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神戸駆けるバンビ! 〜奈良県民JK、ギャルとワイルド系イケメンのいる定時制高校に放牧される〜  作者: みょんたま


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42/73

最高すぎる!淡路島!!

 <Lyon:着替えとタオルはマストで〜>


 朝。

 すずは五時前に起きた。


 窓の外はまだ少し青暗い。その中で、グループラインの一文を見て、思い出したかのように笑った。


 家の中は静かで、母も紗英もまだ眠っている。

 すずは、前の夜から用意していたリュックをもう一度開けた。

 タオル。着替え。日焼け止め。水筒。ビニール袋。スマホの充電器。財布。母に頼まれたプリンを入れるための保冷バッグ。

 そして、玲花に「着替えはマスト」と言われた水着とワンピース。

 水着を入れる時、すずは少しだけ手が止まった。

 海で泳ぐ。いつ以来だろう。


(絶対また海なし県って奈良ディス入るに決まってる!もし言われたら、吉野の川誘おう。川のせせらぎ舐めんなって言おう)


 そう思いながらもニマニマが止まらないすず。


「……よし」


 リュックのファスナーを閉める。


 今日は遊ぶ日だ。病院でも、バイトでも、学校でもない。ちゃんと、遊ぶ日。

 六時前。


 マンションの前には、陸の車が停まっていた。

 朝の空気はまだ少し涼しい。すずがリュックを背負って近づくと、後部座席の窓が下がった。


「バンビー!」


 玲花が手を振る。すずは、その姿を見て思わず息をのんだ。

 玲花とすずは、学校帰りに一緒に買ったお揃いの水色のサマードレス。


(あ!やっぱり!これ着てくるって思った!)


