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神戸駆けるバンビ! 〜奈良県民JK、ギャルとワイルド系イケメンのいる定時制高校に放牧される〜  作者: みょんたま


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36/73

男がめんどくさいと知った夜。

「……最悪」

 放課後の教室で、天馬は短く吐き捨てた。


 机の上には、未読のままのスマホ画面。隣には、玲花が気を利かせて置いていったすずの鞄。

 天馬の脳裏には、さっきまですずが着ていたブカブカのジャージばかりがチラついていた。

 兵庫高校。圭太の男物ジャージ。


「お前がな」

 少し離れた席から、陸がスマホから目を離さずに突っ込んだ。

「自覚あるならええけど。顔色真っ白な子に、ジャージの出処でキレてどうすんねん」

「……はぁ」

「次会ったら、とりあえず土下座やな」

「……へぃ」


 ガラッ!と勢いよくドアが開き、相変わらず鼓膜に響く声量で佐伯が入ってきた。


「おー、お前らまだおったんか。鈴木なら帰したぞ」


 天馬は一瞬、無になった。


「まじか」


 天馬がガタッと立ち上がる。


「一人で帰ったんすか。駅まで追っかければワンチャン…」

「アホか、顔色最悪の女子を駅まで追いかけ回すな。余計しんどいやろが。大人しくしとけ」

「……っす」


 正論で殴られ、天馬は勢いよく立ち上がったまま行き場を失い、ゆっくりと椅子に座り直した。

 スマホを手に取る。


『帰って寝ろ』『明日鞄渡す』


 ——いくつか打っては消し、結局事務的な連絡だけを送信して、天馬は深いため息をついた。





 ■■■



 一方その頃、すずは帰りの電車の中で、ただひたすらに「無」になっていた。


(男ってめんどくさいんやな……知らなかった)


 下腹部を鈍い痛みが定期的に襲う。


 朝、冷房対策として圭太が無理やり貸してくれたジャージ。ありがたかったけれど、そのせいで天馬は勝手に不機嫌になり、玲花には呆れられ、最終的に貧血で早退。



 散々な一日だった。



 マンションの部屋にたどり着き、重いドアを閉める。


「ただいまー……」


 誰もいない部屋に声をかけ、すずはその場に鞄をドサリと落とした。

 今日、おばさんは夜間保育のお仕事で遅い日だ。


 諸悪の根源である紺色のジャージを脱ぎ捨て、適当な椅子にバサッと引っ掛ける。


(あー、もう! なんで私がこんな目に! そもそも冷房強すぎる学校が悪い!)


 痛むお腹を抱えながら、すずはタンスから一番だらしない、首元のヨレたオーバーサイズのTシャツと短パンを引っ張り出した。

 締め付けゼロの格好に着替えると、ようやく少し息が吸えた気がした。


 ベッドに倒れ込む。

 お母さんから『今日は無理しないでね』とLINEが来ていて、少しだけホッとした。返信もそこそこに、すずは泥のように眠りに落ちた。


 ——グゥゥゥ。


 情けない音で目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。

 スマホを見ると、夜の21時。


「……お腹すいた」


 痛みは薬で引いていたが、代わりに圧倒的な空腹感が襲ってきた。そういえば、昼もろくに食べていない。


 フラフラと立ち上がり、すずは台所へ向かった。一縷の望みをかけて冷蔵庫のドアを開ける。


 ピカーッ。

 無駄に明るいLEDの光に照らし出されたのは、半分残った麦茶と、使いかけのチューブ生姜、そしてシワシワの梅干しだけだった。


「……嘘やん」


 すずは冷蔵庫の前で立ち尽くした。

 奈良の実家なら、こんなことは絶対にない。おばあちゃんが送ってきたミカンとか、お父さんのつまみの残りのちくわとか、何かしら腹の足しになるものがあった。


 チューブの生姜を舐めるわけにもいかない。


(あぁ……なんかもう、ポテチでもドカ食いしてやりたい気分……)

 コンソメと塩の両方を、今の荒んだ胃袋に叩き込みたい。


 しかし現実は、空っぽの冷蔵庫の前で立ち尽くすボサボサ頭の女子高生だ。


「……買いに行くかぁ」


 恨めしげにつぶやき、すずは財布を掴んだ。

 外に出るため、何か羽織るものを探す。視界に入ったのは、椅子に引っかけたままの圭太のジャージだった。


(天馬くんが嫌がってたやつ……でも、今はもう誰のジャージでもいい!)


 背に腹は代えられない。すずはやけくそ気味に、そのブカブカの男物ジャージをヨレヨレのTシャツの上に羽織った。

 鏡に映る自分は、控えめに言って「夜のコンビニに生息するヤバいヤツ」だったが、もうどうでもよかった。


 夏の夜特有の生ぬるい風の中、すずは近所のコンビニへ向かった。

 自動ドアを抜けると、ガンガンに冷えた空気がお出迎えだ。


(はぁ… どこもかしこも冷やしすぎや…)


 内心で毒づきながら、すずはおにぎりコーナーへ直行した。


 鮭のおにぎり、カップスープ、そして一番甘そうなプリンをカゴに放り込む。

 レジに向かうと、前にはアイスで揉めている男子高校生の二人組がいた。「一口くれよ」「嫌だね」などとじゃれ合っている。


(平和…こっちは貧血と生理痛と空腹でトリプルパンチやのに)


