15. 罪
「異能には、その人の興味とか願望なんかが強く影響するらしいよ」
サラはマネキンに着せた鎖帷子を手でもてあそびながらそう言った。ユーリは何度書かされたかわからない報告書を作っていた。おそらく脳はほとんど働いていない。決まりきった文章を機械のように複写していた。
「あれって天性のものじゃないのか?」ユーリは手を休めずに言った。
「心に根ざしたものが、異能として現れるんだって聞いた」
「へえ。お前もそうなのか?」
「うーん。どうかな」背後でサラが勢いよく振り向く気配がした。「ねえ、あんたはどうなの?」
リオはいつものようにうつむいていて、顔を上げてサラを一瞥し、また下を向く。ユーリの頭にその情景が浮かんだ。
「俺は……どうだろう」リオの沈んだ声がする。「そう言われれば、そうかもしれない。ここから飛び出してやりたいって、施設にいる間はずっと思ってた」
「俺は」リオの発言が終わらぬうちに、ルークの声がした。「全部ぶっ壊したかった。焼き尽くしてやりたかった」
「あー、うんうん。参考になった」サラはあきれたような声を出した。彼女はルークに対してはいつもこんな態度だ。
ルークはここに来たときからずっと、部屋の隅で呪詛のように独り言をつぶやいて過ごしている。ときどき怯えたように体を震わせたり、奇声を上げたりしていた。暴れる現場を見たことは無いが、部屋が荒らされていることもあった。加えて彼は仕事があっても動こうとしなかった。サラは当初から「ここは託児所じゃないんだけど」と悪態をついていたが、ユーリは「前に何かあったんだろう」と言いながら、二人が衝突しないように、彼女にできるだけ外の仕事を割り当てた。ほどなくリオが来てくれたから良かったものの、あとひと月もその状況が続いていたら、ユーリとサラが過労で倒れるか、この部屋が戦場になっているところだった。ルークがある任務に異常な興味を示して張り切って出かけたときは、しばらく何も考えられなくなるほどにほっとしたものだった。
「最近は仕事も減ったね」サラはマネキンが身に着けていた籠手を床に落とした。そのけたたましい音に、ユーリは眉をひそめた。サラはそれには気付かない。「こうやって四人揃うのも珍しいんじゃないの?」
「あんな仕事はもうたくさんだ」リオはため息まじりに言った。
「もうすぐ無くなるさ」ユーリは最後の書類に判を押した。「半数が裏切ったとはいえ、そもそも能力者がそんなに多くないんだ。敵はもう数えるほどしかいないよ。俺たちが裏で動く必要も、もうほとんど無いと思うな」
「だといいけど」
「まあ、俺の仕事はまだまだ無くならないけどな」ユーリは書類の束を手に立ち上がった。
サラは退屈そうに椅子の上で背伸びをしていた。彼女はこういう仕事を嫌がるし、リオは任せるにはまだ日が浅いため、結局はユーリが一人で処理をしていた。
「ユーリ、あんたの異能の話を聞いてないよ」とサラの声。
ユーリは扉にかけた手を止めた。
閃光のように脳裏によぎる。黒く汚れた手。大きな手。空気を欲する口に押し寄せる水。背中に残る力強い腕の感触。しがみついた木材の匂いとざらざらした手触り。無関心に空を泳ぐ雲。頭がかっと熱くなる。
「さあ。心当たりは無いな」ユーリは扉を半分ほど開いていた。
「またそうやって誤魔化すんだから」
「お前が話したら教えてやるよ」
サラの表情が固まった。その予想以上の反応にユーリは居心地が悪くなった。
「おっさんにこれ出してくる。すぐに戻るよ」
ユーリはそう言って扉を閉めた。鼻の奥に藻の臭いが広がっていくような気がして、頭を振ってその幻想を振り払った。
◇ ◇ ◇
山と森に囲まれたこの湖には、とある逸話がある。神々の争いで荒廃したこの地を後世の神が目にし、その涙が湖となった、という話だ。この湖はほぼ完璧な円形をしている。それが神にのみ為せることだと思いたくなる気持ちもわかる。しかし、ユーリはその由来を知っていた。確信には至らないが、その形状が意味するところに薄々勘付いていた。ここで起こったことを知る者はほとんどいない。ユーリもそれを皆に教えるべきではないと思っている。知る必要は無いし、知ればきっと苦しむだけだろう。かつての自分のように。
