EP 3
腎臓無限売買クリニックと、もぬけの殻
翌朝、交番の引き戸が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは、小豆色の芋ジャージだった。
「巡査長おおおお!」
リーザが、俺の机にしがみついた。
青銀色の髪がぼさぼさで、健康サンダルが片方脱げている。息が上がっていた。
「た、助けてくださいませ! 私の! 腎臓が!」
「落ち着いてください」
「落ち着いていられませんわ! あの女が! メスを持って!」
引き戸が、静かに開いた。
ふわふわのドレスが、そこに立っていた。
「まぁ、リーザ。足が速いですのね♡」
ルナが、にこにこしていた。
右手に、世界樹の杖。
左手に、よく研がれたメスが一本。
◇◇◇
事情を聞くのに、三分かかった。
朝、ルナが村を散歩していた。広場の隅で、リーザがパンの耳をかじっているのを見つけた。
「私、心配になりましたの」
ルナは、湯呑みの緑茶を両手で持って言った。
「リーザは、いつも硬いパンの耳ばかり食べていますでしょう? 帝都にいた頃からずっと」
「……それは、そうですね」
「だから、良い方法をご提案しましたのよ」
彼女は、ぱっと顔を輝かせた。
「腎臓を、片方売りましょう♡」
俺は、湯呑みを置いた。
「腎臓は二つありますでしょう。片方売っても生きていけますの。それに、私がすぐに世界樹の魔法で完全に再生して差し上げますわ」
ルナは、指を二本立てた。
「売っては再生、売っては再生。そうすれば——」
彼女は、天使のように微笑んだ。
「実質、無限にお金が手に入りますわよね? 私って、名案ですわ♡」
「ぎゃああああ!」
リーザが、机の下に潜り込んだ。
「聞きました!? 聞きましたわよね巡査長! この女、これを笑顔で言いますのよ!」
「聞きました」
「コンプライアンス違反ですわ! 世界が終わりますわ!」
「落ち着いてください」
俺は、鼻で息を吸った。
ルナからは、やはり何も匂わなかった。
嘘も、悪意も、一切ない。
この人は、本気で親切のつもりでいる。
◇◇◇
「ルナさん」
「はい?」
「それは、無許可の医療行為です」
ルナが、まばたきをした。
「まぁ」
「それと、臓器の売買は犯罪です。ルナミス帝国刑法でも、緩衝地帯の取り決めでも、禁止されています」
「まぁ、そうなんですの?」
「そうなんです」
「知りませんでしたわ」
ルナは、メスを机に置いた。
それから、にっこり笑った。
「では、許可を取りますわ♡」
「許可は下りません」
ルナの動きが、止まった。
「……あら?」
翡翠の瞳が、揺れた。
「でも、リーザが困っていますのよ」
「はい」
「私は、お助けしたいだけですわ」
「わかります」
「なのに、駄目なんですの……?」
瞳が、潤み始めた。
机の下で、リーザが「ひっ」と息を呑んだ。
窓の外で、太陽芋が土から顔を出した。
一つ。二つ。五つ。十。
ざわ、ざわ、ざわ。
◇◇◇
俺は、椅子から立ち上がった。
机の引き出しから、白紙を一枚取り出した。
「ルナさん。少し、お時間をいただけますか」
「……はい」
「却下の理由を、書面にします」
ペンを取った。
書いた。
第一項。臓器の摘出は、医師免許を持つ者が、認可された施設で行う必要がある。
第二項。再生魔法による復元は、現行の医療制度において「治療」と認定されていない。
第三項。摘出された臓器の売買は、帝国刑法第百九十二条により禁止される。
第四項。買い手の側も処罰対象となるため、リーザさんに協力者が現れる可能性は極めて低い。
第五項。仮に成立した場合、リーザさんはシーラン国王女であるため、国際問題に発展する。
