EP 4
手取り十四万の密着配信
請願書の審査に、丸一日かかった。
といっても、署名を数えたわけではない。数えられる量ではない。
俺がやったのは、署名者の要件確認だった。
「賢者君。請願の要件は」
『ポポロ村請願規程。請願ヲ提出デキル者ハ、村内ニ住所ヲ有スル者、又ハ村内ニ利害関係ヲ有スル者』
「この八千万人のうち、村内に住所を有する者は」
『照合中。——二名』
「誰だ」
『リーザ・シーラン・リヴァイアサン。キュララ・アルセルラ』
俺は、巻物を巻き直した。
「では、有効署名は二件です」
「ちょっと!?」
キュララが、机を叩いた。
「八千万集めたのに!?」
「八千万人が、この村に住んでいません」
「利害関係あるでしょ! 私の配信見てるんだから!」
「配信を見ることは、村の規則に対する利害関係になりません」
「なんで!」
「なったら、この村の規則は八千万人で決めることになります」
天使が、言葉に詰まった。
俺は、巻物を返した。
「有効署名二件の請願として、村長に上げます。審査はされます」
「……二件で審査されるの?」
「一件でもされます」
「じゃあ八千万、意味なかったじゃん」
「そうなります」
キュララは、机に突っ伏した。
「……一晩かけて集めたのに」
◇◇◇
請願の審査結果は、その日の夕方に出た。
キャルルは、村長邸の机で巻物を広げ、三十分考えてから判を押した。
「却下です」
「なんで!」
「理由は、防衛上の都合」
キャルルは、兎耳をぴくりと動かした。
「うち、広場に何が置いてあるか知ってますよね」
「……戦車」
「あれ、二両あるんです。で、路上興行が増えると、広場に人が集まります」
彼女は、飴玉の袋を指で弄んだ。
「人が集まると、戦車が動かせなくなるんです。緊急時に」
「え、動かすの?」
「動かします」
「戦車を? 広場で?」
「先月、動かしました」
キュララが、頭の輪っかをぺたぺた触った。
「……この村、なに?」
◇◇◇
ただし、と。
キャルルは、続けた。
「請願は却下しますけど、代わりに一つ提案があります」
彼女は、俺を見た。
「リオンさんの密着企画、どうですか」
「……は?」
「キュララちゃん、撮れ高が欲しいんですよね」
「うん」
「うちの村を撮るのは、第二条で制限があります。でも、交番の中は村の設備じゃありません」
キャルルは、にっこり笑った。
「リオンさんの仕事なら、いくら撮っても防衛情報は出ません」
俺は、湯呑みを置いた。
「村長」
「はい」
「俺の業務は、調書の作成と、届出の処理と、巡回記録の整理です」
「はい」
「絵になりません」
「なりませんね」
「では、なぜ」
キャルルは、飴玉を一つ、机に置いた。
「リオンさん。あなた、十七年間、誰にも見られないで仕事してきたでしょう」
俺は、答えなかった。
「一回くらい、見られてもいいと思います」
◇◇◇
企画名は、キュララが決めた。
『【作業用】六時間四十分かけて調書を書く警察官をノーカットで流します』
「誰も見ませんよ」
「うん、たぶんね」
彼女は、カメラを三脚に固定しながら言った。
「でも私、一ヶ月分の企画を出さなきゃいけないの。日曜の夜って、みんな暇じゃん。だから、つまんないのを一本流しとくと、たまに刺さるんだよね」
「……つまらない自覚はあるんですね」
「あるよ。つまんないほうがいいの、こういうのは」
彼女は、カメラの角度を調整した。
「面白くしようとすると、みんな身構えるから」
◇◇◇
配信は、午後六時に始まった。
「はい、みんなこんばんは。今日はね、何もしません」
キュララは、カメラの外から言った。
「そこに座ってる人が、書類を書きます。以上です。じゃあね」
彼女は、それきり喋らなかった。
俺は、机に向かった。
案件は、先週の傷害事件だった。村の酒場で、農夫が二人殴り合って、片方が肋骨を一本折った。被疑者は既に取り調べ済み。あとは調書を清書して、村の司法に送るだけだ。
ペンを取った。
紙に、ペン先が触れる音がした。
しん、とした部屋に、それだけが響いた。
◇◇◇
