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神戸駆けるバンビ! 〜奈良県民JK、ギャルとワイルド系イケメンのいる定時制高校に放牧される〜  作者: みょんたま


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第4回 尼崎トリオによる恋愛サミット IN 暑苦しすぎるサウナ。

「にいちゃんら、ええ身体しとんなぁ!!」


 尼崎のスーパー銭湯、湯遊び広場。

 広い湯船に浸かっていた陸と天馬は、近くにいた常連らしきおじさんたちに、またしても声をかけられていた。

 現場仕事で鍛えられた陸の体は、二十一歳にして妙に貫禄がある。

 天馬も、まだ高校生とはいえ、背が高く、肩幅があり、余計な脂肪がほとんどない。短髪に濡れた前髪、褐色の肌、薄茶色の目。黙っていれば、かなり目立つ。


「どうもです」

 天馬は、前より少しだけ慣れた様子で頭を下げた。

「ほー、顔までシュッとしとる。こら、かなわんなぁ!」

「ええなぁ、若いって! 筋肉ピッチピチやないか!」

「おっちゃんも昔はなぁ、腹割れとってんぞ!」

「嘘つけ、お前生まれた時から腹だけ鏡餅みたいに出とったやないか!」

「アヒャ!アヒャヒャヒャ!」


 常連たちは勝手にボケて勝手にツッコんで盛り上がっている。

 陸は首をこきこき鳴らした。


「俺、サウナ行くわ。おっちゃんらの漫才聞いてたらのぼせる」

「俺も行きます」


 天馬も立ち上がる。


「お、にいちゃんらサウナ行くんか! 若いのに渋いな!」

「サウナに若さ関係あります?」


 天馬が真顔で聞くと、おじさんは「気合や、気合!」と全く答えになっていない返しをしてきた。


 サウナ室は、息苦しいほどの熱気で満ちていた。

 木のベンチ。壁の温度計。テレビでは、夕方のニュースが流れている。

 陸と天馬は、上段に並んで座った。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。汗が、額から顎へ流れていく。

 最近は、ずっと忙しかった。玲花のこと、弟たちのこと、施設のこと。ヨンチョリの修学旅行。天馬自身の仕事と勉強。すずの母の治療。

 だから、サウナの中で黙って汗を流すこの無の時間は、妙にありがたかった。


 そこへ、サウナ室の扉がガァーンと開いた。

「おう」

 親方だった。

 金本道路建設の親方。分厚い体でのしのし入ってきて、当然のように、というか強引に陸と天馬の間に割って座る。


「……親方」

「お疲れ様です。ていうか、なんで間なんすか」

「おう、お疲れ。なんや、若い衆が二人で仲良く蒸し豚になっとるやんけ」


 親方は豪快に笑った。そして、天馬をじろりと見た。


「お前、彼女とどないなってんねん」

「……あー」


 天馬は、わかりやすく目を泳がせた。

 横で陸がにやりと笑う。


「親方、それここで聞きます?」

「聞くやろ。現場の士気に関わる」

「関わらんでしょ」


「関わる。天馬が機嫌悪い日は、鉄筋まで湿気るんや」

「湿気ません。俺は除湿機ですか」


 天馬が低くツッコんだが、親方は全く構わずぐいぐい来る。


「で、付き合って何ヶ月や」

「去年の九月からなんで……」天馬は指を折った。「八ヶ月っすね」

「八ヶ月」


 親方は腕を組んで、深く頷いた。


「ほんで、どないなってんのや。手ぇ繋いで、ちゅーして、そこからや」


 天馬の耳が、サウナの熱のせいではなく赤くなった。


「親方、サウナでその話します?」

「サウナやからするんや。裸の付き合いっちゅーやつやろが。で?」


 陸が肩を揺らして笑いをこらえている。

 天馬は、観念したように息を吐いた。


「……まあ、キスはしてます」

「ほう。で、キス『から』?」

「キス『だけ』です」

「…………はい?」

「八ヶ月で、キスだけです」


「それ、地獄やな!!」


 親方の叫びが出た瞬間、サウナ室の空気がピタッと止まった。

 さっきまでテレビのニュースを見ていた常連。目を閉じていたおじさん。タオルで顔を覆っていたおじさん。

 全員のアンテナが、バチィッ!とこちらを向いたのがわかった。テレビでは「本日の日経平均株価は——」と流れていたが、おじさんたちにとって今は天馬の株価の方がよほど重要らしい。