この湖は、人間の罪の跡だ。
珍しく晴れている日だった。晴れているとは言っても空の半分は雲に覆われていたが、ここ数日はずっと曇りか霧雨だった。太陽を感じられるだけでもありがたく思えた。雲の間から伸びる光の柱が湖の向こうの山に射していた。ユーリは体を伸ばして、深く息を吸いこんだ。空気は水辺特有の匂いがした。意識の上に現れそうになる記憶の断片を追いやって、ユーリは現状を考えるように努めた。
「やっぱり落ち着かないな、敵地にいるっていうのは」とサラは言った。
「もう少しの辛抱だよ」ユーリは地図を眺めながら言った。
「本当にここに来るのか?」
「奴が進む予定の道を逆にたどってるんだ。ここに寄るのは間違いないさ。向こうの歩く速さも考えると、そろそろここに着くはずだ」
「じゃあ、ここで待ち伏せ?」
「ああ。そうするよ」
「もう野宿はしなくていいのか?」サラは目を輝かせた。
「無理だよ。ここは敵地だって、さっき自分で言ったじゃないか」
「帝国から逃げてきました、って一般人を装えば泊めてくれるんじゃないの」
「俺はともかく、そんなにジャラジャラ武装した一般人がどこにいるんだよ」ユーリはあきれ顔でサラの体を指差した。彼女は金属製の鎧に小さな盾と剣まで身に着けている。動きやすさを重視した軽装ではあるが、どう見ても一般人とは言い難い身なりだった。
「これは仕方ないじゃないか。あたしには必要なんだ」
「わかってるよ。だから宿は諦めてくれ」
サラは露骨に嫌な顔をした。だが、それ以上文句を言うほど子供でもなかった。通りそうもない状況でも自分の意見を声にするのが彼女だ。そしてそういう場合、彼女は言いたいことを言えば大人しく引き下がってくれる。
「これが終わったら、お前がやるような外の任務はもう無い。帰ったら安心できる場所で好きなだけ寝たらいいさ」
ユーリが野宿の算段を立てていると、サラが横から地図を覗きこんだ。
「しかしまあ、アイクって奴はよくやってくれたよね」彼女が見ているのは、おそらく地図に引かれた青い線だ。「革命軍の基地ぶっ壊して、情報まで持ってきてくれるなんてさ。おかげであたしたちは楽できてるんだし。さっさと片付けて、土産でも買って帰ろう」
「そう上手くいくといいんだが」
「え?」
「何でもないよ」ユーリは地図をたたんでコートのポケットに突っ込んだ。「油断しないようにな。アイクが寝返ってくれて大きく有利にはなったけど、標的が厄介な奴だってことは変わらない」
サラには言っていないことがある。アイクが寝返って、情報が自分たちに渡った。革命軍がそのことに気を回さないはずがない。それでも革命軍はレイドを送り出した。妨害が入るとわかりきっているのにだ。
狩られようとしているのは、自分たちかもしれない。
望遠鏡を覗いていたサラが肩を叩いた。
「ね、ねえ。ユーリ、あれ見てよ」彼女は血相を変えて、しかし声をひそめて言った。「あそこ。あの桟橋のところ」
サラが指差す先は、町のはずれにある桟橋だった。ユーリは押し付けられた望遠鏡でそこを見た。
「あれ、リオだろ。あたしの見間違いじゃないよな?」
桟橋の上に二人の男がいる。一人はどこか見覚えのある顔だった。少し小柄で、左目に傷がある。思い出した。あれが今回の標的だ。そのそばに座っている男、それは間違いなくリオだった。彼は何かを話している。緊迫したような様子は無い。
そのとき、レイドの目がこちらを向いた。ユーリは弾かれたようにサラの手を引いて草陰に隠れた。
「急に何すんのさ」
「わ、悪い」ユーリは望遠鏡をサラに返した。「リオの隣にレイドがいる。あいつに見られたような気がして」
「誰?」
「レイド。今回の標的だよ。名前くらい覚えてくれ」
「あの目つき悪い奴がそうなのか」サラは望遠鏡を覗きながら言った。
「おそろしく目がいいらしい。気付いてないといいが」
「それで、リオだよ」サラは望遠鏡を持った手をぶんぶんと振った。「あいつ、まだ生きてる。なんとか助け出さないと」
「……それなんだけどな」ユーリは桟橋に目をやった。しかし望遠鏡無しでは二人の様子はよく見えない。「あいつ、レイドと普通に話してる。拘束されてるわけじゃないし、ずいぶん落ち着いてるように見える。捕まってるわけじゃなさそうなんだ」
