14. 夢幻
明晰夢というものをよく見る。これは夢だ、とわかっている夢のことだ。夢を意のままに操作することができる人もいるらしい。しかし、見たことがあるのはいつもどうしようもない夢だった。
こんなことが起こってしまう気がする。そんな予感がある。応えるように、夢はその未来へと進む。これが夢を操作していることだと言うのなら、それには成功しているのかもしれない。しかしそのほとんどは望まない未来だった。本当に操れるのなら、迷わず舵を切って避けてしまうだろう。目の前で繰り返されるまさに悪夢のような光景を、誰も望んで創り上げるはずがないのだ。
その予感は、時として現実にも顔を出す。明日には会えなくなるかもしれない。そんな漠然とした不安、輪郭がぼやけながらも確かに心をつかむ不安が、嘲笑うかのように現実のものとなる。それは死の臭いと似ていた。首筋を走る悪寒、殴られたように視界が揺れ、身体の末端が痺れる。やってしまった。そう後悔しても、もうすべては失われてしまっている。大切な人も、暖かな未来も、二度と戻らない。
現実か夢か、自分がどちらにいるのか、わからなくなることがある。夢の中でさえ悲劇に満ちている。レイドがたどりついた答えの一つが、「より悲惨なほうが、現実」だ。現実には、ミラはいない。彼女と星を見上げることもない。彼女が微笑むことも、たどたどしく話すこともない。「心の中に生きている」という馬鹿馬鹿しい言葉に生かされた幻影だけを残し、彼女は非の打ちどころもなく完璧に消えてしまった。ここは紛れもない現実なのだ。
しかし、ときどきわからなくなる。夢の中では、彼女と星を見ることができる。彼女の手に触れることもある。ただ、それだけだ。目の前にいるのに決して手が届かないと思い知らされている世界と、彼女が存在しない世界、一体どちらがより悲惨なのだろうか。
◇ ◇ ◇
薪の火はとうに消され、格子状にくすぶる赤い余韻も、そのほとんどが夜の闇に飲みこまれている。夜の森は、水の中に似ていた。いつか夢に見た水の中に。目を開いていても、何かの形をとらえることはほとんどできない。木の葉の囁きや、こだまのような鳥の声、ときどき聞こえるそんな物音からは敵意の響きを感じる。自然と息を殺している。見えない視線を常に感じる。静けさは耳の奥で大きなうなりとなって背筋を走り抜ける。些細な音が張りつめた緊張の糸を鋭く弾く。そして森は再び静けさに沈む。
レイドは大げさに息を吐いた。ため息に近かった。自分から出る音は心を落ち着かせた。焚き火の跡に残された熱はもう完全に消えていた。近くで寝ている二人の規則正しい寝息が少しずつ大きくなった。小さく寝返りをうつ音も聞こえる。
背後から猫の鳴き声がした。聞き覚えのある声だ。
「レイド、起きてる?」囁くような少年の声が聞こえた。
「うん」レイドは短く返事をした。声というより、うなりに近かった。
「よかった。いいものを持ってきたんだ」
レイドはシュウのいるあたりに目を向けた。一対の赤い目が闇に浮かんでいる。彼の手元には、赤黒い何かがあった。
「ネズミ?」
「正解」シュウは同時に鳴き声を上げた。
「猫みたいなことしなくていいから」
「猫なんだけどなあ」
シュウは取ってきた獲物を草の陰に隠した。
「あの話なんだけどさ……」シュウの声がする。
「もういいって」
「良くないよ」シュウは強く言った。「一度確かめさせてほしいんだ。害は与えない。ただ見せてくれればそれでいい」
心に異常がある。シュウの心に入った日の夜、彼はそう告げた。
「悩みとか……いや、違うな。何か思い当たることは無い?」とシュウは言った。
「何だよそれ。そんなにひどい心だったのか」
