EP 2
ルナ・イーツ緩衝地帯支店
「作れません」
「なんでですのん」
「立法権がないからです」
俺は、手帳を閉じた。
「税を取るには、課税の根拠になる法律が要ります。法律を作るには、立法権を持つ機関が要ります。緩衝地帯には、それがありません」
「村長がおりますがな」
「村長は行政です」
「ほな村の寄合は」
「寄合は、村の中のことしか決められません。荷馬車は村の外から来ています」
ニャングルの尾が、いらいらと左右に振れた。
「……巡査長さん。八十万でっせ」
「八十万でも駄目です」
「日銭で八十万でっせ」
「聞こえてます」
猫は、煙管を咥えたまま、しばらく黙っていた。
それから、ぼそりと言った。
「ほな、あんさんが作ってください」
「……は?」
「あんさん、大宇宙管理局の現地採用でしたな」
ニャングルの目が、光った。
「管轄内の秩序維持が職務ですやろ。ほんなら、管轄内に物が入ってくる手続きくらい、定められますわな」
◇◇◇
「賢者君」
『ハイ』
「執行官に、管轄内の手続き規程を定める権限はあるか」
『アリマス』
俺は、手を止めた。
『執行官ハ、管轄区域ニオケル秩序維持ノ為ニ必要ナ事務手続キヲ、自ラ定メルコトガデキマス。ナオ、罰則ヲ伴ウ規定ハ、上位機関ノ承認ガ必要デス』
「罰則なしなら」
『即日施行可能デス』
「……税は」
『徴収権ハアリマセン』
ニャングルが、床に崩れ落ちた。
「税は取れんのですか」
「取れません」
「ほな何ができますのん」
「手続きです」
俺は、机の引き出しから白紙の束を出した。
「緩衝地帯に持ち込まれる物品について、届出を義務づけます」
◇◇◇
広場に出ると、既に宴会が始まっていた。
荷馬車四十台分の積荷が、片っ端から開封されている。
村人たちが、見たこともない菓子の箱を開け、生花の束を抱え、魔導機器の使い方が分からずに叩いている。
その中心に、桜色のツインテールがいた。
「みんなー! ありがとー!」
キュララが、光る板に向かって両手を振っていた。
「見て見て、この村の人たち、みんな優しいの! え、なに、そこのおじさん芋くれた! ありがと〜!」
彼女の足元に、真っ赤な箱が五台分、積み上がっている。
特上桶だ。
俺は、その前で足を止めた。
「キュララさん」
「あ、巡査長。見て、寿司」
「見ています」
「食べる?」
「食べません」
俺は、桶の蓋を開けた。
中に、寿司が並んでいた。
一桶に、四十八貫。五桶で、二百四十貫。
「賢者君」
『ハイ』
「記録を」
『了解シマシタ』
◇◇◇
「はい、届出書です」
俺は、キュララの前に紙の束を置いた。
「緩衝地帯物品持込届。本日より施行します」
「……何これ」
「届出です」
「だから何これ」
「緩衝地帯には、輸入の概念がありません。誰がどこから何を持ち込んだか、記録が一切残らない。これは危険です」
俺は、真っ赤な箱を指さした。
「たとえば、これ。生の魚です」
「うん、寿司だもん」
「どこで、いつ獲れましたか」
「……え」
「どういう経路で、何時間かけて、どういう温度で運ばれましたか」
キュララが、まばたきをした。
「知らないけど」
「誰が作りましたか」
「知らない」
「この村で食中毒が出た場合、原因をどうやって特定しますか」
天使が、黙った。
「記録がないと、追えません」
俺は、ペンを差し出した。
「だから、書いてもらいます」
◇◇◇
「一品目につき、一枚です」
その一言で、広場が静かになった。
「……え」
「一品目につき、一枚です」
「待って」
キュララが、真っ赤な箱を見た。
それから、俺を見た。
「一品目って、どういう単位?」
「品目です。マグロならマグロ、イカならイカ」
「あー、なるほど。じゃあ十枚くらい——」
「同一品目でも、産地と製造日が異なる場合は別に記載します」
「え」
「同じマグロでも、獲れた海が違えば別品目です」
キュララの頭の輪っかが、ちかちかと点滅した。
「……桶五台だよ?」
「はい」
「ネタ、何個あると思ってんの?」
「二百四十貫です」
