EP 13
ソロ活の限界と、天使の答え合わせ
二週間後、俺は書類に埋もれていた。
管轄が三倍になるというのは、事件が三倍になるという意味ではない。書式が三倍になるという意味だ。
ポポロ村の駐在日誌。嘆きの荒野交番の日報。両方に同じ内容を、違う様式で書く。村の会計に提出する経費報告と、大宇宙管理局に提出する稼働記録。数字は同じなのに、単位が違う。円と、銀貨と、PG。
「賢者君。これ、どっちかに統一できないか」
『デキマセン。管轄ガ異ナリマス』
「両方に同じことを書いてるんだぞ」
『ハイ』
「無駄だろ」
『ハイ』
俺はペンを置いて、天井を見上げた。
午前二時だった。
仮眠室からリーザの寝言が聞こえてくる。「石油王さん、赤スパありがとう……」と言っている。彼女に石油王のファンはいない。
ゴーレム君が、湯呑みを運んできた。
「ピー。緑茶デス」
「ありがとう」
『リオン巡査長。三日連続デ睡眠時間ガ四時間ヲ下回ッテイマス』
「わかってる」
『健康管理モ職務ノ一部デス』
「わかってる」
俺は、湯呑みを持ったまま、しばらく動かなかった。
机の端に積まれた書類の山。未処理の通報が十一件。ポポロ村の巡回計画。十七集落からの問い合わせ。そして、執行部から来た赤い点の一覧。二十七箇所。
鼓動が、少し速い。
胸の奥に、覚えのある感触があった。
ゼリー飲料の味だ。
◇◇◇
その音を最初に聞いたのは、ゴーレム君だった。
「ピー。外部ニ、熱源反応」
俺は立ち上がり、引き戸を開けた。
荒野に、光が落ちていた。
六枚の翼。膝まで届く金糸の髪。聖槍の穂先が、月明かりを弾いている。
「……ヴァルキュリア教官」
「三年ぶりですね」
天使族長ヴァルキュリアは、俺の顔を見て、眉をひそめた。
「ひどい顔です」
「そうですか」
「前世で死んだときの顔と、同じ色をしています」
俺は、何も言い返せなかった。
◇◇◇
彼女は、デスク室の書類の山を一瞥した。
それから、聖槍を壁に立てかけ、椅子に座った。翼が邪魔で、背もたれに寄りかかれないらしい。
「リオン。今日は、答え合わせに来ました」
「答え合わせ」
「あなたが十七年、一度も聞かなかったことです」
ヴァルキュリアは、俺をまっすぐ見た。
「なぜ、ルチアナがあなたに【犬のお巡りさん】を渡したのか」
俺は、湯呑みを置いた。
「適当にスワイプして、押した結果だと思ってました」
「その通りです」
「……その通りなんですか」
「ただし、選択肢が一つしかない画面を、適当に押しました」
俺は、言葉を失った。
「大宇宙管理局は、無数の世界を管理しています。ですが、どの局も慢性的な人員不足です」
彼女は、指を一本立てた。
「特に執行部。無断転生者の取り締まりを担当する部署ですが、ここ数百年、成り手がいません。危険で、書類が多く、給与が安い」
「……聞き覚えのある条件ですね」
「ええ。ですから、各世界から現地採用しています」
ヴァルキュリアは、俺の胸ポケットを指した。
「【犬のお巡りさん】。あれは、ハズレスキルではありません。執行部の現地採用枠に配属された者に渡される、職務用の権限一式です。身分証、装備、施設、給与、階級。全部含まれています」
「……給与」
「はい。だから、手取りが十四万円なのです」
俺は、額を押さえた。
「公務員だからか」
「公務員だからです」
◇◇◇
ヴァルキュリアは、続けた。
「ルチアナは、あの日、補充ノルマの期限を過ぎていました」
「補充ノルマ」
「各世界の担当神には、執行部員の採用枠が割り当てられています。彼女は三百年、一人も採用していなかった」
「……三百年」
「推しの配信を見ていたそうです」
俺は、天井を見上げた。
「そこへ、あなたが死にました。過労死で、魂の摩耗値が基準を超えていた。そういう魂は、転生時に能力の定着率が高い」
「使いやすい、と」
「ええ。ですから彼女は、選考も面談も説明もせず、あなたにいきなり執行部の権限を叩き込みました」
ヴァルキュリアの声が、少し冷たくなった。
「本来は、着任前研修が百年あります。彼女は、それも飛ばしました」
「じゃあ、あの腹筋一万回は」
「私です」
天使は、平然と言った。
「詫びとして派遣されたのではありません。尻拭いとして派遣されました。研修未了の執行部員を現場に放置すると、大抵は三年以内に死にます」
俺は、十七年分の朝を思い出した。
「……あの、教官」
「なんです」
「腹筋一万回、必要でしたか」
「必要でした。基礎体力が、規定の三分の一しかありませんでしたので」
「前世の後遺症です」
「知っています」
ヴァルキュリアは、初めて目を伏せた。
「あなたの体は、二十五年かけて壊されたあとでした。だから、十七年かかったのです」
◇◇◇
沈黙が落ちた。
俺は、机の上の書類の山を見た。
「教官」
「はい」
「一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「執行部の現地採用は、一人でやるものなんですか」
ヴァルキュリアが、顔を上げた。
「いいえ」
即答だった。
