EP 6
ポポロゴールドと、錬金術の猫
封筒は、渡さなかった。
正確には、渡すタイミングを逃した。
その朝、交番に飛び込んできたのが、ニャングルだったからだ。
「巡査長さん! 大変ですわ!」
「何がですか」
「大成功ですわ!」
「……どっちですか」
猫は、机の上に帳面を叩きつけた。
「PGが、帝国金貨を抜きましたで」
◇◇◇
PGというのは、ポポロゴールドの略だ。
ポポロ村の独自通貨で、要するに村内だけで通用する商品券に近い。発行元はゴルド商会ポポロ村支部、つまりニャングル。裏付けは、村の農産物と、ドンガンとの取引実績。
村の中でしか使えないので、俺は今まで気にしていなかった。
「抜いた、とは」
「両替レートですわ」
猫は、帳面を開いた。
「三日前まで、PG一枚に対して帝国金貨〇・九枚。昨日、一・〇二枚。今朝、一・一一枚」
「……上がってるんですか」
「上がっとります」
「なぜ」
「買われとるからですわ」
ニャングルは、煙管に火を入れた。
「例の投げ銭、覚えてますやろ」
「八千万の」
「あれ、返金しましたな。ほんで、返された八万二千人が、何をしたと思います」
俺は、嫌な予感がした。
「……また、送ってきた」
「ちゃいます」
猫は、にやりと笑った。
「PGを、買い始めましたんや」
◇◇◇
「投げ銭は受け取ってもらえん。物を送っても、届出やら何やらで面倒がられる」
ニャングルは、指を折った。
「ほな、村の通貨を買うたらどうや、いう発想ですわ。PGを買うて、村に外貨が入る。村が潤う。交番も潤う。誰も規程に触れん」
「……誰が言い出したんですか」
「コメント欄ですわ」
俺は、椅子に座った。
「三日で、外貨がいくら入りました」
「銀貨、四十二万枚」
「四億二千万円です」
「へえ」
猫は、帳面を撫でた。
「人口千人の村に、四億二千万ですわ。一人当たり四十二万」
俺は、天井を見た。
「ニャングルさん」
「へえ」
「PGの発行総額は」
「元々、銀貨六万枚分ですわ」
「そこに、四十二万枚の外貨が入った」
「へえ」
「足りてませんよね」
猫の耳が、ぴくりと動いた。
「……せやから、刷りますねん」
◇◇◇
ゴルド商会ポポロ村支部、という看板は、村の集会所の隣に出ていた。
三日前まで、そこは物置だった。
中に入ると、机が一つと、木箱が二つと、奥に印刷機が置かれていた。
ドンガン製の、小型の魔導印刷機だ。
その周りに、刷り上がったばかりのPG札が積み上がっていた。
「これ、いくら分ありますか」
「銀貨、三十六万枚分ですな」
ニャングルは、札束の山を撫でた。
「あと六万枚刷ったら、需要に追いつきますわ」
俺は、その山を見た。
そして、手帳を開いた。
「ニャングルさん」
「へえ」
「それ、通貨偽造です」
猫の手が、止まった。
◇◇◇
「……何を言うてはるんですか」
ニャングルは、ゆっくりと振り返った。
「うちが発行元でっせ」
「発行元だから、偽造なんです」
「意味が分かりまへん」
「裏付けのない発行は、偽造と同じです」
俺は、札束の山を指さした。
「PGは、何を裏付けに発行されていますか」
「村の農産物と、ドンガンとの取引実績ですわ」
「それは、いくら分ですか」
「銀貨、六万枚分ですな」
「今、刷ったのは」
「……三十六万枚」
「六倍です」
ニャングルの尾が、止まった。
「裏付けが六万枚しかないのに、三十六万枚分の紙を出したら、それは価値のない紙です」
俺は、札を一枚つまみ上げた。
「村人がこれを受け取って、村の外で使おうとした瞬間、紙になります」
「使えますで!」
猫が、声を上げた。