「うまく説明できないんだけど」シュウはもどかしそうに尻尾を振り動かした。「魂と心は、厳密に言うと違うんだ。すごく簡単に言うと、体の中に心があって、さらにその中に魂がある。あのときボクがやったのは、君の魂をボクの心の中に連れて来ること。まあ、簡単に言えば、だけど。それで、君の魂に触れたとき、異常を感じたんだ。君の魂じゃなくて、その居場所である心にね」
「異常って、どんな?」
「だから、うまく説明できないんだって」
「……わかったよ。俺はどうすればいい?」
「ボクを君の心に入れてほしい。そうすれば、何かわかるかもしれない」
レイドはシュウの提案に難色を示した。心に他人を入れる。想像するだけで、それには漠然とした不安があった。下着姿で街をうろつくような、食事姿をまじまじと観察されるような、落ち着かないものがあった。
しかし、それを抜きにしたとしても、彼を心の中に招き入れたくはなかった。見せてはいけない、暴いてはいけない何かの存在を感じていた。
「少し時間をくれないか」
「かまわないけど、早めに確かめたほうがいいよ。嫌な予感がするんだ」
「何も変わったことは無いけどなあ」
「これから出てくるかもしれない。変な夢を見たり、幻覚や幻聴があったら、隠さずに言ってよ」
レイドは動揺を顔に出さないようにしながら、そのときの会話を打ち切った。
炎に焼かれる夢を見たのは昨日のことだ。真夜中に、自分の叫び声でレイドは目を覚ました。その声は寝ていた全員を叩き起こし、驚いたハナが木を一つ切り倒す騒ぎになった。
その一件があり、シュウは朝からしつこく催促してきた。
「悪夢を見たなら、ちゃんと原因を調べないと」とシュウは言った。
「あれは前に死にかけたことがあったからだよ」
「それも心の異常に関係してるかもしれない」
「ああ、もう」レイドは大きなため息をついた。「わかったよ。満足するまでやってくれ」
昨晩よく眠れなかったことに加えて、今日は寝ずの番をさせられているレイドには、反論する気力が残っていなかった。
「じゃあ、目を合わせて」とシュウ。
レイドは足元に座っているシュウの目を見た。黒い毛は闇にまぎれてほとんど見えず、赤い目だけが浮かんで見えた。
「いくよ」
シュウの短い声とともに、すべての感覚が一瞬だけ途絶えた。森の闇や刺すような静けさを意識の外に置き去りにし、断片的な情景の急流に乗ったかと思うと、二人はどこかに投げ出された。
空は淡い青に、雲は淡い赤に染まっていた。薄まっていく色調が、夜の訪れを予感させる。しかし現実と違うのは、その色が失われることも取り戻されることも無く、昼と夜の狭間で時が止まってしまっていることだ。かすかに目にすることができる星の光は弱々しいままで、水平線にしがみついた太陽の名残は消えることなく留まっている。浜に押し寄せる波の音が聞こえる。岩壁に茂る短い草は潮風になびく。赤い雲はゆっくりと列を成して流れていく。その向こう側の世界だけが、移りゆく一瞬をとらえたままでいる。
奇妙な世界だった。見知らぬ空と、見知らぬ岩場。砂の感触も、のどの奥にまとわりつくような潮の匂いも知らないもののはずなのに、どれも妙に懐かしく思える。
頭のほうから、黒猫が歩いてきた。レイドは白い砂の上で体を起こした。
「綺麗だね」とシュウは言った。
「そうだな」レイドは目を細めて水平線から射す光を見つめた。
「心に現れる風景が綺麗でも、その心自体がそうとは限らないけどね」
「そこは嘘でも綺麗な心だって言ってほしかった」
水平線を見つめながら、もしかしたら朝なのかもしれないという考えが浮かんだ。しかし空の時が動くことはない。
「どこの景色なの?」
「わからない」
「わからない?」
「海は見たことが無いんだ。少なくとも記憶には無い。ずっと塀の中で生きてたし、あそこを出てからも山しか無かった」
心に強く根ざした光景が現れる。シュウが言っていたことだ。これは記憶に無いほど昔に見たものなのだろうか。それとも――。
シュウが袖に爪を引っかけた。
「ねえ、誰かいる」
