第二章「帝都・炎上編」
月収二億が、家賃三万に引っ越してきました
その日、ポポロ村の空に、桜色のものが落ちてきた。
俺は畑の見回りの途中だった。太陽芋の畝の間を歩いていると、頭上で妙な音がした。
羽ばたく音ではない。もっと軽い、紙をめくるような音だ。
見上げると、光っていた。
輪っかだ。頭の上で、ネオンみたいにピカピカ光る輪っかが、こちらに向かって降下してきている。
「——はいっ、到着ー!」
広場の中央に、砂埃を上げて着地した。
背中に、小さな白い翼。二枚。あの面積で飛べる理屈が分からない。
桜色のツインテール。アメジストの瞳。上着は袖が異様に長くて、スカートには謎のベルトが何本も垂れている。この世界のどの民族衣装にも当てはまらない。
彼女は、浮かんでいる光る板に向かって、両手でハートを作った。
「みんな見てる〜? 今日からね、私、緩衝地帯に住みまーす」
◇◇◇
「嘆きの荒野交番、巡査長のリオンです」
「わっ、早っ」
天使が、振り返った。
「着地して十秒だよ? 何、この村、警察の反応こんな早いの?」
「畑にいたので」
「畑に警察いるんだ」
「見回りです」
彼女は、光る板を軽く押した。
板が、ふわりと浮いて、俺の顔の高さで止まった。
「あ、ちょっと映ってもらっていい? ほら挨拶して」
「待ってください」
俺は、手を上げた。
「今、撮っていますか」
「撮ってるよ。配信中」
「撮影の許可は、どちらで取られましたか」
天使が、まばたきをした。
「……許可?」
「はい」
「え、いる?」
「要ります」
◇◇◇
交番のデスク室に、桜色の天使が座っていた。
椅子の上で膝を抱えて、足をぶらぶらさせている。頭の輪っかが、蛍光灯より明るい。
「キュララ・アルセルラ。二十歳。天使族」
彼女は、ペンを回しながら言った。
「職業は、ゴッドチューバー。登録者は、ゴッドチューブが千五百万、下界の魔導通信網が八千万」
「合わせて」
「九千五百万。まあ、重複あるけど」
俺は、手を止めた。
「この大陸の人口は」
「三千万ちょっとだったかな」
「……はみ出てませんか」
「海の向こうにもいるからね」
彼女は、けらけら笑った。
「で、今回の企画が『【検証】メガゴッドチューバーが緩衝地帯で底辺生活してみた』。一ヶ月住んで、撮れ高取って帰るだけ。ね、簡単でしょ?」
「住民登録と、就労許可と、撮影許可が要ります」
「三つ!?」
「三つです」
◇◇◇
書式は、その場で渡した。
一回目。
「撮影範囲の記載が曖昧です」
「え、村全体って書いたじゃん」
「村全体だと、住居の内部も含まれます」
「入んないよ」
「入らないなら、そう書いてください」
二回目。
「公開範囲の記載がありません」
「え、公開でしょ。配信だもん」
「どの通信網に、どの期間、どの地域向けに出すのかを書いてください」
「……全世界に、永久に」
「そう書いてください」
「怖くない? 今の」
三回目。
「村長の同意欄が、空欄です」
キュララが、机に突っ伏した。
「……ねぇ」
「はい」
「役所じゃん」
「役所です」
「え、認めるんだ」
「認めます」
俺は、湯呑みに緑茶を注いで、彼女の前に置いた。
「ここ、緩衝地帯で唯一の役所なので」
◇◇◇
村長邸の扉を叩くと、中から声がした。
「はーい、開いてます」
入ると、キャルルが机で書類を見ていた。パーカーにショートパンツ。白い兎耳が、俺を見てぴょこんと立つ。
「あ、リオンさん。ちょうどよかった、ハンコ——」
言いかけて、止まった。
俺の後ろの、桜色を見たからだ。
しばらく、部屋が静かだった。
「……キュララちゃん?」