俺は、手帳を見せた。
「数えました」
◇◇◇
広場の隅で、ニャングルが動きを止めていた。
「……巡査長さん」
「はい」
「それ、二百四十枚書かせるんでっか」
「書かせません」
「ほな」
「俺が書きます」
猫の煙管が、地面に落ちた。
「……なんでですのん」
「届出の義務は、持ち込んだ人にあります」
俺は、真っ赤な箱を指さした。
「でも、持ち込んだのは二千三百十七人です。全員、この場にいません」
「ほな、受け取ったキュララはんが」
「本人は、注文していません」
俺は、天使を見た。
「勝手に届いたんですよね」
「うん。私、『お寿司食べたいな〜』って呟いただけ」
「呟いただけで五台届く人に、届出義務を負わせるのは無理があります」
俺は、紙の束を抱え直した。
「代行します」
◇◇◇
交番のデスク室に、寿司桶が五台運び込まれた。
ゴーレム君が、一貫ずつ皿に移していく。
「ピー。マグロ、確認」
「産地は」
『照合中。——シーラン国近海、マグローザ漁場』
「製造日は」
『本日未明』
「経路は」
『魔導飛行船、ルナミス帝都経由。地上輸送、荷馬車』
「温度管理は」
『氷室輸送。記録アリ』
俺は、一枚目を書いた。
【品目】マグロ(赤身)
【数量】十二貫
【原産地】シーラン国近海 マグローザ漁場
【製造年月日】本日
【輸送経路】魔導飛行船・荷馬車
【温度管理】氷室輸送 記録あり
【持込者】不詳(贈与)
【受領者】キュララ・アルセルラ
一枚目が終わったのが、午後六時だった。
俺は、二枚目を引き寄せた。
◇◇◇
午後九時。
「……ねぇ」
キュララが、机の向かいに座っていた。
頬杖をついて、俺の手元を見ている。
「何枚目?」
「三十一枚目です」
「二百四十枚あるよね」
「あります」
「一枚十分かかってるよね」
「十分弱です」
彼女は、指を折った。
「……四十時間」
「三十六時間です」
「寝ないの?」
「寝ます。合間に」
キュララは、しばらく俺を見ていた。
それから、光る板を持ち上げた。
「これ、配信していい?」
「第一条に抵触しますか」
「しない。村の防衛設備は映らないし」
「では、どうぞ」
◇◇◇
配信のタイトルは、こうなった。
『【緊急】緩衝地帯の警察官が寿司240貫の書類を書いてるので見守る』
同時接続は、開始三分で五十万を超えた。
「はい、みんな見てる? これ、今ライブね」
キュララが、カメラを俺の手元に向けた。
「この人、私に届いたお寿司の書類を書いてます。一貫ずつ」
文字の帯が、流れた。
『なにこれ』
『何が起きてるの』
『寿司?』
『書類?』
『ペンの音がいい』
「ちなみに、まだ三十一枚目でーす。二百四十枚あります」
『地獄で草』
『代われ』
『なんで手書きなの』
『この人、給料いくらなの』
「あ、それ私も知らない」
キュララが、カメラをこちらに向けた。
「巡査長、お給料いくら?」
俺は、ペンを止めなかった。
「答えられません」
「なんで」
「配信中なので」
『ガード堅い』
『配信中だからって理由なの草』
『真面目すぎる』
◇◇◇
午前一時。
俺は、九十四枚目を書いていた。
デスクの向かいで、キュララが寝ていた。
腕を枕にして、光る板をつけたまま。
画面の同時接続が、八十万を超えたまま止まっていた。
文字の帯は、もう流れていない。
たまに、一行だけ流れる。
『まだやってる』
『寝ずに見てる』
『この人いつ寝るの』
『天使ちゃん寝てて草』
俺は、ペンを持ち替えた。
右手の中指に、ペンだこができている。十七年もののやつだ。
『リオン巡査長』
「なんだ」
『進捗、九十四/二四〇。推定完了時刻、明朝七時四十分』
「まだ夜明け前か」
『ハイ』
俺は、湯呑みを傾けた。
空だった。
給湯室へ行こうと立ち上がったとき、引き戸が開いた。
母さんだった。
「……母さん。寝てなかったの」
「灯りがついてたから」
母さんは、盆を持っていた。
湯呑みと、小皿が乗っている。
「はい、お茶。あと、これ」
小皿に、握り飯が二つ乗っていた。
「寿司が二百四十貫あるんだけど」
