どんな時も、これから
三月の空は、春の霞がかかって少しだけ白く滲んでいた。
すずは甲子園口の自宅マンション、自室の鏡の前で、ひたすら格闘していた。
一年生の三学期、逃げるようにこの学校へ転校してきた時は肩にもつかなかった髪が、今では腰のあたりまでゆったりと伸びている。その長い髪をハーフアップにしてリボンをつけたいのだが、後ろ手で結ぼうとすると、どうしてもリボンが不格好に歪んでしまうのだ。
「かしなさいも〜〜〜! 時間ないって言うてるのにあんたも〜〜〜!」
「ごめんママ」
しびれを切らしたママが鬼のような形相で乱入してきて、それでいて魔法のように手早く、完璧なバランスでリボンを結び上げていく。
鏡の中に、可愛いリボンを頭に結んだ自分と、やはり自分によく似ていると思うママが並んで写っている。
「ほら見ぃ。あんた、お嬢様くくり、めっちゃ似合うやん」
「ぷっ、ママ! これってハーフアップっていうんやで!」
「知らんわそんな現代語! 平安時代からこれは『お嬢様くくり』って決まっとんねん! ほら、はよいくで!」
「はーい」
ママからもらったファミリアの靴を履いて、家を出る。
今日は、ママと腕を組んでJR甲子園口の駅へ向かった。
■■■
電車に揺られてたどり着いた学校。
窓の向こうに広がる神戸の海と街並みは、今日という日を祝うみたいにきらきらと光を乱反射させて見えた。
この学校には、決められた制服がない。
正確に言えば、着てもいいし、着なくてもいい。
だから今日の卒業式は、まるでここに集まった生徒たちの「それぞれの人生」をそのまま服にして持ち寄ったみたいだった。
きっちりと着込まれたスーツ姿の者。
色鮮やかな袴姿の者。
かつて通っていた学校の制服を誇らしげに着る者。
いつもの私服を、ほんの少しだけよそいきに整えた者。
そして――とびきり華やかな人もいた。
「見てよバンビ。どう? 玲花、今日ちょっとしたプリンセスちゃう?」
くるりとその場で回った玲花に、すずは思わず目を丸くして息を呑んだ。
「ちょっとじゃないよ。めちゃくちゃプリンセスやん……!」
玲花が着ていたのは、ドレスタイプの華やかなチマチョゴリだった。
赤や薄桃色といった鮮やかな色が幾重にも重なって、彼女が動くたびに光の加減でふわりと艶めく。豊かな栗色の髪は長く三つ編みにして片側に流し、きらきら光る髪飾りが挿してある。その堂々とした美しさは、まるで物語から飛び出してきたお姫様のようだった。
「でしょ?」
「うん、実写版のディズニープリンセスみたい」
「やんな? 私も今日それ狙ってきた。レッドカーペット歩けるわ」
「狙ってここまで完璧にできるの、ほんますごいよ……」
その横では、玲花の弟たちが真新しい制服姿で並んでいた。
一番下のヨンチョリが、姉のあまりの綺麗さに落ち着きなくきょろきょろしている。
「ぬな、写真撮ってええ?」
「ええよ。ていうかあんたら、今日ちゃんとしてて可愛いな。ネクタイちょっと曲がってるけど」
「ぬなも、めっちゃ可愛いで」
「あーもう知ってる。当たり前やん」
「そこは否定せえへんのや」
「事実やからな。美しさに謙遜は不要やで、うちの家訓や」
玲花がふふんと得意げに鼻を鳴らすと、その少し後ろに立っていた陸が、わずかに口元を緩めた。
陸は今日、黒に近い濃紺のスーツを着ていた。
いつもの土にまみれた現場着とは全然違う。広い肩幅、厚い胸板、そして背の高さ。過酷な労働で鍛え上げられた体が、そのままスーツを内側から押し上げているようで、とてつもなく様になっていた。なんだか、酸いも甘いも噛み分けた『働く大人の男の完成形』みたいだった。
「陸くんも、すっごい似合ってる。俳優さんみたい」
すずがそう言うと、陸は少し居心地が悪そうに視線を逸らし、首の後ろを掻いた。
