EP 5
即決司法と、手取り十四万の異物
ポポロ村の入り口を抜けると、いつも同じ光景が目に入る。
黄金色の麦畑。風にそよぐ穂。麦わら帽子をかぶった農夫が、畦道にしゃがみ込んで何かを丁寧に磨いている。
鍬ではない。
魔導誘導バズーカだ。
「よう、おまわり」
農夫が片手を上げてくる。俺も上げ返す。バズーカの発射筒に、油を染み込ませた布が突っ込まれていた。
その奥、脱穀場の脇に、鈍色の巨体が停まっている。Type-100魔導戦車。二両。この村ではトラクターの代わりに使われていて、田起こしの季節になると本当に畑を走る。
そして戦車の砲身の前に、一人の女が立っていた。
上半身は鎧を着た女性。下半身は栗毛の馬。
「巡査長」
ケンタウロス種、マンミア。ポポロ村自警団の最高責任者だ。元ルナミス帝国辺境騎士団長、二十五歳。
「パトロールご苦労様です。今日は何も——」
彼女は左腕の大型シールド『アグニ』に、炸薬カートリッジをガシャンと装填しながら言った。パイルバンカー式だ。ゼロ距離で杭を撃ち込んで心臓を貫く。
「——ありませんでした、と言いたいところなんですが」
◇◇◇
広場に、人だかりができていた。
村人が三十人ほど。誰も騒いでいない。それが逆に嫌な感じだった。
人垣の中心に、縄で縛られた男が転がされている。三十がらみ。顔に痣があるが、致命的な怪我はない。
その前に、一人の少女が立っていた。
銀白色のショートボブ。頭頂部で、長い白い兎耳がぴくりと動く。オーバーサイズのパーカーにショートパンツ、動きやすいスパッツ。足元は、タローマンで特注したという妙に厚底の安全靴。
ポケットから飴玉を取り出して、足元の子供に渡しているところだった。
「はい、これ。あっち行って遊んでてね」
子供が走り去るのを見届けてから、少女はこちらを向いた。
真紅の瞳。
「あ。リオンさん」
キャルル・ムーンハート。二十歳。月兎族。
そして、ポポロ村第四十三代村長である。
「おはようございます。ちょうどよかった、今から判決なんですよ」
「……判決」
「はい」
キャルルは縛られた男を指さした。
「昨夜、村の備蓄庫からサンライスを三袋盗みました。見回りに見つかって逃走、取り押さえられて現在に至ります。本人は認めています」
「弁護人は」
「え?」
「取り調べの記録は」
キャルルは、きょとんと首を傾げた。
兎耳が、一度だけぴょこんと動く。
「本人が認めてますよ?」
「……そうですか」
「では」
キャルルは息を吸い、広場によく通る声を出した。
「ポポロ村の掟により、被告人を窃盗と認定します。処分は、ドンガン地下鉱山での強制重労働。執行は本日中」
村人が、揃って頷いた。
反対の声は一つもなかった。
男が、初めて暴れた。喉から潰れたような音を出して、地面を蹴って身をよじった。
「待ってください」
俺は、人垣を割って前に出た。
◇◇◇
「それ、私刑です」
広場の空気が、音を立てて変わった。
三十人の視線が一斉にこちらを向く。マンミアの蹄が、かつん、と石畳を鳴らした。
「巡査長。今、なんと」
「裁判なしで人を鉱山送りにするのは、刑罰ではありません。私刑です」
「……本気で言っておられるのか」
マンミアの左腕が、わずかに動いた。シールドの角度が変わる。
俺は動かなかった。
「本気です」
キャルルは、まだ微笑んでいた。
だが、兎耳はもうぴくりとも動いていない。真上を向いたまま、固まっている。
「リオンさん」
「はい」
「じゃあ、誰が裁くんですか」
柔らかい声だった。それがかえって、鋭かった。
「ここ、どこの国でもないんですよ。ルナミス帝国の法も、獣人王国の法も、魔皇国の法も届かない。届かないから、誰も来ない。誰も来ないから、盗まれても殺されても、泣き寝入りするしかない」
