EP 7
詐欺師、管轄内に戻る
連絡が来たのは、深夜一時過ぎだった。
交番の魔導通信石が鳴って、俺は仮眠室から飛び起きた。
『——巡査長。マンミアです』
「どうしました」
『村の入り口に、不審者が一名』
通信石の向こうで、蹄が石畳を鳴らす音がした。
『男。三十代半ば。単独。徒歩』
「武装は」
『……ありません』
マンミアの声が、わずかに戸惑っていた。
『と言いますか、巡査長』
「はい」
『下着一枚です』
◇◇◇
バイクを飛ばして、十二分で着いた。
ポポロ村の入り口は、投光器で昼のように照らされていた。
柵の内側に、自警団が三十人。半数が魔導ライフルを構え、残りが鍬とバズーカを持っている。奥のほうで、脱穀場の陰から戦車の砲塔が、ゆっくりとこちらに向いていた。
その包囲の中心に、男が一人、立っていた。
パンツ一枚。裸足。全身泥だらけ。右目が完全に潰れて、唇が切れている。左足を引きずっている。
雨でずぶ濡れになった体から、湯気が立っていた。
マンミアが、前に出て言った。
「村に無断で近づく者。所属と目的を名乗れ」
男は、顔を上げた。
そして、へらりと笑った。
腫れた顔で、無理やり笑った。
「……あー、どうも。夜分にすいませんねえ」
◇◇◇
「私、ちょっとした事情がありまして。この村に、知り合いがいるんですよ」
男は、両手を広げた。
「ドレスを着た、エルフのお嬢さんなんですけどね。緑の髪の。ご存じないですか」
自警団が、顔を見合わせた。
「あの人に、用がありまして。まあ、ちょっとした金銭トラブルというか」
「夜中の一時に、下着一枚で、金の話か」
マンミアが、左腕のシールドを構えた。
「帰れ」
「いやいや、そう言わずに」
「帰れ。これが二度目だ。三度目は言わん」
男の笑顔が、引きつった。
彼の目が、包囲の数を数えているのが分かった。三十人。ライフル。バズーカ。そして、戦車。
逃げ場はない。
男は、二秒ほど考えた。
そして、手をかざした。
◇◇◇
男の頭上に、ステータス画面が展開した。
自分から、開いた。
『鮫島剛
職業 S級冒険者
レベル 九十九
攻撃力 九九九九九
防御力 九九九九九
称号 竜殺し・魔王の宿敵・災厄級』
男の声が、一段低くなった。
「……俺、こう見えてS級なんですよ」
自警団が、ざわついた。
ライフルの銃口が、わずかに下がった。
S級は、大陸に数人しかいない。竜殺しの称号を持つ者となると、記録上は三人だけだ。
男は、胸を張った。
「今、ちょっと訳あってこんな格好ですけどね。本気出したら、この村、三分で更地なんですよ」
彼は、ゆっくりと一歩前に出た。
「だから、穏便に行きましょう。ね? そのエルフのお嬢さんを、呼んでくれればいいんです」
マンミアの蹄が、じり、と石畳を擦った。
彼女は、動かなかった。
動けなかったのではない。判断に迷っていた。
そのときだった。
◇◇◇
街道の向こうから、赤い光が近づいてきた。
くるくると回りながら。
包囲が、割れた。
バイクが、その真ん中を通って、男の三メートル手前で止まった。
エンジンが切れる。
俺は、ヘルメットを脱いだ。
男が、こちらを見た。
そして、目を細めた。
「……あんた」
「この匂い、二日前に嗅ぎました」
俺は、バイクを降りた。
「旧ポポロ精麦所。裏窓から逃げた人ですね」
男の顔から、笑みが消えた。
「まだ、コーヒーが温かかった」
俺は、一歩、前に出た。
「あなた、逃げ足が速い」
◇◇◇
「……なんだ、あんた」
男の声が、掠れた。
「警察か? こんな、地の果てに」
「そうです」
俺は、胸ポケットに手を入れた。
「一人だけいます」
黒い手帳を抜いた。
開いて、掲げる。
「——大宇宙管理局 執行部、現地採用。巡査長リオン・フォン・アルディス」
空気が、固まった。
男の頭上のステータス画面が、じじ、と歪んだ。
カチン、と。
どこか遠くで、錠前が下りる音がした。
◇◇◇
文字が、溶けた。
そして、書き換わった。
『鮫島剛
職業 無職
レベル 三
攻撃力 四
防御力 二
状態 打撲(全身)/擦過傷/肋骨骨折(二本)/歯牙欠損/低体温
称号 なし』
包囲が、静まり返った。
誰かが、小さく声を漏らした。
「……攻撃力、四?」
そして、爆発した。
自警団の三十人が、一斉に吹き出した。
バズーカを持った農夫が腹を抱えてしゃがみ込み、ライフルを構えていた若者が銃口を下げて笑い転げた。戦車の砲塔が、力なく下を向いた。
マンミアが、シールドを地面につけて、肩を震わせていた。
「よ、四……」
「マンミアさん」
「し、失礼。……四です」
「聞こえてます」
◇◇◇
鮫島は、自分のステータス画面を見上げていた。
見上げたまま、動かなかった。
やがて、震える手で画面に触れた。
書き換えようとしたのだ。
何も起きなかった。
「……なんで」
彼は、俺を見た。
「なんで、出ない。出ろよ。なんで——」
「凍結です」
俺は、手帳を閉じた。
「大宇宙管理局は、この世界に無断で流れ込んだ転生者を管理しています。ただ、本局はどこも人手不足でしてね。だから、現地の人間を採用して、権限だけを渡す」
一歩。
