EP 8
ゴルド商会のニャングルと、経費という名の暴力
その猫は、煙管をふかしながら入ってきた。
二足歩行の獣人。身長は俺の腰ほど。仕立てのいい三つ揃えに、金鎖の懐中時計。片手に革の鞄、もう片手に金製の煙管。
「毎度おおきに。ゴルド商会ゴールドランク、ニャングルと申します」
関西の訛りだった。この世界の言葉で、なぜか関西の訛りだった。もう驚かない。
「嘆きの荒野交番、巡査長のリオンです」
「知ってますがな。緩衝地帯で三十人縛り上げた交番言うたら、ここしかおまへん」
ニャングルは応接用の椅子に飛び乗り、鞄を膝に置いた。
「ほんで。うちに帳簿を売りたい、と」
「情報提供です。買い取っていただければ、それはそれで」
「ええ度胸や」
猫は、煙管をくわえたまま笑った。
目は一ミリも笑っていなかった。
◇◇◇
ニャングルは、押収した帳簿を三十分で読んだ。
ページをめくる速度が、途中から明らかに変わった。最初はぱらぱらと流していたのが、二十ページ目あたりから一枚ずつ止まるようになり、五十ページ目で完全に止まった。
「……巡査長さん」
「はい」
「これ、どこまで見ましたん」
「上納先が伯爵家、というところまでです」
「そこは入り口ですがな」
ニャングルは煙管を灰皿に置き、鞄から算盤を取り出した。
猫の手が、動いた。
残像が出た。
「はい。三年分、締めました」
「早いですね」
「これで飯食うてますんで」
ニャングルは、算盤を机に置いた。
「ポポロ村から吸い上げた総額、銀貨百三十万枚。日本円換算で十三億」
俺は、湯呑みを取り落とすところだった。
「……十三億」
「そのうち七割が、上に流れとります。九億ちょい」
「山賊三十人が集めた金額としては」
「多すぎますな」
ニャングルは、指で帳簿の隅を叩いた。
「そらそうですわ。村からの上がりだけと違うんです。この帳簿な、ポポロ村以外の集落の記録も混ざっとる。緩衝地帯全域で、同じ商売を十七箇所で回しとります」
「十七」
「サブスクいうんは、そういうもんですわ。一箇所で型を作ったら、あとは横に貼るだけ」
俺は、背もたれに体を預けた。
佐藤タケルが作ったのは、山賊団ではなかった。チェーン本部だった。
「ほんで、ここからが本題ですわ」
ニャングルは、帳簿の最後の束をめくった。
「この九億、アルディス伯爵家に全額入っとるわけやおまへん」
「え」
「伯爵家は受け皿ですわ。一旦入れて、名目を洗ってから、別のとこへ抜けとる」
猫の指が、押印のページで止まった。
「巡査長さん。この家、三年前に何かありましたか」
俺は、記憶を辿った。
「……長男が、王都の官職を買っています」
「なんぼで」
「知りません。ただ、爵位を一つ上げる話が出ていたと」
「ああ」
ニャングルは、深く煙を吐いた。
「そらもう、絵に描いたような転がし方ですわ」
◇◇◇
説明を聞き終えるのに、一時間かかった。
要するに、こういうことだった。
アルディス伯爵家は、緩衝地帯という「誰も監査に来ない土地」を金の洗い場にしていた。山賊のみかじめを一度領地収入として計上し、そこから官職購入と爵位工作の資金に回す。表向きは真っ当な農業収入だ。
そして、その資金繰りを維持するために、家は毎年もっと多くの金を必要とするようになっていた。
「典型ですわ」
ニャングルは、算盤の玉を弾いた。
「爵位上げる言うんは、一回こっきりの買い物と違います。上がったら上がったで、格に見合う屋敷と、社交と、寄進が要る。固定費が増えますねん。ほんで、増えた固定費を払うために、また汚れた金が要る」
「……走り続けるしかない」
「そうですわ。自転車操業」
猫は、俺の顔を見た。
「巡査長さん。あんさん、それ、止めましたな」
「止めました」
「十七箇所のうち、どこ潰しました」
「西の廃坑一箇所です」
「本部ですやろ」
ニャングルが、にやりと笑った。
「価格設定も、契約書の雛形も、取り立ての手順も、全部あそこで作っとりました。あそこ止めたら、残り十六箇所は数字の出し方が分からんようになります。三ヶ月で全部崩れますわ」
俺は、黙って帳簿を見た。
俺がやったのは、二十二分の逮捕劇と、五日分の書類仕事だけだ。
それが、九億円の流れを止めた。
「……自覚、なかったんですけど」
「そらそうですやろ」
ニャングルは、煙管を灰皿に打ちつけた。
「あんさん、給料なんぼですのん」
