第三章「偽金と偽物と、七十二時間」
困りましたわ〜、道に迷ってしまいましたわ
皇城の反応については、執行部から一行だけ通達が来た。
『当該案件ハ本局預カリトス。現地採用員ハ待機セヨ』
管轄外だ。俺は、その紙を綴じて棚にしまった。
そして、いつもの朝に戻った。
◇◇◇
納豆を百回混ぜて、飯に乗せる。味噌汁をすする。
窓の外では、母さんが太陽芋の畑に出ていた。今日はタローマンが休みなので、朝から畝の手入れをしている。麦わら帽子に、サロペット。
「リオン、今年の芋、いい出来よ」
「そうか」
「ほら見て、この子なんか頭が三つもあるの」
「芋に頭はないよ」
「あるのよ、太陽芋は」
あるらしい。ポポロ村から分けてもらった品種で、日の光を浴びると機嫌がよくなる。機嫌がよくなると、甘くなる。理屈は知らない。
湯呑みを置いて、立ち上がった。
今日の予定は、午前に巡回、午後に報告書。いつも通りだ。
そう思っていた。
◇◇◇
ヘルメットを取って外に出たところで、足が止まった。
畑の畦道を、誰かが歩いてくる。
西の方角からだった。
西には、何もない。荒野の先は三つの国境が入り組んでいて、道らしい道もない。旅人が来るとしたら、東の街道からのはずだ。
その人影は、まっすぐ歩いていた。
本当に、まっすぐだった。畝も溝も岩も、一切避けずに。
近づいてくると、服が見えた。
フリルとリボンがたっぷりついた、ふわふわのドレス。裾が泥で汚れているが、本人は気にしていない。淡いエメラルドグリーンの長い髪が、風に揺れている。
手には、木の杖。
ただの木ではなかった。遠目にも分かるほど、中から光が滲んでいる。
「——困りましたわ〜」
その人は、俺の前で足を止めた。
翡翠色の瞳が、おっとりとこちらを見た。
「キャルル達を探していたら、道に迷ってしまいましたわ」
◇◇◇
「え?」
俺は、ヘルメットを持ったまま聞き返した。
「キャルル達の知り合いですか?」
「ええ。帝都で一緒に暮らしていたのですわ。キャルルと、リーザと、キュララ」
「キャルル達なら、村長宅にいますが」
「まぁ」
その人は、両手を胸の前で合わせた。
「ご親切にありがとうございます♡」
それから、足元に目をやった。
畦道の脇に、握り拳ほどの石が転がっている。彼女はそれを拾い上げ、杖の先でそっと撫でた。
光った。
次の瞬間、石が黄金色に変わっていた。
「これは御礼です」
差し出された。
ずしりと重そうな、金塊だった。
「いやいや、そんなお礼なんて。どうぞどうぞ」
俺は、両手を振った。
彼女は、きょとんとした。
「……あら?」
その瞬間だった。
◇◇◇
足元で、土が動いた。
畑の畝から、太陽芋が一斉に顔を出していた。
比喩ではない。本当に、土から顔を出していた。丸い芋の表面に、目と口のような窪みがある。それが何十個も、こちらを見ている。
『……断った』
『今、ルナ様の贈り物を断った』
『ギルティ?』
『ギルティ?』
『ギルティ?』
声が、聞こえた。
芋から。
「母さん」
「なあに」
「芋が喋ってる」
「言ったでしょ、頭があるって」
母さんは、鍬を持ったまま平然としていた。
足首に、何かが触れた。
見下ろすと、蔦だった。畦道の脇の雑草から伸びた細い蔦が、俺のブーツに巻きついている。一本、二本、三本。ゆっくりと、膝に向かって登ってくる。
背中を、冷たい汗が伝った。
十七年、天使に鍛えられてきた。魔獣とも、山賊とも、チート転生者とも向き合ってきた。
芋に殺されそうになったのは、初めてだった。
◇◇◇
「……少々、お待ちください」
俺は、胸ポケットから手帳を出した。
開いて、服務規程のページを探した。
蔦が、膝まで来た。
「大宇宙管理局服務規程、第十四条」
読み上げる。声が、少しだけ上ずった。
「執行官は、その職務に関し、いかなる名目であっても金品の供与を受けてはならない」
蔦の動きが、止まった。
「俺は、この地域の警察官です。道案内は職務です。職務に関して金品は受け取れません。これは法律の都合で、あなたのご厚意を否定するものではありません」
一息で言い切った。
畑が、静かになった。