「今、レートが一・一一ですわ! 帝国金貨より強いんですわ!」
「なぜ強いんですか」
「買われとるからですわ!」
「なぜ買われているんですか」
ニャングルが、言い淀んだ。
「……交番の人に給料を、いうやつですわ」
「それは、いつまで続きますか」
沈黙が落ちた。
◇◇◇
「賢者君」
『ハイ』
「ポポロ村の配信関連の話題量を、三日ごとに集計してくれ」
『了解シマシタ。——三日前、一〇〇。二日前、七三。昨日、四一。本日、正午時点デ一九』
俺は、猫を見た。
「五日で、五分の一です」
「……」
「人は、飽きます」
ニャングルは、札束の山に手を置いたまま動かなかった。
「飽きた瞬間、PGを買う理由がなくなります。買う理由がなくなったら、持っている人は売ります。売りが出たら、レートが下がります」
俺は、札を戻した。
「そのとき、三十六万枚分の紙が村の中に残っています」
「……」
「村人が持っているのは、それです」
◇◇◇
ニャングルは、長いこと黙っていた。
煙管の火が、消えていた。
「……巡査長さん」
「はい」
「うち、四十年、商売しとります」
「はい」
「儲かる話は、全部やってきましたわ。危ない橋も渡りました。せやけど」
猫は、顔を上げた。
「村の金で遊んだことは、一遍もありまへん」
「知ってます」
「なんで分かりますのん」
「あなた、この村に来て三年ですよね」
俺は、帳面を指さした。
「三年分の村の帳簿、全部合ってます。一円も」
ニャングルの耳が、ぴくりと動いた。
「……見はったんですか」
「監査です。年一回」
「……」
「だから、今回も合わせてください」
◇◇◇
猫は、札束の山を見た。
それから、煙管を咥え直して、言った。
「……焼きますわ」
「全部でなくていいです」
「え」
「裏付けの範囲なら、発行できます」
俺は、手帳を開いた。
「今の裏付けは銀貨六万枚分。ただし、外貨が四十二万枚入っています。これは実物の金です」
「……あ」
「外貨を準備金にすれば、その分は発行できます。ただし」
俺は、ペンを走らせた。
「準備率を決めてください。入ってきた外貨の何割を、いつでも払い戻せる状態で保管しておくか」
「何割がよろしいですか」
「俺は決めません」
俺は、ペンを置いた。
「決めるのは、発行元です。ただし、決めたら公表して、守ってください。それだけです」
◇◇◇
ニャングルは、算盤を取った。
三十分、弾いていた。
それから、顔を上げた。
「……八割」
「八割」
「へえ。入ってきた外貨の八割は、一円も動かさずに置いときますわ。動かせるのは二割だけ」
「厳しくないですか」
「厳しいですわ」
猫は、煙管に火を入れ直した。
「せやけど、相手は八万人ですねん。八万人が一斉に引き出しに来たら、五割やと持ちまへん」
彼は、算盤を閉じた。
「四十年商売しとると、分かりますねん。ようけ儲かる仕組みは、ようけ崩れます」
◇◇◇
その日の夕方、村の集会所の前に、告知が貼り出された。
『ポポロゴールド 発行準則
一、発行の裏付けは、村の産出物およびゴルド商会が保管する正貨とする
二、流入した正貨の八割は準備金として保管し、一切運用しない
三、発行残高および準備金残高は、毎月末に公表する
四、本準則に反する発行は行わない
ゴルド商会ポポロ村支部 ニャングル』
俺は、その横に、もう一枚を貼った。
『ポポロ村通貨発行監督規程(暫定)
嘆きの荒野交番 巡査長 リオン』
キャルルが、両方を読んで、白い兎耳をぴんと立てた。
「……リオンさん」
「はい」
「うちの村、中央銀行ができました」
「できてません」
「できてますよ」