「まさか、寝返ったのか?」
「かもな」
サラは頭を抱えた。「嘘だろ。どうしてあいつが……」
「助けるにしろ始末するにしろ、聞いておきたいことはたくさんあるな」
「ま、待って。あたし、あいつと闘える自信無い」
「リオは俺が話をつけてくる。お前はレイドをやってくれ。それならできるだろ?」
サラは気持ちの整理がついていないようだったが、小さくうなずいた。
「じゃあ、頼んだ」
ユーリはそう言い残すと、すばやく湖の中に飛びこんだ。
サラが目の前までたどりついたとき、レイドはまだ町のはずれにいた。彼は少女と立ち話をしている。運が良かった。彼女が足止めをしていなかったら、町のど真ん中で戦うはめになるところだった。銃も剣も怖くはないが、無関係な人間を巻きこむのは気分のいいことではない。それに、あの少女――確かエリナという名前だった。彼女を捕獲しろとの命令もあったはずだ。それはユーリの仕事だったが、ここでまとめて片付けられればそれに越したことはない。
サラは舟小屋の陰に隠れ、肩から提げた袋から長い鎖を取り出した。息を殺して慎重に引き出していったが、それが紐に引っかかっていたことに気付かず、袋ごと地面に落としてしまった。その大きな騒音に、サラの心臓は縮みあがった。彼女はしばらく完全に息を止めていた。二人の声も聞こえない。気付かれただろうか。音を立てないように鎖を手に取り、そっと顔を出して様子をうかがった。
見えたのはこちらにまっすぐ向けられた銃口だった。エリナは迷いなく引き金を引いた。しかし銃弾はサラの額の前で止まり、そのまま地面に落ちた。
「面白いことしてくれるじゃない」
サラはそうつぶやいて鎖をエリナに向けて放った。鎖は空中で三つに分かれ、素早く少女の口と手足を縛り、サラの手元に持ってきた。エリナは身をよじったが、鎖は決して緩むことなく彼女の自由を奪っていた。
レイドは背中の剣を抜いた。足元でエリナが何か叫んだが、うまく聞き取れなかった。
「あんたがレイドだね?」サラも腰に差した剣を抜いた。「あたしはサラ。あんたの首を取りに来た」
「ご丁寧にどうも」とレイドは言った。「うちのお姫様を返してもらえないか」
ずいぶんと肝の据わったお姫様だ。さっき銃口を向けていたときのエリナの目を思い出し、サラは苦笑した。
「お姫様をさらえって、魔王様の命令なんだよね」
「じゃあ力ずくで取り返すよ」
レイドは距離を詰めて、剣を振りかぶった。なかなか素早い、とサラは感心した。この重い装備のままだと追いつけないかもしれない。左腕の小さな盾でそれを受け流し、彼女は数歩退いた。左腕が重くしびれた。あれは何度も受けていられない。加えて、彼が持つ剣に変化は見られない。思った以上に厄介な相手だ。
レイドの足元にある袋から三本の鎖が飛び出し、先端が槍の穂先のように形を変え、躍りかかった。彼は唇をきつく結んだまま動かなかった。襲いかかる刃がその体に触れようとした瞬間、糸を切られた操り人形のように地面に落ちた。
「効かないよ、それは」レイドは口元に笑みを浮かべた。
付け入る隙はある、とユーリが言っていたのを思い出した。
「あの能力はその性質上、単独では発動できない。正確には発動してるのかもしれないけど、それは誰にも……おそらく本人ですら、発動したのかはわからない。発見が遅れたのもそのためだろうな」
「話を聞く限り、そのどこに隙があるのかわかんないんだけど」
「つまり、まだあいつは異能を使うことに慣れてないんだ」とユーリは言った。「俺たちは何年も異能を使ってきた。でも、あいつは自分の能力に気付いて間もない上に、それを使う練習をすることも満足にできてない。厄介な能力ではあるけど、使いこなせないうちに攻めてしまえば、そこまで大きな脅威じゃない」
「……もし、戦ってる中で完全に使い方を覚えたら?」
ユーリは頭をかいた。
「もしそうなったら、勝ち目は薄いだろうな」
リオは一人で桟橋に座って、揺れる水面を眺めている。ユーリは水面の下から機をうかがっていた。リオが一人になり、彼の意識が湖から離れる一瞬を。
