18.ネズミと花
無数のネズミが蠢く、花畑。
そこは、小高い丘を取り囲むように広がっておりました。ぞわぞわと波打つ、文字通りのねずみ色。それを塗りつぶすような濃い緑と、目が痛くなるほど鮮烈な赤い花があたり一面に咲き乱れていました。
ツッコミを諦めたお嬢様は、感謝に打ち震えるヤマネコを放置して、花畑を再度見下ろします。
眉間にしわを寄せて、目をすがめているときのお嬢様は――おそらく、わたくしには見えないものを見ているときなのだと、なんとなく分かったような気がいたします。
すると、その表情がふと曇りました。
「おい、ネコ」
「はい、奥方様」
「……あれはなんだ、あの花。まさか毒芥子か?」
お嬢様はスルースキルを身につけられたようです。
「ドクゲシ……?もしや、眠り花のことでしょうか?」
ヤマネコがおずおずと答えます。あの赤い花を指していると思われますが、どちらにせよ、ちょっぴり物騒な名前をしているようです。
「では、我が妻よ。我が偉大なる力をとくと目に焼きつけるがよい。一掃して見せようでは――」
「待て、デカネコ。よく見ろ」
「デカ……なんと?」
話を遮ろうとした王様は、自分がなんと呼ばれたのかさっぱり理解できなかったようですが、一応はお嬢様の言うとおりに足を止めました。
ちょうどそのタイミングで、川の向こうから中型の鳥が二羽、花畑のほうへ飛んでいきました。ネズミたちを今朝の食事にしようと考えたのでしょう、空を何周か旋回したのち、音もなく急降下していきます。
お嬢様がわたくしたちにシッと合図を送ったので、わたくしたちはそれを固唾を呑んで見守りました。
鳥たちがネズミを捕らえようとした、そのとき。ポンッという、くぐもった破裂音がしました。鉤爪でネズミを掴んで急上昇しようとした鳥は、空中でふらりと体勢を崩し、そのまま花畑の中へと落下していきました。もう一羽も同じように花畑に突っ込んだまま、とうとう上がってはきませんでした。
「え……?なんで、何が起こったの?」
「あれは眠り花のしわざでございますよ、お連れの方」
「花の?」
花畑に落下した二羽の鳥は、あっという間にネズミたちに群がられ、やがて見えなくなりました。その光景をこわごわと見つめていたかかしさんに、ヤマネコが答えました。
「あの花は、近づくものに特殊な花粉を撒くのです。花粉を吸い込んだものは、たちまち眠ってしまう。それゆえに、我々はあれを眠り花と呼んでおります」
たしかに、鳥が花畑に近づいた瞬間に奇妙な音がしましたし、よくよく目を凝らすと、鳥が落ちたあたりには黄色っぽい煙が漂っていました。あれが花粉なのでしょう。
「へえ。でも、ネズミたちは?あんなに近くにいるのに、花粉を撒かれないの?」
「ええ、お連れの方。そこが厄介なところなのです」
「……共生関係にあるのか」
「おっしゃる通り」
お嬢様の指摘に、ヤマネコは苦々しい顔をして頷きます。
「この丘の眠り花は、元はあれほど多くはなかったのです。ネズミが殖えたことで、花も殖えてしまった」
「毒芥子――俺たちはこう呼ぶが、あのケシは普通の植物とは少し違う。眠らせて捕らえた生き物の養分を吸い取る魔草の一種だ。おおかた、足元のネズミを好きなだけつまみ食いする代わりに、外敵からは守ってやる。そんな関係というところだろう」
ネズミが住みつき、ケシが殖える。ケシが守ってやることで、ネズミもさらに殖える。歯止めの効かない状況が、ここまでの悪化を引き起こしたのでしょう。
「ならばいっそのこと、燃やしてしまえばいいではないか。花もネズミもすべて死に絶えるであろう?」
王様が言うと、お嬢様は呆れたように何か言いかけました。しかし、すぐに口をつぐみ、足元へ視線を落とします。
足元には小ぶりな薄紫色の花が咲いていました。何かを思いついたのでしょう、彼女はそれをかがんで摘み取ると、わたくしたち全員から見えるように指でつまんで掲げます。
ボンッ。弾けるような音とともに、お嬢様の手の中の花に火がつきました。灰色の煙を立ち上らせながら、花はあっという間に黒くしなびていきます。
鼻をつくような異臭が、あたりに広がりました。
「げぇ、なんか変なニオイ」
かかしさんが眉をひそめながら鼻を押さえます。王様もちょっとだけ鼻にしわを寄せると、控えめなくしゃみをしました。ヤマネコは低い位置にいたので、平気なようでした。木こりさんは……鼻がないので、反応はありませんでした。
お嬢様が口を開きます。
「この花もあのケシほどじゃないが、有毒だ。煙にすると、さらにマズい」
「え?吸っちゃったんだけど」
「おまえは平気だろ」
「そうなんだけど――それはそうとしても、もう少しこう、なんかあると思うんだけど」
かかしさんは信じられないと言わんばかりの手振りで主張したのですが、おおよそ相手にされないのはいつものことなので、口を尖らせて不満を述べただけでした。
「つまり、あの花畑を一面燃やしてしまったとしたら……」
わたくしが口を挟むとお嬢様は頷いて、燃えかすとなった花を握り、ぱんぱんと手を払いました。熱くないのでございますねえ。
「有毒の煙がここ一帯に立ち込める。おまえたちも無事ではすまないだろうし、なによりも――」
いったん言葉を切り、ヤマネコを見下ろします。
「――残るのは焼け野原だ。かつての故郷は戻らない」
「……」
その言葉に、ヤマネコはこぼれ落ちそうなほど目を見開きました。まるで、そんな結末など想像したこともなかったとでもいうように。驚きと困惑が、表情にありありと浮かんでいます。
ことがそう単純でないことを理解したのか、王様も口をつぐんで、長い尾を数回揺らしただけでした。
やがて、ヤマネコは落胆したように耳を伏せました。
「そう、……で、ございますね。こうなってはもう、手遅れでございましょう。元は、本当に美しい場所だったのです。豊かな実りがあり、多種多様な生き物たちがいた。あの眠り花でさえ、まばらに咲いていた頃は、我らにとっても良き隣人でした。捕食者たちへの抑止力として、そこにあるだけだった」
昔を懐かしむように目を細め、広がる草原を見つめます。
「ネズミがいなくなればすべて元通り、というわけではないのでございますね。そうであるならば、今となっては……もう、ここを放棄するしかないのでしょう」
「それも手段のひとつではあるが――手立てがないわけではないぞ」
周囲の地形を見回しながら、お嬢様が言いました。
「えっ!?」
ヤマネコはハッと顔を上げ、期待に満ちた眼差しを向けました。
「もちろん、完全に元通り、というわけにはいかないだろうが」
ヤマネコは伏せかけた耳をわずかに持ち上げ、身を縮めたままお嬢様を見つめています。期待を捨てきれず、次の言葉を待っているようでした。
「花畑にも立ち入れない、燃やすこともできない。ネズミの数もとんでもない。そのうえで、いったいどうやって?」
かかしさんがさっぱり見当もつかないといった様子で問います。お嬢様は少しだけいたずらっぽく笑いました。
「ネズミとケシの結託を崩してやればいいだけのこと。まずはお互いに削り合っていただこう」
そして、わたくしたちにも向き直ります。
「そういうわけだ、おまえたちにも働いてもらうぞ」




