EP 5
村が、観光地になりかけた
「両替手数料ですわ」
猫は、あっさり認めた。
翌朝、交番のデスク室。ニャングルは椅子の上に飛び乗って、煙管に火を入れながら言った。
「一件あたり、銀貨〇・三枚。三万一千件で、九千三百枚」
「九百三十万円です」
「へえ」
「三日で」
「へえ」
俺は、手帳を開いた。
「ニャングルさん。これ、俺の返金処理に紛れてやりましたね」
「紛れてまへん。堂々とやりましたわ」
猫は、煙を吐いた。
「巡査長さんが『手伝ってくれ』言うたさかい、手伝いましたんや。ほんで、手伝うには送金経路が要る。経路を作るには両替所が要る。両替所には手数料が要る。どこにも嘘はおまへんで」
その通りだった。
筋が、完璧に通っていた。
「開設の届出は」
「出しましたで。三日前に」
ニャングルは、鞄から紙を出した。
「ほれ、受理印。あんさんが押しはりましたやろ」
俺は、その紙を見た。
確かに、俺の印が押してあった。
三日前。返金処理の初日。徹夜明けの、午前四時。
「……覚えていません」
「せやろな」
猫は、にやりと笑った。
「あんさん、あんとき三十六時間起きとりましたもん」
◇◇◇
「賢者君」
『ハイ』
「両替所の開設届を、俺が受理した時刻は」
『三日前、午前四時十二分デス』
「その直前、俺は何をしていた」
『三十七通信網分ノ返金書式ヲ作成中デシタ』
「……賢者君」
『ハイ』
「止めろよ」
『受理要件ニ不備ハアリマセンデシタ』
俺は、額を押さえた。
「ニャングルさん」
「へえ」
「九百三十万、どうするんですか」
「村に入れますわ」
猫は、あっさり言った。
「ゴルド商会の取り分は三割。残り七割は、ポポロ村の財政へ」
「……村に」
「うち、村の財務担当ですねん」
ニャングルは、算盤を弾いた。
「今月の村の予算、ちょうど足りてまへんでした。防空ドームの拡張費でね。これで埋まりますわ」
俺は、しばらく黙っていた。
違法ではなかった。
届出は出ていて、受理したのは俺で、金は村に入り、使途は防衛設備だ。
どこにも、手帳を出す隙がない。
「……ニャングルさん」
「へえ」
「次から、徹夜明けの俺に書類を持ってこないでください」
「善処しますわ」
「今、嘘の匂いがしました」
「そら、猫ですさかい」
「関係ないです」
◇◇◇
その日の昼、キャルルが交番に飛び込んできた。
白い兎耳が、真上に立っていた。
「リオンさん」
「どうしました」
「うちの村、探されてます」
俺は、湯呑みを置いた。
「……探されている?」
「キュララちゃんの配信のコメント欄です」
彼女は、光る板を持っていた。借り物らしい。
画面に、文字の帯が流れていた。
『緩衝地帯ってどこ』
『地図見たけど載ってない』
『村の名前わかる人いる?』
『背景の山の形からいけそう』
『日照角度から緯度出せる』
『交番の人に会いに行きたい』
『#交番の人に給料を の続報求む』
俺は、画面を見た。
最後の一行で、手が止まった。
『特定班、集合』
◇◇◇
「キュララさん」
二〇三号室の扉を叩くと、十秒で開いた。
彼女は、畳の上で寝転がっていた。寝間着のまま、光る板を天井にかざしている。
「あ、巡査長。おはよ」
「今、何時だと思いますか」
「んー、昼」
「正午です」
「じゃあ合ってるじゃん」
俺は、部屋に入らずに言った。
「コメント欄を見ましたか」
「見たよ」
彼女は、板を下ろした。
「特定班でしょ」
「……ご存じなんですね」
「知ってるよ。私が育てたんだもん」
キュララは、起き上がった。
あぐらをかいて、こちらを見る。
「昔、犯人追う配信やってたの。空から追いかけて、視聴者に情報集めさせて、三分で名前と住所出すやつ」
「……三分」
「うん」
「何人くらいで、やるんですか」
「数百人かな。通信解析とか、地図の読める人とか、そういうのが勝手に集まるの」
彼女は、あくびをした。
「で、あの人たち、今ヒマなんだよね。私が追跡配信やめたから」
「やめたんですか」
「うん。飽きて」
◇◇◇
俺は、村長邸へ向かった。
キャルルは、机の前で腕を組んでいた。
飴玉の袋が、机の上で潰れていた。握りつぶしたらしい。
