止まれないキス。
「て、天馬くん!!!」
すずは顔を真っ赤にして、天馬の口を両手で塞ぐように覆った。
肩で激しく息をして、胸を大きく上下させている。結んでいたはずの髪がほどけかけて床に散らばり、体は冷たい床に完全に押し倒されていた。
天馬を見上げる瞳は、涙を湛えたように潤んでいる。
天馬はすずの手首を掴むと、塞がれた口の向こうで「もう一度」とばかりに、熱を帯びた顔を近づけてきた。薄い茶色の瞳が、獲物を逃がさない肉食獣のようにすずを捉えて離さない。
「だ、だめ!!」
すずは耐えきれず、ぎゅっと目を瞑って顔をそらした。
そこでようやく天馬は、ハッと我に返ったように瞬きをし、ゆっくりと体を退かせた。
「……あー、早まりましたかね?」
コクコクコクコクッ!と、すずは首がちぎれそうなほどのありえない速度で激しく頭を振った。
事の発端は、ほんの数分前。
面談の後。人の来ない談話室の横、薄暗い階段の踊り場で、どちらともなく二人はキスをしたのだ。
最初は、ただ触れ合うだけの優しいキスのつもりだった。
しかし、急に歯止めが効かなくなった天馬に押し込まれるようにして、すずは壁際から床へと追いやられ、キスの濃度がいつもの数倍にもなって襲ってきた。
甘い香水の匂いとともに、熱い舌がすずの歯を割って入り、息もできないほどに深く、貪るようにかぶりつかれた。未知の感覚に腰の奥が痺れ、たまらずもじもじと膝を擦り合わせたのを察知した天馬は、それで完全にたがが外れたように、さらに深く食らいついてきたのだ。
本能のままに動く天馬の大きな手がすずの背中をさすると、びくりと身体が大きく跳ねた。
少し離れて、息を継ぐ間もなく「もう少し」と吸い付こうとした瞬間に、たまらずすずに名前を呼ばれて、天馬はようやく現実に引き戻されたのだった。
それでももう一度と近づけたけれど、本気でダメだと言われたら、天馬にはそれ以上進むことはできなかった。
ふと、遠くで予鈴の音が鳴った。
天馬は、自分の腕時計をひらりと見ると、すっと普段の涼しげな顔に戻った。
「あ、時間や、行こか」
何事もなかったかのように立ち上がり、すずの手を取って歩き出す。
天馬は、前を歩きながら(あー、やってしまったな)と内心で頭を抱えつつ、すずと過ごしたこの冬と、次いでやってきた春のことを思い返していた。
尊い日々の中で、二人は合間を見つけてはキスをするようになっていた。しかし今日、現場仕事ばかりで一週間丸々会えずにいて、久しぶりに会った学校の踊り場で、天馬はあっさりと理性を飛ばしてしまったのだ。
一方のすずは、先を歩く天馬の広い背中を恨めしそうに睨みつけていた。
身体の奥が疼くような、未経験の感覚。溶けてしまいそうなほどの激しいキスだったのに、予鈴が鳴ると天馬はあっさりと離れてしまった。
すずにとっては、急に梯子を外されたような気分だった。
身体の中に残る熱と、初めて味わう自分の内側の生々しい感覚に戸惑ったすずは、置いてきぼりにされたような、訳のわからない怒りすら覚えていた。
(な、な、ななな! なんであんなことしたのに、そんなに平然としてんの!? こっちは変な気分に……って、変な気分て何!? 私、やらしい!)
考えすぎて顔から火が出そうになり、目の前が見えなくなっていたすずの前に、突然、大きな影が落ちた。
「何、百面相してんの」
いきなり目の前を覗き込んできた天馬の顔は、相変わらず腹立たしいほどに整っていた。
高校三年生になった天馬は、さらに身長が伸び、現場仕事で鍛え上げられた広い肩幅と筋肉質な体は、もう完全に大人の男のものだった。
少し伸びた前髪の隙間から見える薄い茶色の瞳に、すずのぐちゃぐちゃな頭の中まで全て見透かされてしまいそうで、すずはごくりと息を飲んだ。
「〜〜!!!」
目を白黒させて、思わず天馬の胸板をドン!と両手で押したが、硬い筋肉の壁はびくりともしない。
「は? なに?」
「な、な、な、なんでもありませんー!!!」
すずは、天馬の手を振り切って、廊下を猛ダッシュで走り出した。
残された天馬は、ぽかんとした後、思わず肩を揺らして吹き出してしまった。
出会った頃も、こんなことがあった。ストリートピアノを弾いていたすずを見つけた時や、すずが極限まで照れてしまった時だ。
最高に照れてキャパオーバーになった時の、彼女特有の逃亡であることを知っている天馬は、追いかけることもせず、余裕の気持ちでゆっくりと歩き出した。
どうせ行く先は同じ教室なのに、と思うと、愛おしくて笑いが込み上げてくる。
転校したての頃、柄の悪い自分を見て怯えて固まっていたすず。
自分を見て、初めて柔らかく笑ってくれた顔に、どうしようもなく惚れてしまった時のこと。
すずの真っ赤な顔が頭に浮かぶ。
(まさか、こんなに惚れ込むって思わへんかったよなぁ……)
長い足を持て余すようにしながら、廊下を歩く。
ふと窓の外に目をやると、視線の先には、春の光を受けてきらきらと煌めく瀬戸内海が広がっていた。
自分の行き先も決まった。
あとは、目標に向かって泥臭く頑張るだけだ。
それなのに、すずとの関係だけは、どうしたらいいか、この先どう進めていいかもわからない。
体と心が、すずを求めて求めて仕方がないのに、傷つけたくない、大事にしたいという強烈な思いがいつもブレーキをかける。
厄介で、もどかしくて、苦しい。
でも、このどうしようもない葛藤を抱える感覚を<悪くない>と、天馬は、心からそう思えるのだった。