「……まあな」
「そこは照れてくださいよ。耳真っ赤っすよ」
横から、天馬が冷静に、けれど楽しそうに突っ込む。
「お前もうっさいわ。お前かて似合っとるやないか」
陸に言い返された天馬は、相変わらずだった。
白い無地のTシャツに、ネイビーの細身のズボン。上に薄手のジャケットを羽織っているだけで、飾り気は極端に少ない。なのに、なぜか誰よりも目を引くほど格好いい。
少し伸びた髪が、いつもより彼を大人っぽく見せている。耳にはまたあのシルバーのピアスが戻っていて、首元には、ティファニーのネックレスと、父親から届いた酸素ボンベの金属片で作られた十字架が並んで光っていた。
ふと目が合うと、天馬の透き通るようなヘーゼルアイが、春の陽だまりみたいに優しく細められた。
すずは、少しドキドキしながら自分の服の裾をそっと撫でた。
今日の自分は、濃い紺色のワンピース。
白い清楚な襟がついていて、少しだけ大人っぽい、シルエットの綺麗なものを選んだ。ママが結んでくれた長い髪のリボンも、きっと完璧なはずだ。鏡の前で何度も「これで変じゃないかな」と確かめてきたのだ。
「すず」
「うん?」
「似合ってる」
「……ありがとう」
「すごく可愛い。髪、綺麗だな」
「っ、ありがと……」
さらりと、けれど真っ直ぐにあのヘーゼルアイで見つめられながらそう言われると、いまだに心臓が変な跳ね方をする。
卒業式だというのに、すずはもう顔から火が出そうなくらい熱かった。
■■■
式が始まると、体育館代わりの会場は、少しだけ静かな緊張に包まれた。
名前を呼ばれて、少し上ずった声で返事をする音。
パイプ椅子を引く、ぎこちない音。
あちこちから聞こえてくる、小さく鼻をすする音。
すでに顔をくしゃくしゃにして泣いている子もいたし、最後まで腕を組んで平然と前を睨みつけている子もいた。
でもたぶん、誰の胸の中にも、ここに至るまでの壮絶で、愛おしいそれぞれの三年間がぎっしり詰まっていた。
やがて、送辞や答辞が終わり、生徒たちは教室へ戻る。
■■■
最後のホームルーム。佐伯先生の話になった。
佐伯先生は、いつものように教壇の前に立った。
けれど、いつもはどこか気怠げなその背筋が、今日はピンと真っ直ぐに伸びていた。
「えー、みなさん。卒業、おめでとうございます」
いつもの関西弁。いつもの、少し低くてぶっきらぼうな声。
でも、その一言を聞いただけで、すずの胸はすでにぎゅっと締め付けられた。
「知ってる人も多いけど、僕はもともと、この学校の生徒でした」
教室が、少しだけざわつく。
「俺がまだ高校生やった頃は、国際会館の近くの寂れたビルの中にこの高校はあった。でもあれよこれよと大きくなっていった。それだけ、こういう学校が求められる時代になったと言うことやと思っとる。
俺は、高校でいろんな人に会いました。いろんな国籍の人。いろんな事情を抱えた人。昼間、泥だらけになって働いてるやつもおったし、親がおらんで家庭がむちゃくちゃで、それでも這うようにして学校には来るやつがおった。日本生まれでも、日本育ちでも、自分の居場所がどこにもわからんやつもおった」
すずは、両手を膝の上で固く握りしめ、息を詰めて聞いていた。
それはまるで、目の前にいる自分たちのことを、そのまま包み込んでくれるような言葉だった。
「でもな。この神戸って街は、そういういろんな人間が、ちゃんとごちゃ混ぜになって、それでも生きていける街やと思ってます。僕もここで、いっぱい友達ができました。国籍も、育ちも、言葉も違う友達が。……で、そいつらとは、おっさんになった今でも友達です」
教室から、くすりと少し笑いが起きる。
佐伯先生も、照れ隠しのように少しだけ笑った。