キャルルは一歩、前に出た。
「三十年、そうだったんです。だから村は掟を作った。裁判なんて贅沢品がないから、せめて『やったら終わり』ということだけは全員に分からせる。それで、やっと今の村があるんです」
その通りだ、と思った。
筋が通っている。二十歳の村長が、たった一人で辿り着いた結論としては、非の打ちどころがない。
「わかります」
「じゃあ」
「でも、俺の管轄です」
俺は胸ポケットから黒い手帳を抜き、開いて掲げた。
「嘆きの荒野交番、巡査長リオン・フォン・アルディス。その男の身柄を引き取ります」
「……根拠は」
「緩衝地帯を含む荒野一帯は、当交番の管轄区域です」
「誰が決めたんですか、それ」
「俺です」
沈黙が落ちた。
マンミアが、ぽかんと口を開けた。
「……お、おい。今、自分で決めたと言ったか」
「言いました」
「それは根拠ではないだろう!」
「だから十七年、誰にも文句を言われないように仕事をしてきました」
俺は手帳を閉じた。
「実績のほうが、根拠より重いんですよ。この村がそうであるように」
キャルルの兎耳が、ぴくりと動いた。
彼女は、しばらく俺を見ていた。真紅の瞳が、まっすぐこちらを向いている。
月兎族は聴覚が鋭い。相手の心音を拾えると聞いたことがある。今、俺の心臓の音がどう聞こえているのかは、知らない。
「……マンミアさん」
「はっ」
「縄、解いてあげて」
「村長!?」
「一回だけ」
キャルルは、指を一本立てた。
「一回だけ、リオンさんのやり方を見ます。それで何も出てこなかったら、その人は明日、鉱山行きです。いいですね」
「結構です」
「あと」
キャルルは、ポケットから飴玉を一つ取り出して、俺に放って寄越した。
「怒ってないですよ、私」
兎耳が、かすかに震えていた。
嘘だな、と思った。
◇◇◇
交番の取調べ室は、狭い。
机が一つ、椅子が二つ、天井に灯り。それだけの部屋だ。
俺は男の向かいに座り、湯呑みを置いた。緑茶だ。給湯室のサーバーから汲んできた。
「飲んでください」
「……毒か」
「茶です」
男は湯呑みを睨んでいたが、やがて震える手で掴み、一息に飲んだ。
三十秒後、もう一杯注いでやった。
「名前は」
「……言う必要があるか。どうせ鉱山だろ」
「鉱山には行きません。ここは俺の交番です」
男の肩が、わずかに揺れた。
「盗んだのはサンライス三袋。金額にして、銀貨十二枚程度です。窃盗としては、正直、小さい」
「…………」
「あなた、村に住んで七年ですね。奥さんと子供が二人。畑は東の区画。村での評判は悪くない」
俺は手帳を開き、書き込んだ内容を読み上げた。ここに来る前に、広場の村人三人から聞いた話だ。
「七年間、一度も問題を起こしていない人が、いきなり米を盗む。しかも自分の家の分なら、一袋あれば足りる」
湯呑みが、かたかたと鳴り始めた。
「三袋、どこへ持っていくつもりでしたか」
男は答えなかった。
俺は鼻から息を吸った。
酸っぱい匂いがする。嘘の匂いだ。だがこれは、悪意の匂いじゃない。もっと薄い、必死に何かを隠している人間の匂い。
「あなた、脅されてますね」
湯呑みが、机に落ちた。
◇◇◇
二時間かかった。
途中でカツ丼を一杯出した。男は泣きながら食った。それからは早かった。
「——『暴行しない券』ですよ」
男は、しゃくり上げながら言った。
「うちは、四人家族で。家族割引で二割引き。それでも月に銀貨八十枚。払えなかったんだ」
「券を売っているのは」
「山賊だ。西の廃坑に住み着いてる連中で、二十人か三十人か」
「それと、盗んだ米にどういう関係が」
男は、両手で顔を覆った。