波打ち際に、少女がしゃがみこんでいた。何かを波の中で揺り動かしている。淡い金色の髪が肩から滑り落ち、水に届きそうになる。その瞬間、彼女は顔を上げて振り向いた。目が合うと、嬉しさがにじみ出るようにその顔に広がった。彼女は波で洗った貝殻を持って歩み寄ってきた。
「エリナ?」シュウの驚きに満ちた声が聞こえた。
「違う」とレイドは言った。「あれはミラだ」
ミラはシュウの前にしゃがみこむと、彼の小さな頭をなでた。少し力が強すぎるのか、彼の体は上下に揺れている。
「お客さん?」と彼女は言った。
「うん。たぶん」とレイドは言った。
「ねこ、はじめて見た。かわいい」
ミラは巻貝の貝殻をシュウの頭に載せた。載せ方が悪かったのか、載せようとしたこと自体が無謀だったのか、貝殻は白い砂の上に音も無く落ちた。シュウはそれを前足でつついたりにおいを嗅いだりしていたが、その間も何度もミラの顔をのぞき見ていた。
「ねえ、座ろう」
ミラが指差す先には、色褪せたベンチがあった。この風景の中で、唯一見覚えのあるものだ。ミラはレイドの手を引いてベンチに腰かけた。シュウはミラの反対側の端で身を小さくしていた。
ミラの胸元で何かが揺れた。それは小さなペンダントだった。くすんだ銀の花は、わずかな夕陽をはね返し鈍い光を放っていた。
「それは?」とレイドは尋ねた。
ミラは問いの意味がわからないのか、小さく首をかしげた。レイドが自分の胸元を指差すと、彼女は初めてペンダントの存在に気付いたようだった。
「わからない」彼女は銀の花を手に取って眺めていたが、おもむろに長い紐を首から外すと、それをレイドの首にかけた。
「くれるの?」
「うん」ミラは微笑んだ。「レイドが持ってたほうがいい。そんな気がする」
そのとき、シュウが立ち上がった。
「何か流れてきたよ」
波にもまれて、黒いものが砂浜に打ち上げられた。さっきまではこんなものは無かった。レイドは恐る恐るそれに近付いた。
波の中にうずくまったそれは体を震わせ、小さくうめき声を上げた。人だ。全身にやけどを負っている。レイドが海から引き上げようと肩をつかむと、男はひどく痛がってその手を振り払った。その拍子に彼はあおむけに倒れた。レイドはその顔を見て息をのんだ。やけどは顔にも広がっていたが、男がルークであることはひと目でわかった。
「今度は誰?」立ち尽くすレイドにシュウは尋ねた。
「ルーク。帝国の異能使いだ」レイドは胸が苦しくなるのを感じながら答えた。口元や指先が痺れてくる。「こいつにやられて死にかけたことがある。でも、こいつは俺の目の前で死んだはず」
目の前で死んだ。レイドが自分のその言葉に引っかかるものを感じたとき、ミラが背後から現れた。彼女はルークの横にしゃがみこんで彼の顔を見つめた。顔にかかる長い髪のせいで、彼女がどんな表情をしているのかはわからなかった。ルークは全身を引きつらせ、顎をがくがくと震わせながら、不規則な呼吸をしていた。波が押し寄せ、ミラの小さな足と、ルークの大きな体にぶつかって白く泡を立てた。
ミラは息絶えようとしている者の額に手を当てた。彼の目をのぞきこもうとしているようにも見えた。
「痛かった? 苦しかった? ごめんなさい。ずっとここにいたのに、ずっと呼んでたのに、また気付いてあげられなくて」ミラはルークの顔を両手で包みこむように、その頬に手を添えた。「だいじょうぶ。もう苦しくないから。終わりにしてあげるから」
ルークが大きく息を吸いこんだように見えた瞬間、彼の体は白い閃光を放ち、無数の光の粒になってはじけた。炎のようにちらつく光は空に吸いこまれて消えていった。
ルークがいた痕跡が波にさらわれて消えたとき、ミラはゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。目の縁から大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女の視線の先にはあの星があった。その周囲で、赤い雲が形を変えながらうねっている。