第六項——
書き続けた。
十二項まで書いた。
そして、一番下に、一行だけ書き足した。
『※これは、あなたが悪いのではありません。法律の都合です』
俺は、その紙をルナの前に置いた。
◇◇◇
ルナは、紙を両手で受け取った。
そして、じっと読んだ。
上から、下まで。指でなぞりながら。
交番が、静かになった。
窓の外の太陽芋たちが、息を潜めてこちらを見ていた。
やがて、ルナが顔を上げた。
「……なるほど、ですわ」
「はい」
「法律の都合なら、仕方ありませんわね♡」
彼女は、紙を丁寧に折り畳んで、ドレスのポケットにしまった。
窓の外で、太陽芋が一斉に土に戻っていった。
机の下から、リーザが這い出てきた。
「……助かりましたわ」
「よかったですね」
「巡査長」
「はい」
「あなた、あの女を止められる唯一の人間ですわ」
◇◇◇
ルナが帰ったあと、俺は手帳にメモを取った。
『ルナ・シンフォニアへの対処。命令・制止は無効。理由を書面で示すと従う。悪意がないため、規則を理解すると素直に守る』
書いてから、少し考えて、もう一行足した。
『ただし、断り方を間違えると、植物が動く』
リーザが、横から覗き込んでいた。
「……何をお書きになってますの」
「取扱説明書です」
「必要ですわね」
「必要です」
リーザは、椅子に座って、緑茶をすすった。
「キャルルは、峰打ちで止めますの。あれは物理ですわ」
「知ってます」
「あなたは、書類ですのね」
「……そうなりますね」
「この村、おかしいですわ」
「今さらですか」
◇◇◇
昼過ぎ、賢者君から報告が来た。
『チラシノ出所ヲ特定シマシタ』
「どこだ」
『村外レ、北西三キロ。旧ポポロ精麦所。三ヶ月前ニ廃業。現在、借主ナシ』
「無断占拠か」
『ハイ』
「賃借人は」
『登記上、ポポロ村。つまり村ノ所有物件デス』
俺は、立ち上がった。
「じゃあ、村長の同意だけで入れるな」
『ハイ。令状ハ不要デス』
「取ってくる」
◇◇◇
村長宅に寄って、キャルルに同意書を書いてもらった。
三分で終わった。
「一人で行くんですか」
「はい」
「自警団、出しましょうか」
「まだ、何もしていません」
俺は、同意書を手帳に挟んだ。
「チラシを貼っただけです。誇大広告ですが、この村には広告の規則がありません」
「……作るんですか」
「作ります。来週」
「絶対作るじゃないですか」
「作ります」
◇◇◇
旧ポポロ精麦所は、石造りの平屋だった。
屋根の一部が抜けていて、中から雑草が伸びている。入り口の扉に、例のチラシが三枚、重ねて貼られていた。
俺は、バイクを正面に停めた。
赤色灯を、切らなかった。
回したまま、エンジンを止めた。
ゆっくりと降りて、ヘルメットを脱いだ。
扉に手をかける。
「——嘆きの荒野交番、巡査長のリオンです」
声をかけた。
「村の所有物件です。立入の同意書を取ってあります。開けますよ」
返事は、なかった。
扉を押した。
◇◇◇
中は、がらんとしていた。
石の床に、机が一つ。椅子が二脚。壁際に、木箱がいくつか。
そして、机の上に。
カップが一つ、置かれていた。
俺は、指の背でカップに触れた。
温かい。
まだ、湯気が出ていた。
「……賢者君」
『ハイ』
「裏に出口は」
『裏手ニ、窓ガ一カ所』
俺は、裏へ回った。
窓が、開いていた。
枠に、布の繊維が引っかかっている。青い、てかてかした生地だった。
外の地面に、足跡が二つ。
全力で走り出した人間の、前足だけの跡だ。
◇◇◇
部屋に戻って、机を調べた。
木箱の中身は、冊子だった。
手に取ってめくる。
『ゼロから始める冒険者ドリーム 第一章 マインドセット編』