 並ぶとまるで姉妹みたいに見える。


「可愛い! バンビ、うちら今日完全に優勝やで!」

「玲花ちゃんも可愛い!(あ、でもリボンが縦結び……後で直してあげよ)」

「知ってる!」


 運転席の陸が、窓を開けた。そして、珍しく素直に二人を誉めた。


「大変可愛らしいお嬢さんたち。ご乗車の準備はよろしいでしょうか」


 キャハハ最高!と文字通り最高のテンションで玲花が笑うと、車の音楽が鳴り出し、車は動き出した。

 朝の西宮を抜け、高速へ入る。玲花がスマホをつないで音楽を選ぶ。夏っぽい明るい曲が車内に広がっている。


「出発ー!」


 助手席の天馬が、静かにこちらを見ていた。すずと目が合う。

 天馬の視線が、すずの水色のサマードレスに一瞬だけ落ちて、また顔に戻る。

「……すっごい可愛い」

 ド直球の低い声だった。すずの顔が、一気に熱くなった。

「あ、ありがとう……ございます」

「敬語」

「今のは動揺のあまり敬語になります!」

 玲花が後部座席で手を叩いた。



 車内は朝から大盛り上がりだった。

 玲花が歌う。陸がすかさずツッコむ。天馬がたまに低い声で合いの手を入れる。

 すずは笑いながら、窓の外を見た。住宅街。ビル。標識。遠くに見える山。景色がどんどん流れていく。

 やがて、道路の向こうに海が見え始めた。

「うわ……」

 すずは思わず声を漏らした。

 視界の先に、巨大な白い橋が現れる。明石海峡大橋。

 空へ向かって伸びる主塔。左右に広がるケーブル。青い海の上を、まっすぐ淡路島へ向かって伸びている。想像していたより、ずっと大きい。

「すごい……!」

「バンビ、初めて?」

「うん!」

「奈良、海ないもんな〜!鹿しかおらんもんな〜!」

「玲花ちゃん、それ言わないで!吉野川あるもん!」

「川で対抗すな」


 陸が笑った。


「明石海峡大橋やぞ。目に焼き付けとけ」


 車が橋に入った。

 その瞬間、世界が一気に開けた。

 左右いっぱいに、海。

 真夏の光を受けて、水面がきらきらと跳ねている。遠くに小さな船が見える。白い雲が高く浮かんでいる。橋のケーブルが、空に向かって規則正しく伸びていく。

 車は、海の上を走っていた。風が車体を少し揺らす。太陽の光が窓に反射して、車内が一瞬、ぱっと明るくなる。

 すずは窓に額がつきそうなくらい近づいた。

「海の上、走ってる……!」

「せやから橋やからなって」

「わかってるけど!」

 玲花がスマホを構える。

「バンビ、こっち向いて!」

「えっ、今!?」

「今!橋!海!バンビ!」

 すずが振り向くと、玲花が連写した。

「うわ、めっちゃいい!海とバンビ!これは奇跡の一枚や!」

「見せて」

「あとで加工する」

「加工するんや」

「当たり前やろ!思い出は盛ってなんぼや!」

 天馬が助手席から少しだけ振り返った。

 すずが海に夢中になっているのを見て、ほんの少し口元を緩めている。

「何?」

 すずが気づいて聞くと、天馬は短く言った。

「楽しそう」

「楽しいよ」

「よかった」

 それだけ言って、天馬は前を向いた。

 すずは、胸の奥がくすぐったくなった。

 橋を渡り切る頃、淡路島の緑が近づいてきた。海の上から、島へ入っていく。それだけなのに、どこか遠くへ来た気がした。

 最初の目的地は、HELLO KITTY APPLE HOUSEだった。

 巨大なりんごの形をした建物が見えた瞬間、玲花が叫んだ。

「可愛いー!」

「でか」

 陸が真顔で言う。

「りんご、家になるんやな。不動産屋もびっくりやで」

「そこ!?ツッコミのベクトルが可愛くない!」

 すずも思わず笑った。

 周りには、写真を撮りたくなるような可愛いスポットがたくさんある。赤いりんご。ハローキティ。丸い建物。青い空。

 玲花は完全にスイッチが入っていた。

「撮るで!全員集合!」

「まだ入ってないぞ」

「入る前に撮る!入ってからも撮る!出てからも撮る!それが女子の鉄則!」

「写真の鬼やん」

「思い出を残す女です!」

 すずは玲花に言われるまま、りんごの前でポーズを取った。

 天馬はすぐ横に立つ。気づけば、すずのリュックは天馬が肩に掛けていた。

 ファンシーなキティちゃんの空間にいるというのに、天馬の立ち姿は無駄に洗練されていて、ただそこにいるだけで雑誌の1ページのようだった。

「ねえ、見て。あの子めっちゃかっこよくない?」

「ヤバい、モデル?顔面偏差値エグい」

「でも女の子のキティちゃんの荷物持ってるよ。彼女のかな……ギャップ萌え死ぬ……!」

