3.北の魔女
北の魔女のお兄さま(ややこしいので魔法使いさんと呼ぶことにいたしましょう!)が近づくにつれ、その姿がはっきりと見えるようになりました。白っぽいすみれ色の髪、すらりと高い背丈。とても美しい男性だということが分かりました。
しかし、彼はどう見ても怒っているようでした。無表情ではありましたが、まとう空気がピリピリとしていて、一歩も動くことすら許されないような、緊張感がありました。
彼はやがてわたくしたちのそばを通り過ぎ、家の戸口の付近で足を止めました。そこには東の魔女のお兄さまの……ええと……ややこしい!足だけがニョッキリしているはずでした。
「おい、実は――」
「あなたが何者かは知らないが、一体どうやってこれを殺した?」
「だから――」
お嬢様が言いかけたそのとき、彼はいつの間にか持っていた大きな杖を自身の眼前に掲げていました。先ほどまでは持っていなかったはずの、豪華な装飾が施された杖。そして何やら唱えると、銀色の光が彼の周りを包み込みました。
「答えずとも結構」
話を遮っているのは魔法使いさんのような気もしますが……
「さっきから――」
「誰の差し金であろうと――」
「聞けっつってんだろうがあッ!!」
殴った!また殴った!普通のパンチ!
双方が食い気味な状態で、先に痺れを切らしたのはお嬢様のほうでした。見事な右ストレートが彼の顔面に炸裂。とても痛そう。とはいえ、魔法使いさんもただ無抵抗に殴られたわけではなかったのです。寸前に銀色の防御壁のようなものが現れていたのですが、お嬢様の拳がそれをまるでガラスかなにかのように容易く粉砕してしまったというだけで。
家の外壁――だったものに背中を打ちつけた魔法使いさんはたいそう驚いた様子でお嬢様を見つめ、振り絞るようにたずねました。
「まさか、あなたは、『東の魔女』……?」
なんでわかったんでしょう。パンチ力?
「ああ、久しぶりだな。『北の魔女』」
会話がややこしい。
「この道理を無視した拳の威力、あなた以外にいるはずがない。けれど、どうして。現にあなたは、ここに」
やっぱりパンチ力が決め手なんだ……
「そう、死んだ。んで、たまたまこの体に乗り移った」
説明が雑すぎる。ツッコミが追いつかない。
「……」
魔法使いさんもいろいろな処理が追いつかなくなってしまったのか、黙り込んでしまいました。あと、頬を押さえています。痛かったんだと思います。無理もない。
「ちなみに、そこにいる、それはなんですか」
指示語のオンパレードで急に話を振られたわたくし。わたくしが何か言うより先に、お嬢様が明るく答えます。
「これか。こいつはトト。異世界から来た、俺の相棒だ」
やだ……男前。惚れてしまう……!
……?
……え?いま、なんと?
「異世界?」
わたくしの代わりに、魔法使いさんが眉をひそめました。
「こいつも、この体も、ついでにこの家も。異世界のものだ。なにか違和感があると思ったが、そういうことなら合点がいく」
『ま、待ってください。わたくしが一番びっくりしているのですが……』
「喋った」
わたくしを見た魔法使いさんがぼそりと呟きました。
なにから説明したものか、とお嬢様は少しだけ悩むようなそぶりを見せて、魔法使いさんに目配せをします。彼は小さく頷いて、わたくしに向き直りました。
「ここは、オズの国。魔法の世界です」
「おまえの言うおとぎ話の中の魔法は、この世界のすべてだ。すべての物質、空気、エネルギー、なにもかもに魔法の力――『魔素』が含まれる。逆に、魔法の存在しない世界は俺たちにとってはおとぎ話そのものだ」
「文明の発達した世界には、魔法が存在しないと聞いたことがあります。理の違う世界は、交わるべきではない。しかし、どうしてか――ごくまれに、異世界同士が繋がってしまう瞬間があるようです。この国の古い歴史にも、そのような記述があります」
「ドロシーの体にも、この家にも。魔素がまるで含まれていない。そして、おまえは魔法を知らないと言った。そうだろう?おまえの元いた場所には魔法がなかった。どうやって、ここへ来た?」
突然の情報量にうろたえながら、わたくしはあの竜巻のこと、気づけばこの世界に降りたってしまったことを伝えました。
「竜巻、ですか。先刻、このあたりの魔素に大きな揺らぎを感知したのです。あなたとは連絡が取れないし、駆けつけて見たところ、このような状態でして」
「そうなのか、悪いな」
「あなたはその瞬間、ここにいたのでしょう。何が起こっていたのですか?」
「それが……前後の記憶がまったくと言っていいほど無いんだよな。昼寝してたような気もするんだけど」
「……はあ?」
魔法使いさんが明らかに苛立った様子を見せますが、お嬢様はヘラヘラと笑ってごまかしました。
「だってさ、俺の頭、ミンチになってんだぜ?多少なりとも記憶が吹っ飛んでも仕方ないだろうよ」
「……」
呆れたように目線を逸らす魔法使いさん。お二人はなんだか旧知の仲のようですね。わたくしとしてはなぜだか複雑な気持ちでございますが……(わたくしのドロシーお嬢様が、知らない男性と親しげにされている……ぐぬぬ……)
「まあ、いいでしょう」
魔法使いさんはこれ以上の追求を諦めたようでした。わずかに神妙な面持ちになると、ほんの少し黙って、それからお嬢様へとたずねました。
「それで、これからどうするのですか」
「こいつの主人の魂を取り戻しに行く」
「当ては」
「ないな」
あっけらかんと答えるお嬢様に、なにか言いたげな顔をした魔法使いさんでしたが、小さくかぶりを振ってから続けました。
「ならば、エメラルドの都に向かってはどうでしょう。なにか解決の糸口が見つかるかもしれません」
『エメラルドの都?』
お嬢様がなにか言う前に、わたくしがつい口を挟みます。エメラルドの都、なんだか聞いたことがございます。それにとても素敵な名前です!
「この世界の中心にある都だ。中心といっても厳密には中心じゃないんだが……あそこか、そうだよな。あそこしかねえよなあ……」
お嬢様はなんだか乗り気ではないご様子。
「この世界を統べるお方、オズの住まう場所なのです。この世界のすべての魂は、やがてそこに行き着くとされている。そしてオズは強大な力を持っています。あなたがたを元の世界へ帰す方法も知っているかもしれません」
なるほど。そちらへ行けば、お嬢様の魂に会えるかもしれませんし、わたくしたちを助けてくださるかもしれない。オズという方が親切な方だといいなあと思います!
それにしても、『オズ』『魔法』『エメラルドの都』。それに、『東の魔女』や『北の魔女』。
『聞けば聞くほど、わたくしの知る童話にそっくりな世界でいらっしゃる。もしや、その都へ向かう方法は、黄色のレンガの道をたどることであったりなど――』
わたくしの気安い発言のせいで、なぜか場が凍りました。




