4.小麦畑
「……なぜ、それを知っている?」
数秒の沈黙を破ったのは、お嬢様でした。魔法使いさんのほうは黙り込んだまま、わたくしを見つめております。なにかまずいことを言ってしまったようでした。わたくしは慎重に言葉を選びます。
『ええと、ですね。わたくしたちの世界にそのような内容の童話があるのです』
「おまえたちの世界に魔法は存在しない、が、創作物の中にはあると言っていたな」
『はい。いくつかあるお話のひとつに『オズの魔法使い』という童話があります。主人公の少女の名前はドロシー。わたくしのご主人様と同じ名前ということもあり、彼女はわたくしにこの話をよく読み聞かせてくれました』
わたくしの名前も、主人公の飼い犬の名前からつけられたこと。ストーリーの舞台や、登場人物たちの名前が、この世界で聞いたものとほとんど同じであること。
わたくしの説明を聞いていたお嬢様は、少し目を細めてこちらを見たあと、またがりがりと頭をかいて、一言。
「まあ、そんな偶然もあるわな」
あるあ……ねーよでございますが……
「真偽のほどはさておき、今後はその話を我々以外にすべきではないでしょう。オズに関する情報は、限られた者しか知り得ないもの。トト、あなたの存在の異質性も、隠しておくべきです」
魔法使いさんはしっかりとアドバイスをくださる。クールなように見えて、お優しい方のようです。
『ええ、そのようにいたします!』
わたくしが返事をすると、彼はかすかに頷いて、それからお嬢様に向き直りました。
「それに、あなたが『東の魔女』であったことも、明かす相手は選んだ方が良いでしょう。トラブルに繋がりかねない」
「そうだな。だが、そうなると……」
***
黄色いレンガの道。
それは、わたくしたちの家が落ちた場所からそう遠くない草むらの中からほどなくして見つかりました。お嬢様いわく、「探せば見つかるが、探さなければ存在しない」とのこと。犬のわたくしには少々難しいお話ですね。
「まさか自分がエメラルドの都に向かうことになるなんてなあ……」
ぼやきながらも、しっかりとした足取りでレンガの道を進むお嬢様。空色のスカートが歩くたびにふわふわと揺れます。わたくしの中の犬心がたいへんにそわそわといたします……
あれから、お嬢様は汚れてしまったワンピースから、素敵な空色のお洋服にお召し替えをされました。その際になぜか魔法使いさんに対し、「おまえのせいでドロシーの家がずいぶんと開放的になっちまった」と、ちくちく嫌味を垂れ、結果的にこのお洋服を勝ち取ったようです。
ほんの少しめんどくさそうな顔をした魔法使いさんが杖を振ると、お嬢様の衣装があっという間に変わりました。魔法って、すごい!
「彼の方もいっしょに来てくださったらよかったのに」
「無理だな。あいつは元来、引きこもりだし」
魔法使いさんに同行をお願いしたのですが、やることがあるときっぱり断られてしまいました。
「けれど、お嬢様の新しいお召し物と、わたくしに新しい体をくださいました!」
そうなのです!わたくしの、体!
魂だけになって数年、また体を得られるなんて!
とは言っても応急処置のようなものだと、魔法使いさんは言っていました。魂だけの状態はとても不安定であるからと、特別な黒い薄布をわたくしに被せてくれました。元の犬の体とは違うけれど、またお嬢様に触れることができてとても嬉しい!
「こういう細かい魔法をやらせたら、あいつの右に出るやつはいない。おまえの体も、俺の服も。多少の魔法攻撃を防ぐことができる」
お嬢様は満足げにぽんとご自身の胸を叩きました。叩かないでいただきたいです。
女性の一人旅、ましてやお姿は可憐なお嬢様でいらっしゃるので心配ではあったのですが、わたくしの心配などすべて杞憂に終わってしまいました。
草原から続くレンガの道は、やがてのどかな田園風景の中へと続いていきます。道中、出くわした小さな魔物たちは、お嬢様がシッシッと羽虫を払いのけるようにするだけですべて遠くへ弾き飛ばされていきました。
途中で少し大きめの、大きなツノを持ったヤギのようなヒツジのような魔物が道を塞いでいたのですが、それもとても簡単に倒されてしまいました。
「これを夕飯にしよう」
たくましすぎる。
ツノを向けて一直線に走ってきた魔物を、これまた簡単に真正面から受け止めて、そのツノを掴んで背負い投げ。お嬢様よりも大きなその体を、まるで綿が詰まった袋を背負うかのごとく。
「お嬢様はなぜ、魔法をお使いにならないのでしょうか……?」
「こっちのほうが楽しい。魔法は一瞬で終わるし、戦った実感がわかない」
理由が野蛮です……。
どこかの骨がポッキリしてしまって、たいへん静かになった魔物を吟味しているお嬢様を眺めておりましたら、ふと風の音に混じって何か聞こえたような気がいたしました。
お嬢様には聞こえていないご様子。
「…………ーい……」
わたくし、元は犬ですから、耳もたいへんよく聞こえます!なんでしょうか、なにかの声のような。
「…………ー……か、……」
布製の耳をぴくぴくさせて、わたくしはお嬢様から少し離れて小麦畑へと近づきました。これが小麦かはよくわからないのですが、あまり生育の良くないまばらな穂がうなだれて、風に揺られています。
畑のちょうど真ん中ほどに、かかしが立っていました。おそらくかかし、だと思います。頭に麻袋を被った人の形が、支柱にくくりつけられていました。
「……おーい…………」
そのかかしの方から、声がしました。
咳き込むように麻袋が揺れて、下からどろりと何かがこぼれました。かかしが、咳き込んでいる。
「おーい、誰か……ゲホッ、誰かいたら、下ろして……」
あれ絶対かかしじゃない!!生身の人間!!
「お嬢様っ!!たいへんです、あちらの畑に生きたかかしさんがくくりつけられています!!」
「変わった趣味だな。ほっとけ」
趣味で片付けていいのでしょうか!?
「……たすけてー…………」
「ほら!助けを求めていらっしゃる!お怪我もされてるみたいですし、かわいそうです!」
「えぇ……」
気だるそうに立ち上がったお嬢様はきょろきょろとあたりを見回して、そうして例のかかしの姿を認めると、わずかに目を細めました。
「なんだ、ありゃ。面倒ごとの気配がする」
そうぼやきつつ、お嬢様はまっすぐに小麦畑へと進んでいきます。わたくしもすぐ後ろについて、低い背丈の柵を乗り越えました。手入れが行き届かず、伸び放題の葉をかき分けて進んでいた、そのとき。
「……罠だな」
お嬢様の声をかき消すように、頭上からガアガアと不気味なしわがれ声がいくつもいくつも聞こえてきました。それは多すぎるくらいたくさんのカラスの群れでした。たぶん、カラスです。すべてにおいて、たぶんの域を出ません。
「かかった!かかった!」「うまそうな人間!」「若い女!」「ご馳走!ご馳走!」
やっぱりわたくしの知るカラスではなさそうです……!
それらはカラスより一回り以上も体が大きく、妙に長い首に、ふたつの頭を持っていました。それらがみんな騒ぎ立てているので、二倍はうるさく感じられます。
ガーゴイルたちよりは小柄な魔物でしたが、数が多すぎる。数十はいるように見えます。そして、この付近には建物や遮蔽物がありません。いくらお嬢様のパンチが規格外の威力といえど、状況はかなり不利であるように見えました。




