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神戸駆けるバンビ! 〜奈良県民JK、ギャルとワイルド系イケメンのいる定時制高校に放牧される〜  作者: みょんたま


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その手を離さないで

 地を這うような、凄まじい殺気を孕んだ低い声。

 玲花が振り返る。非常階段の重い扉を蹴り開けて、陸が出てきた。肩で息をしている。額には汗が光っている。けれど、その目はまっすぐ、寺田を射抜いていた。

 少し遅れて、天馬も駆けつける。天馬の整った顔も、見たことがないくらい険しい怒りに満ちていた。


「お前、何?」


 邪魔が入ったことに、寺田が不快そうに顔をしかめる。

 陸は答えなかった。ただ、山口が掴んでいる玲花の腕を見た。


「手ぇ、離せ」

「は?」

「離せっつってんねん」


 陸はまっすぐ歩み寄り、山口の腕を掴んだ。現場の鉄骨を素手で歪めるかのような、万力の力だった。


「痛っ……!」


 巨漢の山口の顔が苦痛に歪む。


「こいつ、なんやねん!」


 陸は強引に山口の手を引き剥がし、玲花を自分の方へ乱暴に引き寄せた。玲花の小さな体が、陸の広い背中の後ろにすっぽりと隠れる。

 その瞬間、寺田が舌打ちした。


「おいガキ、調子乗んなよ」


 次の瞬間。寺田の容赦ない前蹴りが、陸の無防備な腹部に深々と突き刺さった。

 ドスッ。

 内臓を揺らすような鈍い音が響いた。


「陸!!」


 玲花が悲鳴を上げる。

 けれど、陸は微動だにしなかった。一歩も引かなかった。表情一つ変えない。ただ、氷のような冷たい視線で寺田を見下ろしている。


 陸の脳裏に、一瞬だけ過去の匂いがよぎった。閉じ込められた部屋。空腹。施設の冷たい廊下。誰も助けてくれなかった夜。皮膚を焼いたアイロンの熱。

 あの絶望的な痛みに比べれば、こんな薄っぺらい悪意の蹴りなど、そよ風にも等しい。

 陸は、背後の玲花の存在を背中で感じていた。怖くても笑う女。助けてと言えない女。弟のためなら、自分を泥水に沈めようとする女。

 ここで退くわけにはいかなかった。絶対に。


「……こんなもんか」

「てめぇ……!」

 気味悪さを感じたのか、寺田が今度は拳を振り上げた。硬い拳が陸の頬にモロにめり込む。

 バキッ、と骨が軋む音。陸の口端が切れ、鮮血がツーッと顎を伝う。

 それでも、陸は揺るがない。巌のように立ち塞がり、ただそこにいるだけで圧倒的な威圧感を放っていた。天馬が一歩前に出ようとしたが、陸が片手で制した。その手は、一片の震えもなかった。