「レイド、もう戻ろう」
背後でシュウが低くうなっていた。ミラはそれに気付くと、深く沈んだ赤い目を彼に向けた。シュウの威嚇の声が大きくなった。レイドは思わず後ずさりした。首筋に氷を当てられたような気分だった。これほどに強い畏怖の念に駆りたてられたのは生まれて初めてだった。
違う。俺の知ってるミラじゃない。
ミラが二人に向かって足を踏み出した瞬間、無数の黒い手が背後からレイドをつかみ、声を上げる間もなく意識を外の世界に引き上げた。吸いこむ空気は冷ややかな森のものに戻り、雲の隙間から月の光が射しこんでいた。フクロウの声と自分の呼吸音がやたら大きく聞こえた。
足元でシュウが鳴いた。
「大丈夫だった?」とシュウの声。
「ああ。大丈夫」
「ごめん。無理矢理こっちに連れ戻したんだ。あれ以上、あそこにいてはいけないような気がして」
「何かわかったか?」
シュウはうつむいて黙りこんだ。彼の尻尾の毛はまだ逆立っていた。
「あの女の子だけど」シュウは頭を振った。「いや。ごめん、なんでもない。少し時間をくれないかな。いろんなことが起こったから、整理がつかないんだ」
そう言い残すと、黒猫は森の奥に消えた。レイドはふと胸元に手をやった。ミラから受け取ったペンダントは、当然そこには無かった。
帝都に向かう道は、レオンの言うとおり、常に危険を感じざるを得ないものだった。あの基地を出てから二週間足らずで、革命軍が制圧した地域であるにも関わらず、すでに三回は襲撃を受けている。ハナとリオのおかげでこちらに被害は出ていないが、それも敵が少人数で、その中に異能使いがいなかったためだろう。これから先、危険が増すことは明らかだった。今からでもエリナだけはレオンのもとへ帰すべきだろうかと、レイドは考えはじめていた。
夜の見張りは、ハナとリオと三人で交代しながら続けていた。一夜を半分ずつ、二人で担当する。三日に一度は宵から朝まで眠れる夜が来る。もっとも、寝ていても警戒は欠かせないために、疲れが解消されることはなかったが。
リオは彼の異能を使って、周囲の風の動きを読んでいる。異変があればすぐに察知できる。ハナには広い視野と、その目に映るものを細かく見分けるための視力がある。レイドにも人並み外れた視力があるとはいえ、森の中は死角だらけだ。一番の敵は自分の想像力だった。見えないところに敵が隠れているのではないか。どこからか銃で狙われているのでは。実はほんの数メートルのところで息をひそめているのでは。あらぬ心配が神経をすり減らす。リオやハナには皆を守れるだけの強力な異能がある。自分はどうだ? ユノがもったいをつけて明かした自分の異能は、レイドにはさほど魅力的には思えなかった。そんなものがあったところで、何の役に立つんだ。レイドは危うくそう口にするところだった。しかし少なくとも、突然の襲撃から命を守ることには役立ちそうもない。
頼むから自分だけが起きているときに来ないでくれ。いつの間にかそう思っている自分に気付き、レイドは背中を預けている木に思い切り後頭部を打ちつけた。頭がぼおっとなるようなかすかなめまいがあり、鈍い痛みが遅れてやってきた。弱気になってはいけない。圧されてはいけない。幻影におびえる必要はない。見えるものだけを見ていればいい。何かがあればできることだけすればいい。きっと求められているのもそれだけだ。
闇に沈む空間をじっと見つめながら、レイドは余計なことを考えないように、かつてユノから受けた講義の内容を頭の中で繰り返していた。異能の基本的な仕組み。その分類について。より効率的な使用法。並べられた事実と理論をひたすらなぞっていく。それはさながら、なんとか教徒の修行のようだった。孤独に、無心に、真理と呼ばれるものを呪文のように繰り返して、平穏を見出すのだ。