「だから、お前らにも言いたい。ここで出会った人を、大事にせえよ。友達を大事にせえ。自分を大事にせえ。自分の人生を……どんなに理不尽なことがあっても、簡単に『終わったこと』にすんな」
先生は、ふっと言葉を切った。
教室が静まり返る。
佐伯先生は、何かを言おうとして、少しだけ眉を寄せた。
口を開き、閉じる。教卓を握る手に、ぎゅっと力が込められる。
そして、ひどく困ったように頭を掻いた。
次に顔を上げた時には、その目から滝のようにボロボロと涙を流していた。
「あー……あかん。ちょっと待て。感極まって、何言うか飛んだわ」
誰も笑わなかった。
先生の飾らない涙に誘われたのだろう。グス、グス、と鼻をすする音や、堪えきれない嗚咽が、教室のそこらかしこから聞こえてくる。
「いや、違うねん。言いたいことは、あるんや。むちゃくちゃある。お前ら一人ひとりの顔見てたら、あんなことあったなとか……あるんやけど、なんやったっけな」
空気が、春風のようにやわらかく揺れる。
佐伯先生は、天井を仰いでひとつ大きく息を吸い込み、それから、腹の底からの大声で叫んだ。
「とにかくこれからじゃー!!!!!」
窓ガラスがビリビリと震えるほどの声量だった。
「これからなんや」
そして今度は、ぽつりと小声になった。
その声は、小さいのにいつもよりずっと強く、深く心に響いた。
「今までどうやったとか、何を失敗したとか、誰に何言われたとか。そんなもん、生きてりゃ嫌でも背負うことになんねん。しんどいことも、悔しいことも、いっぱいあったやろ」
佐伯先生は、涙で濡れた顔のまま、教室の端から端まで、生徒たちの顔を一人ひとり見回した。
「それでもな。なんでも、いつでも、どんな時でも! これからやぞ! お前ら!!!」
その瞬間、先生の魂の叫びが、教室いっぱいに響き渡った。
「こっからがスタートや!!! 胸張って生きろ!!! ……おわりー!!!!!」
一拍遅れて、教室がどっと沸き返った。
笑いと、割れんばかりの拍手と、大きな泣き声が一気に混ざり合う。
すずも、立ち上がって夢中で拍手しながら、ぼろぼろと泣いていた。
隣を見ると、玲花も美しいメイクが崩れるのも構わず涙を拭っていた。陸は腕を組んだまま少しだけ目を細め、何度も深く頷いている。
振り返ると、天馬は真っ直ぐ前を見たまま、その透き通るようなヘーゼルアイからひとすじの涙をこぼし、静かに、力強く拍手していた。
そこからはもう涙も吹き飛ぶような大騒ぎだった。
「写真撮ろ! 先生こっち入って!」
「待って、今の顔あかん! 私盛れてへん!」
「陸!また目つぶってるやん! お前何回目や!」
「天馬くん、もっと寄って! フレーム入らへん!」
「いや、俺は近いです」
「ええから近づけや! パーソナルスペースとか今日は捨てろ! 卒業式やぞ!」
教室でも、廊下でも、窓際でも、誰もがスマホを構えて写真を撮りまくっていた。
教室の窓の外には、太陽の光を浴びてきらきらと輝く瀬戸内海と、神戸の街並みが広がっていた。
広い運動場もない。
立派な校門もない。
けれど、確かにここは『学校』だった。
いろんな人がいて、いろんな人生が交差して、泣いて、笑って、怒って、傷ついて、ここで少しずつ大人になっていった。
すずは、この愛おしい喧騒と窓の外の景色を、絶対に忘れないようにしっかりと目に焼きつけた。
■■■
帰り道。
天馬は、すずの荷物を片手で持ち、もう片方の手で何も言わずにすずの手をしっかりと握った。
卒業式のあと、そのまますずの家へ送ってくれることになっていた。
でも途中で、すずが少しだけ天馬の袖を引いた。
「ねえ、ここ、寄ってもいい?」
「うん」
二人で立ち寄ったのは、すずがアルバイトをしている、あの小さなパン屋だった。