 通りすがりの女子グループが、少し離れた場所から天馬を見てヒソヒソと騒いでいる。

 玲花がニヤニヤしながら天馬を肘でつついた。

「天馬、淡路島でもファンクラブ増産してるやん。手ぇ振ったったら?ファンサ大事やで」

「興味ない」

 天馬は周囲を一瞥もせず、すずの横にピタリと張り付いた。

「もっと近づいて!」

 玲花がスマホを構えながら言う。

「いや、近い」

 すずが小さく言うと、天馬が低い声で返した。

「俺は近くていい」

「私は心臓が困ります」

「じゃあ慣れて」

「無茶言わないで」

 玲花が連写する。

「はい可愛い!はい天馬もうちょい笑って!いや怖い!今のは観光地に現れた無口なSPや!」

「うるさい」

「バンビ、笑って!天馬、バンビ見て!」

 天馬がすずを見る。すずはつられて笑ってしまった。

 その瞬間、シャッター音が鳴る。

「撮れた!これはいい!」

「見せて」

「あとで!」

「そればっかり」

 館内でも、すずたちはずっと写真を撮った。

 玲花は可愛いものに囲まれて、ずっとテンションが高い。陸は「俺、今どこにおるんやろ」と呟きながらも、ちゃんと全員の荷物を見てくれる。

 天馬は、すずが立ち止まるたびに、少し後ろで待ってくれている。

「あれ、私の荷物」

「持ってる」

「重くない?」

「軽い」

「自分で持てるよ」

「父さんの教え」

「また出た」

「実行中」

 すずは困ったように笑った。でも、少し嬉しかった。

 その時、すずのすぐ横を、小さな男の子が走っていった。

「パパー!見てー!」

 男の子は、りんごの前で両手を広げている父親の腕に飛び込んだ。

 父親が笑って抱き上げる。母親がスマホを構える。少し後ろでは、妹らしい小さな女の子が、キティちゃんのぬいぐるみを抱えて笑っていた。

 すずは、ふと足を止めた。

 周りを見渡すと、親子連れが多かった。

 父親がベビーカーを押している。母親が子どもの帽子を直している。兄弟がアイスを取り合っている。家族で写真を撮っている。

 夏休みの淡路島。

 どこにでもある、普通の家族旅行の景色。

 普通。

 その言葉が、胸の奥に小さく落ちた。

 私たちは、どうなんだろう。

 すずは、そっと隣にいる三人を見た。

 陸くんは、両親がいないと聞いている。

 玲花ちゃんは、お父さんが亡くなっていて、お母さんはお酒に飲まれている。

 天馬くんは、お父さんが外国にいて、お母さんはもういない。

 そして自分は、父が浮気して家を壊して、母は癌になったばかりだ。


 4人とも、欠けているのだ。何かが。


 さっきまで可愛いと思っていた赤いりんごも、写真スポットも、急に少しだけ遠く見えた。

 父、母、子どもたち。笑って写真を撮っている家族。

 頼りがいのある父親の腕に飛び込んでいく男の子を見て、すずは思ってしまった。

 いいな。

 そんなふうに、思ってしまった。

 昔は、うちも三人で旅行に行った。

 奈良から車で出かけて、サービスエリアでソフトクリームを食べて、母が「またそんな変なもん買って」と笑って、父が運転しながら歌っていた。

 楽しかった。あの頃は、ずっと続くと思っていた。

 父が家を壊すなんて、思っていなかった。母が病気になるなんて、思っていなかった。自分が西宮に来るなんて、思っていなかった。

 胸の奥が、少し痛んだ。

 いつか。

 すずは、ぼんやりと思った。

 いつか、自分も家族がほしい。

 ちゃんと帰れる家。ただいまと言える人。旅行に行って、写真を撮って、くだらないことで笑える人たち。そういうものが、ほしい。

 それはたぶん、自分だけではないのだと思った。

 玲花ちゃんも。天馬くんも。陸くんも。

 きっと、どこかで思っている。

 失くしたものや、最初から持てなかったものを、どこかで欲しがっている。


「すず」

 低い声がした。顔を上げると、天馬が横に立っていた。

 すずは、親子連れの方をちらりと見た。天馬も同じ方を見る。

 少しだけ沈黙が落ちた。

「家族連れ、多いな」

「うん」

「夏休みやし」

「うん」

 すずは小さく息を吐いた。

 二人はあえて、何も言わない。

 いいなとか、羨ましいなとか、そういう安っぽい言葉では、言い表せない感情なのだ。


 天馬は、少し離れた場所で陸が玲花の荷物を持ちながら、写真を撮らされている姿を見た。

 玲花が「もっと上から!脚長く見えるように!」と叫び、陸が「俺はカメラマンちゃうぞ!何で地べた這いつくばらなあかんねん!」と言いながらも、ちゃんと角度を変えている。


