EP 8
確定申告、緩衝地帯支部
翌朝、俺はキュララに謝りに行った。
二〇三号室の扉を叩いて、開いた瞬間に言った。
「住民登録です」
「え?」
「あなたの居場所を天界に伝えたのは、十日前の住民登録です」
キュララは、寝間着のまま立っていた。
しばらく、まばたきをしていた。
「……あー」
そして、頭を掻いた。
「そういうこと」
「はい」
「なるほどね」
彼女は、畳に座り込んだ。
「じゃあ、巡査長のせいじゃん」
「はい」
「めっちゃ謝ってくれる?」
「謝ります」
「土下座は?」
「します」
俺は、膝をついた。
キュララが、慌てて飛び上がった。
「待って待って待って! 嘘だから! するなって!」
「しますが」
「しないで! 気持ち悪いから!」
◇◇◇
彼女は、畳の上であぐらをかいて、頬杖をついた。
「あのさ、巡査長」
「はい」
「私、三年間ずっと、いつか来ると思ってたの」
「……督促が」
「うん」
キュララは、天井を見た。
「天界を脱走するときに、規程は読んでるからね。二割取られるって知ってた。知ってて、払わなかっただけ」
「なぜですか」
「払い方が分かんなかったから」
彼女は、あっさり言った。
「調べれば分かったと思うよ。でも、調べたら払わなきゃいけなくなるじゃん。だから調べなかった」
「……」
「で、三年経った」
彼女は、頬杖を崩した。
「だから、これ、巡査長のせいじゃないの。私が三年サボった分の請求が、たまたま今日来ただけ」
◇◇◇
その日から、交番は缶詰になった。
作業は二つ。
一つ、代理店四社への告訴状を完成させること。
二つ、キュララの三年分の申告書を作ること。
「……なんで申告するの?」
「天界に納付するには、収入と支出の内訳が要ります」
俺は、机に白紙を並べた。
「督促状には『下界収益の二割』と書いてあります。収益とは、収入から必要経費を引いたものです」
「つまり」
「経費が増えれば、納付額が減ります」
キュララの目が、光った。
「じゃあ、経費いっぱい書けばいいじゃん」
「実際に使った分だけです」
「えー」
「架空計上は、犯罪です」
「ちぇ」
◇◇◇
役割分担は、こうなった。
俺が書式を作る。ニャングルが計算する。キャルルが記録を整理する。キュララが記憶を絞り出す。
そして、リーザ。
「私は、何をすればよろしいんですの」
「王女様も、三年分の申告をお願いします」
人魚姫の動きが、止まった。
「……私も、ですの?」
「路上興行の収入があります」
「……」
「三年分、お願いします」
リーザは、しばらく黙っていた。
それから、震える手でペンを取った。
そして、三分で書き終えた。
「……できましたわ」
俺は、受け取った。
【三年間の総収入】
一年目 七百二十円
二年目 八百六十円
三年目 五百二十円
合計 二千百円
「……二千百円」
「二千百円ですわ」
リーザは、胸を張った。
「ちなみに、内訳の九割が五円玉ですの」
ニャングルが、算盤を一度だけ弾いた。
「申告不要ですな」
「勝ちましたわ!」
「なんで勝った顔してんの」
キュララが、机を叩いた。
「三年で二千百円だよ!? 負けてるでしょ!」
「私は納税義務がありませんの」
「威張るところそこ!?」
◇◇◇
地獄が始まったのは、支出の仕分けだった。
ニャングルが、ペンを構えた。
「ほな、生活費から行きますわ。キュララはん、三年間の食費は」
「ゼロ」
「ゼロ?」
「うん。食べ物、買ったことない」
猫の耳が、ぴくりと動いた。
「……どうやって食べてはったんですか」
「もらった」
「誰に」
「リスナー」
ニャングルが、ペンを置いた。
「巡査長さん」
「はい」
「もらいもんは、経費になりまへん」
「知ってます」
「ほんで」
猫の目が、細くなった。
「もらいもんは、贈与ですわ」
◇◇◇
贈与には、税がかかる。
「え、待って」
キュララが、身を乗り出した。
「もらったのに、税金取られるの?」
「取られます」
「なんで! 私、頼んでないよ!」
「呟きましたよね」
「呟いただけじゃん!」
「呟いたら届く人は、頼んだのと同じです」
彼女は、頭を抱えた。
ニャングルが、帳面をめくった。
「順番に洗いますわ。この特上寿司、誰が払いましたん」
「リスナー」
「この高級家電は」
「リスナー」
「このお洋服は」
「リスナー」
「この、お茶碗は」
「リスナー」
猫のペンが、止まった。
「……キュララはん」
「なに」
「三年間で、自分の金で買うたもん、一個でもありますか」
キュララは、部屋を見回した。
畳の上に、彼女の全財産が置かれている。
鞄が一つ。カメラが一つ。光る板が一つ。
「……カメラと、鞄」
「二つだけですか」
「二つだけ」
「その板は」
「企業案件でもらった」
ニャングルが、帳面に顔を伏せた。
◇◇◇
三日目の深夜。
交番のデスク室は、紙で埋まっていた。
俺が書いた書式が、床に積み上がっている。数えるのをやめた。
キャルルは、椅子に座ったまま兎耳を垂らしていた。
リーザは、床で丸くなって寝ていた。二千百円の申告を終えた女は、平和な寝顔をしていた。
ニャングルは、算盤を抱えたまま計算を続けている。
そしてキュララは、机の向かいで、記憶を絞り出していた。
「……二年目の七月に、たぶん帽子をもらった」
「誰にですか」
「わかんない」
「金額は」
「わかんない」
「どこにありますか」
「捨てた」
俺は、ペンを止めた。
「……キュララさん」
「ごめん」
「いえ」
「ほんとにごめん」