「執行部の現地採用組です。俺は、その一人です」
二歩。
「執行部員が身分を提示した時点で、対象に付与された能力は行使できなくなる。それが、この手帳の意味です」
◇◇◇
鮫島が、崩れ落ちた。
膝をついて、地面に手をついた。
そして、顔を上げた。
「ま、待ってくれ!」
彼は、叫んだ。
「俺は被害者なんだ!」
「被害者」
「そうだよ! あの女だ! 緑の髪のエルフ! あいつが俺に石で払ったんだ! 金貨だって言って、二千枚渡してきて、それが全部石になったんだよ!」
鮫島は、拳で地面を叩いた。
「詐欺だろ! 詐欺だ! 俺は騙されたんだ!」
俺は、手帳を開いた。
昨日書いた、二枚目のページをめくった。
「鮫島さん」
「なんだよ!」
「あなたが渡した掛軸ですが」
俺は、読み上げた。
「紙。墨。印刷。原価、銅貨三枚」
鮫島の口が、開いたまま止まった。
「表示偽装の痕跡あり。持続時間、四十八時間」
俺は、手帳を閉じた。
「そちらも、偽物でした」
◇◇◇
包囲が、また静かになった。
今度は、笑いではなかった。
自警団の全員が、無言で鮫島を見ていた。
偽物を渡して、偽物を受け取って、自分だけが被害者だと叫んでいる男を。
「……い、いや」
鮫島の声が、かすれた。
「でも、俺のは、物は渡してるだろ。紙でも、物は物だ。向こうは石だぞ。石だ」
「その紙を、金貨三千枚だと表示して売りましたね」
「……」
「二千枚に値引きして」
「……っ」
「値引きしたのは、こちらの負けです。そこは、上手かった」
俺は、事案を読み上げた。
「サメジマ・アドベンチャー・サロンにおける誇大広告および特定商取引の違反。掛軸に関する詐欺。加えて——」
俺は、賢者君の照合結果を開いた。
「魔獣コロシアム剣闘奴隷刑からの逃走。刑期、四百年のうち、三百九十七年を残しています」
「な……なんで、それを」
「凍結したので、照会が通りました」
俺は、手錠を出した。
「そして、無断転生およびスキルの無断行使」
一歩、踏み出した。
「時刻を読み上げます」
◇◇◇
鮫島が、動いた。
地面に手をついていた姿勢から、勢いよく上体を起こした。
右手が、腰に行った。
パンツ一枚の男が、腰に何を持っているのか。
俺は、反応が一瞬遅れた。
彼が引き抜いたのは、親指の先ほどの、黒い球体だった。
ゴムのようなもので包まれている。中身を隠すために、体に密着させて持ち歩ける大きさ。
黒服は、そこまで剥がなかったらしい。
「——舐めんなよ!」
鮫島が、それを地面に叩きつけた。
◇◇◇
球体が、割れた。
紫の煙が、噴き出した。
『警告』
賢者君の声が、跳ね上がった。
『魔獣カプセル。アバロン魔皇国産。規格外品』
煙が、膨れ上がった。
三メートル。五メートル。八メートル。
自警団が、一斉に後退した。
俺は、背中のM870に手をかけた。
「賢者君。凍結は」
『能力ノ凍結ハ、対象ノユニークスキルニノミ作用シマス』
「道具は」
『対象外デス』
煙の中で、二つの光が灯った。
赤い。
高さは、二階建ての屋根を超えている。
煙が晴れた。
黒い獣だった。
四つ足。体高四メートル。濡れたような黒い毛皮に覆われている。口は耳元まで裂けていて、そこから白い息が漏れていた。
首に、錆びた鎖がぶら下がっている。
『照合完了。地獄の番犬、ガルム。推定危険度、A級』
鮫島が、獣の後ろで笑っていた。
歯の抜けた口で。
「はは……はははっ! どうだよ! 俺のスキルは封じられても、金で買った物は封じられねえだろ!」
◇◇◇
その頭上から、声がした。
「え、犬同士じゃん」
全員が、見上げた。
夜空に、桜色のツインテールが浮いていた。
頭の輪っかが、ネオンみたいに光っている。光る板を三枚、周囲に展開していた。
「キュララさん」
「あ、巡査長。おはよ」
「今、何時だと思いますか」
「深夜一時半」
「合ってます」
「合ってるよね」
彼女は、板の角度を調整した。
「村長から連絡来たの。『変なのが来た』って。で、来てみたら大当たり」
キュララは、眼下の獣を見下ろした。
「ねえ、これ配信していい?」
「防衛設備が映ります」
「じゃあ戦車は映さない」
「……どうぞ」
「やった」
◇◇◇
ガルムが、頭を上げた。
鼻先が、ひくりと動いた。
そして、赤い目が、俺を見た。
じっと。
動かなくなった。
俺は、M870を構えたまま、その目を見返した。
『リオン巡査長』
「なんだ」
『対象ノ警戒行動ガ、異常デス。通常、ガルムハ召喚直後ニ最モ近イ生物ヲ襲撃シマス』
「襲ってこないな」
『ハイ。——推測デスガ』
賢者君が、一拍置いた。
『当該個体ハ、犬科デス』
「……ああ」
『貴方ノスキル名ヲ、参照シマスカ』
「いい」
ガルムの喉から、低い音が漏れた。
唸り声ではなかった。もっと短く、切れる音だった。
次の瞬間、獣が咆哮した。
空気が、殴られたように震えた。
村中の窓ガラスが、一斉に鳴った。
遠くで、太陽芋が土の中に引っ込む音がした。
読んでいただきありがとうございます。
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