吉野の川と、甘い夜。
「何ここー!!!!!!」
玲花の叫びが、ここーここーここーと吉野の山あいに小気味よくこだまする。
8月。
場所は吉野の山奥、とある有名な蕎麦屋さんの裏手にある川辺。
そこは、都会育ちの彼らからすれば、圧倒的大自然というより、もはや「ちょっとした魔境」だった。
川の水は冷凍庫でキンキンに冷やしたのかと思うほど冷たく、大きな石がゴロゴロと容赦なく転がっている。真夏だというのに、足を数秒浸すだけで骨の奥までキーンと痛くなるほどだ。
陸は張り切って自前のテントを持参していたが、あまりの石の多さにペグを打つどころではなく、早々に設営を諦めていた。周りには誰もおらず、完全に4人だけのプライベート空間だ。
(あかん、みんな、大自然のスケールが凄すぎて、情緒が迷子に……!)
すずは心の中でそう突っ込みながら、自分の水着のフリルをそっと整えた。
今日のために奮発して買った、淡いブルーのへそ出しセパレート水着。裾にたっぷりついたフリルが女の子らしくて可愛らしいデザインだ。胸元には、あの十八歳の誕生日に天馬からもらったティファニーのネックレスが、夏の太陽を浴びてキラキラと輝いている。
一方の玲花は、目のやり場に困るほどの紐ビキニ。超セクシーな小麦色の肌と胸元に、陸の視線がこれでもかと釘付けになっている。
男性陣二人は、割れた腹筋のラインが嫌でも浮き出ていた。
周りをみると、人影は全くない。
「なんか、ここまで人おらんかったらちょっと怖いね」
すずがつぶやくと、天馬が笑った。
「二人で来たら、ここでいちゃつけたかな」
耳元で言われて、すずはカッと顔を赤くした。
あの誕生日、天馬の部屋で初めて一線を超えて以降、すずは受験勉強の夏期講習で、天馬は土木の仕事で互いに怒涛の忙しさだった。二人きりで会う時間など一瞬もなく、そうこうしているうちに、この吉野行きの日を迎えてしまったのだ。
「あのね、こうやって遊ぶねん」
自分の限界突破した恥ずかしさをごまかすため、すずは石の上にのそのそと登り始めた。普段のインドアなすずからは考えられないアクティブさである。
「わっ、すず!!」
天馬が慌てて手を伸ばしたが、すずは構わず、ザブン!と冷たい川へ飛び降りた。
そこは、すずの頭がすっぽりと包まれてしまうほどの水深がある場所だった。
「すず!!!」
本気で焦った天馬が着の身着のまま飛び込む。
すると、ザバァ!と下からすずが勢いよく飛び出してきた。そのままスイスイと器用に泳ぎ、あらかじめ岩に繋げてあった大きな浮き輪をガシッと掴む。
「このまま川下りして戻ってくるねぇー!」
「戻ってこんでええから一回止まれ!」
天馬の必死の形相に、すずはプハッと笑う。
「やば、すず意外と野生児やん」
玲花はその奇行っぷりに呆気にとられていたが、自分は自分でお気に入りの大きな浮き輪に入ると、「陸ー!引っ張ってー!」と陸に甘え、二人で川上から流れてラブラブで遊び始めた。
場所を少し移動し、今度はさらに水深が深く、完全に足のつかないエリアへやってきた。
「なんやここー!!!!」
再び玲花が叫び、ここーここーここー、と律儀に山彦が応える。
すずがそれを見てケラケラと笑っていると、対岸のブッシュがガサガサと揺れた。
「わぁ、猪や!可愛い!」
「「「え?」」」
見ると、丸々と太った大きな野生の猪が、すぐそこで平然と水を飲んでいる。
「きゃーっきゃーっ!陸陸りくりく!!! 被害届!!! 違う、助けて!!!」
「おうっ、わっ、待て待て落ち着け玲花!! 猪に被害届は出されへん!!」
「すず、マジで危ないから一回こっち来いって!!」