「地獄じゃないです」

 天馬は小さく、しかしきっぱりと反論した。

「大事にしてるんです」

「おお、ええことや」

 親方は頷いた。「それはええ。立派や。……けどな、なんでそこから一歩も進まへんねん。お前、仏門にでも入る気か」

「忙しいっていうのと、向こうが、初めてなんで」

「って、お前は違うんかい!!」

 親方のツッコミが光の速さで飛んできた。

 サウナ室のおじさんたちの空気も、明らかに「そ・れ・な!」と同意の色に変わる。


 天馬は、さらに目を逸らした。

「うーん……高一から、ちょこちょこと」

「お前は余裕っちゅーわけか! このすかした色男が!」

「いや、それが」

 天馬は、顔中の汗を手のひらで拭った。

「……正直、次に何したらええんかわからんのですよ」

 親方が眉を限界まで上げる。

「というと?」

「今まで、普通に順番踏んで付き合った彼女と、そういうことしたことないんで」

「どーゆーことやねん!!」


 親方が吠えた。サウナにいる全てのおじさんも、たぶん心の中で「どーゆーことやねん!!」とハモった。

 陸はたまらずタオルで口元を隠し、肩を震わせている。

「笑うな、陸さん」

「いや、ひひっ、すまん。お前、本命相手にバグりすぎやろ」

「絶対すまんと思ってないっすよね」

「思ってる。三パーくらい」

「消費税より少な」


 親方は、腕を組んで唸った。

「まあ、つまりやな。お前は、好きでもなんでもない相手との『雑な距離感』は知ってるけど、肝心の『大事な子を大事にする手順』がすっぽ抜けとると。そういうポンコツか」

 サウナ室が一瞬、静かになった。

 天馬は、言葉を失った。親方の言い方は雑極まりなかったが、見事に核心をえぐっていたからだ。

「……はい」

 天馬は、低く、重々しく答えた。

「その通りです」


 陸の表情も少しだけ真面目になる。

 親方は、天馬の肩をバァン!と叩いた。

「ほな、急ぐな!」

「それは、ずっと言ってます」

「自分に?」

「はい。毎日」

「ええやんけ!」

 親方はニカッと笑った。

「急がん男は、ええ男や! 女はな、大事にされてナンボやからな」

 サウナ室のおじさんたちが、心の中で(せやせや!)(親方ええこと言う!)とうんうん頷いている気配がした。おじさんたちの謎の一体感がすごい。

 けれど、天馬はまだ納得しきれていない顔をしていた。

「でも、手順踏むって、具体的にどうすればいいんすか」

「高校生やろ……えー、どうすんねやろな」

「……わからんのですか」

「俺は高校生の頃、そんな丁寧な恋愛してへん! 気づいたら同棲しとったわ!」

「一番参考にならない」

「すまん!」

 親方はあっさり謝った。


「俺は、親に挨拶行くべきちゃうかって思ってました」

 天馬が真剣に言うと、サウナ室のおじさんたちが、今度は明らかに(おおっ…!)(誠実!)(今時の若いのに!)と心の中でスタンディングオベーションをした。

 しかし、親方の意見は違った。

「お前は昭和の頑固オヤジか」

「え、古いっすか?」

「いや、わからん。俺の時代でもさすがに重いわ」

「わからんのかい」

 陸がついに吹き出した。

 天馬も、少しだけ口元を緩める。

 汗が、肩から背中へ滝のように流れていく。熱い。とにかく熱い。それなのに、尼崎のサウナの中心で、恋の悩みは妙に白熱していた。


「まあ、親に挨拶は悪くない」

 親方は言った。「ただ、それはそれとして、いきなり本丸攻めるな。まずは外堀や。デートやろ」

「デート」

「ちゃんと祝ってやれ。誕生日とか」

「すずの誕生日、七月って言うてました」

「じゃあええやん! あと二ヶ月やんけ!」

 親方は自分の膝をパーンと叩いた。

「何するか考えろ!」

「ケーキは食べたいです。すず、甘いもの好きなんで」

「おお、ええやん!」

「あと、プレゼント」

「それや!!」

 親方が指を鳴らした。「女の子はな、キラキラしたもんや。光り物に弱いのや! カラスと一緒や!」

「すずをカラス扱いせんといてください」

「例えやろが! アクセサリーとかや!」


「キラキラ……」

 天馬は、自分の首にかかるネックレスを服の上から触れた。

 肌に触れている、小さなトップ。母の形見のネックレス。あれから、毎日のようにつけている。

 小さく刻まれた文字。Tiffany & Co.

「……ティファニーって、どうなんですか」

 天馬がぽつりと言った。


 その瞬間、親方と陸が同時に「はっ!?」と振り向いた。

 サウナ室のおじさんたちも、(ティファニー!? この兄ちゃんから!?)と限界まで耳をそばだてる。

「お前、ティファニー知ってんのか」

 親方が聞く。

「母さんのネックレスが、たぶんそれで」

「あー……」

 親方が深く頷く。

「ファーストティファニーやな」

「ファースト?」

 天馬は聞き返した。陸も首を傾げる。「何すか、それ」

「最初に贈るティファニーや」

「そのまんまやないすか」

「うるさい、黙って聞け」

 親方は汗を拭いた。

「若い子が初めてちゃんとしたアクセサリーもらう時とか、そういうやつや。全部が目玉飛び出るほど高いわけちゃう。シルバーの小さいネックレスとか、ブレスレットとかな。初めてのブランドものとして、一生の思い出になるんや」

