EP 6
暴行しない券と、村長の兎耳
村長邸の応接間は、思ったより質素だった。
木の机と、椅子が四脚。壁には歴代村長の肖像が並んでいるが、一番端の額縁だけ、絵が外されて裏返しになっている。
第四十二代、ロップ。
「あれ、燃やそうって声もあったんですけど」
キャルルが、人参ジュースの瓶を三つ抱えて入ってきた。
「マンミアさんが、証拠品だからやめろって」
「賢明です」
俺は書類を机に広げた。
昨夜押収した名簿。世帯ごとの支払い記録が、几帳面な字で並んでいる。
「これ、説明してもらえますか」
キャルルは、瓶の蓋を親指で弾いて開けた。
「『暴行しない券』です」
「券」
「山賊が各家庭を回って売るんですよ。今月この券を買えば、うちの組はお宅を襲いません、って」
俺は名簿をめくった。
家族割引。四人以上の世帯は一人あたり二割引き。
子供青春割引。十八歳未満の子供がいる家庭は、子供への暴行とカツアゲが完全免除。
「……学割まであるんですね」
「ええ。よくできてるんです、悔しいことに」
キャルルは人参ジュースを一口飲んだ。
「安いんですよ。月に銀貨八十枚。一回襲われて納屋を焼かれたら、被害はその十倍です。だから、みんな払う。払ったほうが得だから」
「自警団は」
「勝てます」
キャルルは、あっさり言った。
「うちの自警団なら、山賊三十人くらい三十分で消し炭にできます。戦車もありますし」
「じゃあ、なぜ」
「そのあと、どうするんですか」
真紅の瞳が、まっすぐこちらを向いた。
「消し炭にしたら、次の組が来ます。もっと大きい組が。ここは緩衝地帯ですよ、リオンさん。どこの国の軍も来ない代わりに、どこの国の悪党も入り放題なんです」
俺は名簿から顔を上げた。
「三十年、そうやって回してきたんです。券を買って、襲われないようにして、我慢できないくらい酷いのが来たら、自警団が出て、跡形もなく消す。で、次の組が来るまでの数ヶ月が平和」
キャルルは、人参ジュースの瓶を机に置いた。
「これが、私の村の『安全』です」
◇◇◇
ロップの話になったのは、二本目の瓶を開けたときだった。
「積立金があったんです」
「積立金」
「『暴行しない券』の共同基金。各家庭が毎月出し合って、貧しい世帯の分も村がまとめて払う。払えない家が襲われると、結局村全体が損をするので」
合理的だ、と思った。
狂った制度の上に、まっとうな相互扶助が乗っている。
「総額で、数千万円ありました」
「あった」
「ロップさんが、全額解約して持って逃げました」
キャルルは、裏返された額縁を見た。
「隣町のゲートボール大会で、魔族の未亡人と知り合って恋に落ちて。新聞記者に横領疑惑を突撃されたときは、空を見ながら口笛を吹いて『ワシは知らん』の一点張りで。取材の三時間後には、飛行船のファーストクラスに乗ってました」
「……行動が早い」
「七十歳なんですけどね」
キャルルは笑った。笑ったが、目が笑っていなかった。
「それで、私が村長になりました。去年の春です」
「なぜ、あなたが」
「押し付けられたんです」
兎耳が、ぺたりと垂れた。
「私、レオンハート獣人王国の第三姫だったんですけど。籠の鳥が嫌で、王宮を飛び出して、ここでフリーターをやってたんですよ。朝は畑の手伝い、昼はタローマン、夜は酒場の給仕。楽しかったんです、本当に」
「それが」
「村長が逃げて、金庫が空になって、誰も引き受け手がいなくて。マンミアさんが『元王族なら統治の心得があるだろう』って」
キャルルは、両手で顔を覆った。
「……無いですよ、そんなの。私、姫だっただけで、王じゃなかったんですから」
◇◇◇
三本目は、開けなかった。
キャルルは、机に肘をついて、しばらく黙っていた。