「あれ、あの子のでしょう」
母さんは、盆を机に置いた。
「あんたの分は、母さんが作るの」
◇◇◇
午前七時四十分。
最後の一枚を書き終えた。
【品目】玉子焼き
【数量】五貫
【原産地】ルナミス帝国 帝都第四養鶏区
【製造年月日】本日未明
【輸送経路】魔導飛行船・荷馬車
【温度管理】常温
【持込者】不詳(贈与)
【受領者】キュララ・アルセルラ
二百四十枚。
俺は、束を揃えて、判を押した。
顔を上げると、キュララが起きていた。
机に突っ伏したまま、目だけを開けている。
「……終わった?」
「終わりました」
「何時間かかった?」
「十三時間四十分です」
彼女は、頭を上げた。
そして、机の上の紙の束を見た。
二百四十枚。三センチほどの厚みになっている。
「……ねぇ」
「はい」
「これ、意味あるの?」
俺は、湯呑みを持ち上げた。
「あります」
「どんな?」
「これから、誰かがこの村で物を食べて具合が悪くなったら、原因が三分で分かります」
俺は、束を指さした。
「今までは、絶対に分かりませんでした」
キュララは、しばらく束を見ていた。
それから、光る板を見た。
同時接続、まだ六十万。一晩中、誰かが見ていた。
「……あのさ」
「はい」
「これ、バズってるんだけど」
「そうですか」
「配信タイトル、変えていい?」
「どうぞ」
彼女は、板を操作した。
タイトルが、書き換わった。
『【13時間40分】お寿司240貫を1貫ずつ書類にする男(完)』
文字の帯が、一斉に流れた。
『完』
『お疲れさま』
『見届けた』
『この人、何者なの』
『朝まで見てしまった』
『緩衝地帯ってどこ』
俺は、その最後の一行を見た。
「……キュララさん」
「ん?」
「第二条です」
「あ」
◇◇◇
寿司は、村の広場で全部配った。
二百四十貫を、届出書の通りに分配した。誰が何を食べたかも、一応記録した。
リーザが、玉子を五貫全部持っていった。
「これ、私のですわ」
「王女様。一人五貫は多いです」
「三年分ですの」
「三年分」
「私、この三年で、玉子焼きを食べたのは二回ですわ」
彼女は、玉子を抱えたまま胸を張った。
「一回目は誕生日、二回目はキュララのヤラセ大食いの残飯ですわ」
「……堂々と言いますね」
「フードロスは社会の敵ですもの」
◇◇◇
その夜。
交番のデスクで、俺は新しい書式を清書していた。
緩衝地帯物品持込届、正式版。
二百四十枚書いて分かったことがある。
項目が多すぎた。七項目のうち、三つは無くても追跡できる。
「賢者君。項目を四つに減らす」
『了解シマシタ』
「あと、同一経路の同一便で届いたものは、一括で書けるようにする」
『改訂シマス』
「これで、次は何枚になる」
『同条件ノ場合、二四〇枚ガ——十一枚デス』
俺は、ペンを置いた。
「……最初からそうすればよかった」
『ハイ』
「言えよ」
『書イテミナイト分カラナイ、ト以前ニ仰イマシタ』
俺は、額を押さえた。
そのときだった。
「ピー。リオン巡査長」
ゴーレム君が、証拠品保管室のほうを向いていた。
「保管室ニ、熱源反応」
「……熱源」
「ピー。小型、一体。移動中」
俺は、立ち上がった。
証拠品保管室には、押収品と、今日の届出書の控えと、それから。
配り切れなかった寿司が、二十貫ほど保管してある。
温度管理のため、氷室に入れてある。
俺は、廊下を歩いた。
保管室の扉が、細く開いていた。
隙間から、光が漏れている。
そして、小さな音がした。
噛む音だった。
扉を開けると。
氷室の前に、小豆色の芋ジャージがしゃがんでいた。
口の中に、マグロが入っていた。
エメラルドグリーンの瞳が、こちらを向いて、固まった。
「…………」
「…………」
俺は、手帳を開いた。
「——王女様」
「ち、違いますのよ」
「窃盗です」
「これは保全ですわ! 傷む前に私が! 社会のために!」
読んでいただきありがとうございます。
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