↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【手取り14万の交番暮らし】ハズレスキルで追放された伯爵三男、荒野で母を養っていたら帝国最強の法執行官になっていた  作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/34

EP 3

 腹筋一万回から始まる、スパルタ天使の再教育

 翌朝、俺は武器庫の扉を開けた。

 といっても、大した中身ではない。巡査階級の支給品は限られている。

 樫の警棒が一本。手錠が一組。そして壁際に、ずいぶん実用的な佇まいの自転車が一台立てかけてあった。

「……賢者君。この自転車、乗れって?」

『ハイ。巡査階級ニ支給サレル、標準巡回装備デス』

「俺、身長九十センチなんだけど」

『サイズハ着用者ニ最適化サレマス』

 なるほど、と手を触れると、自転車がしゅるりと縮んだ。三歳児サイズの、赤色灯つきミニチャリである。かごまで付いている。

 誰に見せるわけでもないのに、微妙に恥ずかしい。

 俺はかごに泥だらけの靴を放り込み、ペダルに足をかけた。

「母さん、ちょっと出てくる」

「え、リオン、どこへ!? 外は魔獣が——」

「落とし物を届けてくる。仕事だから」

 母さんは口を半分開けたまま、俺と自転車を交互に見た。

「……お仕事」

「そう。俺、一応これでも公務員だから」

 我ながら何を言っているのかわからない。だが母さんは、しばらく考えたあと、ふっと表情を緩めた。

「じゃあ、気をつけてね。……ちょっと待って」

 そう言って交番に駆け戻り、ハンカチに包んだ何かを持ってきた。

「はい、おにぎり。さっきのご飯で握ったの。お仕事の途中でお腹空くでしょ」

 俺はそれをかごに入れて、ペダルを踏み込んだ。

◇◇◇

 昨日、目があった岩陰から、足跡は北へ伸びていた。

 犬の五感、というやつらしい。土に残った匂いが、色のついた線みたいに追える。人間が四人。全員、体重が軽い。子供だ。

 三十分ほど走ると、地面の色が変わってきた。赤茶けた荒野から、うっすら緑がかった土へ。そして、遠くに柵と、屋根の連なりが見えた。

 村だ。

『周辺情報。ポポロ村。人口約四〇〇。緩衝地帯ニ属シ、行政上ハドノ領地ニモ帰属シテイマセン』

「どの領地にも属してない?」

『ハイ。故ニ、税ノ徴収先モ、治安ノ維持責任者モ、法的ニ存在シマセン』

 俺はブレーキを握った。

 つまり、誰も守らない村だ。何かあっても誰も来ない。

 前世で、そういう部署にいたことがある。本社から忘れられ、予算も人員も回ってこず、それでも数字だけは求められる支店。全員の目が死んでいた。

 村の入り口の柵は、途中から折れたままになっていた。修理する金も人手もないのだろう。

 その柵の脇に、裸足の子供が四人、座り込んでいた。

 俺を見て、全員が跳ね上がった。

「わっ、出た!」

「赤い光のやつ!」

「逃げろ!」

「待て待て待て」

 俺は自転車を降りて、かごから靴を取り出した。

「これ、落とし物。誰の」

 子供たちが、ぴたりと止まる。

 一番小さい女の子が、恐る恐る手を上げた。片足だけ裸足だった。

「……あたしの」

「じゃあ返す。次は片方だけで走るな。足、切るぞ」

 俺が靴を差し出すと、女の子はそろそろと受け取った。それから、じっと俺の顔を見る。

「……ちいさい」

「言うな」

「おまわりさん、なの?」

 俺は、腰の手錠と警棒を指さした。ついでに交番から持ってきた黒い手帳を開いて、胸の高さに掲げる。

「嘆きの荒野交番、巡査のリオンだ」

 子供たちは顔を見合わせた。

 長い沈黙のあと、一番年上らしい少年が、ぼそりと言った。

「……おまわりさんって、なに」

 なるほど。この村の子は、警察を見たことがないのか。

 俺は少し考えて、言った。

「困ったやつが来たとき、間に入る仕事だ」

◇◇◇

 村の大人たちの反応は、正直、良くはなかった。

 鍬を持った男が数人、遠巻きにこちらを見ている。歓迎ではない。警戒だ。

 当然だろう。荒野の方角から、赤色灯のついた自転車に乗った三歳児がやってきたのだ。俺だって警戒する。

 しかし、子供たちがおにぎりを分けて食べ始めたあたりから、空気が少し変わった。