 すずは死んだ魚のような目で彼らの背中を眺めながら、無心で会計を済ませた。



 そして、コンビニの外へ出て、ふらふらと歩く。

 そして、もう少しでマンションと言うその時だった。

 やっぱり、と言うべきか。

 案の定、と言うべきか。


「すーちゃん…?」


 葉鳥圭太だった。

 背中には大きなリュック。おそらく塾の帰りだろう。


「え、口が、というか顔が真っ白だけど……」


(もう今日は誰にも会いたくなかった……)

 すずは、手持ちのレジ袋を隠すようにしながら、あっちゃーと心の中で深く沈んだ。


(髪もボサボサだし、また短いズボン履いてって絶対言われるに決まってる……)


 圭太は長い脚でスタスタと距離を詰め、すずの目の前でピタリと止まった。

 そして、上から下まで、すずの全身をものすごいスピードでスキャンする。


 すっぴんで真っ白な顔。

 寝起きで適当に手ぐしを通しただけのボサボサ髪。

 だるだるの首元のTシャツ。

 そして、その上に羽織った『兵庫高校』の刺繍入り男物ジャージ。


 圭太の視線が、自分のジャージを着ているすずを見て一瞬だけパッと輝いた。が、すぐにその下の、ジャージの裾から伸びる無防備なむき出しの足に釘付けになり、表情が険しくなる。


「すーちゃん、こんな時間に何してるの。っていうか、その格好…」

「……お腹、すいちゃって。コンビニ」

「顔色、最悪。倒れる寸前みたい。なんでそんな……そんな足丸出しで夜に出歩いてるん? 前も言ったよね、夜にその短いズボンはダメだって」


 ほらキタ。

 すずは内心で大きなため息をついた。


「だって、ジャージが長いから隠れてるし……」

「隠れてるからいいって問題じゃない。 むしろジャージの下、何も穿いてないみたいに見えるから。」

「……圭太くん、お母さんみたい」

「すーちゃんの危機感が小さすぎやから言うてるんですけど。」


 いつもの完璧な爽やかスマイルはどこへやら、今の圭太は完全に『門限に厳しいお母さん』モードだった。

 貧血と生理痛と空腹(おにぎりはまだ食べていない)で、すずの脳内バッテリーはすでに残り5%を切っている。これ以上、正論で殴りかかってくる進学校の男子の相手をする体力はない。


「わかった、次から気をつける。塾お疲れ様。おやすみなさい」


 すずは棒読みでそう言い残し、エントランスの自動ドアを抜けようとした。

 しかし、圭太はあっさりと先回りし、すずの手からコンビニのレジ袋をひょいっと奪い取った。


「ちょっ」

「部屋まで送る」

「ここ、うちのマンションの下だけど」

「部屋の、ドアの前まで送る」

「……」


 有無を言わさぬ圧。

 ここで抵抗する方がエネルギーを使うと悟ったすずは、無言でエレベーターのボタンを押した。


 箱の中は、絶海に放り出されたかのように静かだった。

 横に立つ圭太は、レジ袋の隙間から見える『鮭おにぎり』と『プリン』をチラリと見て、少しだけ口調を和らげた。


「……ちゃんとご飯、食べてなかったの?」

「うん。ちょっと体調悪くて」

「そっか。……無理、しないでね」

「うん」

「でも、やっぱりその格好で夜のコンビニはダメだ。せめて長いジャージのズボン穿くとかさぁ……」


(あー、また説教がリピート再生された)

 すずは半目でエレベーターの階数表示をぼんやり見つめた。


「あのね、圭太くん」

「はい」

「今日私、すっごくしんどいの。大目に見てほしいな」


「……ごめん。うるさく言って」


「ううん。心配してくれてありがとう」


 チーン、とエレベーターが目的の階に到着した。

 ドアが開くと、圭太はすずの部屋の前までぴったりとついてきて、レジ袋をそっと差し出した。


「これ。ちゃんと食べて、今日は暖かくして寝てね」

「うん、ありがとう」

「……あと」

「ん?」


 鍵を開けようとしたすずの背中に、圭太が少しだけトーンを落とした声で言った。


「そのジャージ、すーちゃんが持ったままでいいから」

「え? でも洗って返さなきゃ」

「いい。また……そういうダルダルの服で出歩きたくなったら、せめてそれ着て。少しは魔除けになるだろうし」

「魔除けって……」


 すずが振り返ると、圭太はいつもの爽やかな、でもどこか独占欲の滲む笑顔を浮かべていた。


「じゃあね。おやすみ、すーちゃん」

「……おやすみ」


 足早に去っていく圭太の背中を見送りながら、すずはガチャリとドアを開けた。

 部屋に入り、ブカブカのジャージの襟元を少しだけ引っ張ってみる。柔軟剤の香りが、ふわりと鼻をかすめた。


(……やっぱ、男ってめんどくさいなー)


 すずはジャージを脱ぎ捨てて椅子に引っ掛けると、今度こそ鮭おにぎりとお湯を注いだカップスープで、空っぽの胃袋を満たすミッションへと戻るのだった。


 一口飲んだ瞬間、じんわりと温かさが胃の腑に染み渡り、すずは思わず「ふぁぁ」と変な声を出した。

 鮭のおにぎりを頬張り、食後にプリンを流し込む。


「……生き返った」


 血糖値が急上昇し、イライラが少しだけスッと引いていくのがわかった。


 すずは椅子にかけた圭太のジャージを睨みつけた。

「明日はちゃんと洗って返そ…。天馬くんにも、返事しよかな、明日。」


 お腹がいっぱいになると、途端に眠気が戻ってきた。

 明日は朝からパン屋のバイトだ。とりあえずアラームを3つセットする。


「明日から本気出す……」


 誰も聞いていない部屋の天井に向かってそう宣言し、すずは再び布団の海へとダイブした。




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