「あの人、すごいな」

「陸くん?」

「うん」

 天馬の声は、いつもより少しだけ低かった。

「親がそうじゃなかったからって、自分もそうなるわけちゃうって、ずっと証明してる感じする」

 すずは、陸を見た。

 確かに、陸は頼もしい。

 二十歳になっても、お酒は一滴も飲まない。無駄遣いしない。仕事をする。学校に来る。勉強する。友達を大切にする。運転して、計画して、現実的なことを言ってくれる。

 口は悪い。すぐツッコむ。節約にうるさい。でも、誰かを置いていかない。

 すずは、心から思った。

「陸くんって、人としての格が高いよね」

 天馬が、少しだけ目を細めた。

「わかる」

「うん」

「俺、陸さんみたいになりたいって思ってる」

「え」

 すずは天馬を見た。天馬は、照れたように視線をそらした。

「本人には言わんけど」

「言ったら喜ぶと思う」

「絶対いじられる」

「それはそう」

 すずは少し笑った。でも、胸の奥が温かくなった。

 天馬くんも、陸くんを見ている。自分と同じように。強さとか、かっこよさとか、そういうものを。父親みたいなものを。陸の中に見ている。


 玲花が大きな声で呼んだ。

「写真撮るで!家族写真みたいなやつ!」

「家族写真?」

 すずが聞き返すと、玲花はピースサインをした。

「今日の私ら、淡路島ファミリーやから!」

 陸が呆れた顔をする。

「誰が父親役や」

「陸」

「やっぱりか」

「天馬が長男、バンビが末っ子、私は美人な長女」

「設定雑やな!ほんまに思いつきで生きとるな!」

「ほら並ぶ!」

 すずは笑いながら、三人の元へ戻った。

 さっき胸の奥に落ちた小さな痛みは、まだ完全には消えていない。でも、今はその痛みごと、写真に残してもいい気がした。

 陸が中央に立つ。玲花がその横で派手にポーズを取る。天馬がすずの隣に立つ。すずは、少しだけ天馬に近づいた。

 通りがかった親切な人にスマホを渡して、四人で写真を撮ってもらう。

「はい、撮りますよー」

 シャッター音が鳴った。

 画面の中には、少し変な四人が写っていた。

 血はつながっていない。

 家族でもない。

 でも、ちゃんと一緒にいる。

 4人で、足りないものを補い合うように、慰め合いながら生きている。

 強く、たくましく、悲しくても、前を向いて。

 そうでないと、生きていけないから。

 でもそれは、悲観することではなくて。

 ただあるがままに生きる日々なのだ。

 主義も、主張も、何もない。

 ただ自分の思うように生きているだけ。

 そうだ。人の家は、関係ない。

 親がどう生きたかは、関係ない。

 自分が、どう生きるか。

 すずは、陸の行動から、それを学んでいる気がした、

 すずは、その写真を見て、胸がいっぱいになった。


 昼前には、すずのお腹が小さく鳴った。

 自分では気づかないふりをしたのに、天馬がすぐ振り返る。

「腹減った?」

「えっ」

「何か買う」

「大丈夫」

「大丈夫は、だいたい大丈夫じゃない」

「天馬くん、最近それ言う」

「覚えた」

 玲花が横から顔を出した。

「買お買お!私も小腹空いた!」

 陸が財布を出そうとした天馬を見て言う。

「出すなら全員分にしろよ」

「ええよ」

「太っ腹」

「父さんの教え」

「お父さん、何者やねん!アラブの石油王か!」


 結局、みんなで軽食を食べた。

 すずは小さなスイーツをひとつ。玲花は映える飲み物。陸は肉っぽいもの。天馬はすずが食べきれなかった分も、何も言わずに引き受けた。


 午後は、慶野松原海水浴場へ向かった。

「海!海!海!」

「お前の体力どうなってんねん。バケモノか」

 陸が呆れる。

「可愛い女は体力もある」

「謎理論」

「陸は?」

「運転で体力使ってるわ」

「お父さん!」

「誰がお父さんや!」



 窓の外に、松林が見える。黒松がずっと続いている。その向こうに、白い砂浜と青い海。

 慶野松原海水浴場。

 松の緑。白い砂。青い海。夏の光。

 すずは車を降りた瞬間、思わず深く息を吸った。潮の匂いがする。

「すごい……」

「きれいやろ!」

 玲花が自慢げに言う。

「玲花ちゃんのものじゃないでしょ」

「兵庫県民のものです!」

「私、奈良県民なんだけど」

「今日だけ特別に兵庫県民にしたる!」

 陸が荷物を下ろしながら言った。

「はいはい、まず場所取るで。日陰、日陰。直射日光舐めたらあかんぞ」

 陸は本当に父親みたいに、レジャーシートを広げ、荷物を置き、飲み物の場所まで決めた。


 玲花とすずが着替えおわって、戻ると、すでにばっちりと場所が確保されて、休憩所ができていた。

 玲花は速攻で走り出した。すでに水着の上に羽織ったシャツ姿で海へ走っていこうとしている。


「待てコラ!日焼け止め!」


 陸が叫ぶ。

「うるさいなー!海が私を呼んでるんや!」

「塗れ!後で『肌痛い〜』って泣きついてきても絶対知らんぞ!」

「お母さん!」

「だから誰がオカンとオトン兼任や!」


 すずは笑いながら、羽織っていたシャツを脱いだ。

 水着になるのは、少し恥ずかしい。でも、玲花が隣であまりにも堂々としているので、少しだけ勇気が出た。


 上下が分かれたセパレートの白い水着。肩にリボンが付いており、可愛いお臍が見えている。


 その瞬間だった。

「……っ」


 振り向いた天馬の動きが、完全にピタリと止まった。


 瞬きすら忘れたように、天馬の目が少しだけ見開かれる。波の音も周囲の騒めきも耳に入っていないかのように、ただ一点、水着姿のすずをじっと、穴が空くほど見つめていた。


 周囲の女子たちが「ちょっと、あの腹筋割れてるイケメンやばくない……?」「モデルかな……」とざわめいているのも完全に無視して、天馬の視線はすずに釘付けになっている。

