EP 4
掛軸と、偽金と、生き延びた詐欺師
鮫島剛、三十五歳。
前世は、都内で情報商材を売っていた。自称ITコンサルタント。実際のところ、扱っていたのは中身のない冊子と、月々のサロン会費だけだった。
死んだのは、下らない理由だった。取り立てから逃げて、階段を踏み外した。
目が覚めたら、異世界だった。
そして、女神だか何だかに押し付けられたスキルが、これだ。
【ステータス偽装】
物や人のステータス画面、鑑定結果の文字表記だけを、自由に書き換えられる。
ただし、変わるのは文字だけだ。剣の攻撃力を九千九百と書き換えても、切れ味は一ミリも変わらない。自分のレベルを九十九にしても、スライムに殴られれば骨が折れる。
最初は、外れスキルだと思った。
三日で考えが変わった。
この世界の人間は、鑑定結果を疑わない。むしろ、自分の目より鑑定を信じる。
「異世界、チョロすぎだろ」
それが、鮫島の口癖になった。
◇◇◇
森の中で、鮫島は素早く準備をした。
懐から、丸めた紙を取り出す。
タローマンの日用品コーナーで、銅貨三枚で買った掛軸だ。安物の印刷で、墨絵の山と、小さな舟が一艘描かれている。三百円の量産品である。
広げて、皺を伸ばす。
それから、指先を当てた。
『国宝指定 伝説の絵師 雪舟丸 真筆「寒江独釣図」 推定価格 金貨三千枚』
鑑定表示が、書き換わった。
鮫島は、時計を確認した。金メッキで、表示だけが『ミスリル製・時間精度±0.01秒』になっている安物だ。
効果時間は、四十八時間。
二日あれば、十分だ。金さえ受け取れば、その日のうちに隣町へ消える。
「……よし」
鮫島は、破れたスーツの襟を直し、木の陰から出た。
◇◇◇
「もし、そこのお嬢さん」
声をかけると、ドレスの女が振り返った。
鮫島は、息を呑んだ。
思っていた以上に、上玉だった。淡いエメラルドグリーンの髪に、翡翠の瞳。ドレスは見たこともない織りで、裾に縫い込まれた金糸が日の光を弾いている。
何より、手に持った杖だ。
鮫島の鑑定眼——といっても、ただの勘だが——が告げていた。あれは、本物だ。
「まぁ、こんにちは♡」
女は、ふわりと笑った。
「道に迷っておいでですか?」
「いえいえ、私は。むしろ、お嬢さんのほうが」
「ええ、迷っておりますの」
「……ああ、そうですか」
あっさり認められて、鮫島は一瞬調子を崩した。
「では、村までお送りしましょう。ついでに、と言ってはなんですが」
彼は、掛軸を取り出した。
「これを、見ていただけませんか」
◇◇◇
このとき、森が、ざわめき始めていた。
鮫島には、聞こえていない。
だが、ルナには聞こえていた。
『ルナ様』
『ルナ様、あいつ嘘つきです』
『匂いがします。ねじれた匂い』
『詐欺師です』
『ルナ様を騙そうとしています』
『ギルティ?』
『ギルティ?』
『ギルティ』
鮫島の足元の下草から、蔦が一本、伸び始めた。
音もなく、ズボンの裾を登っていく。
二本目。三本目。
膝を越え、腰を越え、背中を伝って、首筋に向かっていく。
鮫島は、掛軸を広げることに夢中だった。
「私はですね、コレクターでして。こういうものを、本当に大切にしてくださる方にしか、お譲りしないんです」
『ギルティ』
『ギルティ』
『絞めますか』
『絞めましょう』
蔦の先端が、鮫島の喉の高さまで来た。
あと、五センチ。
◇◇◇
「まぁ」
ルナが、口を開いた。
「そんなこと言っちゃいけませんわ」
蔦が、止まった。
「この方は、親切な方ですわよ。迷っている私に、声をかけてくださったのですから」
彼女は、下草に向かって、指を一本立てた。
「めっ♡」
蔦が、するすると鮫島の体から抜け落ちていった。
音もなく、草むらへ戻っていく。
鮫島は、掛軸から顔を上げた。
「……はい? 何か仰いましたか」
「いえ、独り言ですわ♡」
鮫島は、自分が今、首を絞められる寸前だったことに、一切気づいていない。
背中が少しだけ痒かったが、虫だと思って掻いた。
◇◇◇
「それで、この掛軸ですが」
鮫島は、話を戻した。
「鑑定してみてください。どうぞ、遠慮なく」
ルナは、掛軸に目をやった。
『国宝指定 伝説の絵師 雪舟丸 真筆「寒江独釣図」 推定価格 金貨三千枚』