俺は、答えた。
「手取り十四万です」
猫の動きが、止まった。
しばらく固まってから、ニャングルはゆっくりと煙管を置いた。
「……もう一遍、言うてくれはります?」
「月十四万円です。家賃と食費と光熱費が引かれた後なので、実質は悪くないです」
「悪くないですかァ!?」
猫が、椅子の上で立ち上がった。
「九億の犯罪組織潰して十四万!? 成功報酬なしですか!? 残業手当は!? 危険手当は!? 三十人拘束したら普通は一人頭で歩合つきますやろ!」
「そういう制度がないので」
「労働基準どこですのん!」
「大宇宙管理局です」
「遠いわ!」
ニャングルは頭を抱えて、椅子にへたり込んだ。
それから、じっと俺を見上げた。
金勘定の目だった。
「……巡査長さん。うち、正直に言いますわ」
「はい」
「この情報、うちにとっては金鉱ですわ。伯爵家の資金繰りが三ヶ月で詰むて分かっとるんやから、今のうちに債権買い叩いて、詰んだとこで回収したら、うちは軽く倍にできます」
「どうぞ」
「……どうぞ?」
「合法ですよね」
「合法ですけど」
「なら、こちらから言うことはありません」
ニャングルは、しばらく口を開けていた。
それから、煙管をくわえ直して、深く息を吸った。
「あんさん、ほんまに欲がないんですな」
「ありますよ」
俺は、給湯室のボタンを押した。
チーン。
配膳ボックスから、湯気を立てるカツ丼が出てきた。
「これが毎日、無料で食えます」
ニャングルは、丼を見た。
それから、鼻をひくひくさせた。猫の鼻が、出汁の匂いを捉えている。
「……それ、原価なんぼですのん」
「ゼロです」
「ゼロォ!?」
「維持費に含まれてるので」
「それ、そっちのがよっぽど金鉱ですがな!」
◇◇◇
ニャングルは、結局、丼を三杯食べて帰った。
帰り際、玄関先で振り返って言った。
「巡査長さん」
「はい」
「今日の情報料、いくら払うたらよろしいですか」
「要りません」
「うちは商人ですねん。タダで貰たら寝覚めが悪い」
俺は、少し考えた。
「じゃあ、一つだけ」
「なんですやろ」
「三十人分の調書、清書が終わってません。数字が合ってるか、見てもらえますか」
ニャングルは、しばらく無言だった。
それから、盛大にため息を吐いた。
「……あんさん、ほんまに書類のことしか頭にないんですな」
「一番大変なんですよ、そこが」
「わかりました。やりますわ」
猫は、鞄から新しい算盤を取り出した。
「ほんで、その代わり一つ聞かせてください」
「はい」
「あんさん、なんでアルディス伯爵家の名前見た時、脈が跳ねましたん」
俺は、手を止めた。
ニャングルは、煙管の先をこちらに向けた。
「うち、商談中はずっと相手の首見てますねん。動脈の動きで、どこで嘘つくか分かりますから」
「……商人の技術ですか」
「取り立ての技術ですわ」
俺は、湯呑みの底に残った茶を見た。
それから、答えた。
「俺の旧姓です」
猫の耳が、ぴくりと動いた。
しばらく、何も言わなかった。
「……ああ、そら」
ニャングルは、算盤を鞄に戻した。
「そら、うちが手ぇ出したらあきませんな」
「どうぞ、やってください」
「よろしいんですか」
「俺は、伯爵家に何もしません」
俺は、証拠品袋を机に置いた。
「管轄内の犯罪を、手続き通りに処理するだけです。そのあと誰がどう転ぶかは、俺の管轄外なので」
ニャングルは、俺をじっと見た。
それから、口の端を吊り上げた。猫の笑い方だった。
「……こわ」
「え」
「あんさん、いっちゃん怖い人ですわ」
◇◇◇
三日後。
ゴルド商会がアルディス伯爵家の債権を、額面の四割で買い集め始めたという報せが、ポポロ村に届いた。
同じ日、俺の交番には、村の集会所から回された三十人分の清書済み調書が積み上がっていた。
その一番上に、ニャングルの字でメモが貼ってあった。
「数字、全部合うてます。書類、ええ出来ですわ。——ほんで、伯爵家の分は別紙にまとめときました。いつでも使えるように」
俺は、別紙を開かずに、証拠品保管室の棚に仕舞った。
まだ、そのときではない。
外では、赤色灯がくるくると回っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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