いた。
「どうしました?」
「リオのことで話が」レイドは口ごもりそうになったが、背筋を伸ばしてそれをこらえた。はっきり言うほうがいい。「あいつのこと嫌いか」
エリナはわずかに目を泳がせたが、レイドの目を見据えると、落ち着いた様子で答えた。「嘘をつく人は嫌いです」
「嘘?」
エリナは咳払いをした。「誰かを裏切るような人は嫌いだってことです」
彼女の様子を不審に思いながらも、レイドはそれを追及しなかった。彼女の口はおそろしく固い。無理にこじ開けようとして不和を増大させることは今後に良くない。
「リオとけんかするの、やめてくれないか」できるだけ慎重に言葉を選んで、レイドは言った。「べつに好きになれとは言わない。ただ、表立っていがみ合うのはやめてくれ。帝都も近くなったし、小さな何かが命取りになるかもしれない。もちろん、あいつにも言っておく。だから、頼むよ」
エリナの口は言葉を形作ろうとするが、すぐにきつく結ばれた。彼女の中の何かに触れたとき、決まってそういう動きをする。その秘密が明かされることは、少なくとも今はない。
「ごめんなさい。レイドさんの言う通りですね。私が幼稚でした」エリナはそう言うと頭を下げた。
「そんな、頭を下げるほどのことでもないよ」
「いえ。私もちょっと周りが見えなくなっていたので。これからは気をつけます」
エリナはきまりが悪そうな笑みを浮かべた。その表情に胸の奥がうずくのを感じ、レイドも同じように笑った。自分も彼女に対してけじめをつけなければならないと思った。
町に戻ろうと二人が歩き出したとき、背後から大きな音が聞こえた。舟小屋のあたりからだ。金属製のものが落ちる音。おそらく鎖のようなもの。エリナは肩にかけた銃の安全装置を外し、無言で音のした場所に向けた。
舟小屋の陰から、何者かが顔をのぞかせた。その女の赤い瞳をレイドが確認したと同時に、エリナは引き金を引いた。弾道は女の額を正確にとらえていた。しかし弾丸はその目の前でぴたりと静止し、女の頭を撃ちぬくことなく地面に落ちた。女の手から放たれた鎖の先端が融けるようにして三つに分かれ、目の前で起こったことに困惑し逃げることも忘れていたエリナを縛りつけ、女の元へ連れ去った。
女は注意深く二人を観察しながら、舟小屋の陰から姿を現した。簡素ではあるが、防具をきっちり着込んでいる。レイドは背中の剣を抜いた。さすがにあの防具ではこの剣を無傷で受け止められるとは思えないが、いくらか耐えて反撃するくらいはできるかもしれない。あまり大きな隙はさらせない。レイドは剣の重みを腕で確かめながら、これまでの訓練を思い返していた。
女の足元で、鎖で口をふさがれながらも、エリナが何かを叫んだ。逃げて、と言ったように聞こえた。当然、それに従うつもりはない。あの女に銃は効かない。町にいる革命軍の兵に助けを求めても、犠牲者が増えるだけだ。それ以前に、たとえ何があってもエリナを置いて逃げることだけは選ばない。
「あんたがレイドだね?」女は腰に差した細身の剣を抜いた。「あたしはサラ。あんたの首を取りに来た」
「ご丁寧にどうも」とレイドは返した。「うちのお姫様を返してもらえないか」
サラは肩をすくめた。銀の髪留めでまとめられた褐色の髪が、それに合わせて揺れた。
「お姫様をさらえって、魔王様の命令なんだよね」と彼女は言った。
「じゃあ力ずくで取り返すよ」
レイドは素早くサラに詰め寄り、防御の薄い肩にめがけて剣を振り下ろした。サラは左腕の小さな盾でそれを受け、体をねじらせて受け流し、流れるように数歩退いた。動きは大きかったが、隙は小さい。退かずに反撃することもできたのだろうが、おそらく彼女も様子を見たいのだ。
サラの目が剣を凝視していることにレイドは気付いた。今のところ、剣には何の変化も無い。彼女の能力に、おおよそ見当がついた。
足元に無造作に放置されていた袋から鎖が飛び出し、レイドに襲いかかった。蛇のような鎖は頭を鋭い刃に変形させて迫ってくる。振り払うこともできたが、レイドは覚悟を決めて動かずにいた。いけるはずだ。そう心の中で念じて、自分の周囲の空間に意識を伸ばした。
鎖は体に触れる直前に動きを止め、地に伏した。レイドはサラに悟られない程度にほっと息を吐いた。
異能を無力化する能力。それがどれほどのものなのか、まだ把握できていなかった。それを実際に目にしたのは、リオとの闘いで無自覚のまま偶然に使えたときだけだ。それが影響を及ぼす範囲も、発動した感覚さえもわからない。それは今、覚えるしかない。そしてそれを悟られてはいけない。自分は異能を完璧に使いこなせていると、相手に思わせなくてはならない。
「効かないよ、それは」ひやっとしたけど、とレイドは心の中で付け足した。
エリナを縛っている鎖が、彼女を離れたところまで引きずった。サラとしても、エリナを傷つけたくないのだろう。彼女は生け捕りにする命令だと、以前リオが言っていた。
「だったら、何が効くのか試してやろうか」