鮫島は、女の顔を観察していた。
いつもなら、ここで表情が変わる。目を見開いて、息を呑んで、値段の桁を数え直す。そこから先は、いくらでも転がせる。
だが、女は。
「まぁ……」
鑑定表示を、見ていなかった。
絵を、見ていた。
「素敵ですわ♡」
「……はい?」
「この、舟の上の方。お一人で、雪の中で釣りをしていらっしゃるのね」
ルナは、翡翠の瞳を細めた。
「寒いでしょうに。でも、きっと、この静けさが好きなんですわ」
鮫島は、二秒ほど固まった。
それから、慌てて頷いた。
「そ、そうなんですよ! さすがお目が高い! この絵の真髄は、まさにそこでして」
「おいくらですの?」
「金貨三千枚ですが」
鮫島は、指を二本立てた。
「お嬢さんのような、絵の分かる方には、特別に二千枚で」
「まぁ、お安くしてくださるの?」
「ええ。私は、値段より、行き先を大事にしたいので」
「では、お支払いしますわ♡」
◇◇◇
ルナは、足元を見た。
森の地面に、小石が散らばっている。
彼女は、杖の先を、ゆっくりと横に振った。
光が走った。
ざあ、という音がして、地面の石が一斉に舞い上がった。
そして、落ちてきたときには、金貨になっていた。
二千枚。
枯れ葉の上に、山になって積み上がった。
鮫島は、口を開けたまま動けなかった。
「あの……お嬢さん、今、何を」
「錬金術ですわ♡」
ルナは、にこにこしていた。
「数えてくださいます? 二千枚あるはずですけれど」
鮫島は、膝をついた。
震える手で、一枚を取り上げる。
重い。冷たい。縁の刻印まで正確だ。
彼は、金貨に歯を当てた。跡がついた。
本物の金だ。
「……っ」
喉から、変な音が漏れた。
「あの、お嬢さん。これ、どこで」
「そこの石ですわ」
ルナは、地面を指さした。
「ポポロ山の石です。硬くて、いい石ですのよ」
鮫島は、笑い出しそうになるのを必死で堪えた。
石が金になる。
この女は、石を金に変えられる。
つまり、この女は、無限の財布だ。
「……異世界、チョロすぎ」
「はい?」
「いえ! 何も! ではこれ、たしかにお譲りします!」
◇◇◇
鮫島は、脱いだスーツの上着を広げて、金貨を包んだ。
二千枚は、想像以上に重かった。抱えると、腰が悲鳴を上げた。
「お、重……」
「お持ちできますの?」
「持てます持てます! 全然!」
彼は、よろめきながら立ち上がった。
「それでは、私はこれで。素晴らしいお取引でした」
「こちらこそ、ありがとうございます♡」
ルナは、掛軸を両手で抱えて、深々と一礼した。
「大切にしますわ」
「ええ、ええ。ぜひ」
鮫島は、背を向けて歩き出した。
十歩ほど進んだところで、耐えきれずに口の端が吊り上がった。
(二千枚だぞ。二千枚。銅貨三枚の紙が、二千枚だ)
(しかもあの女、また石を金に変えられる。次は五千枚だ。いや、一万枚いける)
(——俺、ここで人生上がりだな)
彼は、森を抜けて、隣町へ続く街道に出た。
振り返らなかった。
◇◇◇
ルナは、掛軸を抱えたまま、その背中を見送った。
「いい方でしたわ♡」
彼女は、くるりと向きを変えて歩き出した。
村長宅とは、正反対の方向だった。
『ルナ様』
足元の下草が、囁いた。
『あの男、嘘をついていました』
「ええ、そうかもしれませんわね」
『では、なぜ』
「だって」
ルナは、掛軸を持ち上げて、光にかざした。
雪の中の、小さな舟。
一人で釣りをしている、豆粒のような人影。
「この絵、素敵ですもの」
彼女は、にっこり笑った。
「絵の値打ちは、お値段で決まりませんわよ♡」
『……ルナ様は、お優しいです』
『ルナ様は、お優しいです』
『でも、道が逆です』
「まぁ」
◇◇◇
その日、二つの時計が動き始めた。
一つは、掛軸にかけられた偽装の時計だ。
国宝の表示が、ただの紙に戻るまで、残り四十八時間。
もう一つは、金貨に変わった石の時計だ。
二千枚の金が、二千個の石に戻るまで、残り七十二時間。
偽物を、偽物で買った取引だった。
そして、先に剥がれるのは、詐欺師のほうだった。
その差は、ちょうど、二十四時間。
鮫島剛は、その差を知らないまま、金貨を抱えて隣町の門をくぐった。