一時間後、同時接続が三十万を超えた。
二時間後、百万を超えた。
俺は気づいていなかった。
気づいたのは、三時間目に湯呑みを取ろうとして、キュララがこちらを見ているのに気づいたときだ。
「……どうしました」
「しっ」
彼女は、口の前に指を立てた。
そして、光る板の画面を、俺のほうに向けた。
数字が、出ていた。
同時接続、三百二万。
文字の帯が、流れている。
『何これ』
『ペンの音がいい』
『作業用に最高』
『三時間見てる』
『寝れる』
『この人、一回も休んでない』
『紙をめくる音が好き』
『賢者君の声がツボ』
「……なぜですか」
「知らない」
キュララは、小声で言った。
「でもね、こういうのたまにあるの。何も起きない配信のほうが伸びることって」
「……」
「みんな、疲れてるんだよ」
◇◇◇
午後十一時。
俺は、五冊目のファイルを開いた。
調書は終わった。今やっているのは、先月分の巡回記録の整理と、届出書の綴じ込みだ。
そして、給与関係の書類を出した。
月末なので、経費の精算がある。
交番維持費、六万円。内訳は、ゴーレム稼働費、車両整備費、PX運営費。
その明細を、机の上に広げた。
賢者君が、読み上げた。
『今月ノ支給額ヲ確認シマス。基本給、二〇〇〇〇〇円』
俺は、ペンを走らせた。
『交番維持費、六〇〇〇〇円』
「はい」
『差引支給額、一四〇〇〇〇円』
文字の帯が、止まった。
一秒。
二秒。
そして、画面が真っ白になった。
◇◇◇
『は?』
『は?』
『は?』
『いま何て言った』
『14万?』
『巻き戻した』
『14万だった』
『この人、さっきまで何時間書いてた?』
『6時間』
『え、毎日?』
『待って』
『待って』
キュララが、飛び起きた。
「あ、やば」
彼女は、カメラに駆け寄った。
「ごめん、今の映った? 映ったよね」
「何がですか」
「明細」
俺は、机の上を見た。
三脚の角度が、ちょうど机の天板を捉えていた。
「……映りましたね」
「消せない」
「消せないんですか」
「ライブだもん」
キュララは、頭を抱えた。
「もう八千万人が見た」
◇◇◇
午前零時を回った頃から、虹色が始まった。
最初は、数件だった。
それが、十件になり、百件になり、千件になった。
画面の端が、常に虹色に光っている状態になった。
「……止まらない」
キュララが、呆然と板を見ていた。
「なに、これ」
文字の帯の中に、同じ言葉が繰り返し流れていた。
『#交番の人に給料を』
「トレンド一位になってる」
彼女は、板をひっくり返した。
「え、待って。金額が」
「いくらですか」
「……銀貨、八万枚」
俺は、ペンを置いた。
「八千万円です」
「うん」
「一晩で」
「四時間で」
◇◇◇
朝、交番の前にニャングルが立っていた。
煙管を咥えたまま、震えていた。
「巡査長さん」
「はい」
「八千万でっせ」
「聞きました」
「一晩で、八千万でっせ」
「聞きました」
猫は、両手で俺の袖を掴んだ。
「受け取ってくださいや」
「受け取れません」
「なんでですのん!」
「公務員は、職務に関して金品を受け取れません」
俺は、手帳を開いた。
「大宇宙管理局服務規程、第十四条。執行官は、その職務に関し、いかなる名目であっても金品の供与を受けてはならない」
「……名目」
「はい」
「ほな、職務と関係ない名目やったら」
「今回の投げ銭は、俺が調書を書いている配信に対して行われました」
「……」
「職務そのものです」
ニャングルは、地面に膝をついた。
「八千万……」
◇◇◇
全額、返金することになった。
件数、八万二千四百十七件。
「賢者君。返金処理を」
『処理ヲ開始シマス』
三秒後。
『——処理能力ヲ超過シマシタ』
「なに」
『当機ノ会計処理系ハ、一日当タリノ処理上限ガ千件デス』
「八万件あるぞ」
『八十二日カカリマス』
俺は、額を押さえた。
「ニャングルさん」
「……へえ」
「手伝ってください」
猫が、顔を上げた。
その目が、また金貨の色に光った。
「返金手数料は」
「取れません」
「……手伝いますわ」
◇◇◇
