EP 15
職業は、ただの通りすがりのお巡りさんさ
ルナミス帝国の帝都は、初代皇帝・佐藤太郎が築いた近代国家の心臓部だ。
石畳の大通りに、魔導灯が等間隔で並ぶ。路面を走る乗合馬車には停留所と時刻表があり、街角には郵便受けが立っている。この世界の他のどこにもない光景だと、来るたびに思う。
冒険者ギルド中央支部は、その大通りに面した三階建てのレンガ造りだった。
俺は、建物の前にバイクを停めた。
ヘルメットを脱いで、サイドミラーで髪型を整える。
黒の防刃服。その下に防弾チョッキ。腰にニューナンブ、手錠、スタンガン、催涙スプレー、閃光弾。背中に魔導制圧散弾銃。
そして胸のポケットに、黒い手帳と、人参柄の刺繍ハンカチ。
「……行きます」
「はいっ!」
「はいですわ!」
「行きますわ」
「はっ!」
後ろで、四人が返事をした。
◇◇◇
ギルドの扉を押し開けると、酒と汗と鉄の匂いが顔を打った。
ギィィィッ。
中にいた数十人の冒険者が、一斉に振り返る。
そして、動きが止まった。
最初に見られたのは、たぶん俺の装備だ。それから、後ろについてきた四人。
二メートルの鉄の巨人。
全身鎧のケンタウロス。
煙管をふかした三つ揃えの猫。
白い兎耳の少女。
そして、小豆色の芋ジャージ。
ざわめきが、じわじわと広がった。
俺は、まっすぐ受付カウンターへ歩いた。
受付嬢が、書類を持ったまま固まっている。
「新規登録を頼む。ランクは一番下のEから構わない」
「は、はい。かしこまりました」
彼女は、震える手で書式を取り出した。
「あの……お名前と、ご職業をお伺いしてもよろしいでしょうか」
俺はニヤリと笑った。
前世の営業スマイルと、今世の覚悟を、両方乗せて答える。
「名前はリオン。職業は……ただの通りすがりの『お巡りさん』さ」
受付嬢が、ぽかんと口を開けた。
「おまわり……?」
「警察官です」
「ど、どちらの国の」
「どこの国でもありません」
「え」
「緩衝地帯です」
受付嬢は、書式の「所属国」の欄を見た。
それから、俺を見た。
それから、また書式を見た。
「……記入できる欄が、ないのですが」
◇◇◇
ここからが、長かった。
個人登録は、三十分で済んだ。Eランクの木札が発行され、首から下げる羽目になった。二十年生きてきて、初めての冒険者証だ。
問題は、クランの団体登録だった。
「申し訳ございません。こちらの申請、受理できません」
「理由を伺えますか」
「団体の活動拠点が『緩衝地帯』となっておりますが、当ギルドの様式には該当する行政区分がなく——」
「ほな、そこは『ポポロ村』で書き直しますわ」
ニャングルが、横から書類を抜き取った。
「あと、代表者の職業欄に『警察官』とありますが、ギルドの職業分類には存在しませんので」
「……では、何と書けばいいですか」
「そうですね……『傭兵』か『冒険者』でしたら」
「うちは傭兵と違いますねん。報酬もろてまへんし」
「無報酬ですか!?」
「ゼロですわ」
受付嬢が、絶句した。
「あの、失礼ですが。皆様、何で生計を」
「私、五円玉ですわ!」
リーザが、胸を張った。
「今月は四十二枚ですの!」
「……四十二円」
「二百十円ですわ!」
「どちらにせよ」
そこで、ニャングルが咳払いをした。
「すんまへん。この子、換算が弱うて」
◇◇◇
結局、書類は三度突き返された。
一度目は職業欄。二度目は拠点の行政区分。三度目は、団体名が空欄だったからだ。
「あの、クラン名が記入されておりませんが」
「まだ決めてません」
「……決めていただかないと、登録が」
「リオンさん」
キャルルが、袖を引いた。
「決めましょうよ。みんなで」
「案があるんですか」
「私、ずっと考えてました」
彼女は、指を一本立てた。
「『ポポロ村公認・嘆きの荒野交番連絡協議会』」
「長い」
「じゃあ『交番クラン』」
「地味です」