彼女は、机に突っ伏した。
「私さ、三年間、ずっと『もらった』でやってきたの。何をもらって、いくらのもので、誰からもらったか、一個も覚えてない」
「……」
「今日、初めて数えようとして、分かった」
彼女は、顔を上げた。
アメジストの瞳が、赤くなっていた。
泣いてはいなかった。眠いだけだった。たぶん。
「私、三年間、一回も自分の生活してなかったんだね」
◇◇◇
その言葉に、誰も答えなかった。
ニャングルの算盤が、かたかたと鳴っていた。
それが止まった。
「……巡査長さん」
「はい」
「終わりましたわ」
猫が、帳面を閉じた。
三日と、十一時間。
俺の書いた申告書は、九百四十枚になっていた。
◇◇◇
「三年間の収益、銀貨五百九十万枚」
ニャングルは、静かに読み上げた。
「ただし、この収益のうち、実際にキュララはんの手に渡ったんは、銀貨三百枚」
「三十万円です」
「へえ」
猫は、帳面を叩いた。
「納付すべき額は、収益の二割。銀貨百十八万枚」
「……十一億八千万」
「へえ」
「督促状は、十四億でした」
「あれは、総収入に対して計算されとります。経費を引いとらん」
ニャングルは、煙管を咥えた。
「九百四十枚書いたおかげで、二億二千万減りましたわ」
俺は、ペンを置いた。
右手が、震えていた。
「キュララさん」
「はい」
「十一億八千万です」
「うん」
「代理店から戻る見込みが、十一億五千万」
「うん」
「足りない分は」
俺は、暗算した。
「三千万です」
◇◇◇
沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、キュララだった。
「……三千万」
「はい」
「二億五千万じゃなくて?」
「九百四十枚書いたので」
彼女は、床に積まれた紙の山を見た。
それから、俺を見た。
「……二億二千万、紙で減ったの?」
「はい」
「紙で」
「はい」
キュララは、立ち上がった。
そして、紙の山の前にしゃがみ込んだ。
一枚、手に取った。
「これ、全部、巡査長が書いたの?」
「はい」
「三日で九百四十枚?」
「三日と十一時間です」
彼女は、その紙をじっと見ていた。
それから、小さく笑った。
「……寿司の二百四十枚のとき、私、意味あるのって聞いたよね」
「聞かれました」
「意味、あったね」
「あります」
◇◇◇
だが、三千万は残っている。
「ニャングルさん。何か手は」
「ありますわ」
猫は、即答した。
「三つほど」
「聞かせてください」
「一つ」
ニャングルは、指を立てた。
「キュララはんの活動を、ポポロ村の広報事業として再構成しますねん。村が発注者、キュララはんが受注者。緩衝地帯は課税権の外やさかい、天界の取り分も——」
「それ、脱税です」
猫の耳が、倒れた。
「ちゃいます。節税ですわ」
「実態が伴っていません」
「伴わせたら、よろしいですやん」
俺は、ペンを取り直した。
少し、考えた。
「……伴わせましょう」
ニャングルが、顔を上げた。
「へ?」
「実態を、作ります」
◇◇◇
「キュララさん」
「はい」
「あなた、この村で何をしていますか」
彼女は、きょとんとした。
「え? 配信」
「何を配信していますか」
「んー、納豆の話とか」
「あと」
「規約の読み上げ」
「それを見た人は、何をしましたか」
キュララの動きが、止まった。
「……特定班、解散した」
「はい」
「あと、みんなで村のお金買った」
「はい」
俺は、手帳を開いた。
「賢者君。ポポロ村の対外広報予算は」
『計上ナシデス』
「村の対外的な情報発信を担当している者は」
『存在シマセン』
「この一ヶ月で、村に流入した外貨は」
『銀貨四十二万枚』
俺は、手帳を閉じた。
「村長」
椅子で船を漕いでいたキャルルが、飛び起きた。
「はいっ」
「ポポロ村に、広報担当を置いてください」
白い兎耳が、ゆっくりと立ち上がった。
◇◇◇
キュララが、口を開けた。
「……え、私?」
「あなたです」
「え、でも、私、遊んでるだけだよ」
「あなたが読み上げた規約で、特定班が解散しました」
俺は、指を一本立てた。
「あなたが呟いたことで、村に四億二千万が入りました」
二本目。
「あなたが村の位置を隠したことで、村の防衛が保たれました」
三本目。
「これは、広報です」
キュララは、俺を見ていた。
頭の輪っかが、ちかちかと点滅した。
消えていた光が、戻りかけていた。
「……でもさ」
「はい」
「それ、ちゃんとやったら、税金かかるよね」
「かかります」
「天界にも、取られるよね」
「取られます」
「じゃあ意味なくない?」
俺は、ペンを取った。
「意味はあります」
俺は、白紙を一枚引き寄せた。
「今までは、一銭も手元に残りませんでした。これからは、残ります」
◇◇◇
ニャングルが、算盤を取った。
猫の目が、久しぶりに金貨の色に光っていた。
「巡査長さん」
「はい」
「それ、本気でやりますか」
「やります」
「ほな、契約書が要りますわ。村と、キュララはんの」
「作ります」
「業務範囲、成果指標、報酬の算定根拠、期間、解約条項」
「全部、書きます」
「あと、天界への納付の手続きも」
「書きます」
「三千万の分割返済の申請も」
「書きます」
猫は、煙管を咥えた。
そして、にやりと笑った。
「……何枚になりますやろな」
俺は、白紙の束を引き寄せた。
「数えません」
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