「最後や」

 陸の声は低く、空気を震わせた。

「二度とこいつに近づくな」

 寺田と山口が、思わず一歩引いた。そこにいたのは、ただの高校生ではなかった。本物の地獄を這いずり回って生きてきた男の、凄絶な覚悟だった。


「金に困ってるなら、俺に言えよ」

 陸が、背中の玲花に振り返らずに言った。


「あんたに関係ないやん!!」

 玲花の声が、泣きそうに震えた。


「うちの家のことも、弟らのことも、お金のことも、陸には関係ないやろ!!」

「ある!」

「ない!」

「ある!」

「なんで!」


 陸は大きく息を吸った。


「お前のことがす……!」


 そこでピタッと止まった。一瞬、タクシー乗り場の空気が時を止めたように静まり返る。陸は片手で顔を覆った。


「いや、たんま。これだけは、ちゃんとした環境で言わせて」

「はああ!?」

「やっぱり言う。お前が好きや」

「…言ってんやん」

 天馬の切れ味鋭いツッコミが飛んだ。

 シリアスな空気をぶち壊され、寺田が顔を真っ赤にして激昂する。

「お前ら、俺を無視するなー!!」

 寺田が陸をさらに蹴り上げた。


 その瞬間。

「先生!!」

 すずの甲高い声が響いた。靴下だけで階段から転がるように走ってくる。

エレベーターから降りてきた佐伯と木村妙子が全速力で駆けてきた。

 佐伯先生は、いつものだらしないジャケットをなびかせ、息を切らしている。木村は息一つ乱さず、冷ややかな目だけが鋭かった。


「誰や! 先生呼んだの!」

 玲花が叫ぶ。

「わ、私です!」

 すずは泣きそうな声で叫び返した。玲花の顔が絶望に歪む。

「……裏切ったな」

 細く、かすれた声だった。

「友達やと思ってたのに」

 その言葉は、すずの胸を鋭いナイフのように深く刺した。息が止まりそうになる。

「玲花ちゃんに嫌われてもいい! 勝手に先生呼んだって怒られてもいい! でも、見なかったことにはできない!!」


 佐伯先生が、震えるすずの前にすっと立った。

「よう呼んでくれた、鈴木」

 佐伯先生の声は、深く、はっきりしていた。

「何が起きてるんや」

「なんもないです」

 玲花は即答した。顔を逸らし、血が出るほど唇を噛んでいる。

「なんもなくないです!」

 すずが涙声で叫んだ。

 「助けてください!!」

 