「……坊主。それ、どこの飯だ」

 村長らしき老人が近づいてきた。腰が曲がっていて、手の甲に深い皺が刻まれている。

「うちの母親が握りました」

「うち、とは」

「荒野に、家を建てたんで」

 老人はしばらく黙っていた。それから、皺だらけの顔を少しだけ歪めた。

「荒野に家を建てる馬鹿がおるか。あそこは、伯爵領からも王国からも捨てられた土地じゃ」

「知ってます。うちも、捨てられた側なんで」

 老人の目が、わずかに見開かれた。

 俺は柵の折れた部分を指さした。

「あれ、直さないんですか」

「金がない。大工もおらん」

「盗人は」

「来る」

 老人は、あっさり言った。

「来るが、どうにもならん。訴える先がないでな」

 俺は、折れた柵をじっと見た。

 管轄内住民からの評価。賢者君が言っていた、昇級試験の三項目目。

 打算は、あった。認める。

 だが、それだけでもなかった。

 十三年前——いや、前世の話だ。俺が三時間怒鳴られている間、誰も助けに来なかった。上司も、同僚も、店長も、全員が視線を逸らして通り過ぎていった。あのとき俺が一番欲しかったのは、金でも謝罪でもなく、「間に入ってくれる誰か」だった。

「じいさん」

「……なんじゃ」

「次に盗人が来たら、荒野の方を見てください。赤い光が回ってる建物があります」

 俺は自転車にまたがった。

「そこ、交番なんで」

◇◇◇

 帰り道は、行きよりずっと軽かった。

 ペダルを踏みながら、俺はちょっとだけ機嫌がよかったと思う。日報に書くことが二行増えた。落とし物の返還一件、住民との接触一件。勤務態度も民意の信頼度も、ちゃんと点が入るはずだ。

 これでいい。適度に働き、適度に感謝され、適度に給料をもらう。

 俺の完璧な人生設計に、狂いはない。

 そう思いながら交番の前に戻ってきて——

 俺は、自転車を横倒しにして転んだ。

 交番の入り口に、女が立っていた。

 白い。

 全部が白かった。膝まで届く金糸のような髪、鎧の縁取り、足元の石畳に落ちる影の色まで。そして背中には、ルチアナの申し訳程度の羽とは比べ物にならない、六枚の巨大な翼。

 右手には、俺の身長の三倍はある聖槍。

 それが、ドンッと地面に突き立てられた。地響きがした。

「初めまして。リオン・フォン・アルディス」

 澄んだ声だった。氷を落としたような。

「私は天使族長、ヴァルキュリア」

 彼女は深々と、しかし有無を言わさぬ威圧感をもって、一礼した。

「先日、我らが世界神ルチアナが、あなたに多大なるご迷惑をおかけしました。当該神は現在、謹慎処分中です。上位者として、心よりお詫び申し上げます」

「……はあ」

 三歳児の姿で謝罪されている。状況が飲み込めない。

「つきましては、詫びとして、私が派遣されました」

「詫び。詫びってことは、あれですか。チート能力をくれるとか、伝説の剣をくれるとか」

「いいえ」

 ヴァルキュリアは顔を上げた。

 黄金の瞳が、まっすぐ俺を射抜く。

「今日から私が、あなたを最強の警察官へと鍛え上げる、専属の教官となります」

「…………は?」

「では、始めましょうか」

 聖槍が、ズンッと地面に沈み込む。

「まずは腹筋一万回から」

 交番の赤色灯が、何も知らないまま、クルクルと回っていた。

 俺のカツ丼風味の平穏な交番ライフは、開始わずか二日にして、音を立てて崩れ去ろうとしていた。

◇◇◇

 ——それから、十七年。

 嘆きの荒野に、朝が来る。

 赤茶けた大地の向こうから太陽が昇り、一軒の交番の屋根を照らした。塗装は少し褪せ、壁には無数の傷と補修の跡がある。庭には太陽芋の畑が広がり、一体の鉄の巨人が黙々と草をむしっていた。

 引き戸が開く。

 中から出てきたのは、黒の防刃服に身を包んだ、背の高い男だった。

 腰にはニューナンブと手錠、スタンガン。背中には、ドワーフと樹人の技術の粋を集めた魔導制圧散弾銃。

 男は空を見上げ、大きく伸びをして、それから面倒くさそうに呟いた。

「……今日も定時で上がりたいな」

 二十歳。階級、巡査長。

 手取りは、十四万円のままだった。

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。