「リオンさん」
「はい」
「うちの村、自警団が魔導戦車を二両持ってます」
「知ってます」
「農民がバズーカを磨いてます」
「知ってます」
「地下に、核シェルター並みの避難所が網の目みたいに掘ってあります」
「……それは、初耳です」
「今、言いました」
キャルルは、兎耳をぴくりと動かした。
「観光客が来たら、どうなると思います」
「……」
「死にます」
彼女は、真顔だった。
「うちの自警団、村の入り口に指向性地雷が埋めてあるんです。手動起動なので、普段は安全なんですけど」
「普段は」
「マンミアさんが、判断します」
「……マンミアさんの判断基準は」
「『村に無断で近づく武装集団』です」
俺は、額を押さえた。
「武装していない観光客は」
「たぶん、大丈夫です」
「たぶん」
「五十人来たら、わかりません」
◇◇◇
俺は、交番に戻って、白紙を並べた。
「賢者君」
『ハイ』
「配信ガイドラインを作る」
『了解シマシタ』
「条文を起こす。第一条から」
三時間かかった。
出来上がったのは、十七条だった。
夕方、二〇三号室に持っていった。
キュララが、それを受け取った。
一枚めくった。
二枚めくった。
三枚目で、彼女は紙を下ろした。
「多いって」
「多くありません」
「十七条って何」
「十七条です」
「多いじゃん!」
彼女は、畳を叩いた。
「せめて三つにして! 三つならみんな覚えるから!」
「削れません」
「なんで!」
「全部、必要だからです」
俺は、一枚目を開いた。
「第一条。村の防衛設備、およびその一部を映してはならない。これには、自警団の装備、車両、地下構造物、通信設備を含む」
「うん」
「第二条。地形、日照、星位、その他から村の位置を推定しうる映像を公開してはならない」
「うん」
「第三条。村内の固有名詞のうち、村外に公開されていないものを発音してはならない」
「……」
「第四条。村人の顔、声、体格、種族的特徴のうち、個人を識別しうるものを——」
「あ、ごめん」
キュララが、手を上げた。
「もういい」
◇◇◇
彼女は、十七枚の紙を膝に乗せて、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「……これ、私が悪いんだよね」
「いいえ」
俺は、即答した。
「え」
「ガイドラインが必要になったのは、村に配信が入ってきたからです」
「だから、私のせいでしょ」
「そうです」
「そうじゃん」
「でも、悪くはありません」
俺は、畳に膝をついた。
「危険なものが入ってきたら、規則を作る。それが俺の仕事です。あなたが悪いから作るんじゃなくて、必要だから作るんです」
「……」
「村の入り口に柵を立てるのと、同じです」
キュララは、紙の束を見ていた。
頭の輪っかが、いつもより暗かった。
それから、彼女は顔を上げた。
「ねぇ」
「はい」
「これ、配信していい?」
「……何をですか」
「これ」
彼女は、十七枚を掲げた。
「読み上げる」
◇◇◇
配信のタイトルは、こうなった。
『【規約】これから守ること全部読みます』
午後八時。
キュララは、畳に正座していた。
いつもの地雷系ではなく、なぜか簡素な白い服を着ていた。
「はい、みんなこんばんは」
彼女は、紙を持ち上げた。
「今日はね、規約を読みます。以上です」
文字の帯が、流れた。
『は?』
『なにそれ』
『規約?』
『読み上げるの?』
「第一条。村の防衛設備、およびその一部を映してはならない。これには、自警団の装備、車両、地下構造物、通信設備を含む」
彼女は、淡々と読んだ。
声に抑揚がなかった。あえて、つけていなかった。
「第二条。地形、日照、星位、その他から村の位置を推定しうる映像を公開してはならない」
文字の帯が、止まった。
そして、また流れ始めた。
『声がいい』
『なんか落ち着く』
『読み上げASMR』
『眠くなってきた』
『天使ちゃんの朗読、初めて聞いた』
「第三条。村内の固有名詞のうち——」
◇◇◇
三十分後。
同時接続が、四百万を超えていた。
『規約読み上げASMR』
『これ需要ある』
