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神戸駆けるバンビ! 〜奈良県民JK、ギャルとワイルド系イケメンのいる定時制高校に放牧される〜  作者: みょんたま


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図書館での静かなバトル。男は嫉妬するだけではない。

「天馬さん。そこの数式、間違えてますよ? 適当にするからこうなるんです」

「ええねん、適当で。答えは合っとんねんやから」

「すーちゃんに悪影響だとしか思えないなぁ。見てくれからして?」

「お前、ちょっと黙っとけ」


 すずは、圭太と天馬に挟まれて、滝のような冷や汗を流していた。

 左には、サングラスを頭に乗せ、耳にはピアス、黒いオーバーサイズのTシャツにだぼっとしたパンツという、夏休み仕様で極めて治安の悪い天馬。

 右には、部活帰りの真っ白なTシャツにスポーツバッグを持ち、涼しげな笑顔を浮かべる爽やかな圭太。

 そして真ん中には、まるで猛獣と猟犬の間に挟まれた小動物のように縮こまったすずがいた。

 場所は、静寂が絶対ルールの甲子園の図書館、自習コーナー。

 エアコンが適度に効いた快適な空間のはずなのに、すずの周囲だけ異常に湿度が、いや、圧が高かった。


 な、なんでこうなったんだっけーー!!!


 事の発端は、淡路島から帰ってきた日の夜に遡る。

 すずは、自分の机の上にジェンガのごとく積み上がったプリントの山を見て、しばらく無言になった。

 夏休みの課題。補習プリント。進路調べのワークシート。

 昨日はあんなに楽しかった。明石海峡大橋を渡り、海を見て、笑って、写真を撮って。しかし、どんなに青春を謳歌しようとも、学生の現実は容赦なく机の上に積まれているのだ。


 家にいると、退院したばかりの母が嬉しそうに「お茶取って」「リモコンどこやっけ」「プリン食べる?」と声をかけてくる。それはとても幸せな日常なのだが、悲しいかな、課題は1ミリも進まない。

 だからすずは翌日、「図書館で集中する」と決意して家を出た。

 一人で、静かに、黙々と終わらせるつもりだったのだ。


 図書館の自習コーナーは、夏休みの学生たちでそこそこ埋まっていた。

 すずは空いている席を見つけ、鞄を置く。静かだ。ページをめくる音と、シャーペンが紙をこする音しかしない。

 すずは数学のプリントを広げた。その時、スマホが小さく震えた。

【tenma:何してる?】

 すずは一瞬迷ってから、机の上の課題の写真を撮って送った。

【suzu:甲子園の図書館で課題やってるー】

 瞬時に既読がつく。

【tenma:俺も行くわ】

「えっ」

 声が出そうになり、慌てて口を押さえた。


 今日は一人で集中したい、と返信しようとしたその時だった。


「あ、すーちゃん」

 聞き覚えのある爽やかな声。顔を上げると、そこに圭太が立っていた。額に少し汗が残っていて、眼鏡の奥の目がにこりと笑っている。

「圭太くん」

「すーちゃんも自習ですか? ……うわ、課題全然終わってないですね」

 すずが隠す間もなく、圭太はプリントをすっと覗き込み、光の速度で状況を把握した。

「ここと、ここ。あと、ここも間違ってます」

「え?」

「ここ、符号が逆です。こっちは式の立て方が違います。え…、あと、ここは問題文の条件を一つ読み落としてますね。待ってください、ほとんど間違ってるじゃないですか、あぁもう僕が見ます」

「あ、ありがとう……って、ええ?」

 圭太はすずの返事を待たずに、隣の席にすっと座った。

 二人きりでは遊ばない、という約束をしたけれど、これは図書館でのたまたまの自習だ。セーフ、だよね?とすずが必死に自分に言い訳していると、背後にドス黒いオーラを纏った低い声が落ちた。