カランコロンと扉を開けると、焼きたてのパンの匂い――小麦とバターの、世界で一番幸せな匂いがふわっと迎えてくれる。
レジの奥にいた奥さんが、すずの姿を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「あら、すずちゃん!」
「こんにちは」
「今日、もしかして……」
「はい。卒業しました」
「きゃー! おめでとう!」
奥さんが、自分のことのように両手を合わせて喜んでくれる。
その大きな声に、店の奥の厨房から、粉まみれのエプロンをした旦那さんも顔を出した。
「・・・・」
店長は、コクリと頷いた。口角が少しだけ上がっている。
「今のは・・・」
「わかってます!ほんまにおめでとうと、お疲れ様、またきてね、です!」
奥さんの真帆が翻訳しとうとしたが、すずが遮って、翻訳した。
「!」
「あはは!ついにすずちゃんも翻訳できるようになったやん!」
「えへへ、ありがとうございます!」
すずは、天馬と並んでぺこりと深く頭を下げた。
「大学行っても、時間ある時はぜひ遊びに来てね。パン焼いて待ってるから」
「はい! 絶対来ます」
「待ってるからねぇ」
その言葉と温かい笑顔が、とても嬉しかった。
ここもまた、すずにとってかけがえのない『居場所』のひとつだった。
何もなくて、ボロボロだった時に働かせてもらって、毎日励ましてもらって、少しずつ自分の世界を広げてくれた、優しい大人のいる場所。
少しだけパンを包んでもらって、二人は何度も何度もお礼を言って店を出た。
■■■
その足で向かったのは、夕暮れが近づく武庫川だった。
駅からパン屋へは歩いて5分。そこから自宅マンションまでまた5分。そこからさらに少しだけ歩くと、武庫川の土手へと続く坂道がある。
坂道を登り、風情あるアーチ型の眼鏡橋へ。その横の青々とした堤防をゆっくりと下る。
土手のベンチに座って、紙袋からまだ温かいパンを取り出す。
春が近いとはいえ、川沿いを吹き抜ける風はまだ少し冷たい。けれど、その風さえ、火照った頬には今日という日を彩るスパイスみたいに気持ちよかった。
「おいしい」
「うん、うまい」
「……卒業したね」
「したな」
すずはパンをちぎりながら、大きく空を見上げた。
薄い青だった空の向こうに、夕方の黄金色の光が少しずつ差し込み始めている。
(この河原を、ママが入院している間、たくさん歩いたな。天馬くんと)
「なんか、まだ変な感じ」
「何が?」
「ほんまに卒業したんやなぁって。明日から学校行かなくていいのが、信じられない」
天馬はパンをかじりながら、横で風に揺れるすずの長い髪と、その横顔を見つめていた。
「先生が言ってたやろ」
「うん」
「これからやって」
「……うん」
二人はしばらく黙って、川の水面を見つめた。
これまでの人生、大人たちに翻弄されてきた。
でも、大人たちに助けられてもきた。
不器用だけど愛情深いママ。破天荒で底抜けに明るい紗英おばちゃん。熱い魂を持った佐伯先生。陸を育ててくれた親方。パン屋の店長と奥さん。
いろんな大人に支えられて、やっとここまで来たのだ。
じゃあ、自分たちはこれから、どんな大人になるんだろう。
その答えは、まだどこにもない。
でも、きっと二人で、これから作っていくのだ。
帰る前に、二人は少し歩いて、武庫川にかかる眼鏡橋の真ん中あたりまで来た。
橋のバルコニーのような出っ張りから見える川面は、すでに夕日に深く染まり始めていた。
空は青から金へ、金から薄桃色へと、まるで絵の具を溶かしたようにゆっくりと、ドラマチックに色を変えていく。
「綺麗やね」
「うん」
三年間の終わりと、新しい日々の始まり。
名残惜しさと期待が混ざったような温かい感情が、胸の奥でやわらかく広がる。