白い兎耳が、力なく垂れている。あれは感情に連動して動くらしいので、隠し事ができない種族だ。不便だな、と思った。
「リオンさん」
「はい」
「村長になって最初の仕事、何だったと思います?」
「……判決ですか」
「はい」
キャルルは、手のひらに視線を落とした。
「盗みを働いた子でした。十六歳。親がいなくて、腹が減って、パン屋から三つ盗んだんです。掟だと、それでも鉱山送りです」
「送ったんですか」
「送りました」
声が、ほんの少しだけ掠れた。
「送らないと、掟が崩れると思ったから。次の日から『村長は甘い』って噂が立って、もっと大きいのが盗みに来ると思ったから。……だから、送りました」
キャルルは顔を上げた。
「そうしたらね、リオンさん」
「はい」
「村のみんな、安心した顔をしたんです」
兎耳が、震えた。
「私、その顔が、ずっと怖いんです。人を一人、地下の鉱山に沈めて、それでみんなが安心する。それが正しいって、この村では正しいって、全員が思ってる」
沈黙が落ちた。
窓の外で、農夫が魔導誘導バズーカを磨いている。麦の穂が風に揺れている。子供が走っている。
平和な村だ。
その平和は、鉱山の底に沈めた人間の数の上に建っている。
「……村長」
「はい」
「一つ、訂正させてください」
俺は、机の上の名簿を指で叩いた。
「昨日の男は、鉱山に送っていたら何も分からないままでした。でも、取り調べたから、自警団の巡回情報が漏れていたことが分かった。村が襲われる前に防げた」
「……はい」
「つまり、怖がらせるより、話を聞いたほうが村は守れる」
キャルルが、顔を上げた。
「だから、怖がらせない方法をやりましょう。書類で」
「書類、で」
「はい。地味ですよ。全然かっこよくない。逮捕して、調書を取って、証拠を揃えて、量刑を決める。一人につき三日はかかります」
俺は立ち上がった。
「でも、鉱山に沈めるより、たぶん村が長持ちします」
キャルルは、しばらく俺を見ていた。
それから、垂れていた兎耳が、ゆっくりと持ち上がった。
「……三日、ですか」
「はい」
「三十人だと、九十日?」
「並行してやるので、十日くらいかと」
「その間、ごはんは」
「うちの交番、三食出ます」
キャルルが、噴き出した。
「タダですか」
「維持費に含まれてます」
「……リオンさん、それ、村の負担ゼロってことですよね」
「そうなりますね」
キャルルは、しばらく肩を震わせて笑っていた。
笑い終わると、彼女は立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。
「ポポロ村第四十三代村長、キャルル・ムーンハートとして、正式に依頼します」
兎耳が、ぴんと真上に立っていた。
「西の廃坑の山賊団を、逮捕してください」
◇◇◇
その日の深夜。
西の廃坑の前に、俺たちは並んで立っていた。
左に、マンミア。左腕のシールド『アグニ』に炸薬カートリッジを装填済み。右手には超硬度のミスリル鎖『メビウス』を巻いている。
右に、キャルル。パーカーのフードを上げて、両手にダブルトンファー。
後ろに、ゴーレム君。
「では、作戦を確認します」
俺は、廃坑の見取り図を広げた。
「第一に、殺しません」
「……巡査長。相手は三十人だぞ」
「三十人、生かします」
マンミアが唸った。
「第二に、こちらから先に手を出しません。まず投降を呼びかけます」
「賊にか」
「はい。応じなかった事実が要るので」
「……手続き、というやつか」
「はい」
俺は閃光弾のピンに指をかけた。
「第三に、俺が前に出ます。殴られるのは俺の仕事なので」
キャルルの兎耳が、ぴくりと動いた。
「リオンさん」
「はい」