リオが立ち上がって湖に背を向けた。ここだ。ユーリはすぐに行動をとった。湖から離れすぎてはいけない。ユーリの手から放たれた波は湖岸に打ちつけ、水がリオの脚をからめ取り、彼を湖に引きずりこんだ。成功したかと思ったのも束の間、体が完全に湖の中に入る直前に、彼は激しい風に身を包んで束縛から逃れた。彼は上空に飛び上がると、敵の姿を探した。安全圏に逃げようとするのは彼の癖だ。このままだと逃げられてしまう。ユーリは湖から出て、水面の上に立った。ここまでは想定内だ。
ユーリの姿を認めると、リオはゆっくりと近づいてきた。しかし決して間合いには入らない。
「久しぶりだな。もう死んだと思ってたよ」とユーリは言った。
リオは何も言わない。
「サラもその辺りにいるはずだ。会ってみたらどうだ」
聞こえるのは、吹き荒れる風の音だけだ。
「一つだけ聞きたい」ユーリの足元で水面がさざめいた。「裏切ったのか?」
風は嵐のように激しさを増し、頭上から岩のようなねじれた空気の塊が降ってきた。ユーリの足元から噴き出した水柱がそれを迎え撃ち、両者ともはじけて消えた。新たな水柱が腕のように伸びリオを捕えようとするも、彼は風でそれを振り払ってさらに距離をとった。ユーリは水柱に乗ってそれを追った。
「逃げてばかりじゃ、俺は倒せないぞ」
ユーリは風の防壁を破ってリオの目の前まで迫った。しかし風が水柱を湖から切り離し、ユーリは支えを失ってよろめいた。
「無謀と勇敢は違うんだよ」リオは腰の短剣を抜き、攻撃の体勢をとった。
ユーリの足元の水塊が人間の形に変化し、隙だらけのリオの腹部を殴り上げた。風でいくらか防いだようだが、その衝撃が決して弱くないことを彼の表情は物語っていた。ユーリは再び湖上に降り立ち、リオは上空で脇腹を押さえていた。
「臆病と堅実も違うと思うな」とユーリは言った。「そこが安全じゃないってわかったか? 逃げたいのなら逃げ続ければいい。俺はどこまでも追いかけて、また一発くらわせてやるよ」
リオの風は手強い。攻撃をそらし、身をかわす道具になる。彼が防御を崩さぬまま闘えば、その身に傷一つつけることなく相手を疲弊させることができる。そうやって弱らせた相手を狩るのが彼の闘い方だ。暗殺には向いてない、とサラが評したことがあった。彼はたびたび標的を取り逃がしていた。
とにかく、彼に攻撃をさせることが必要だ。なるべく大胆な攻撃を誘って、その隙を突く。こちらの力が尽きる前に。
リオは短剣を両手に構え、急降下してきた。ユーリは二本の水の腕を放って応戦したが、リオは器用にその隙間を抜けて、さらに加速した。風で防ぐものと思っていたユーリはわずかに反応が遅れた。人型となった水がユーリの前にせり上がったが、その形成は不完全で、リオの強烈な風の一撃を受けて砕け散った。
丸腰のユーリに、武器を構えたリオが迫る。水では間に合わない。ユーリは左腕を盾にし、片方の刃を受けた。ユーリは苦痛に顔を歪め、リオは勝利を確信した笑みを口元に浮かべた。次の刃が致命傷を与えるべく鋭く光った。
そのとき、傷口から流れるユーリの血が、リオの両腕にからみついた。湖の水とは比べ物にならないほど速く強力に、それは彼の体の自由を奪った。先ほど身をかわされた巨大な水の腕が、背後からリオを捕えようと迫った。彼はそれに応戦すべく、周囲の空気に意識を伸ばした。しかし、そこはもうほとんど水の中だった。両腕を縛られていて、逃げることもできない。
ユーリはこの瞬間を待っていた。リオが接近し、攻撃のために風の防壁が薄くなる瞬間を。
リオは残されたわずかな風で抵抗したが、押し寄せる水は瞬く間に彼を空気から隔離した。水の腕はその両手でリオを包みこんだまま、夕焼けの空に掲げた。
「最後に日の光を見せてやるよ。暗い水の中で事切れるのは嫌だろう」ユーリはかつての友人を閉じこめた水の檻を見上げて言った。
リオはその手の中から脱出しようと激しくもがいた。しかし彼の体が空気に触れることはもう無い。
「今のお前の行動は、勇敢だったと思うよ。ただ残念ながら、俺のほうが上手だったな」
水をかく手から、力が抜けた。
「反逆は死罪だ。悪く思うなよ」
力なく開いた口から、最後の息がもれた。