「……券の代わりに、情報を寄越せって言われた」
俺は、机に置いた手帳のページをめくった。
「情報」
「村の備蓄がどこに、どれだけあるか。自警団の見回りが、何時にどこを通るか」
背中を、冷たいものが走った。
米は、口実だ。
この男は備蓄庫に入るために盗みを働いたのではない。備蓄庫の中を見るために盗みを働いたのだ。そして盗んだ米は、山賊への手土産でしかない。
もし、この男が昨夜捕まらず、ドンガン鉱山に送られる前に情報を渡していたら。
自警団の巡回の穴を知った三十人が、千人の村に入っていたことになる。
「賢者君」
『ハイ』
「村長に緊急通信。自警団の巡回ルート、今すぐ全部組み替えろと」
『了解シマシタ』
俺は男に向き直った。
「誰に言われましたか。山賊の、誰に」
「……あ、頭はいない」
「いない?」
「いや、いるんだが。誰も顔を見たことがない。俺らに話をしてくるのは、いつも取り立ての連中で」
男は喉を詰まらせた。
それから、絞り出すように言った。
「ただ、一度だけ。金の受け渡しの場所に、爺さんが来た」
「爺さん」
「知ってる顔だった。村じゃ、みんな知ってる」
男が言った名前で、俺の手が止まった。
「——ロップさんだ。前の村長の」
◇◇◇
その夜。
留置房で、男は納豆定食を食っていた。妻と子供には、既に村から連絡が行っている。明日、面会に来るそうだ。
俺はデスク室で、調書を清書していた。
外で、蹄の音がした。
引き戸が開く。入ってきたのは、キャルルとマンミアだった。
キャルルは何も言わず、机の上の調書を手に取った。
読んでいく。一枚、二枚。
白い兎耳が、少しずつ倒れていった。
「……巡回ルート」
「明日から、三日ごとに組み替えてください。あと、備蓄は三箇所に分散を」
「村長」
マンミアが、調書を横から覗き込んで、絶句した。
「これは……もし、あの男が予定通り鉱山に送られていたら」
「ええ」
俺は、書き終えた調書を封筒に入れた。
「鉱山に送っていたら、この話は誰も知らないままでした」
キャルルは、しばらく黙っていた。
それから、調書を机に戻して、ぽつりと言った。
「……私、あの人のこと、七年知ってるんです」
「はい」
「奥さんの名前も、子供の誕生日も、去年の収穫量も知ってる。知ってるのに、二分で鉱山送りって言いました」
兎耳が、へなりと垂れた。
「怖かったんです。一人でも見逃したら、掟が崩れると思って」
俺は、湯呑みを二つ出した。緑茶を注いで、片方をキャルルの前に置く。
「村長」
「……はい」
「一つ、お願いがあります」
「なんですか」
「西の廃坑に行きます。山賊、三十人。自警団を貸してください」
キャルルが顔を上げた。
その瞬間、垂れていた兎耳が、ぴんと真上に立った。
「殺さずに、やれますか」
「うちの交番、留置房が二つしかないんですが」
「足りないですよね」
「足りません」
俺は湯呑みを傾けた。
「なので、村の集会所を借りたいです。あと、書類が三十人分要るので、手伝ってくれる人も」
マンミアが、ずるっと蹄を滑らせた。
「……そこか。そこを心配するのか、貴様は」
「一番大変なのは、そこですよ」
キャルルが、噴き出した。
両手で口を押さえて、肩を震わせて、しばらく笑っていた。
笑いながら、真紅の瞳の端を、指で拭った。
「……ふふっ。リオンさん、変な人ですねえ」
窓の外で、赤色灯がくるくると回っていた。
押収した名簿の一番上には、まだ誰も読んでいないページが挟まっている。
そこには、三本の剣と天秤を組み合わせた紋章の押印があった。
読んでいただきありがとうございます。
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