サラは姿勢を低くして、右手の剣で鋭く斬り込んできた。レイドがそれを受け止めると同時に、彼女の左腕の盾が一本の剣へと姿を変える。その刺突はレイドの脇腹をかすめた。レイドはサラの剣を弾き、彼女の脇腹に回し蹴りを命中させた。その周囲の金属が脚を捕えようと形を変えたが、その動きはすぐに止められた。サラは顔を歪めて再び距離をとった。
レイドはサラの武装の意味を理解しはじめた。彼女の異能は、金属を操る。形も動きも、自由自在に。あの防具は体を守るためだけにあるのではない。全身の金属が剣となり、盾となり、手にもなる。彼女の能力を妨害していなければ、今ごろこの脚はどうなっていただろうか。剣もとうの昔に使い物にならなくなっていただろう。
異能を無力化するには、対象に触れるほどに近くなければならない。その使い方や間合いを、レイドはつかみはじめていた。しかし、それはおそらく相手も同じだ。レイドが自分の能力を試しているように、サラもその能力にどれだけ干渉されるのかを確かめている。自分の能力を熟知しているサラの優位は、もう覆しようがないものとなってしまった。サラが練る対抗策を上回る手を考えることは、このままではできない。
サラの猛攻を受けながら、レイドは自分の能力の欠点を痛感させられた。特に彼女のような能力に対しては、それが顕著に表れる。能力の効果範囲が狭い点と、異能が関わらない部分には全く対処ができない点だ。リオの風のように、異能による制御を解けば無害となるものであれば、この能力は強力なものとなるだろう。しかし、金属は形作られてしまえばその殺傷力を失わない。もちろん彼女もそれに気付いている。レイドの能力の手の届かない範囲で、彼女の金属は姿を変え、襲いかかってくる。
湖のほうから、大きな水音が響いた。サラが一瞬そちらに目を向けた隙を突いて、レイドは剣の腹で彼女の肩を打ち、大きく距離を取った。
湖の上には滞空しているリオの姿があった。それよりも目を引くのは、水面から突き出した大木のような水柱だ。よく見るとそれは腕の形をしていた。波しぶきの間から、湖面にいる男の姿が見えた。彼もまた赤い目をしていた。
「お前の仲間か」とレイドは言った。
「そう」サラは短く答えた。
「リオをどうするつもりだ」
「他人の心配する前に、自分の心配をしたらどう?」
サラはレイドの剣を指差した。見なくてもどうなっているか、手に持つ感覚でわかっている。今の一撃で、剣の先半分が“食われた”。油断していた。考えなければならないことが多すぎたのだ。
「ねえ、あんたさあ」サラはため息をついた。彼女の肩に貼りついた剣の断片が、鎧に吸収されていった。「自分の命が懸かってるのに、なんであんなことすんの?」
サラが何のことを言っているのかは、レイドにはわかっていた。さっき彼女を剣で殴りつけたときのことだ。本当は首をはねることができた一撃だった。しかしその直前でレイドは手首を返し、無理矢理その軌道を変えた。自分の能力を使うことも忘れて。
「俺は……こんな闘いがしたくないから、ここにいるんだ」レイドは剣を握る手に力を込めた。慣れない重み、ずっと避けてきた重みを感じる。「こんなの無意味だよ。どうして俺たちが殺し合わなきゃならないんだ」
サラの手は震えていた。抑えきれない怒りがそこに現れていた。
「あたしは施設を出てから、ずっと人殺しさせられた。その前だって、人を殺す訓練ばっかり。どうしてだと思う? 番号順に並べられて、ここからここまでは暗殺しなさい。ただそれだけ。どんな気分だと思う? 道具みたいに扱われて、一緒に育った友達を手にかけるときって」サラはほとんど叫ぶように続けた。「とんずらこいて田舎でのんきに暮らしてたあんたに、あたしの気持ちがわかるの? 勝手に理解した気になって情けをかけて、それがあたしの覚悟を踏みにじるんだってどうしてわからないの?」
サラは姿勢を低くして身構え、彼女の身に纏う鎧はその怒りを体現するように刺々しいものに姿を変えた。
さっきから心が落ち着かない。彼女の怒りに共鳴するように、胸の奥がうずいている。
「もしまた手を抜いたら、この世で一番ひどい殺し方をしてやる」サラは低い声でそう言った。
何かがつかめそうな気がする。そんな予感がしていた。レイドはサラの目に憎悪の光を見た。その視線の先にあるものすべてを刺し貫かんばかりの、激しい怒りの光。
サラの背後、湖の上に、水の巨人の両腕がそびえ立っていた。リオを組んだ手の中に閉じこめ、夕日に高く掲げている。リオの手が力なく水の中を漂う。その口から生命が泡となってもれる。
視界がぐらりと揺れた。湖が夕暮れの海と重なる。砂浜に打ち上げられた黒い体。はじけた光。天に昇る、星のような光。
サラが雄叫びを上げて地面を蹴る。その怒りに呼応する金属の動きには美しさすら感じる。レイドの心は大きく揺らいだ。そうだ。憤怒は美しいのだ。それはこの上なく強く、真っ直ぐな意志そのもの。身を委ねてしまえばいい。この胸のざわめきはそれを欲している。この激情はきっと何よりも美しく輝く。憤怒の炎で、すべてを焼き尽くしてしまえ。
炎の竜巻が、湖を赤く染め上げた。