「……できてますね」
◇◇◇
刷りすぎた三十六万枚分の札は、その夜、集会所の裏で焼いた。
ニャングルが、一枚ずつ火にくべた。
俺は、横で数えていた。記録を残すためだ。
「……巡査長さん」
「はい」
「これ、いくら燃えとるか分かりますか」
「三億六千万です」
「へえ」
猫は、次の一枚をくべた。
「うちの取り分やと、一億八百万ですわ」
「……」
「三割ですさかい」
火が、猫の顔を照らしていた。
「悔しないですか」
「悔しいですわ」
ニャングルは、即答した。
「ほんまに悔しいですわ。歯ぎしりしそうですわ」
彼は、また一枚くべた。
「せやけど、この村に来て三年、うちは一遍も夜逃げの心配をしとりまへん」
「……」
「四十年で、初めてですねん」
◇◇◇
全部燃え終わったのは、深夜だった。
灰を片付けていると、上から声がした。
「なにしてんの」
見上げると、キュララが浮いていた。
頭の輪っかが、闇の中で光っている。
「お金を燃やしてました」
「は?」
「三億六千万です」
「は!?」
天使が、急降下してきた。
「なんで! なんで燃やすの!」
「刷りすぎたので」
「もらえばよかったじゃん!」
「もらったら、俺が燃やされます」
キュララは、灰の山を見下ろした。
それから、ニャングルを見た。
猫は、灰の前でしゃがみ込んだまま、動かなかった。
「……ニャングルさん、大丈夫?」
「大丈夫ですわ」
「顔、死んでるけど」
「猫は、こういう顔ですねん」
◇◇◇
三人で村を歩いて帰った。
夜の村は静かで、遠くに交番の赤色灯が見えた。
「ねぇ、巡査長」
「はい」
「私の月収って、どこに行ってるんだろうね」
俺は、足を止めた。
「……なぜ、急に」
「今日、お金が燃えるの見たから」
キュララは、頭の後ろで手を組んで歩いていた。
「三億六千万って、私の月収の二日分くらいじゃん。それがさ、燃えたらゼロになるの、当たり前なんだけど、なんか、変な感じがして」
彼女は、空を見上げた。
「私、三年で百億稼いだんだよ。で、手元に三十万しかないの」
「……はい」
「その九十九億九千九百七十万、どこ行ったんだろ」
ニャングルが、初めて顔を上げた。
猫の目が、暗闇で光った。
「キュララはん」
「ん?」
「それ、ワテに調べさせてもらえますか」
キュララは、少し驚いた顔をした。
「え、いいけど。めんどくさくない?」
「めんどくさいですわ」
猫は、煙管を咥えた。
「せやけど、今日は三億六千万燃やしましたんで。何か数えとらんと、寝られまへん」
◇◇◇
交番に戻ると、机の上に封筒が置いてあった。
翼と天秤の封蝋。
キャルルが、置いていったらしい。付箋が貼ってあった。
『渡しそびれました。キュララちゃん宛です』
俺は、封筒を手に取った。
そして、扉のほうを見た。
キュララは、ニャングルと何か話しながら、もう帰ってしまっていた。
明日でいい、と思った。
思ってしまった。
俺は、封筒を机の引き出しに入れて、日報を書き始めた。
『リオン巡査長』
「なんだ」
『本日ノ記録、追加事項ハアリマスカ』
「通貨の焼却、三十六万枚分。監督規程の暫定施行。以上だ」
『了解シマシタ』
俺は、ペンを置いた。
「あと、明日の予定に一件入れてくれ」
『内容ヲ』
「キュララさんに、郵便を渡す」
『了解シマシタ。——優先度ハ』
俺は、少し考えた。
「低でいい」
『了解シマシタ』
後になって、俺はこの一言を何度も思い出すことになる。
読んでいただきありがとうございます。
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