太陽芋たちが、顔を見合わせていた。芋同士で。
『……規程なら』
『規程なら、仕方ない』
『公務員は大変だね』
『大変だね』
蔦が、するすると足首から離れていった。
芋たちが、土の中に戻っていく。
俺は、長く息を吐いた。
◇◇◇
「まぁ」
彼女は、金塊を抱えたまま微笑んでいた。
「お仕事熱心な方ですのね♡」
「……恐縮です」
「私、ルナと申しますわ。ルナ・シンフォニア」
ルナは、ドレスの裾をつまんで小さく一礼した。
「嘆きの荒野交番、巡査長のリオンです」
「まぁ、お巡りさんですの」
俺は、鼻で息を吸った。
癖だ。初めて会う相手の匂いは、必ず確かめる。
嘘をついている人間は、酸っぱい匂いがする。見栄を張っている人間は、少しだけ焦げた匂いがする。悪意のある人間は、腐った果物のような匂いがする。
十七年、それで外したことはない。
ルナからは、何も匂わなかった。
嘘も、見栄も、悪意も、何一つ。
花の匂いすらしなかった。本当に、何もない。
こんな人間は、初めてだった。
◇◇◇
『リオン巡査長』
胸ポケットの通信機から、賢者君の声がした。小声だった。気を利かせたらしい。
『先程ノ金塊ヲ、遠隔デ鑑定シマシタ』
「……結果は」
『表層、金。内部、花崗岩。変成魔法ノ痕跡アリ』
俺は、ルナの抱えている金塊を見た。
きらきらと、朝日を弾いている。
『持続時間、残リ七十一時間。経過後、元ノ石ニ戻リマス』
「…………」
俺は、ルナを見た。
ルナは、にこにこしていた。
何の曇りもない笑顔だった。
「……悪意がないのに、偽金だ」
「はい?」
「いえ、なんでもありません」
◇◇◇
「村長宅は、ここから東へ二十分です」
俺は、東の街道を指さした。
「道なりに行けば、柵が見えます。その先の、一番大きい建物です」
「まぁ、ありがとうございます♡」
ルナは、深々と一礼した。
そして、くるりと向きを変えて、歩き出した。
西へ。
「……ルナさん」
「はい?」
「そっちは西です」
「まぁ」
ルナは、立ち止まった。
それから、にっこり笑った。
「では、こちらですわね」
今度は、北へ歩き出した。
北には、崖がある。
俺は、ヘルメットを被った。
「母さん。ちょっと送ってくる」
「気をつけてね」
バイクのエンジンをかけて、ルナの横につけた。
「乗ってください」
「まぁ、よろしいんですの?」
「職務です」
「では、お言葉に甘えますわ♡」
ルナは、ドレスのままバイクの後ろに横座りした。
杖を抱えて、金塊を膝に乗せて。
「……その金塊は、置いていったほうが」
「キャルル達へのお土産ですわ♡」
俺は、何も言わずにアクセルを開けた。
◇◇◇
二十分の道のりで、ルナは三回、道端の花に話しかけた。
花は、三回とも答えた。
四回目に、野生の林檎の木が枝を伸ばして、彼女の手に実を落とした。
「まぁ、ありがとう♡」
林檎の木が、嬉しそうに葉を揺らした。
俺は、前だけを見て運転した。
◇◇◇
ポポロ村の柵を抜け、村長宅の前でバイクを止めた。
「着きました」
「まぁ、本当に着きましたわ」
ルナは、心底驚いた顔をしていた。
「私、ここに来るまで三週間かかりましたのよ」
「帝都から、ですか」
「ええ。まっすぐ歩いてきましたのに」
帝都からポポロ村は、馬車で四日だ。
俺は、何も言わなかった。
そのとき、村長宅の窓から、音が漏れてきた。
妙に陽気な音楽だった。ピコピコとした電子音で、汽車の汽笛のような効果音が混ざっている。
そして、その上から、三人分の声。
「——はあああ!? なんで私に付けるの!?」
「当然ですわ! 資産一位はあなたですもの!」
「キュララちゃんが一位でしょ! 私、二位だし!」
「えー、でも物件いっぱい持ってるじゃん先輩!」
「持ってない! 全部ボンビーに売られた!」
「ざまあですわ!」
「リーザ、あんた今最下位だからね!?」
ルナが、窓を見上げた。
翡翠の瞳が、きらきらと輝いていた。
「まぁ」
彼女は、金塊を胸に抱いた。
「楽しそうですわ♡」
俺は、なぜか、背中に嫌な汗をかいていた。
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