「あ、キャルル先輩!」
天使が、飛びついた。
「久しぶりー! 村長どう? 順調?」
「うん、まあまあ……じゃなくて、なんでここに?」
「企画」
「企画」
「底辺生活ドキュメンタリー」
キャルルの兎耳が、ゆっくりと横に倒れた。
「……うちの村、底辺だと思われてるの?」
「えっ、違うの?」
「農家の平均年収、五百万」
キュララの動きが、止まった。
「……は?」
「村内総生産、六億七千万」
「え」
「あと、村の防衛費が」
「キャルル村長」
俺は、止めた。
「第二条に抵触します」
「あ、ごめんなさい」
◇◇◇
同意欄に判を押しながら、キャルルが言った。
「二人、帝都で一緒に住んでたんです。シェアハウスで」
「そうなんですか」
「あと、もう一人いたんですけど」
その瞬間だった。
村長邸の扉が、蹴破られるような勢いで開いた。
小豆色の芋ジャージが、風のように飛び込んできた。
「——聞きましたわよ」
青銀色の長髪。エメラルドグリーンの瞳。足元は、ゴム底のすり減った健康サンダル。
リーザ・シーラン・リヴァイアサン。十六歳。深海王国シーラン第一王女。現在、ポポロ村在住の地下アイドル。
彼女は、部屋の真ん中で立ち止まり、桜色の天使を指さした。
「あなた——」
「あ、リーザ」
「なぜ、ここにいますのおおおお!」
◇◇◇
リーザが、飛びかかった。
キュララが、悲鳴を上げて机の裏へ転がり込む。
「返しなさい! 私の! おじさんを!」
「またそれ!?」
「三十七人ですわ! 私が三年かけて、みかん箱の上で泥水を啜りながら育てた、三十七人の五円玉おじさんを!」
「だから、ウインクしただけだって!」
「それが暴力ですのよ!」
芋ジャージと地雷系が、村長邸の床を転がった。
書類が舞い、椅子が倒れ、インク壺が転がった。
キャルルが、立ち上がった。
そして、二人の首根っこを片手ずつで掴んだ。
ぐいっ。
両方の足が、床から離れた。
「ぐえっ」
「うぐぐ」
「はい、ストップ」
キャルルは、にっこり笑っていた。
ぶら下がった二人は、じたばたと足を動かしている。月兎族の通常時の膂力は、推定百二十馬力。十六歳の人魚と、二十歳の下級天使を両手で吊るすのは、彼女にとって荷物を持つのと変わらない。
「うち、村長室なので。騒ぐなら外で」
「……はい」
「……はぁい」
◇◇◇
撮影許可が下りたのは、夕方だった。
入居手続きは、ニャングルが十分で終わらせた。
「ポポロ・コーポ、二〇三号室。木造モルタル三階建て、一LDK、耐魔防音魔法施工済み。家賃は月額三万円、光熱費とマナWi-Fi込み。敷金礼金なし」
猫は、契約書を差し出した。
「保証人は、どなたにしますか」
「保証人?」
「保証人ですわ」
「……えーと」
キュララが、天井を見た。
「リスナー?」
「人間でお願いします」
「九千五百万人いるけど」
「一人でお願いします」
結局、キャルルが判を押した。
「いいの? 私、家賃払ったことないよ」
「……不安になること言わないで」
◇◇◇
二〇三号室は、六畳の和室と小さな台所がついていた。
畳が敷かれている。窓から村の広場が見える。
キュララは、部屋の真ん中に立って、ぐるりと見回した。
「……うわ」
「どうしました」
「せま」
「六畳です」
「私の前の部屋、四十八畳のリビングがあったんだけど」
「四十八」
「あと、二階に配信スタジオと、三階に衣装部屋と、あと物置が二つ」
俺は、部屋を見た。
「ここは、六畳です」
「うん、それはもう分かった」
彼女は、畳に座った。
そして、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……でもさ」