中は、ほとんど白紙だった。
十八ページの冊子で、文字が書かれているのは四ページ。あとは「ここに目標を書こう!」という空欄と、罫線だけだった。
裏表紙に、値段が刷ってあった。
金貨十枚。十万円。
「……十八ページで、十万円か」
『内容ノ有用性ヲ評価シマスカ』
「いい」
俺は、冊子を証拠品袋に入れた。
それから、部屋の中央に立って、鼻で息を吸った。
濃い。
嘘の匂いが、部屋中に染みついている。この男は、ここで何十時間も嘘を喋り続けたらしい。
そして、その奥に。
異物の匂いがした。
土にも、鉄にも、草にも混ざらない匂い。
この世界で生まれた人間からは、絶対にしない匂いだ。
「……転生者だ」
俺は、手帳を開いた。
胸ポケットの黒い手帳。これを開いて身分を名乗れば、その場で相手のスキルは凍結する。
だが、相手がいない。
赤色灯の音を聞いた瞬間に、裏窓から逃げたのだ。
格上には即土下座、と聞いたことがある。
この男は、土下座すらしなかった。その前に走った。
◇◇◇
俺は、部屋を出た。
バイクにまたがって、赤色灯を切った。
「賢者君」
『ハイ』
「この村に、身元不明の滞在者は」
『照合中。——確認デキマセン。宿泊記録、ナシ。転入届、ナシ』
「つまり、村の外で寝泊まりしている」
『ソウナリマス』
俺は、北西の森を見た。
精麦所の裏手から、緩衝地帯の雑木林が続いている。
その奥は、ただの森だ。人が隠れるには、十分すぎる。
「……見つからないな」
『捜索範囲、約六平方キロ。単独デハ、三日カカリマス』
「三日か」
俺は、ヘルメットを被った。
三日あれば、何が起きるか分からない。
だが、分からないなりに、やれることはある。
「掲示板に、注意喚起の張り紙を出す。あと、村の全戸に配る」
『枚数ハ』
「三百二十戸です」
『三百二十枚デスカ』
「三百二十枚だ」
『了解シマシタ』
◇◇◇
同じ頃。
精麦所の裏手の森を、青いスーツの男が這うように走っていた。
テカテカした生地の肘が、枝に引っかかって破れている。金メッキの時計が、木の幹にぶつかって傷だらけになっている。
「くそ……なんで田舎に警察がいるんだよ……」
男は、木の根元にへたり込んだ。
「こんな地の果てだぞ。警察なんているわけねえだろ。何なんだよあの赤いの。回るやつ。回転するやつ」
息を整える。
三ヶ月分の在庫を、全部置いてきてしまった。原価は銅貨で数枚だが、あれがないと商売にならない。
「……いや、待てよ」
男は、顔を上げた。
「在庫なんか、また刷りゃいい。問題は、種銭だ」
彼は、自分の手を見た。
その手の中で、拾った小枝の鑑定表示が、一瞬だけ『伝説の魔杖』に書き換わり、すぐに戻った。
「……俺には、これがある」
男は、立ち上がった。
「デカいのを、一発。一人でいい。金を持ってて、頭の緩そうなのが一人いりゃ——」
そのときだった。
森の奥から、鼻歌が聞こえてきた。
男は、木の陰に身を潜めた。
枝の隙間から、覗く。
森の中を、誰かが歩いてくる。
ふわふわのドレス。フリルとリボン。淡いエメラルドグリーンの長い髪。手には、光る杖。
彼女は、まっすぐ歩いていた。
道のないところを、まっすぐに。
「まぁ、困りましたわ〜。村長宅に帰ろうとしたら、また迷ってしまいましたわ」
男の目が、光った。
汚れたスーツの襟を、両手で直す。金メッキの時計の位置を、袖口から見えるように調整する。
口元に、営業用の笑みを作る。
「……チョロそう」
読んでいただきありがとうございます。
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