 天馬は黙った。

 ファーストティファニー。

 母のネックレスを、父が贈ったように。

 自分も、すずに。


「高いですか」

「ものによる」

「俺、大学の金も貯めてるんで」

「やろな」

「でも」

 天馬は、ネックレスを握った。「……あげたいです」

 親方は、しばらく天馬を見ていた。それから、にやっと笑った。

「ほな、働け!」

「働いてます」

「もっと働け!!」

「はい」

「ただし、無理しすぎて倒れるな。倒れたら彼女に怒られるぞ。心配かけたら男として減点や」

「それは嫌です」

「あと、値段で勝負するな」

 親方の声が少しだけ真面目になった。

「お前が何を考えて、それを選んだかや。そこ間違うな」

 天馬は頷いた。

「……はい」

 サウナ室の温度計は、もう限界に近いところを指していた。

 陸が立ち上がる。

「もう無理。俺、水風呂行く」

「俺も」

 天馬も立ち上がった。

「若いくせに根性ないな!」と笑った親方も、その直後に「俺も行くわ」と立ち上がった。


 風呂上がり。

 休憩所でフルーツ牛乳を腰に手を当てて飲みながら、天馬はずっと母のネックレスを触っていた。


 その夜。

 天馬は、久しぶりに父に電話をかけた。

 何度か呼び出し音が鳴り、突然、とてつもなく騒がしい風の音とともに父の声が響いた。


『おう! 天馬か! 今からエベレストだ。用事があるなら手短に頼む!』


 英語でのやりとりが始まる。

 相変わらず、父のスケールは無駄にデカかった。画面の向こうでは、風がごうごう鳴っている。


「母さんのティファニーのネックレスを、彼女に贈りたい」

 天馬が単刀直入に言うと、父の声が一瞬ピタッと止まった。


『……NO』

「なぜ」

『それだけは、死んでもダメだ』

「なぜ?」

『それは、俺が死ぬ気で貯めて、ママに贈った初めてのプレゼントなんだ』

 父の声が、急に少しだけ柔らかくなる。

『そしてそれを、このエベレストで渡したのさ。そしてそのあと、高山病スレスレの中で、お前が作ら――』


 ピッ。

 天馬は、無表情で通話を切った。

 一秒後、すぐにかかってきた。画面に父の名前。

 天馬は、深い深いため息をついて出る。

『なんで切るんだ! いいとこなのに!』

「親の生々しい武勇伝なんか聞きたくない」

『重要な家族の歴史だぞ!』

「R指定の歴史はいらん」

『日本人はシャイだな!』

「親父のデリカシーの問題や」

 父は、電話の向こうで豪快に笑った。風の音が混じる。けれど、その笑い声は少しだけ懐かしかった。


『必死で貯めたさ』

 父は言った。

『俺は金なんてなかった。けど、ママに示したかった。君を大事にしたい。君の隣に立ちたい。そういう誠意を、形にしたかった』

「誠意」

『そうだ。誠意と愛』

 天馬は、ネックレスを握った。

『そのネックレスは、俺の誠意と愛をママに示した輝きなんだ。だから、それをそのままお前の彼女に横流ししてはいけない』

「横流しって言い方……」

『お前もあげたいなら、自分の誠意を見せろ。働いているんだろう?』

「働いてる。親方にどつかれながら」

『なら、自分で選べ。自分で稼いだ金で、自分の言葉を込めて渡せ』

 誠意を見せる。

 その言葉が、天馬の中にすとんと落ちた。

 母のネックレスを渡すのではない。父の誠意を借りるのでもない。