三日かかった。
五人全員で、交番に缶詰になった。
ニャングルが計算し、キャルルが名簿を整理し、キュララが送金経路を叩き、リーザが封筒に宛名を書き、俺が返金理由書を作った。
返金理由書の文面は、一種類でいい。
そう思っていた。
「巡査長さん。あきまへん」
「なにがですか」
「送金元が、三十七の通信網に分かれとります。網ごとに書式が違いますわ」
「……三十七」
「はい」
俺は、机に突っ伏した。
その横で、リーザが黙々と封筒を書いていた。
「王女様」
「なんですの」
「なぜ、手伝ってくれてるんですか」
彼女は、ペンを止めなかった。
「三十貫の件、黙っていてくださったでしょう」
「……記録には残してあります」
「訓告ですわよね。公表されてませんわ」
リーザは、封筒を一枚、積み上げた。
「私、借りは返しますの。深海の王族ですので」
「……ありがとうございます」
「ただ」
彼女は、顔を上げた。
「八万件のうち、九件だけは、私に返してもよろしくて?」
「なぜですか」
「私の、おじさんですわ」
彼女は、名簿の一箇所を指さした。
「この九人、私の五円玉の方々ですの。この人たち、一人銀貨五枚も投げてますのよ」
リーザの指が、震えていた。
「五円玉の人たちが、五千円も」
◇◇◇
三日目の夜、返金が終わった。
八万二千四百十七件、全額。
俺は、最後の一件の控えに判を押した。
デスク室に、五人が転がっていた。
ニャングルは算盤を抱えたまま寝ている。キャルルは椅子に座ったまま、兎耳が垂れている。リーザは床で丸くなっていた。
キュララだけが、起きていた。
机の向かいで、頬杖をついて、こちらを見ていた。
「……巡査長」
「はい」
「八千万、いらなかったの?」
「規程です」
「規程じゃなくて」
彼女は、頬杖を崩した。
「欲しくなかったの?」
俺は、判を置いた。
少し考えた。
「欲しかったです」
「……え」
「一瞬、計算しました」
俺は、正直に言った。
「八千万あれば、この交番を建て替えられます。留置房を四つに増やせます。母に、パートを辞めてもらえます」
「……」
「三十秒くらい、考えました」
キュララは、しばらく黙っていた。
「で、なんでやめたの」
「受け取ったら、次から俺の調書が変わるからです」
俺は、机の上の返金控えの束を指さした。
「八万人が見ている前で書いた調書と、誰も見ていないところで書いた調書が、同じである保証がなくなります」
「……同じじゃん」
「同じにしたいです」
俺は、湯呑みを持ち上げた。
「だから、受け取れません」
◇◇◇
キュララは、机に突っ伏した。
しばらく、動かなかった。
それから、顔だけをこちらに向けた。
「……あのさ」
「はい」
「私、三年間で、たぶん百億くらい稼いでるんだよね」
「はい」
「で、今、手元に銀貨三百枚しかないの」
俺は、湯呑みを止めた。
「……三十万円ですか」
「うん」
「百億稼いで」
「うん」
彼女は、笑った。
「バカみたいでしょ」
俺は、何も言わなかった。
言うべきことが、思いつかなかった。
「まあいいや」
キュララは、起き上がった。
のびをして、光る板を畳んだ。
「寝る。おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女が出ていったあと、俺は返金控えの束を金庫にしまった。
そして、日報を書いた。
返金処理、八万二千四百十七件、完了。
ペンを置いたところで、賢者君が低く鳴った。
『リオン巡査長』
「なんだ」
『返金処理ノ過程デ、異常ヲ検出シマシタ』
「なんだ」
『返金先ノ照合中ニ、一部ノ送金元ガ、同一ノ経路ヲ経由シテイマス』
俺は、顔を上げた。
「どういうことだ」
『八万二千四百十七件中、三万一千件ガ、ポポロ村内ノ両替所ヲ通過シテイマス』
「……村内?」
『ハイ』
「この村に、両替所があるのか」
『三日前ニ、開設サレテイマス』
「誰が」
『開設者——ゴルド商会ポポロ村支部。代表、ニャングル』
俺は、床を見た。
猫が、算盤を抱えて、気持ちよさそうに寝ていた。




