EP 2
梅太郎伝説と、リアル貧乏神
村長宅のリビングは、戦場だった。
床にクッションが散乱している。菓子の袋が三つ開いている。テーブルの上に空になった人参ジュースの瓶が五本。
壁際の魔導映写板に、ゲーム画面が映っていた。
『梅太郎伝説DX 世界一周電車旅』
大陸の地図の上を、四両編成の汽車が四つ走っている。そのうち一つに、黒い靄のようなものが張りついていた。
靄には、顔があった。
にやにや笑う、頬のこけた老人の顔だった。
「ほらほら、ボンビーちゃんがキャルル先輩の物件売っちゃうよ〜」
キュララが、コントローラーを握ったまま笑っていた。
光る板が一枚、彼女の横に浮いている。ゲーム画面だけを映しているらしい。
「やめてええ! それ、私が五年かけて買った牧場!」
キャルルが、白い兎耳を真横に倒して叫んでいた。
「五年って、ゲームの中の話でしょ」
「ゲームの中でも五年は五年なの!」
「あら、また売れましたわね」
リーザが、芋ジャージで床にうつ伏せになりながら言った。
「キャルルの牧場、私の目の前で更地になりましたわ。ざまあですわ」
「リーザ、あんた今最下位だからね!?」
「最下位は、ボンビーに狙われませんのよ。これぞ弱者の兵法ですわ」
「胸張るとこじゃないでしょ!」
◇◇◇
俺は、玄関で立ち尽くしていた。
隣で、ルナがにこにこしていた。
「……入らないんですか」
「入りますわ♡」
ルナは、ドレスの裾を持ち上げて、リビングの扉に手をかけた。
そして、開けた。
「お久しぶりですぅ♡ キャルル、リーザ、キュララ〜」
三人の手から、コントローラーが落ちた。
◇◇◇
ゲームの効果音だけが、陽気に鳴り続けていた。
ピコピコ。ポッポー。
三人は、固まっていた。
キャルルの兎耳が、真上に立ったまま震えている。リーザの顔から、血の気が引いている。キュララの頭の輪っかが、ぷつんと消えた。
最初に声を出したのは、キャルルだった。
「ひ、ひいいい! ルナだああ!」
リーザが、床から跳ね起きた。
「スポンサーの登場ですわ!」
彼女は一瞬だけ目を輝かせて、ルナの抱えている金塊を見た。
それから、ぶんぶんと首を振った。
「で、でも! 腎臓売るなら、この泥棒猫を!」
リーザが、キュララの背中をルナのほうへ突き飛ばした。
「違うでしょ!」
キュララが、踏みとどまって振り返った。
「腎臓売るなら、この暴力兎を!」
今度は、キャルルの背中が押された。
「私無理無理!」
キャルルが、身を翻してリーザの後ろに回り込んだ。
「腎臓売るなら、この寄生魚を!」
リーザが、ルナの前に押し出された。
「なぜ私ですの!?」
「あんたが一番貧乏だから!」
「理由になってませんわ!」
リーザは、キュララの袖を掴んで前に引きずり出した。
キュララは、キャルルのパーカーのフードを掴んで前に引きずり出した。
キャルルは、リーザの芋ジャージの襟を掴んで前に引きずり出した。
三人が、ルナの前でぐるぐる回り始めた。
ゲーム画面の中で、ボンビーが汽車から汽車へ飛び移っていた。
◇◇◇
「……何が起きてるんですか」
俺は、玄関に立ったまま言った。
答えたのは、ルナだった。
「まぁ、皆さん、相変わらず仲がよろしいですわ♡」
三人が、ぴたりと止まった。
キャルルが、ゆっくりとこちらを向いた。
「……リオンさん」
「はい」
「なんで連れてきたんですか」
「道に迷っていたので」
「迷わせといてくださいよ!」
「交番の前で迷っていたので」
「……それは、無理ですね」
◇◇◇
キャルルは、俺を廊下に引っ張り出した。
白い兎耳が、完全に倒れていた。
「リオンさん。あの子、分かってます?」
「偽金を持っていました」
「そうなんです」
キャルルは、頭を抱えた。
「帝都にいた頃、四人でよくファミレスに行ったんです。ルナキンっていう、二十四時間のお店で」
「はい」