 自分で働いて、自分で選んで、自分の誠意を渡す。


『というか、お前!』

 父の声が急に、ものすごく明るくなった。

『例の子をガールフレンドにできたんだな!! 素晴らしい!!! ヒュー!』

「うるさい、ヒューじゃねえ」

『彼女に言うんだ。You are my fire と!』

「絶対言わない。ダサすぎる」

『なぜ! 最高の言葉だ! バックストリート・ボーイズだぞ!』

「すずに引かれる」

『では、You are my mountain!』

「もっと嫌や。すずは山ちゃうわ」

『You are my sunrise!!』

「親父」

『なんだ』

「初めて、親父と喋っててよかったと思えた」

 電話の向こうが、少し静かになった。

『……天馬』

「ありがとう」

『天馬ァァァー!! 愛して――』

 ピッ。

 天馬は、無慈悲に通話を切った。もう一度かかってきたが、今度はマナーモードにして伏せた。


 スマホを置き、貯金残高を確認する。

 大学のために貯めているお金。生活費。仕事の給料。

 使える額。使ってはいけない額。

 天馬は、じっと数字を見つめた。高いものは買えない。無理をしてはいけない。

 でも、何もできないわけではない。

 天馬は、メモアプリを開いた。

 すずの誕生日。

 ケーキ。

 プレゼント。

 ティファニー。

 誠意と愛。

 そこまで書いて、少しだけ顔が熱くなった。

「……重いな」

 自分で呟く。でも、消さなかった。




 数日後。

 天馬は、神戸三宮に立っていた。

 JR三ノ宮駅、阪急神戸三宮駅の東口から歩いてすぐ。人の流れ。バスの音。高架下のざわめき。神戸阪急の前。

 天馬は、真っ白なTシャツにデニム、履き古したスニーカーという格好で立っていた。

 場違いなのは、痛いほどわかっていた。

 ショーウィンドウに映る自分は、どう見ても高級ブランドへ入る男ではない。髪は短い。肌は日に焼けている。手には、現場仕事でできた小さな傷がある。

 ポケットの中には、何度も確認した財布。スマホには、貯金残高の画面。

 深呼吸をする。

 少し緑がかった、明るい水色。白い文字。

 Tiffany & Co.


 ブランドものなど、買おうと思ったことは一度もなかった。母のネックレスを見るまでは、縁のない世界だと思っていた。

 でも、今は違う。

 すずに渡したい。

 値段ではなく。見栄ではなく。自分で働いて、自分で選んだものを。


 天馬は、ごくりと唾を飲んだ。

「……急がない」

 小さく呟く。それはいつもの呪文だった。

 すずを急がせないための言葉。自分の欲を押さえるための言葉。

 でも今日は、少し違った。

 焦らず、逃げず、気後れせずに、ちゃんと彼女のために選ぶための言葉だった。

 



 天馬は、少し緑がかった明るい水色に、爽やかにきらめく白い文字を見上げた。

 


 そして、一歩踏み出した。



リアクションや、☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると、執筆の励みになります^^

感想、ご指摘、ブクマも大歓迎です!

毎日更新予定です。完結約束、ハッピーエンドです(^ ^)

よろしくお願いします!

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