「……なんでお前がここにおるねん、パン屋の息子」


 すずの肩がビクッと跳ねた。

 振り返ると、図書館という知的な空間に最も似合わない、黒ずくめの天馬が立っていた。静かな自習コーナーに、突然ヤンキー映画のBGMが流れたような錯覚に陥る。


「葉鳥圭太です。西倉天馬……さんですよね」

 圭太はにこやかに立ち上がった。

「……どうも」

「どうも」

 空気が、硬い。バチバチと火花が散っているのが目に見えるようだ。

「あああ、私、今日は一人で勉強するって決めてて!二人とも帰っていいよ!?」

 すずが引きつった笑顔で提案するも、圭太は爽やかに首を振った。

「ダメですよ。僕が教えないとすーちゃんは今日中に終わりません。僕は残るんで、西倉さんは帰ってください」

「あ?なんで俺が帰んねん。お前が帰れ、アホボケカス」

「天馬くん!声!図書館!」

 すずは涙目で訴えた。


 結局、真ん中にすず、右に圭太、左に天馬という地獄のフォーメーションが完成した。

 周囲の視線が痛い。斜め前の席にいる女子高生二人組が、チラチラとこちらを見てヒソヒソ囁き合っているのが聞こえてきた。

「ねえ、あそこの席やばくない?」

「右の人、清潔感えぐい。王子様系……」

「左の人、治安悪いけど顔面偏差値カンストしてない?モデル?」

「真ん中の子、前世で国でも救ったんかな……両手にイケメンじゃん……」

 すずは穴があったら入りたかった。(違うんです、前世で国を救ったんじゃなくて、今現在私が二つの国の戦争を必死に止めてるんです!)と心の中で叫んだ。


 そんな周囲のどよめきなど全く気にせず、二人のバトルは静かに、しかし激しく続いていた。

 圭太は教え方が上手かった。ノートに図を書き、「条件をそのまま文字で追うとややこしいので」と、小声で的確に解説してくれる。

「すごい……圭太くん、先生みたい」

「すーちゃんにそう言われるの、嬉しいですね」

 圭太がふわりと笑う。その瞬間、左隣から鋭いツッコミが飛んできた。

「そこ、まだ式違う」

 天馬がすずのプリントを指差す。

「こっちの数字使う」

「ほんとだ!」

 すずが慌てて消しゴムを使う横で、圭太が天馬の手元を覗き込んだ。天馬の数学プリントは、途中式が極限まで省略されたミミズのような字で埋まっていたが、答えは全て合っていた。


「天馬さん」

「何」

「そこの数式、間違えてますよ?適当にするからこうなるんです」

「早えねん、適当で。答えは合ってるんやから」

「過程が雑すぎます」

「すーちゃんに悪影響だとしか思えないなぁ。見てくれからして?」

「お前、ちょっと黙っとけ」


 一触即発かと思いきや、圭太は天馬のプリントをもう一度見て、少しだけ目を細めた。


「……でも、すごいですね」

「あ?」

「雑ですけど、発想が早い。たぶん、公式をきちんと覚えてないから途中が荒いだけで、問題の構造を掴むのは早いです。ちゃんと勉強したら、かなり伸びると思いますよ。地頭はいいですね」


 嫌味のない、事実だけを述べるような真っ直ぐな声だった。

 天馬の手が止まった。


「……褒めてる?」

「褒めてます」

「腹立つ褒め方やな」

「それは、すみません」

「謝るんや」

「事実なので」

「やっぱ腹立つ」


 すずは思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。圭太は、相手をちゃんと見て、認めるべきところは素直に認められる人なのだ。


 今度は圭太が、天馬の広げている英語のノートに目を留めた。

 発音のメモと、日本語訳がびっしりと書き込まれている。


「英語は、かなりやってるんですね」


 圭太が感心したように言うと、天馬はペンを指先でくるりと回し、少しだけ口角を上げた。そして、流れるような、完璧な発音で口を開いた。


「Well, unlike you, I actually used to live in the UK, so English is a total breeze for me.」


 それは、アメリカやイギリスの地元の若者が使うような、少し生意気で、余裕たっぷりの響きだった。ネイティブ特有の滑らかなイントネーションに、周囲の空気が一瞬ピタッと止まった。斜め前の女子高生たちが「えっ、今の発音ヤバ……」「帰国子女!?」とさらにざわめく。


 圭太も目を丸くした。

「……わぁ、発音がばっちりですね。イギリスに住んでたんですか?」

 天馬は少しだけドヤ顔を引っ込め、淡々と答えた。


「母親の実家がロンドンのハムステッド」

「え、やばくないですかそれ」

「おかん死んでからは一回も行ってないけどな」


 天馬が何でもないことのように言うと、圭太は一瞬だけ言葉を詰まらせ、そして真っ直ぐに天馬を見た。


「……逞しいなぁ。尊敬します」


 その言葉には、一切の裏表がなかった。天馬は少しだけ視線を逸らし、耳をかいた。


「また腹立つ褒め方」

「心から褒めてます」

「そうですか」


 すずはそのやり取りを見て、ふっと肩の力が抜けた。この二人、意外と良いコンビなのかもしれない。


 昼になり、図書館の外のベンチで休憩することになった。

 コンビニで買ったおにぎりを開けるすずに、天馬がすかさず言う。


「ちゃんと食べろよ」

「食べるよ」


 圭太がくすっと笑った。


「西倉さん、心配性ですね」

「そっちもやろ」

「僕は丁寧に心配します」

「俺は?」

「圧が強いです」


 すずはこらえきれず吹き出した。天馬が不満げに眉を寄せるが、反論はしなかった。


 休憩中、圭太が鞄から小さな英単語帳を出した。赤シートで隠せるタイプで、品詞ごとに整理されている。


「使いやすそう」

 天馬が身を乗り出す。

「使いやすいですよ。西倉さんの今のやり方だと、量はこなせてますけど、抜けが確認しづらいと思います。単語を覚えるだけなら、書くより、隠して思い出す回数を増やした方が効率いいです」