 そのあまりに真っ直ぐな瞳に、すずは急に恥ずかしくなって身体を縮めた。


「……天馬くん、み、見過ぎです」


 すずが不安になって声をかけると、天馬はハッとして我に返り、わずかに耳を赤くした。


「……まさかおへそ出してくるとは思いませんでしたもので」

「へ、変かな」


「すっごい、綺麗。じゃなくて、可愛い。ヤバい」


 ぼそっと、だが心の底からの本音が漏れた。

 すずの顔が、一気に茹でダコのように赤くなる。


「そ、そういうの、海で言わないでください!」

「海じゃなくても言う。……直視できんかも」

「じゃあ見ないで!」

「それは無理」

「どっちなの!」


 玲花が遠くから叫ぶ。


「バンビー!早くー!」


 陸が浮き輪を2つ持って追いかける。


 四人で海へ入った。水は冷たくて、気持ちよかった。


 玲花が満面の笑顔で言った。


「ねぇ!淡路島、最高やな!」

 

 3人はその笑顔を見て、笑った。


 玲花は足を入れた瞬間から大はしゃぎで、陸に容赦なく水をかける。陸は「やめろや!顔はアカン!」と本気で嫌がりながらも、結局倍返しでやり返す。


 天馬はすずの少し近くにいて、すずの姿から露骨に視線を逸らしつつも、波が来るたびにさりげなく腕を伸ばしてくれる。


「大丈夫?」

「うん」

「足、取られそうなら掴んで」

「え、どこを」

「俺」

「雑!もうちょっと言い方あるでしょ!」


 すずは笑った。笑って、海水を少し飲みそうになり、慌てた。

 写真もたくさん撮った。

 玲花とすず。陸と玲花。四人で。海を背にして。松林を背にして。砂浜でジャンプして。

 ジャンプ写真は、陸だけタイミングが合わず、着地後の真顔になった。


「陸、顔!なんで一人だけ重力倍なん!」

「俺は運転手やぞ!モデルちゃうわ!膝にくるねん!」

「もう一回!」

「何回飛ばすねん!」


 すずは笑いすぎて、お腹が痛くなった。

 夕方近く。

 海から上がる前に、もう一度写真を撮ることになった。

 玲花とすず。陸と玲花。四人で。松林を背に。海を背に。

 最後に、天馬がすずを見た。


「二人で撮りたい」


 すずの胸が、どくんと鳴った。

「いいよ」


 玲花がスマホを構える。

「はいはい、任せろ!今日一番の奇跡のやつ撮ったる!」

 天馬がすずの隣に立つ。近い。でも、嫌ではなかった。

 天馬はすずの荷物を片手で持ち、もう片方の手を少しだけすずの背中の後ろに回した。触れるか、触れないか。そのぎりぎりの距離。

「もっと寄って!」

 玲花が言う。すずは少しだけ天馬に寄った。天馬が、小さく息をのむ気配がした。

「天馬、顔固い!銅像か!」

「うるさい」

「バンビ、笑って!」

 すずは笑った。

 その瞬間、夕方の光が海に反射した。

 シャッター音。

「撮れたー!」

 玲花が画面を確認して、にやりと笑った。

「これは、ええやつ。額縁入れて飾れるわ」

「見せて」

「あとで!」

 またそれだ。でも、すずは笑った。

 帰りの車内は、行きより少し静かだった。

 玲花は後部座席で、すずの肩にもたれて完全に眠っている。陸は眠気覚ましのガムを噛みながら、黙々と運転している。天馬は助手席で、時々すずの方を振り返る。

「寒くない?」

「大丈夫」

「水」

「飲んだ」

「腹減ってない?」

「今は大丈夫」

 夕暮れの明石海峡大橋を、車は走っていた。

 朝とは違う色の海。オレンジと青が混ざった水面の上を、車はまっすぐ西宮へ向かっていく。


 ふと、玲花が寝ぼけた声で言った。

「陸、今日ありがと……」

「寝言で礼言うな」

「寝言ちゃうし……運転ありがと……むにゃ」

「はいはい」

 すずも顔を上げた。

「陸くん、ありがとう。連れてきてくれて」

 天馬も、助手席から言った。

「陸さん、ありがとうございます」

 陸は少し黙った。バックミラー越しに見える横顔が、少しだけ照れたように見えた。

「なんや急に。怖いわ。明日は槍でも降るんか」

「怖くないよ」

