19.崩壊
さて、ここからは。ネズミたちの視点でお送りいたしましょう。
ケシに守られ暮らす彼らは、とても順調に数を増やしていきました。ときどきは魔素や養分をつまみ食いされることもありましたが、ケシは恐ろしい捕食者たちを眠らせ、それらを餌として与えてくれました。互いに利益のあるよい関係がうまく成り立っていたのです。
また、ケシたちは、自分たちの武器である花粉をなるべくネズミたちにかけないよう調整していました。守られこそすれ、危害を加えられることなどなかったのです。
そのはずでした。
ずっとそのはずだったのです。
それは突然のこと。花畑の一角から、黄色い粉塵がもうもうと立ち上りました。
ネズミたちは、捕食者がやってきたのだろうと思いました。それでも、いつも通りケシに任せておけば、侵入者を眠らせてくれる。そう信じていました。
しかし、なにやらいつもと様子が違いました。あまりにも花粉の量が多いのです。
大抵の場合は、ひと吹きすれば侵入者を容易く眠らせることができるはず。それなのに、花粉は絶えず噴き出し続け、根元にいるネズミたちにまで容赦なく降りかかりました。
花粉を吸い込んだネズミたちはバタバタと倒れていきます。この花粉は少量であれば眠る程度で済みます。しかし、吸い込みすぎると二度と目覚めることができなくなるのです。
何が起こったのか分からず、ネズミたちはパニックに陥りました。
やがて花畑のあちこちで花粉が立ち込め始めました。風に流れていくはずの花粉は、どういうわけか拡散されず、花畑の中にはとどまり続けました。視界はみるみるうちに濃い黄色に染まっていきます。
逃げ場を失ったネズミたちは、我先にと巣穴に逃げ込みました。ケシの根と、巣穴が複雑に絡まり合った、土の中。
多量の花粉を噴き続けたケシは、消耗した魔素を補おうとするかのように、根をくねらせてネズミたちを片っ端から捕らえてゆきます。
花粉によって意識を奪われて、根で養分を吸い取られる。このままでは、自分たちが全滅しかねない。ネズミたちは必死で逃げ惑い、襲いかかる根を掘り起こし、茎を齧り取っていきます。
傷つけられたケシは、ますます花粉を吐き散らす。捕らえたネズミが死んでもおかまいなしに、養分を搾り取ってゆきます。
やがて、地上には眠ったネズミが山のように積み重なり、散らかされたケシの花はなおも花粉を吐き続けていました。
***
「いやあ、すごいねえ」
かかしさんがどこか他人事のように呟きます。目の前には、まるで雲海のように立ち込める、一面の花粉。
さて、もちろんこれにはわけがあるのです。
花畑の中で、ブリキの木こりさんがたいへんに暴れ回っているのでございます。もちろん、お嬢様のご指示で。
彼は本体が斧でございますので、花粉がまったく効かないのです。さらに、体は鉄製でございますので、ネズミたちも文字通り歯が立たない。花畑に立ち入って無事でいられる唯一の存在です。
そんな彼が、ケシをめちゃくちゃに刈りまくっておりました。斧を草刈り鎌のように振り回し、ケシをむんずと掴んで根っこごと引き抜く。
はじめはいつも通りに反撃していたケシも、花粉がまったく効かない木こりさんに焦ったのか、大量の花粉を浴びせ続けたのです。さらに、彼がネズミたちには目もくれず、自分たちを次々と刈り倒していくのを見て、ケシは自分たちが狙われているのだと悟ったのでしょう。より花粉攻撃を激しくさせました。
「木こりさん、生き生きしてらっしゃいますねえ」
「仕事を与えられて嬉しくてたまらないってかんじ」
「――まったく、なんたる有様だ!」
わたくしたちが呑気に話しておりましたところ、頭上より、声。王様が大きな翼を広げて、花畑のほうを煽いでおりました。
「我が妻は……我を何だと思っているのだ!この偉大なる力を、花粉の調整などに使わせおって……!」
王様は――おそらく風魔法も駆使しながら、大きな翼で風を起こし、花粉を花畑の中に押しとどめていました。これももちろん、お嬢様のご指示です。花粉を花畑の外へ逃がさず、効果が薄れるのを防ぐと同時に、被害が広がるのも防いでいるのです。おかげで、わたくしたちのところまでは花粉が届きません。
心配そうになりゆきを見守るヤマネコに加え、いつのまにか彼の家族と思われる別個体のヤマネコたちが大小含めて十数匹。わたくしたちの周りに集まってきていました。
「いやいや、こんな繊細な作業、陛下じゃないとできないし、なによりも一番重要な仕事でしょ。いやあ、やっぱすごいなあ」
かかしさんが白々しく持ち上げます。
「貴様。……しかし、我が妻はなにをしている?」
かかしさんへの文句を飲み込んで、王様が問います。お嬢様は木こりさんと王様に役目を言い渡したあと、目にも留まらぬスピードでどこかに駆け出して行ってしまったのです。
「さあ。でも、なにか考えがあるんじゃないかな――」
かかしさんが言いかけたとき、どこか遠くで地鳴りのような音がしました。ヤマネコたちが一斉に耳を立て、不安げにキョロキョロとあたりを見回しました。
「なんの音……?」
かかしさんが疑問を口にしたとき、わたくしたちが渡ってきた川の方角にある山が動きました。
……
……見間違えました。山が動くはずがないので、あれは大きな岩のようです。
大きな岩が動くこともなかなかないですよね。
けれど、大きな岩が動いております……
わたくしとかかしさんはおそるおそる岩を見つめ、それがどうして動いているのか、すんなりと理解いたしました。
「小犬ちゃんさあ」
「はい」
「見間違いだと思うんだけど、ひょっとして――」
「ええ、お嬢様が岩を待ち上げて運んでいるように見えます」
「わーん、同じ幻覚が見えてるみたい」
かかしさんが嘆きます。
幻覚であると思い込みたいくらいの光景であることはそうなのですが、お嬢様は――凶拳の魔女でございますから、もうなんでもアリなのかもしれません。
山と見紛うほどの巨石を担いだお嬢様が、川のほとりをのっしのっしと歩いておられるのです。角度によっては巨石がひとりで動いているようにも見えるのですが、覗き込むと……やっぱり、担いでおられる。
そして、ある地点で立ち止まると、それを軽々と川の中へと放り込みました。巨石はまったく軽々としていないので、ドォォォン……!という、地を揺るがすような轟音が響き渡りました。
お嬢様はまた手をパンパンと払うしぐさをしてから、たいへん軽やかに岩の上に飛び乗り、それからほとんど一息でわたくしたちの元へ飛んできました。崖をひとっ飛びできると豪語しておられるのも、けして大袈裟ではないのでしょう。
「…………」
王様はなんともいえない表情をしています。……お気持ちは、よくわかります。