『毎週やってほしい』
『第七条好き』
『第七条どこ』
『巻き戻した』
俺は、部屋の隅で見ていた。
隣で、ニャングルが煙管を咥えたまま呆然としていた。
「……巡査長さん」
「はい」
「規約を読んどるだけでっせ」
「はい」
「四百万人が、規約を聞いとります」
「はい」
「意味が分かりまへん」
「俺もです」
◇◇◇
最後の条文を読み終えて、キュララは紙を下ろした。
「——第十七条。以上」
彼女は、カメラを見た。
「で、一個だけ言っときます」
文字の帯が、少しだけ止まった。
「村の場所、探さないで」
彼女の声は、いつもより低かった。
「探さないでっていうか、探しても無駄だから。私も言えないし、言ったらここ追い出されるし」
『えー』
『会いに行きたかった』
『なんで』
『交番の人に給料渡したい』
「あー、それね」
キュララは、ちょっと笑った。
「あの人、受け取らないよ」
『は?』
『なんで』
『8000万あったよね』
『全額返ってきたけど』
『なんで返ってきたんだろうと思ってた』
「全部返したの、あの人。八万二千四百十七件、三日かけて」
文字の帯が、一瞬、空白になった。
「規程で受け取れないんだって。だから、返した。手作業で」
彼女は、頬杖をついた。
「で、私が『欲しくなかったの?』って聞いたら、『欲しかった』って言ったの。三十秒考えたって」
『三十秒』
『人間じゃん』
『三十秒で戻ってくるの強すぎる』
『8000万を3日で返すほうが労力やばくない?』
「そうなんだよね」
キュララは、笑った。
「受け取るより、返すほうが大変なの。でもあの人、大変なほうをやるんだよ」
◇◇◇
配信が終わったあと、コメント欄に一つの動きが出た。
『特定班、解散でいいですか』
『了解』
『撤収』
『会いに行くのやめます』
『規約守ります』
『#交番の人に給料を は続けます』
翌朝、キャルルが交番に来た。
光る板を持って、俺の前に置いた。
「リオンさん。特定班、解散したそうです」
「……解散」
「はい。キュララちゃんが言ったからって」
俺は、画面を見た。
文字の帯が、まだ流れていた。
『天使ちゃんが守れって言ったから守る』
『規約読み上げ、また聞きたい』
『第七条、結局どれ?』
「……第七条は、映像の保存期間についてです」
「言わないでください。第三条です」
「……すみません」
◇◇◇
その夜、二〇三号室の前を通ると、扉が開いていた。
キュララが、畳の上に十七枚を並べていた。
「キュララさん」
「あ、巡査長」
彼女は、顔を上げた。
「見て。私、第七条だけ暗記した」
「なぜ第七条を」
「一番人気だったから」
彼女は、紙を指さした。
「あのさ」
「はい」
「私、三年間、規約って破るものだと思ってたんだよね」
「……」
「配信の規約とか、天界の規約とか。全部、抜け道を探すためにあるって」
キュララは、畳の上の紙を手で撫でた。
「でも、これ、守らせるために作ったんじゃなくて、守るために作ったんでしょ」
俺は、答えた。
「そうです」
「そっか」
彼女は、紙を揃えた。
そして、一番上の一枚を持ち上げて、言った。
「ねぇ、これ、来週も読んでいい?」
「どうぞ」
「毎週やろうかな。シリーズ化」
「十七条しかありませんが」
「じゃあ増やして」
「……増やしません」
◇◇◇
その翌日の朝、村の郵便受けに、封筒が一通入っていた。
村の郵便受けは、村長邸の前にある。ポポロ村に届く郵便は、全部そこに集まる。
キャルルが、それを持ってきた。
「リオンさん。これ、キュララちゃん宛なんですけど」
「差出人は」
「書いてないんです」
彼女は、封筒を差し出した。
上等な紙だった。この世界のものではない手触りがする。
そして、封蝋が押してあった。
俺は、その紋章を見た。
翼と、天秤。
見たことのある図柄だった。
十七年前、荒野の交番の前で、六枚の翼を持った女が立っていたとき。
彼女の胸当てに、同じ紋章が刻まれていた。
「……賢者君」
『ハイ』
「この紋章は」
『照合完了』
賢者君の声が、いつも通り平坦に言った。
『天界セレスティア、財務局』