すずは、自分からそっと、天馬の大きな手を握った。
風が吹き、二人の頬をそっと撫でる。
「これからも、頑張ろうね」
「うん」
「二人で、素敵な大人になろね」
天馬が、じっとすずを見る。
夕日の光を反射したそのヘーゼルアイは、まるで透き通るガラス玉のように美しかった。普段の冷静な彼からは想像もつかないほど、その瞳の奥には熱く、静かで、強烈な愛情が揺らめいているのがわかった。
「俺は、大学でしっかり学んで、頑張って教師になる」
「うん」
「すずも、夢、絶対叶えろよ」
「うん!」
天馬が一歩、すずとの距離を詰める。
触れ合う肩。見上げる距離。
「あと」
「うん?」
「大学、卒業したら、結婚しよう」
「…!」
「返事は?」
「うん!うん!!!」
我ながらびっくりするほど、食い気味の即答だった。
でも、それ以外の言葉なんて見つからなかった。
「早っ」と天馬が小さく笑い声をこぼした次の瞬間には、すずの長い髪に彼の手が添えられ、ふたつの唇が重なっていた。
少しだけひんやりとした風の中で、触れ合った唇だけが熱い。嘘のない、真っ直ぐで、溶けてしまいそうに優しいキスだった。
その時だった。
「ひゅーひゅー! 暑苦しいでんなー!!」
突然、横から鼓膜を破るような野太いダミ声が飛んできた。
びくっとして二人が慌てて離れると、全身を阪神タイガースの黄色と黒の応援はっぴで包んだ、顔の赤いおじさん二人が、ワンカップ大関を片手ににやにやしながら通り過ぎていくところだった。
「はー、ええなぁ。俺の若い頃はなぁ、あないして橋の上で……」
「おっさん、その話また始まるん? 」
「ええやないか! 始まるでぇー、六甲おろしより長い俺の恋バナが!」
「やめときって。ほら見い、若い子らドン引きして逃げるで」
「逃げてへんやろ、あの二人。ええぞ兄ちゃん、その別嬪さん大事にしたれよー!」
嵐のように現れて、嵐のように去っていくトラキチのおじさんたち。
ロマンチックの欠片もない見事な関西の洗礼に、すずと天馬はぽかんとした後、顔を見合わせて同時にお腹を抱えて吹き出した。
「あははははっ……!」
「……タイミング、最悪すぎるやろ」
「でも、めっちゃ面白かった。おっちゃん、幸せそうやったし」
「せやな。面白かったな」
笑い合う二人の頭上を、武庫川の鳥たちが群れになって家路へと飛んでいく。
空は息を呑むほど美しく、夕日は山の向こうへ沈み、街は少しずつ夜の気配を纏う。
夕方と夜の合間の不思議な時間が、すずの気持ちをノスタルジックに染め上げていく。
出会った時は、少し怖かった。
自分とは、明らかに住んでいる世界が違う人だと思っていた。
その人が、今、こんなにも自分の心の中にいる。
天馬とすずは、もう一度見つめあって、チュッとキスをし、微笑みあった。
「じゃあ、また夜電話する」
天馬は名残り惜しそうに去っていった。
橋を渡りきり、天馬は尼崎の自分の家へ帰っていく。
すずは橋の上に立ち、その背中をしばらく見送った。
真っ直ぐで、肩幅が広くて、少しだけ不器用な背中。
でも、そこにはちゃんと、自分の足で未来へ向かう確かな強さがあった。
すずは、大好きなその背中が見えなくなるまで、ずっとずっと見つめていた。
やがて天馬の姿が見えなくなると、すずはくるりと踵を返し、自分の家へと続く道を走り出した。
<どんな時も、これから。>
佐伯先生の言葉が、心に響く。
冷たい風を切って走るのが、少しも苦じゃなかった。
すずは、明日が来るのが楽しみでたまらなかった。
口角が自然と上がる。
そんな顔をしている自分のことが、きっと今、いちばん好きだと思いながら、すずは走った。
読んでもらってありがとうございました。
あとはエピローグで終わりです。