さすがの天馬も陸も、これには背筋を凍らせて二人を強引に反対側の岩場へと引き寄せた。猪は、人間たちの喧騒などどこ吹く風で、のそのそと山の奥へ去っていく。
「あはは、びっくりしたねぇ」
「「「あははやない!!!」」」
絶妙なチームワークのツッコミが炸裂した。
その後も、4人は唇が紫色に変わるまでぷかぷかと川に浮かんで遊び倒し、近くの温泉に飛び込んで、芯まで冷え切った体を温めたのだった。
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帰りの車の中。
すっかり私服に着替えた玲花は、当たり前のように助手席に座り、信号が赤で止まるたびに、陸とぎゅっと手を繋いだ。
「あ、俺ら結婚すんねん」
運転席の陸から放たれたいきなりの弾丸ストレートに、車内は一瞬、静まり返った。
「え、えええええ!?」
「……マジっすか」
「もう指輪ももらったよーんと」
玲花が嬉しそうに、薬指できらりと光るシンプルなリングを見せびらかす。
「玲花な、来年もう施設出るし、どないしよって陸に相談したら、一緒に暮らそって言うてくれてん」
「暮らそう言うてるのに、こいつが『弟たちも一緒に出るから無理や』って頑なに言うからさ。俺が働いて全員養うがな、って。それやったらもう籍入れて、家買って、弟たちも丸ごと全員で一緒に住もうやって話になってんやん」
「ほんまにありがとぉ、陸」
「いや、お前すぐ無理するから見てられへんだけや」
(いやいやいやいや、それってめちゃくちゃ男前なすごい決断ですからね、陸くん!? 弟さんたちまで養うって、何その令和のビッグダディ計画!?)
すずが脳内で激しいツッコミの嵐を起こしていると、後部座席の隣で天馬が「ふっ」と静かに笑った。
「まあ、陸くんの今の現場の給料やったら、余裕ちゃいます? 」
「俺も、そのうち独立して、もっと稼ぐわ」
(陸くん独立!? しゃ、社長になるってこと!?陸も玲花ちゃんもいつの間にそんな大人なこと考えてるの……?)
すずは急に置いていかれたような、誇らしいような不思議な気持ちになり、ぼんやりと窓の外を眺めた。
懐かしい奈良の、青々とした田園風景が通り過ぎていく。生まれてずっと住んでいた大好きな場所。けれど、高速道路に乗れば、あっという間に神戸に着いてしまった。
隣に座る天馬は、車内の会話とは全く別のことで頭を抱えていた。
(一線を超えたっていうのに、この距離感は一体なんやろ……?)
天馬は、言いようのない違和感と戦っていた。
足を組んで、余裕ぶっているが、前を見てみれば、陸と玲花は赤信号のたびに手を繋ぎ、今にも車内でキスをしそうなほどラブラブなオーラを放っている。
翻って、自分たちのシートはどうだ。
今日も今日とて、天馬はすずから華麗な「透かし」を食らいまくっていた。
川辺でそっと手を繋ごうとすれば、「あ!天馬くん見て、あゆや!あゆがおる!」と魚に気を取られ、温泉街でどさくさに紛れて抱きしめようとすれば、「ひゃんっ!虫!セミの抜け殻ある!」とふいっと避けられた。
(確かに前回は、俺のやり方があかんかったんか、手順を検索させろとか言われたし……。でも、だからってここまで甘くないのは、さすがに俺、嫌われてんかな……?)
天馬の心は、土建の現場で鍛えた強靭な肉体とは裏腹に、繊細に傷ついていた。家に近づけば近づくほどに、天馬の眉は寄っていった。
車は高速を降り、やがて尼崎にある天馬のマンションの前で停まった。
すずは「あれ?」と首を傾げる。
(淡路島や神戸の方向を考えたら、私の家の近くで先に降ろした方がルート的に早いはずやのに……なんで尼崎?)
天馬が降りる時に、すずの手をひく。
(え?)
「じゃあな、天馬、すずちゃん。またな」
(ええ?)