佐伯先生は大きく頷いた。


「あとは、任せろ」


 佐伯先生が、陸と寺田の間に割って入る。いつもの、生徒をからかうおちゃらけた担任ではなかった。そこに立っていたのは、生徒を守る『大人』だった。


「この二人は、僕の生徒です」

 佐伯先生は、寺田をまっすぐ睨みつけた。

「うちの生徒に用があるなら、僕を通してください」


 木村妙子が、氷のように落ち着いた声で続ける。


「未成年の可能性がある生徒に対する接触です。これ以上続けるなら、警察を呼び、こちらも正式に対応します」

「本人が十八って」

「学校の敷地前で、生徒に声をかけ、車に乗せようとした事実は確認しました」


 木村の声は静かだった。静かなのに、一切の逃げ道を塞ぐ絶対的な圧力があった。

 寺田は派手に舌打ちした。これ以上は厄介だと悟ったのか、不気味な笑みを引っ込める。


「……チッ。一旦帰るけど、玲花ちゃん」

 寺田は、未練がましく玲花を見た。

「電話待ってるわ、後でな」

 陸が一歩前に出た。


「かけさせへん」

 山口が寺田の腕を引いた。「寺田さん、もう」


「わかってるわ」


 二人は車に乗り込んだ。黒い車が、逃げるようにタクシー乗り場から走り去っていく。不快な排気ガスの匂いだけが残った。


 しん、と静まり返る。街は、何事もなかったみたいに動いている。遠くで、無関係な車のクラクションが鳴った。


「……私、帰る」

 玲花が、糸が切れたように力なく呟いた。背を向けようとする。

「いや、帰すわけないやろが」

 佐伯先生の声は、重く、太かった。


「白。お前は今、一人で帰していい状態ちゃう」

「なんで」

「危ない大人の車に乗りかけたからや」

「乗ってない」

「乗る寸前やった」

「なんもしてない」

「なんも起きる前に止めたんや。だから今、ここで止める」


 玲花の目に限界まで涙が浮かんだ。


「帰る」

「帰さん」

「帰るって言ってるやん!」


「ここからは、大人の仕事や。まずは話を聞かせろ」

「嫌や!」


 玲花が暴れ出した。細い腕を振り回し、鞄を抱きしめ、必死に逃げようとする。


「離して!」

「誰も掴んでへん!」

「見張らんといて!」

「見守ってます」

「木村さん、言い方が綺麗でムカつく!」

「ありがとうございます」

「褒めてない!」


 すずは泣きそうになりながらも、そのやり取りに少しだけ息をついた。玲花はまだ怒れる。ツッコめる。でも、その声の底は決定的に震えていた。

 佐伯、木村、陸、天馬が、玲花を囲むようにして校舎へ戻る。逃げ道を塞ぐためではなく、もう彼女を一人で暗闇へ走らせないために。


 エレベーターに乗り込んでも、玲花はまだ暴れていた。密室の中で、感情が制御できなくなっていた。


「離して!」

「だから誰も掴んでへん!」

「帰る!」

「帰さん!」

「佐伯うるさい!」

「先生を呼び捨てにする元気はあるな!」

「うるさい!」


 玲花がめちゃくちゃに腕を振った。その尖った肘が、陸の腹にモロに入った。


「うっ……!」

 陸が小さく呻き、たまらずその場にうずくまった。

「陸くん!?」

 すずが叫ぶ。天馬がすぐに陸の肩を支える。

「陸さん」

「大丈夫や」

「大丈夫な顔ちゃう」


 陸は片手で腹をきつく押さえていた。さっき寺田に全力で蹴られた場所だった。シャツの裾が少しめくれる。そこには、すでにどす黒く変色し始めた痛々しい痣が広がっていた。頬には殴られた跡が腫れ上がり、口端にはまだ血が滲んでいる。

 さっきまで微動だにせず立ち塞がっていた陸の体が、今になって急激に痛みを訴えていた。

 玲花の顔から、さあっと血の気が引いた。自分が彼を傷つけてしまったことに気づき、息が止まる。


「り、陸……」

「心配すんな」


 陸は脂汗を滲ませながら、顔を上げて無理に笑った。


「俺は男やし、現場で鍛えとるから、こんくらい、どーってことない」

「どーってことあるやん!」


 玲花の声が悲痛に裏返る。


「めっちゃ痣なってるやん! 血出てるやん!」

「まあ、ちょっとは痛い」

「ちょっとちゃう!」

「だって俺…」


 陸は、ゆっくりと立ち上がり、玲花をまっすぐ見た。


「お前がもし、あのまま連れて行かれて、訳のわからん大人らに囲まれて、助けてって言えん場所に置かれることに比べたら」


 陸は、息を整える。


「こんな痛み、なんてことないわ」


 玲花の顔が、ぐしゃりと不様に歪んだ。堪えきれなかった涙が一粒、ボロリと落ちる。


「なんで……」

 声が震えていた。

「なんで、そこまですんの」


 陸は、少しだけ照れくさそうに、困ったように笑った。


「さっき言うたやろ」

「言うたけど」


「好きやから」

「こんな時に言うなや」


「もう言ってもうたし」

「最悪」


「うん」

「ほんま最悪」


「うん」

 玲花は、その場に力なく崩れ落ちた。


「う……っ」

 喉の奥から、獣のような声が漏れる。

「うあぁあんっ……!」

 

 大粒の涙が、ぽろぽろと、とめどなく落ちた。

 借金のプレッシャー。締切に追い詰められる窒息しそうな感覚。頼れない親。弟の未来。どうにもならない理不尽な現実。自分が我慢すればいいと、自分を殺し続けてきた日々。

 その全部が、決壊したダムのように、泥水となって胸の奥からあふれ出した。


「怖かった……」

 玲花が、小さな子どもみたいに泣きじゃくった。

「ほんまは、怖かった……っ」


 その言葉を聞いた瞬間、すずもポロポロと泣いた。玲花ちゃんが、怖かったと言った。ずっと強がっていた彼女が、初めて弱音を吐いた。


 陸はゆっくり膝をつく。震える玲花の肩に手を伸ばしかけて、一度止めた。


「触っていい?」


 玲花は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、こくんと小さく頷いた。

 陸は、そっと玲花を抱きしめた。強く押さえつけるのではなく、逃がさないためでもなく。ガラス細工のように壊れそうなものを、絶対に壊さないように包み込むみたいに。


「もういい」

 陸の声は、どこまでも低くて優しかった。


「もう、一人で抱え込むな」

 玲花は、陸の広い胸元に額を押しつけた。両手で、陸のシャツの背中をぎゅっと掴む。その手は、小刻みに震えていた。


「ごめん」

「ええ」


「ごめん、陸」

「ええって」


「ごめん……っ」

「もうええねんって」


 エレベーターが静かに上昇していく。

 狭い箱の中で、誰も何も言わなかった。佐伯先生も、木村も、天馬も、すずも。

 ただ、陸の温かい腕の中で、玲花は声の限りに泣いた。そのシャツの胸ぐらを、白くなるほどきつく握りしめたまま。


 その手だけは、もう絶対に離さないと誓うように。

リアクションや、☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると、執筆の励みになります^^

感想、ご指摘、ブクマも大歓迎です!

毎日更新予定です。完結約束、ハッピーエンドです(^ ^)

よろしくお願いします!

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