レイドの指がぼろぼろになった地図の上を滑った。
「明日にはこの湖のそばにある町に着く。帝国はもうこの辺りを放棄してるけど、一応ここまでが革命軍が占拠した場所らしい。この町から先は帝国の領土だ。ここで数日、体を休める手はずになってる。一度ハナがレオンのところまで行って、伝言をもらってくるのを待つ時間だな」
「私は伝書鳩じゃない、ってハナが怒ってるよ」シュウは笑いまじりに報告した。
「文句はレオンに言ってくれ」レイドもつられて笑った。「それにしても、こんなに頼もしい伝書鳩は他にいないだろうな」
ハナは誇らしげに胸を張ったように見えた。とりあえず褒めておけば彼女の機嫌を損ねることはないとレイドは学んでいた。
「全体としては、あとどれくらいだ?」とリオは尋ねた。
「単純な距離と時間で言えばあと三分の一ってところだけど、気持ちとしては中間地点ってところかな。帝国領じゃ何があるかわからないし」
「やっとまともな場所で寝られるんだ。屋根があって、見張りもしなくていい。早くそこに着きたいもんだ」
「焦らずに行きましょう」エリナは足ではさんだ銃の手入れをしながら言った。彼女が身を護るためと言って、襲撃してきた帝国兵から奪ったものだった。その銃は彼女の身長よりほんの少し短いくらいの長さがあり、はたして体の小さいエリナがそれを使いこなせるのかはわからなかった。「急いでもそんなに早く着くわけでもないですし、よほどのことが無ければ明日のうちには着くんですから」
「焦ってなんかないだろ」
リオは熱心に作業をする少女をにらんだ。エリナは手を止めてその視線に応えたが、すぐに自分の仕事に戻った。彼らの仲があまり良くないことに気付いたのはつい最近だ。彼らの不和が目につくくらいに表面化しだしたのが最近だと言ったほうが正確かもしれない。大抵はリオがかみつくが、エリナからも彼を疎ましく思っているのが伝わってくる。
シュウが不機嫌そうに尻尾を振っているのが見え、レイドは手を叩いてリオをいさめた。
「じゃあ、今日はこのくらいで。リオ、火を頼む」
レイドの言葉が終わると同時に、二匹の異能使いは静かに森の中に消えた。食事のためだ。レイドは黙々と自分の目の前だけを見つめているリオとエリナに目をやり、少し迷った末に腰を上げ、森の奥に入った。
どれだけ目を凝らしても、シュウの姿は見当たらなかった。どこかで狩りをしているのだろう。見つからないのは当然だった。諦めて戻ろうか。そう考えたとき、背後から足音が聞こえた。
「ひどいじゃないですか。あの場に置いて行っちゃうなんて」とエリナは言った。
レイドは内心ぎくりとしたが、彼女がそれほど腹を立ててはいない様子だったため、ほっと胸をなでおろした。「ごめん。軽率だった」
「こんなところに来て、どうしたんですか? まさか私たちをあそこに残すためじゃないですよね」
「違うよ。シュウを追いかけようと思ったんだ」
「シュウを?」
「前まではうっとうしいくらい話しかけてきたのに、最近は最低限の話しかしなくなったんだ。それに、聞きたいこともある」
「私にはむしろ話しかけてくるようになったのに。何かあったんですか?」
「まあ、いろいろとね」レイドは森の奥を一瞥した。「あいつは見つかりそうにないな。戻ろうか」
レイドはエリナの横を通り過ぎて野営地に向かったが、彼女がついてこないことに気付いて、後ろを振り返った。彼女は真剣なまなざしをレイドに向けていた。悲哀が皮膚の底からにじみ出ているような悲しげな表情に、既視感を覚える。
「ずっと聞きたかったことがあるんです」彼女はゆっくりとそう言った。言うべきか否かを考え抜いた挙句に、決めきれないまま口から流れ出てしまったかのような言葉だ。「私といると、思い出しますか?」