「はい」
「あっちのリビング、私、ほとんど使ってなかったんだよね」
「……」
「広すぎて、なんか落ち着かなくて。結局、いつもソファの端っこにいた」
キュララは、畳を手のひらでぺたぺた叩いた。
「ここ、全部が端っこじゃん」
俺は、何も言わなかった。
彼女は、すぐに顔を上げて、いつもの声で言った。
「あ、これ配信していい?」
「第一条に抵触しなければ」
「なにそれ」
「これから説明します」
◇◇◇
その夜、交番で日報を書いた。
新規転入者、一名。撮影許可、一件。
書き終えて、ペンを置いたところで、キャルルが引き戸を開けて入ってきた。
「まだ起きてました?」
「これからです」
「これから寝るんじゃなくて?」
「これから起きます」
「……寝てください」
キャルルは、机の前に座った。
飴玉の袋を、指で弄んでいる。
「あの子のこと、どう思いました?」
「……派手ですね」
「そうじゃなくて」
キャルルは、兎耳を少し傾けた。
「あの子、月収二億なんですよ」
「聞きました」
「でも、あの子の心音、帝都にいたときからずっと同じなんです」
俺は、顔を上げた。
「……同じ、とは」
「速いんです。ずっと」
キャルルは、自分の胸を指さした。
「三年間、一日も休んでないんですって。本人が言ってました。笑いながら」
彼女は、飴玉を一つ、机に置いた。
「だから、一ヶ月くらいなら、いいかなって」
◇◇◇
翌朝、交番の窓から外を見て、俺は湯呑みを取り落とした。
村の入り口に、荷馬車が並んでいた。
一台、二台ではない。
数えた。
四十台あった。
「賢者君」
『ハイ』
「あれは、何だ」
『照合シマス。——荷馬車四十台。積荷ハ、食料品、衣類、家具、魔導機器、装飾品、菓子、生花』
「差出人は」
『個別ニ異ナリマス。総数、二千三百十七名』
俺は、手帳を掴んだ。
「……二千三百十七人」
『ハイ。全テ、「キュララ・アルセルラ様宛」トナッテオリマス』
窓の外で、荷馬車の列が、まだ増えていた。
その中に、真っ赤な箱がいくつも混ざっている。
湯気が、立っていた。
温かい。
つまり、料理だ。
ここは、荒野を越えないと来られない緩衝地帯である。
「……賢者君」
『ハイ』
「緩衝地帯に、輸入という概念はあるか」
『アリマセン』
「関税は」
『アリマセン』
「食品衛生の基準は」
『アリマセン』
俺は、立ち上がった。
「全部、無いのか」
『ハイ。緩衝地帯ハ行政区分上、イズレノ国ニモ属サナイ為、輸入・関税・検疫ニ関スル規定ガ、一切存在シマセン』
外で、荷馬車の御者が荷台を開けた。
真っ赤な箱の蓋が開き、白い湯気が上がる。
その匂いが、風に乗って交番まで届いた。
酢飯と、魚の匂いだった。
そして、村の広場から、けたたましい足音が聞こえてきた。
「——ちょっと待ってくださいや!」
煙管をくわえた猫が、三つ揃えの裾を翻して走ってくる。
ニャングルの目が、金貨の色に光っていた。
「巡査長さん! 今! 今、この村に! 無税の物資が! 四十台!」
「ニャングルさん」
「関税、関税ですわ! 緩衝地帯通過税、本日より制定しますで!」
「ニャングルさん」
「一台につき銀貨十枚、いや二十枚! 四十台で八百枚、日銭で八十万ですわ!」
俺は、手帳を開いた。
「それ、根拠法がありません」
猫の足が、止まった。
しばらく、俺を見上げていた。
それから、煙管を咥え直して、にやりと笑った。
「——ほな、作ったらよろしいですやん」
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