陸が爽やかに手を振り、車は去っていく。
ぽつんと、尼崎の路上に取り残される二人。
天馬がすずの手を無言で引き、マンションのエレベーターへと向かう。
「あの……天馬くん? 私、天馬くんのお家に寄る感じですか?」
緊張のあまり、すずの口から丁寧な敬語が飛び出す。
「え、寄らへんの?」
天馬は立ち止まり、すずの目を真っ直ぐに見つめた。
「俺、今日までめっちゃ頑張った。……ちょっとだけ、一緒にいたい。あかん?」
「ボンッ!」と音がしそうなほど、すずの顔面が真っ赤に染まった。
「……あ、あかんくない、です」
蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯だった。
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天馬の部屋に入ると、夕方の熱気が少しだけ残っていた。
天馬がすぐにエアコンをつけ、窓のカーテンを開ける。ちょうどその時、夜になりかけた紫色の空に、「ドーーーン!!」と地響きのような大きな音が鳴り響いた。
「わあ、びっくりした!」
「あ、今日、武庫川の花火大会か。こっからでも結構見えるな」
ベランダの向こう、遠くの空に、色鮮やかな大輪の火花がパッと咲き誇る。赤、青、金色の光が、薄暗い部屋の壁をせわしなく染めていく。
「綺麗だねぇ……。吉野の川もすごかったけど、やっぱり花火もいいなぁ」
すずが窓辺に近寄り、うっとりと空を見上げた。
すると、背後から無言で伸びてきた逞しい腕が、すずの体をすっぽりと包み込んだ。
背中に触れる、天馬の厚い胸板の熱。首筋に当たる、彼の呼吸。
「……すず」
「は、はいっ」
「結婚したら、ここで毎年見れますが。いかがでしょうか」
(け、結婚……!? ちょっと待って、陸くんたちの影響受けすぎやろ天馬くん!! でも嬉しすぎて脳のキャパシティが爆発する!!)
「そ、そんなん……、まだ、高校生ですし、気が早いです……っ」
「じゃあ、予約」
天馬はすずの体をクルリと反転させ、キスをした。
そしてキスをしながら移動して、ベッドへと押し込む。
上から覆い被さる天馬の薄茶色の瞳は、花火の光を反射して、見たこともないほど濃い熱を帯びていた。
「もう、あゆの話も、猪の話もしんとって」
「っ!だって久しぶりに吉野行って楽しかったからっ」
「知ってる。でも、俺、限界」
天馬の低い声が鼓膜を震わせる。
重ねられた唇は、前回のぎこちなさが嘘のように、最初から深く、貪るようにすずの熱を奪っていった。
「ん……っ、」
頭の中が、淀川の花火よりも激しく火花を散らす。
天馬の手が、すずのトップスの裾から滑り込み、柔らかな肌を愛おしそうに撫で上げる。
彼の少しざらついた手のひらが触れるたび、すずの体は電流が走ったようだった。
「天馬、くん……っ、まって、電気……」
「消さへん。すずの可愛い顔、ちゃんと見たい」
容赦のない言葉。
天馬は躊躇うことなくすずの衣服を脱ぎ去り、自分もTシャツを脱ぎ捨てた。鍛え上げられた褐色の肌が、花火の閃光に照らされて怪しく浮かび上がる。
胸元で揺れるティファニーのネックレスが、二人の肌の間で冷たく、熱く擦れ合う。
「すず、ほんまに、めちゃくちゃ好き。」
「私も……」
天馬の大きな手が、すずの太ももを割り、その奥の最も熱い場所へと触れた。
前回の痛みが嘘のように、心地よい快感がじわじわと全身に広がっていく。
「すず…」
天馬の声が掠れ、余裕をなくしていくのが分かった。
いつも冷静な彼が、自分のせいで理性を失っていることに、すずは嬉しく思った。
背中に回したすずの手が、天馬の汗ばんだ背中をぎゅっと引っ掻く。
部屋の中に、花火の轟音と、甘さが充満していく。
最後の大きな金色の花火が、夜空にパッと弾けて消えた。
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花火大会も終わり、しんと静まり返った部屋。
二人はシーツにくるまったまま、汗ばんだ体を寄せ合っていた。
(……なんだか映画みたい。『おとなの時間』になれた気がする……)
すずは心の中で心地よい疲労感に浸りながら、天馬の胸に顔を埋めた。
「……すず、大丈夫やった?」
天馬が優しく髪を撫でてくれる。
「……はい。とっても、お優しくしていただいて、ありがとうございました」
恥ずかしさのあまり、またしてもおかしな敬語になるすず。
天馬は、ふはッと低く笑うと、すずの額にちゅっとキスをした。
「お優しくできたようでよかったです?」
「……は、はいありがとうございます?」
「ふは、何この会話」
二人の小さな笑い声が、静かな夜に溶けていった。
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