「では『リーザ・シーラン・リヴァイアサン親衛隊』!」
「却下です」
「ワテは『ゴルド商会緩衝地帯支部』を推しますわ」
「乗っ取る気でしょう」
マンミアが、おずおずと手を上げた。
「あの……私からも、一つ」
「どうぞ」
「『ライジング・サン・ガード』は、いかがでしょうか」
全員が、彼女を見た。
ケンタウロスの顔が、みるみる赤くなった。
「い、意味はですね。あの、巡査長が来てから、この一年、ずっと思っていたのです」
マンミアは、蹄で床を掻いた。
「緩衝地帯には、三十年、夜しかありませんでした。誰も来ない、誰も守らない、長い夜が。……それが、明けたので」
「……」
「す、すみません。忘れてください。二十五にもなって、こんな」
「いいですね」
俺は、書式を受付嬢に差し出した。
「それでお願いします」
「ええっ!?」
「賛成ですわ!」
「私も!」
「ワテも異存おまへん」
マンミアが、シールドを取り落とした。
◇◇◇
登録が完了したのは、閉館の三十分前だった。
受付嬢が、認可証を差し出した。
「お待たせいたしました。クラン【ライジング・サン・ガード】、Eランクにて登録完了です」
紙を受け取る。
インクがまだ乾いていなかった。
「これで、国境を越えられますか」
「はい。ギルドの身分証は、三大国すべてで有効です」
俺は、認可証を胸ポケットにしまった。
ドアへ向かって歩き出すと、酒場の空気が、また止まった。
誰も、何も言わなかった。
ただ、全員が見ていた。
俺は扉を押し開け、四人と一体を連れて、外に出た。
◇◇◇
ギルド中央支部、受付。
閉館の作業をしながら、受付嬢のエマは、まだ手が震えているのを自覚していた。
「ねえ、エマ。さっきの……何だったの」
同僚が、カウンターの内側から顔を出した。
「わかんない」
「わかんないって、あなた対応してたでしょ」
「してた。してたけど、わかんない」
エマは、控えの書類を見下ろした。
代表者、リオン。Eランク。職業欄には、三度突き返した末に彼が書いた文字が残っている。
結局、その欄はこうなっていた。
『巡査長』
「あの装備、見た?」
同僚が、声を落とした。
「ドワーフ製の散弾銃よ。あんなの、帝国軍の特務ですら支給されてないわ」
「うん」
「それより、連れよ」
同僚が、指を折った。
「兎耳の子。あれ、ポポロ村の村長じゃない? 緩衝地帯の」
「……えっ」
「先月、帝国の監査役人が四人、裸足で逃げ帰ってきたって話の。あの村の」
エマは、思い出した。
「ケンタウロスの方も、私、見たことある。元・辺境騎士団長よ。名誉退役した人」
「なんで無報酬でEランクに登録してるの」
「わかんない」
二人は、しばらく黙った。
それから、同僚が言った。
「一番わかんないのは、芋ジャージの子よ」
「……あれ、人魚族だったわよね」
「登録名、見た?」
エマは、控えをめくった。
そして、手が止まった。
『リーザ・シーラン・リヴァイアサン 深海王国シーラン 第一王女』
「……え」
「本物?」
「照合、通ってた」
二人は、顔を見合わせた。
「……なんで王女が、芋ジャージで、みかん箱持ってたの?」
◇◇◇
帰り道、日が暮れかけていた。
帝都の郊外に、小さな公園がある。ベンチが三つと、噴水が一つ。子供の遊具が二つ。
俺はバイクの速度を落とした。
噴水の脇で、何かが揉み合っていた。
巨体だった。二メートル半はある。褐色の鱗に覆われた腕。背中に畳まれた翼。竜人族だ。
その竜人が、鳩と本気で取り合っていた。
パンの耳を。
「おい待てや……それワイのや……ワイが先に見つけたんや……!」
「クルッポー」
「はよ離さんかい! そのパン、ワイの昼飯と夕飯なんじゃ!」
鳩が飛び立った。パンの耳を咥えたまま。
竜人が、膝から崩れ落ちた。
「…………」
背中に、安全第一の文字が入った作業ベストを着ていた。頭には黄色いヘルメット。