「ルナ、会計のたびに『ここは私が奢りますわ』って、道端の石を金貨に変えて出すんです」
「……三日で戻る」
「戻ります。で、店員さんが受け取った瞬間に、私がこう」
キャルルは、腰のトンファーに手をかけて、振り下ろす仕草をした。
「峰打ちで、後頭部を」
「……気絶させて」
「私の自腹で、払います」
キャルルの目が、遠くなった。
「帝都にいた一年で、たぶん四十回はやりました」
「四十回」
「給料の三割が、ルナの飲み代でした」
◇◇◇
「あと、もう一つ」
キャルルは、声を落とした。
「一番大事なことです」
「はい」
「ルナを、泣かせないでください」
俺は、眉を寄せた。
「……泣かせる予定はありませんが」
「予定がなくても泣くんです、あの子」
キャルルは、廊下の窓の外を指さした。
村の畑。森。道端の雑草。
「あの子、世界樹の森の次期女王候補なんです。で、世界樹が、あの子のことを溺愛してて」
「……」
「七歳のとき、虫歯で泣いたんです。そしたら、世界樹が怒って」
キャルルは、指を広げた。
「大陸中の植物が、地面から一斉に這い出してきて。都市の城壁がへし折れて、街道が全部分断されて」
「……」
「人類が、滅びかけました」
俺は、窓の外の雑草を見た。
さっき、足首に絡みついてきた蔦を思い出した。
「……虫歯で」
「虫歯で」
「泣いただけで」
「泣いただけで、です」
キャルルは、俺の袖を掴んだ。
「歯医者さん、首に蔦を巻かれながら治療したんですって。『泣かせたら一族郎党を養分にする』って、世界樹から直接念話が来てたそうです」
「…………」
「だからお願いします。泣かせないでください。絶対に」
◇◇◇
リビングに戻ると、状況が変わっていた。
ルナが、ソファに座っていた。
その両脇に、リーザとキュララが正座していた。キャルルの座っていた場所が、空いている。
「あ、キャルル。おかえりなさいですわ♡」
「……ただいま」
「私も混ぜてくださいますか?」
ルナは、床に落ちていたコントローラーを拾い上げていた。
三人が、目で会話した。
断ったら、泣く。
泣いたら、世界が滅ぶ。
キャルルが、震える声で言った。
「……い、いいよ。四人でやろっか」
「まぁ、嬉しいですわ♡」
◇◇◇
ゲームは、途中から四人になった。
ルナは、驚くほど上手くなかった。
汽車の進む方向を三回間違え、同じ駅を二周し、物件を一つも買わずに十年が経った。
「まぁ、楽しいですわ♡」
楽しそうだった。
三人は、終始、顔が引きつっていた。
そして、ゲーム内で十一年目の春。
画面の中で、黒い靄の老人が、にやにや笑いながら汽車を渡っていった。
キュララの汽車から、リーザの汽車へ。
リーザの汽車から、キャルルの汽車へ。
キャルルの汽車から——
ルナの汽車へ。
ぴたり、と止まった。
『ボンビーが、ルナ社長に取り憑きました!』
◇◇◇
ルナの手が、止まった。
「……あら?」
画面の中で、ボンビーがルナの汽車の上で笑っている。
『ルナ社長の物件を、売り飛ばしちゃうのねん!』
ルナは、物件を一つも持っていなかった。
ボンビーは、代わりに彼女の所持金を全部、道端に撒いた。
ルナの所持金が、ゼロになった。
ルナは、画面を見ていた。
翡翠の瞳が、ゆっくりと潤んでいった。
「……私、嫌われてしまいましたの……?」
その瞬間だった。
窓の外で、音がした。
ざわ、ざわ、ざわ。
村中の植物が、揺れていた。
風は吹いていない。
庭の雑草が、一斉にこちらを向いていた。畑の太陽芋が、土から顔を出していた。遠くの森の木々が、枝をしならせていた。
窓ガラスに、蔦が一本、張りついた。
二本。三本。
◇◇◇
「——私に付けて!」
キャルルが、叫んだ。
「ボンビー! こっち来て! 私、物件まだ三つ残ってる!」
「いえ! 私に!」
キュララが、コントローラーを連打した。
