11.魔物の森
「つまり……ここは、斧くんがいた森じゃないってことでしょ。東の国の、どこか別の森?」
自分たちが、転移している。そう認識してみると、かつての森とはまったく様相が異なることに気がついたのですが、そうと言われるまで気づかなかったのですから、不思議なものです。
あの森は、薄暗く、空気はひんやりしており、そこに暮らす生き物たちも小さな虫やきのこばかりでした。しかし、今は。空気はぬるく、鮮やかな植物が咲き乱れ、鳥や虫たちの声があちこちから聞こえてきます。
わたくしのいた世界の言葉で表すならば、ジャングル――という表現がぴったりでしょうか。
お嬢様は手持ち無沙汰に魔物の首を手のひらの上でポンポンと弾ませながら、軽く周囲の様子を見回して、首を振りました。
「いや、東の国から外れているな」
「別の国ってこと?」
「国の外だ。魔物の領域」
聞けば聞くほど、あまり嬉しくはない情報が明らかになっていくため、かかしさんは目を丸くしたあと、気まずそうに口をつぐんでしまいました。
「……ものすごく遠いところに来てしまったのでしょうか?」
わたくしが代わりに切り出すと、お嬢様はわたくしたちの深刻そうな様子に対しておかしそうに笑いました。
「そうでもない。ほんの少し外側にいるだけだ。オズの国の外側にはそれぞれ森や、砂漠や、海や、雪山が広がっている。東の国の外側は森だから、おそらくそのあたりだろう」
「戻れるでしょうか?」
「進む、が正しいな。進めばいずれ、エメラルドの都にたどり着く」
お嬢様はいつだって前向きでいらっしゃる。
「それに、安心しろ。俺はかつて、ここに来たことがある」
その言葉に、かかしさんは表情を明るくしました。
「ああ、そうなの?良かった。もっとヤバい場所かと……」
「ああ。暇すぎて、強敵を求めて散歩がてら来てみた。あの時はじつに充実した時間を過ごせたし、無事に帰れた。だから大丈夫だ、なにも――」
お嬢様は言葉を区切ると、突如として、持っていた魔物の頭部をかかしさんの後方へすさまじいスピードで投げつけました。
かかしさんが反応する隙もなく、彼の後ろに忍び寄っていた巨大すぎる蛇の魔物の頭に直撃。
「――なにも、心配することはない。今回だって無事に抜けられるはずだ」
上顎を吹き飛ばされた蛇の魔物は、ずるりと地面に倒れました。あまりの巨体のため、近くの枝がバキバキと折れ、乾いた枝がかかしさんに降りかかりました。
かかしさんはというと、振り返る元気もなく、髪に刺さった小枝を引き抜きながら引きつり笑いを浮かべました。
「……それなら、いいけど。でも、俺のこと置いていかないでね」
「足をなくさないように気をつけろよ」
「超だいじにする!」
お嬢様はおかしそうに笑って、また黄色いレンガの道を歩き始めました。かかしさんは慌ててその後を追います。わたくしも一緒に……と追いかけながらふと振り返ると、先ほどの蛇の魔物にたくさんの鳥や虫たちがたかって、その身を食べているようでした。
やっぱり魔物の森、怖いです。
***
「あんまり聞きたくないんだけどさあ」
レンガをたどりながら、かかしさんが切り出しました。平和な話題で心を和ませたい気持ちと、現実に向き合わなければいけないという気持ち。板挟みなようです。
「この森でいちばんおっかない魔物って、なに?」
先頭を進むブリキの木こりさんは、相変わらず黙々と、お嬢様の道を阻むものを薙ぎ倒してゆきます。それが植物であれ、魔物であれ。まったく容赦がありません。
「そうだなあ」
返事をしながらくるりとこちらを振り返ったお嬢様は、いつの間にか真横に迫っていた魔物に拳をお見舞いしようとしました。しかし、それよりも先にブリキの木こりさんが踏み込むと、大きく開いた魔物の口に斧を叩き込んでしまいました。
「おい、少しは俺のぶんも残しておけよ」
「り、理不尽」
かかしさんが笑いをこらえて口元をおさえました。
「斧くんに『守れ』って命令したのは嬢ちゃんでしょ」
「そうなんだが、全部取られては……俺のやることがなくて、つまらん」
行き場のなくなった拳をゆるめ、ため息をつくお嬢様にどこか狼狽える様子に見える木こりさん。ちょっとだけかわいらしく見えます。
「それで、なんだっけ――ああ、この森でいちばん強い魔物の話か」
「そうそう。なるべくそこを避けて……」
「何種類か思い当たるが、面倒なのは――」
「何種類もいるのか」
かかしさんは小声でわたくしに落胆を伝えてきました。わたくしも、お気持ちはすごく分かりますよ!の意味を込めて、布製の耳を垂らして応えました。
――くすくす。
「単純な強さでいえば、水辺に棲息する種族の……しかし、あれらはあまり賢いとは……」
――くすくす。
なんでしょうか。かすかに、笑い声が聞こえます。わたくしたち以外に、誰かがいる?
「お嬢様、あの」
かかしさんと話すお嬢様の言葉を遮ると、お嬢様たちには聞こえていないのか、不思議そうな顔をされました。
「どうした?」
「声が……笑い声が聞こえたような、気がしまして」
「笑い声?」
――なんだ、聞こえちゃったか。
その声は、笑い声よりもずっと近くで聞こえました。
わたくしたちの、真後ろから。
お嬢様は咄嗟にわたくしを庇うように、その声のほうへと踏み込みます。ところが、わたくしたちになにか起こるより先に、道の前方にいたブリキの木こりさんが派手な音を立てました。
ガシャン。鎧は近くの木の幹に叩きつけられ、その場に崩れ落ちてしまいました。
木こりさんのいた位置に、大きな獣が立っていました。
白い獣。体高は二メートルもありそうな、巨躯。
頭は白いトラのようですが、首から下はわたくしが図鑑で見たことのあるものとはまるで違いました。羽毛に似た密度の高い毛が、鱗のように体を覆い、尻尾はワニやトカゲのものに似て、ゴツゴツとした突起が生えています。背中には一対の白い翼。
爪は鋭く、剥き出しになっており、丸太のように太い腕の先で光っていました。おそらく、あの腕でブリキの木こりさんを簡単に払いのけてしまったのでしょう。
物音と、巨大な獣の出現に気を取られてしまったために。わたくしたちは先ほどの声のことを一瞬、忘れてしまいました。
「な、――」
頭上から、衝撃。
強く体を引っ張られ、わたくしは無事でした。わたくしを咄嗟に掴み、飛び退いたお嬢様も同じように。
けれどもかかしさんは間に合わず、頭上から飛び降りてきた巨大な獣の前脚に押しつぶされてしまいました。
獣は、二匹いたのです。
白い前脚を赤く染めた獣は、目の前のお嬢様を見ると舌なめずりをしました。獲物を見定めた、肉食獣の眼。
お嬢様は怯むことなく、獣の眼を睨み返しました。けれど、わたくしを抱える腕にほんの少しだけ力がこもったことに、わたくしだけが気がつきました。