俺は、バイクを停めた。
「スポンサー様? どうしましたの」
「……いや」
竜人は、まだ地面に手をついていた。
俺の鼻が、匂いを拾った。
酸っぱい匂いだ。嘘の匂い。
だが、悪意の匂いではなかった。
もっと薄い、誰かに何かを隠している人間の——見栄の匂いだった。
竜人は、立ち上がると、胸を張って誰にともなく言った。
「……ふん。ワイは腹が減っとるわけやない。ダイエット中なんじゃ」
俺は、ヘルメットを被り直した。
「行きましょう」
「よろしいんですの?」
「今日は、管轄外です」
バイクが走り出す。
ミラーの中で、竜人が噴水の水を飲んでいるのが見えた。
◇◇◇
嘆きの荒野に戻ったのは、夜だった。
赤色灯が、遠くから見えた。
引き戸を開けると、湯気と、出汁の匂いがした。
「おかえりなさい」
母さんが、給湯室から顔を出した。
「ちょうどよかった。ごはん、今できたところよ」
机の上に、納豆定食が並んでいた。
五人分。
「……母さん。ゴーレム君は食べないよ」
「じゃあ四人分ね」
「いや、五人分でいいです」
キャルルが、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして。ポポロ村の村長をしています、キャルル・ムーンハートです。リオンさんには、いつもお世話になっております」
「あらまあ! 村長さん!? こんなに可愛い方が!」
「お母様!」
リーザが、芋ジャージのまま飛び込んだ。
「私、リーザですわ! スポンサー様の専属アイドルですの!」
「スポンサー……?」
「母さん。保護してる子です」
ニャングルが、煙管を灰皿に置いた。
「毎度おおきに。ゴルド商会のニャングルと申します。息子さんには、いつも儲けさせてもろてますわ」
「儲けてません」
「うちが、ですわ」
マンミアが、狭い戸口で詰まっていた。
「あ、あの。すみません。入り口が」
「あらあら、横向きで入れるかしら」
狭い交番に、六人と一体が押し込まれた。
母さんは、嬉しそうに湯呑みを並べていた。
◇◇◇
その夜、俺は日報を書いた。
クランの登録完了。Eランク。活動拠点、ポポロ村。構成員五名。無報酬。
それから、欄外に一行書き足した。
「帝都郊外公園にて、要保護と思われる竜人族を確認。管轄外につき、後日」
ペンを置いて、窓の外を見た。
赤色灯が、くるくると回っている。
十七年前、三歳の俺がこの場所に建てたものだ。
あのときは、母さんと二人で静かに暮らせればそれでよかった。誰にも謝らず、誰にも怒鳴られず、手取り十四万で一生を終えるつもりだった。
今、交番の中では六人が納豆をかき混ぜている。
給料は、相変わらず十四万円だ。
「賢者君」
『ハイ』
「来月の昇級試験、模擬問題を出してくれ」
『了解シマシタ。ナオ、巡査部長ヘノ昇進時、手取リハ』
「十四万だろ」
『ハイ』
「知ってる」
俺は、ペンを取り直した。
『——リオン巡査長』
「なんだ」
『執行部ヨリ、任務通達デス。管轄外、二十七件。クラン登録ノ完了ヲ確認シマシタ』
画面が切り替わる。
赤い点が、大陸の地図の上に散っていた。
二十七。まだ増えている。
どれも、この交番からは遠い場所だ。
俺は、湯呑みの緑茶を飲み干した。
隣の部屋から、笑い声が聞こえてくる。誰かが納豆のかき混ぜ方で揉めている。マンミアの蹄が床を鳴らし、リーザが悲鳴を上げ、ニャングルが算盤を弾き、キャルルが笑っている。
母さんが「おかわりは?」と聞いている。
——こうして、理不尽なブラック企業で過労死した青年は、異世界で最強の警察官となり、五人の仲間と共に、新たな人生のパトロールへと出発したのである。
ただし、定時で。
(第一章・完)
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