エリナがあえて自分からその名前を口に出そうとしないことは、レイドにもわかった。
「ミラのことか?」
「はい」
エリナが目を伏せるさまは、やはりミラによく似ていた。胸の奥で焼けつくような小さな痛みが広がっていくのを感じた。二人は暴力的なまでに似ている。仕草もしゃべり口調も違うのに、その姿や声は記憶をゆすり起こし、結びつけさせる。
「思い出すよ」レイドは可能な限り冷静な声で言った。「いつも思い出す。今だってそうだ。これはどうしようもないことなんだよ。だけど……」
レイドが言葉を切ると、エリナは目を上げた。その目が見開かれると同時に、背中に殴りつけられたような衝撃を受けた。胸の中の空気が絞りつくされたように抜け、レイドはその場に倒れた。咳こむと血が落ち葉に黒い斑点をつけた。胸に触れた手は真っ赤になっている。背後から撃たれたんだ。レイドはとっさに腕で上体を上げ、エリナの姿を探した。彼女は直立したまま銃を構え、狙いを定めていた。
「伏せろ」とレイドは叫んだ。しかし声はかすれてほとんど音にならなかった。
エリナのすぐ横で木の肌が弾けた。彼女は微塵の動揺も見せずに正確に相手を撃ちぬいた。背後で何かが坂を転がる音がした。同時に、大量の木の枝が降ってきた。森の上を飛ぶハナが、敵を障害物もろとも攻撃しているのだ。四方から悲鳴が聞こえ、しばらくすると彼女の猛攻は止んだ。降り積もった枝の中から恐る恐る顔をのぞかせると、レイドとエリナのいる場所を残して、周囲は竜巻が通り過ぎたかのように荒廃していた。彼女が味方でよかった。レイドは心からそう思った。
エリナは枝の山から這い出して、レイドに駆け寄った。
「大丈夫ですか」枝を除けながらエリナは言った。
「胸を撃たれた」レイドはあえぎながら声を絞り出した。
枝の中から抜け出すのに手間取っていると、ハナの刃が乱暴に枝を弾き飛ばした。エリナは悲鳴を上げて尻餅をついた。
「もっと丁寧にやってください」エリナは澄ました顔で降りてきたハナにそう言うと、小さな枝葉を手で払い、レイドの傷口に触れた。「わかりますか、レイドさん。今、治しますからね。弾は体に残ってますか?」
レイドは首を振った。声は出せそうになかった。
エリナの手から流れる温かい空気が傷口を満たした。呼吸が楽になってくる。痛みもすぐに引いた。
「終わりました。苦しくないですか?」とエリナは言った。
「大丈夫。ありがとう」レイドは確かめるようにゆっくり呼吸をした。「ちなみに、弾が残ってたらどうなってた?」
「ええと、そうですね」エリナはまじめな顔で答えた。「ハナに傷口を広げてもらって、手を突っこんで――」
「ああ、わかった。銃には気を付けるよ」
エリナは立ち上がり、銃に弾を装填した。「ハナは敵が残っていないか、上から確認してください。私たちも下で見てみます」
ハナは黙って飛び立った。二人はレイドを撃った者がいたあたりに向かった。その男は斜面を少し下ったところに倒れていた。息があるが、もう長くはない。レイドの死の嗅覚がそう伝えていた。
「どうする?」とレイドは尋ねた。
「とりあえず、聞くだけ聞いてみましょう」エリナは男の喉元に銃をつきつけた。「帝国の方ですよね。話せますか?」
男は黙ったまま銃を構える少女をにらみつけていた。エリナは男の脚を撃った。重い音と共に、新しい弾が装填される。
「仲間は何人いますか?」
エリナの声は男の雄叫びにかき消された。もがく男の手は体の下の銃に伸び、それをつかんで銃口をエリナに向けた。彼女は慣れた手つきでそれを払い、男の胸に銃口を押しつけ、引き金を引いた。
しばらくの間、誰も動かなかった。エリナはため息をついて、銃を下ろし、男に小さく頭を下げた。
「行きましょう、レイドさん」
男の荷物から奪った弾を見つめ、エリナはそう言った。