「通常は、班で動きます。執行官一名に対し、記録官、追跡官、交渉官、後方支援。最低でも五名」
「……五名」
「本来は」
天使は、書類の山を指さした。
「あなたが十七年間、一人で回してきたのは、五人分の業務です」
俺は、笑った。
笑うつもりはなかったが、勝手に出た。
「……そうですか」
「リオン」
「いや、いいんです。納得しました。道理で終わらないわけだ」
「リオン」
ヴァルキュリアが、椅子から立ち上がった。
六枚の翼が、狭いデスク室いっぱいに広がる。
「あなたは、なぜ助けを呼ばないのですか」
俺は、答えなかった。
「呼べば来ます。あの村長も、あの人魚も、あの自警団長も、あの商人も。誰一人、断りません」
「……知ってます」
「では、なぜ」
俺は、湯呑みの底を見た。
茶が、冷えていた。
「前世で、一度だけ呼んだことがあるんです」
俺は、ぽつりと言った。
「入社三年目。ノルマが回らなくなって、上司に言いました。人を増やしてくださいって」
ヴァルキュリアは、黙って聞いていた。
「増えませんでした。代わりに、こう言われたんです。『高杉くんさぁ、それ、君の能力の問題じゃない?』って」
俺は、湯呑みを置いた。
「……それ以来、呼んでません。二十五年間、一度も」
窓の外で、赤色灯が回っていた。
ヴァルキュリアが、静かに言った。
「リオン。それは、あなたの能力の問題ではありませんでした」
「はい」
「五人分の業務を、一人でやらせた側の問題でした」
「……はい」
「そして今、あなたは同じことを、自分で自分にやらせています」
◇◇◇
俺は、長いこと黙っていた。
それから、椅子から立ち上がった。
「賢者君」
『ハイ』
「執行部の規定で、班を編成する場合。構成員はどうやって集める」
『現地採用員ハ、現地デ調達シマス』
「……採用権が、俺にあるのか」
『ハイ。執行官ニハ、班員ノ任用権ガアリマス。ナオ、班員ノ給与ハ執行官ノ管轄費ヨリ支出サレマス』
「いくら出せる」
『月額、一名アタリ——〇円デス』
「ゼロか」
『ハイ』
「賢者君」
『ハイ』
「それはもう、ただのボランティアだろ」
『ハイ』
俺は、額を押さえた。
「だが、身分は出せるんだな」
『ハイ。冒険者ギルドニ団体登録シ、クランノ形ヲ取レバ、国境ヲ越エル身分証ガ発行サレマス。以後、管轄外ヘノ出張ガ可能トナリマス』
俺は、地図を見た。
赤い点が、二十七。
緩衝地帯の外。俺の管轄の外。手が届かない場所で、誰かが、あの佐藤タケルと同じことをしている。
十七年前の俺なら、無視した。
管轄外だから、で済ませた。
「——教官」
「はい」
「クランを作ります」
ヴァルキュリアが、微笑んだ。
十七年間で、二度目に見る顔だった。
◇◇◇
翌朝。
交番の前に、四人が並んでいた。
俺が呼んだのは、キャルル一人だ。残りは勝手に来た。
「はいはいはい! 私ですわ! 私、立候補いたしますわ!」
リーザが、芋ジャージの袖を振り回している。
「歌えます! 踊れます! あと、ゴミ箱から食べられる物を見分けられますわ!」
「……最後のは、記録に書けません」
「ワテも来ましたで」
ニャングルが、煙管をふかしている。
「帳簿と交渉はうちの担当ですわ。ほんで、給料の話やけど」
「ゼロです」
「知ってますがな。もう賢者君に聞きました」
猫は、算盤を叩いた。
「その代わり、押収した犯罪収益の処理を、うちの商会に優先で回してもらいます。それでお釣りが来ますわ」
「……商人ですね」
「商人ですねん」
マンミアが、蹄を鳴らして進み出た。
「自警団は、村を離れられません。ですが」
彼女は、背中の鞍を指した。
「非番の日は、空いております。……大人の男性を背に乗せたことは、ありませんが」
「なぜ今その情報を」
「い、意味はありません!」
そして、キャルル。
彼女は、一番前に立っていた。
白い兎耳が、真上に立っている。
「リオンさん」
「はい」
「私、村長です。村を空けられません」
「知ってます」
「でも、月に十日なら空けられます。副村長を置きます。もう昨日のうちに指名しました」
「……昨日?」
「はい」
キャルルは、ポケットから何かを取り出した。
手縫いの布だ。人参の柄が刺繍してある。
「これ、持っていてください」
「なんですか」
「ハンカチです」
彼女は、にっこり笑った。
「絶対に、落とさないでくださいね。絶対に」
俺は受け取った。
なぜか、背筋が少しだけ冷えた。
◇◇◇
俺は、五人を見渡した。
執行官が一名。記録と交渉が一名。追跡が一名。歌う者が一名。後方支援が一名。
規定通り、五名だった。
「では、申請します」
俺はバイクのエンジンをかけた。
「冒険者ギルド中央支部で、クランの団体登録をしてきます」
「私も行きます!」
「私もですわ!」
「ワテも行きますわ。書類、絶対どっかで不備出ますよって」
ニャングルが、煙管を咥えたまま言った。
「そういうもんですか」
「初回申請が一発で通ったの、うち、見たことおまへん」
読んでいただきありがとうございます。
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