 すずが笑う。

「今日、すごく楽しかった」

「そらよかった」

 陸は前を見たまま、少しだけ口元を緩めた。

「事故なく帰るまでが遠足や。まだ礼言うには早い」

「……お父さん……」

 玲花が寝ぼけたまま呟く。

「誰がお父さんや。ええ加減にせえ」

 その声は、少しだけ優しかった。

 天馬が前を向いたまま言う。

「俺も働き出したら、車買います」

「おお」

「今度は俺が運転するから」

 陸が、少しだけ笑った。

「楽しみにしてるわ」

「はい」

「その前に免許取れよ。あと、運転は性格出るからな。お前、急に詰めすぎるなよ」

「何をですか」

「車間距離や。恋愛の話ちゃうぞ」


 玲花が寝ていたはずなのに、突然笑った。

「天馬、恋愛も車間距離バグってるもんな……」

「お前絶対起きてるやろ。寝てろ」


 すずは吹き出した。車内に、また笑い声が戻る。

 すずは窓の外を見た。

 今日、アップルハウスで見た家族連れの光景が、ふと頭に浮かんだ。

 父と母と、子どもたち。昔の自分。今の自分。これからの自分。

 でも、胸の痛みは、朝より少しだけやわらいでいた。

 家族は、最初からそこにあるものだけではないのかもしれない。

 壊れることもある。失うこともある。持てなかった人もいる。

 それでも、人は誰かを大切にして、車を出して、荷物を持って、水を渡して、写真を撮って、笑い合うことができる。

 いつか、自分も家族がほしい。

 その願いは、さっきより少しだけ、怖くないものになっていた。

 マンション前で車を降りる頃には、空はすっかり夜になっていた。


「今日はありがとう。すごく楽しかった」

「また行こな!」


 玲花が眠そうな顔で手を振る。

 車が走り去る。


 すずは、手に持ったお土産袋を見下ろした。

 母へのプリン。紗英への玉ねぎスープ。自分用の小さなキーホルダー。

 そして、スマホの中には、今日の写真がたくさんある。

 家に入ると、母がソファから顔を上げた。

「おかえり」

「ただいま」

「楽しかった?」

「うん」

 すずは、笑った。

「すっごく楽しかった」

 母は安心したように目を細めた。

「よかった」

 すずは母の前にプリンを差し出した。

「お土産」

「プリン!」

「淡路島のプリン」

「完璧やん」

 母は嬉しそうに笑った。


 すずはその顔を見て、今日一日がちゃんと終わったことを感じた。


 母が家にいる。友達と遊びに行けた。楽しかったと言える。

 その全部が、少し前の自分には想像できないくらい、まぶしかった。

 夜、自分の部屋に戻って、すずはスマホを開いた。


 玲花から写真が大量に送られてきていた。

 海。橋。りんごの建物。玉ねぎ。笑っている自分。少しだけ笑っている天馬。四人で撮った、家族写真みたいな一枚。


 そして、最後に送られてきたのは、天馬と二人で撮った写真だった。

 夕方の海を背に、すずが笑っている。その隣で、天馬が少しだけぎこちなく笑っている。触れそうで触れていない距離。

 すずは、その写真をしばらく見つめた。


【tenma:今日はありがと】

【tenma:楽しかった】


 天馬からLINEが来た。すずは、少しだけ迷ってから返す。


【suzu:私も楽しかった】

【suzu:また行きたい】


 すぐに既読がついた。


【tenma:次は俺が運転する】


 すずは、思わず笑った。


【suzu:楽しみにしてる】


 送信してから、胸の奥がふわりと温かくなった。


 いつか。


 その言葉が、今日一日で少しだけ近くなった気がした。

 すずはスマホを胸に抱え、ベッドに転がった。

 目を閉じると、夕暮れの海が浮かんだ。明石海峡大橋。淡路島の風。玲花の笑い声。陸のツッコミ。天馬の低い声。


 夏休みは、まだ少し残っている。

 すずはその残りの時間が、急に惜しくなった。


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