「私、これでも百メートル五秒台なんですけど」
「知ってます」
「じゃあ、私が前でいいじゃないですか」
「村長が怪我したら、村が困ります」
「…………」
キャルルが、フードの中でうつむいた。
白い耳が、ぴくぴくと細かく震えている。
「マンミアさん」
「はい、村長」
「今の、聞きました?」
「……聞きましたが」
「私、村長だから前に出るなって言われたの、初めてです」
「村長。今は作戦中で」
「マンミアさん。私、今すごく、」
「村長ォ!」
俺は二人を無視して、廃坑の入り口に向かって歩き出した。
拡声用の魔導具を口元に当てる。
「——ポポロ村緩衝地帯、嘆きの荒野交番。巡査長のリオンです」
声が、岩肌に反響して広がっていく。
「恐喝および組織的な暴行の容疑で、全員に出頭を求めます。抵抗しなければ、誰も殺しません。繰り返します。抵抗しなければ、誰も殺しません」
沈黙。
それから、廃坑の奥で、三十人分の足音が一斉に立ち上がった。
怒号。刃の擦れる音。
「出てきました」
俺は魔導具を下ろし、閃光弾を抜いた。
「——応じませんでした。以上、記録」
◇◇◇
二十二分だった。
閃光弾が坑内で三度炸裂し、白光が岩壁で乱反射した。目を潰された賊が壁にぶつかる音。そこへ催涙が入る。
狭い坑道は、逃げ場がない。俺はそれを知っていたから、あえて中に入れたまま制圧した。
飛び出してきた者は、マンミアの鎖『メビウス』が絡め取った。ケンタウロスの牽引力は文字通り桁が違う。逃げようとした賊が、地面を引きずられて戻ってくる。
側面から回り込もうとした一団には、キャルルが跳んだ。
垂直跳躍二十メートル。上から降ってきて、トンファーで顎を掬い上げる。月影流、顎砕き。全員、綺麗に意識だけを刈られて倒れた。骨は折れていない。
ゴーレム君が、倒れた賊を丁寧に一箇所へ運んで並べていく。
「ピー。整列完了デス」
「ありがとう。番号つけてくれ」
「ピー」
俺は最後に残った一人を、大外刈りで転がして手錠をかけた。
「二十二分。……時刻、記録します」
◇◇◇
押収品は、坑道の奥の部屋にあった。
金庫が三つ。中身は銀貨と銅貨の山。それから、革表紙の帳簿。
賢者君に照合させる。
『「暴行シナイ券」ノ売上残額。銀貨約四万枚相当。ポポロ村ヨリ徴収サレタ総額ノ、約三割』
「残り七割は」
『上納サレテイマス』
俺はページをめくった。
上納先の欄。日付ごとに、几帳面な字で金額が書き込まれている。
そして、各ページの隅に、印が押されていた。
三本の剣と、天秤を組み合わせた紋章。
十七年間、一度も忘れたことがない。
三歳の俺が追放を言い渡された広間の、正面の壁に掲げられていたもの。
「……リオンさん?」
キャルルの声がした。
彼女はすぐ隣に立って、俺の顔を見上げていた。
白い兎耳が、こちらへぴたりと向いている。
月兎族は、相手の心音と血流のノイズを拾う。
今、俺の心臓がどう鳴っているか、この女には全部聞こえている。
「……なんでもありません」
「……はい」
キャルルは、それ以上何も聞かなかった。
ただ、ポケットから飴玉を一つ取り出して、俺の手に握らせた。
「甘いの、食べたほうがいいですよ。今のリオンさん、音が変です」
俺は帳簿を閉じ、証拠品袋に入れた。
「村長」
「はい」
「この帳簿、コピーを取って、ゴルド商会に売っていいですか」
「……え?」
「三十人分の書類を書く人手が要ります。あと、たぶん、金の流れを読める人間が」
俺は袋の口を縛った。
「明日、商人を一人呼びます」
読んでいただきありがとうございます。
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