「……あとで、同じやつ買う。写真撮っていい?」

「どうぞ」


 圭太が表紙を見せ、天馬がスマホで撮る。敵対しているようで、あっさりと相手の長所を吸収する天馬の素直さに、すずはなんだか嬉しくなった。


 午後の勉強では、奇妙な連携プレーが発動した。

 すずの「進路ワークシート」を埋める時間になったときのことだ。


「すーちゃん、教育系を考えてるんですね」

 圭太がシートを見て微笑んだ。

「うん。幼稚園教諭とか、保育士とか。まだ迷ってるけど」

「似合うと思います。すーちゃん、小さい子に好かれそうですし」

 すると、天馬も単語帳から目を上げずに低い声で言った。

「似合う」

「私が?」

「うん。すず、ちゃんと話聞くから。先生、似合う」

 天馬の真っ直ぐな言葉は、すずの胸の奥にすっと落ちた。(ちゃんと聞く)という、すず自身が大切にしたいと思っている部分を見てくれていたことが、たまらなく嬉しかった。


 しかし、感動も束の間だった。

「この進路表、見にくいですね」と圭太が言い出したのを皮切りに、二人の「超現実的進路指導」がスタートしたのだ。


「大学の費用、入学金と授業料を分けた方がいいです。あと奨学金」

「交通費もいるな。働きながらなら、時間割も」

「試験科目と偏差値もリスト化しましょう」

「現実は金かかるからな」

「その通りです」


 ポンポンと項目を挙げ、すずのノートに容赦なくタスクを書き込んでいく二人。


「え、そんなに細かく!?」

「いる」と天馬。

「いります」と圭太。


 二人の声が見事にハモる。少し気まずそうに目を逸らす二人に、すずはついに耐えきれず机に突っ伏して笑いを堪えた。


 夕方。

 図書館を出ると、空はオレンジ色に染まっていた。

 駅へ向かう道で、圭太とはお別れだ。


「今日はありがとうございました。すーちゃん、課題進んでよかったですね」

「圭太くんのおかげだよ。ありがとう」

「西倉さんのおかげでもありますね」


 圭太が天馬を見る。天馬はそっぽを向いたまま「まあ」とだけ答えた。


「西倉さん」

「何」

「すーちゃんに悪影響とか言いましたけど、訂正します。勉強面では、悪影響とは限らないです」

「何その限定的な訂正」

「でも、すーちゃんのことをちゃんと見ているのは、少しわかりました」


 天馬は黙った。すずも、少しだけ息を止めた。

 圭太は爽やかな顔で笑った。


「また、勉強会しましょう。二人じゃなくて、みんなで」


 そして、すずに向けて少しだけ寂しそうに、でもきれいに笑って付け足した。


「……約束、守ってますよ」


 二人きりでは会わないという約束。その一言が、すずの胸に少しだけチクリと刺さった。「ありがとう」と返すと、圭太は手を振って駅の方へ歩いていった。


 残されたすずと天馬は、夕暮れの道を並んで歩き出した。


「天馬くん」

「何」

「今日はありがとう。圭太くんと、普通に話してくれて」

「普通ではない。まあまあ頑張った」

「ふふ、お疲れ様」


 すずは笑った。天馬も、少しだけ口元を緩める。


「圭太、頭いいな。説明うまい。むかつく」

「最後の一言余計だよ」

「でも、役に立つ。今日の俺は正直」


 マンションまでの道。少しだけ涼しくなった夏の風が吹き抜ける。

 特別なことは何もないようで、でも少しずつ何かが変わっている気がした。

 自分の進路の欄に、今日、初めてはっきりと「幼稚園教諭・保育士」と書いた。まだ決まったわけではないけれど、少しだけ未来の形が見えた気がした。


「……天馬くんも、先生、似合うと思う」


 すずがぽつんと言うと、天馬が立ち止まった。


「俺?」

「うん。ちゃんと見てくれる先生になると思う」


 天馬は黙って、夕日の方を見た。少しして、低く、でもはっきりとした声で言う。


「……なりたい」


 その言葉は、すずの胸の奥をきゅっと締め付けた。


「うん。きっとなれるよ」


 夏休みは、もう少しで終わる。

 色んなことが少しずつ前に進んでいくこの時間が終わってしまうのが、すずは少しだけ惜しいと思った。



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