「私、資産一位だから! 一番おいしいのは私だよ! ほらほら!」
「お待ちなさい!」
リーザが、二人を押しのけて前に出た。
「私ですわ! 私に付けなさい!」
「リーザ、あんた最下位でしょ!」
「だからこそですわ!」
リーザは、胸を張った。
「私は、元々貧乏なので慣れてますの! ボンビーの一匹や二匹、痛くも痒くもありませんわ!」
三人が、コントローラーを握りしめて画面に向かって叫んでいた。
さっきまで押し付け合っていたものを、今度は全員で奪い合っていた。
俺は、窓の外の蔦を見ていた。
四本目が、張りついた。
◇◇◇
ゲームの仕組み上、ボンビーを他人に擦り付けるには、その相手の汽車を追い抜く必要がある。
ルナの汽車は、盤上の最果てにいた。
一番近いのは、最下位のリーザだった。
「サイコロ! サイコロ振りなさいですわ!」
リーザが、コントローラーを叩いた。
出た目は、六。
六マス進む。ルナの汽車を、ぎりぎりで追い抜いた。
『ボンビーが、リーザ社長に乗り移りました!』
画面の中で、黒い靄がルナの汽車から離れて、リーザの汽車に張りついた。
『リーザ社長の所持金を、全部いただいちゃうのねん!』
リーザの所持金が、ゼロになった。
元々、三百円しかなかった。
◇◇◇
ルナが、画面を見ていた。
それから、リーザを見た。
「……リーザ」
「なんですの」
「私のボンビーさん、持っていってくださったの?」
「当然ですわ」
リーザは、腕を組んだ。
「あなたのような世間知らずのお嬢様には、ボンビーは荷が重すぎますの。私のような、選び抜かれた貧乏人でなければ、飼いこなせませんわ」
ルナの瞳から、潤みが引いていった。
そして、ふわりと笑った。
「……リーザ、優しいですわ♡」
窓の外で、ざわめきが止んだ。
蔦が、するすると窓ガラスから離れていった。
太陽芋が、土の中に戻っていった。
森の木々が、しなりをやめた。
キャルルとキュララが、同時にソファに崩れ落ちた。
◇◇◇
リーザは、コントローラーを握ったまま、画面を見ていた。
画面の中で、ボンビーが彼女の汽車の上で踊っていた。
「……私」
リーザは、ぽつりと言った。
「ゲームの中でも、現実でも、貧乏神と一緒ですわ」
誰も、何も言えなかった。
キュララだけが、光る板を見ていた。
配信のコメント欄が、流れていた。
『今の何』
『人魚姫が貧乏神を引き取った』
『自己犠牲』
『泣ける』
『泣けない』
『ボンビーの気持ちになれ』
「……リーザ」
「なんですの」
「今の、同接跳ねたよ」
「投げ銭は?」
「……五円玉、十二枚」
「……ふふ」
リーザは、コントローラーを抱きしめた。
「今日は、大盛況ですわ」
◇◇◇
夕方、俺は村長宅を出た。
ルナは、今晩は村長宅に泊まることになった。キャルルが、この世の終わりのような顔で客間の布団を敷いていた。
バイクを押しながら村の広場を通ると、掲示板の前で足が止まった。
見慣れないチラシが、一枚貼られていた。
派手な赤と金の文字。
『まだ太陽芋掘りで消耗してるの?』
『誰でも月収金貨百枚! ゼロから始める冒険者ドリーム』
『あなたのハズレスキルが、今日から金の卵に変わる』
『サメジマ・アドベンチャー・サロン ポポロ村出張所 本日開講』
俺は、チラシに鼻を近づけた。
酸っぱい匂いがした。
嘘の匂いだ。それも、かなり濃い。
そして、その奥に。
もう一つ、別の匂いが混ざっていた。
この世界の土にも、鉄にも、草にも、混ざろうとしない匂い。
異物の匂い。
俺は、チラシを剥がして、手帳に挟んだ。
「賢者君」
『ハイ』
「このチラシの出所を、調べてくれ」
『了解シマシタ』
赤色灯が、夕焼けの中で回り始めた。
読んでいただきありがとうございます。
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