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深夜0時のコンビニはただのサファリパーク。⇦捕食者である男からのアドバイス。

 翌朝、ベーカリーツバメでの仕事終わり。

 すずはレジ横で、焼き立てのパンをふんわりと袋詰めしていた。

 そこへ、先輩の真帆がトコトコと近づいてきて、気さくに声をかけた。


「すーちゃん、今度うちにご飯食べにおいでよ」

「えっ」


 すずは、パンを詰める手をピタッと止めた。


「この間、うちの圭太がお邪魔しちゃったんやろ? ごめんなぁ。あの子、距離感の詰め方がたまに新快速より速いからさ」

「そ、そんなことないです! すごく助かりましたし、楽しかったです!」

「ならよかったわ。だから今度はうち来て。店長もな、すーちゃんにいっぱい食べさせたいって言うてるし」


 真帆がそう言って振り返ると、奥の厨房では、店長が無言のまま、パンをこねる手を一切止めずに、首だけでゴリッと深く頷いた。


「ほら、めちゃくちゃ言うてるわ」

「今のでわかるんですか!?」

「わかるわかる。今のはな、“おいでおいで。うまい飯たらふく食わせたるから、遠慮なんかしたら承知せんぞ”やね」

「翻訳がめちゃくちゃ長い……!」


 真帆は手を叩いて楽しそうに笑った。


「まぁそういうわけやから、圭太も喜ぶと思うし、おいで」

「え、えっと……」


 すずはパタパタと瞬きをして、曖昧に笑った。

 ありがたいし、すごく嬉しい。

 でも、こういう時、世間知らずな自分はどう返事をしたらいいのか分からなかった。



 ■■■


 そのまま学校へ行き、昼過ぎの教室。

 すずは、机を向かい合わせにしているいつものメンバーに、その話をぽろっとこぼした。


「ベーカリーツバメの真帆さんがね、今度ご飯食べにおいでって言ってくれて……」

「ええやん! パン屋のまかないとか絶対最高やん! 玲花もついていっていい!?」


 即座に食いついたギャルの玲花に、すずは困ったように微笑む。


「う、うん、でもいいのかなぁって」

「いいに決まってるやん!バンビが毎日しっかり働いてるからお礼やろ!」


「あ、違うねんよそう言うんちゃうねんよ。実はこないだ、私が一人で夜にフラフラしてたら、圭太くんに見つかっちゃって。家まで送ってくれたんやけど、その時一緒にご飯も食べたから、そのお礼みたいで……」


 ――その瞬間。

 死んだように机に突っ伏していた天馬の耳が、ピクッと動いた。

 陸が、机に頬杖をついたまま、急に般若のような真面目な顔になる。


「……待て待て待て。一瞬で通り過ぎようとしたけど、なんか情報量多くないか? まず、一人で夜にフラフラ? そんで、男を家に上げた?」


 陸のガチすぎるトーンの問い詰めに、すずは縮こまった。


「あ、あのおばさんがご飯食べに行ってて、家で一人やったから、コンビニに晩御飯を買いに行かないとあかんかったねんよ」


 今度は、天馬が地の底から響くような重低音を出した。


「……何時」

「は、8時? 9時前くらい? え、忘れた……」


 陸と天馬が明らかに怒っている空気を感じて、すずの声が上ずる。

 陸はフゥーと深く息を吐くと、真剣な眼差しで、けれど諭すように優しく話し出した。


「鈴木バンビさん」

「は、はい?」

「男を、簡単に誰もいない家に上げてはいけません。たとえそれが、どんな爽やかパン屋の息子であってもです」


「えっ?」

「ついでに言うなら、夜に若い女の子が一人で飲み屋街周辺をフラフラしてもいけません」

 あまりにきっぱりと言われて、すずは綺麗な目を丸くした。


「の、飲み屋街…じゃなくてコンビニ・・・です」

「甲子園口の駅前ってな、夜になったら飲み屋がいっぱいあんねん。バンビみたいなホワホワした生き物が歩いてたら、一瞬で悪い大人に捕まるぞ」

「でも、人多いよ? 明るいし……」

「武庫川の土手らへんは、街灯少なくて真っ暗やろがい」


 陸の怒涛の正論に、すずは必死に反論する。


「で、でも、圭太くんは、お友達……ですよ?」

「友達でもアカンもんはアカン」

「でも、奈良にいた時は普通に男の子と夜に喋ったりしてたよ?」

「それは中学生までや。ここは兵庫や。もうやめておきましょう」


 陸の言い方はどこまでもお兄ちゃんのように優しかった。

 けれど、声のトーンはガチのトーンだった。

 困惑したすずは、助けを求めるように天馬と玲花を見た。


「わ、私が変なん? 陸くんが意識しすぎなんちゃう?」


 陸が小さく首を横に振った瞬間、玲花が「せやで!」と割って入った。


「陸ー! それはさすがに意識しすぎやって! 私だって夜中にコンビニ行くくらい普通にあるし!」

「お前は何時や」


 この女は何を言ってるんだ、という顔で陸がすかさず睨む。


「深夜0時! 余裕っすよ。昨日もパン買いに行ったし」


「は? お前、一回鏡見ろや。そんな、男が全員食らいつきそうな体しといて深夜0時はただのサファリパークやぞ。肉食獣の餌になりに行っとんのか」


「やーん! 陸のえっち! そんな目で玲花のこと見てたんや〜ん!」


「アホかボケ! 誰がそんな目で見るか! 話逸らすな! 危ないから言うとんねん!」


 陸は珍しく本気で頭を抱えていた。


「マジでやめろ、二人とも。なんかあってからじゃ遅いんや。どうしても夜にコンビニ行く時は誰か呼べ。玲花、お前のところの弟らはどうしたんや」

「だってみんな爆睡してるし。そんな日に限って『明日の朝のパンがない!』って日があるやん? 買いに行かな干からびる」


 陸は、限界を迎えたように教室の天井を仰いだ。


「はぁ……しゃーないな。もうそうなったら俺に電話しろ。俺を呼べ。パンくらい尼崎から届けたるわ」

「何言ってるの、尼崎から花隈までめちゃくちゃ遠いで!?」


 すずが驚くと、陸はふっと不敵に笑った。


「車やったら、国道走って30分や」


 その瞬間、玲花がカッと目を見開いて、「ええええええ!!!」と大声をあげた。


「陸、車買ったん!? いつの間に!?」

「フッ……今週の土曜日が納車日じゃ」

「えー! おめでとう! すごいやん、ついに念願の!? 日産!? あのずっと欲しい言うてたやつ!? 頑張ったなぁ!」

「おう、まあな。めちゃくちゃ節約して、死ぬ気で貯めたわ……って待て、話逸らすな言うとるやろ」

「お祝いにどっか行こ! 玲花、海がいい! !」

「待て待て、先に進むな! その話は後や、今はお前らの防犯意識の話を――」


 ここで、天馬が低い声でポツリと割って入る。


「……いいな。車。俺もほしい」

「アホか、お前は車より先に、この先の進路どうするか決めろ。俺はちゃんと就職して社員になれたから買ったんや」


 すずは、感動に目を輝かせて陸を見つめた。


「……やめろ。そんなピュアな目で俺を見るな」

「どうして? 陸くんすごいよ! ちゃんと社員になって、節約して、貯金して、自分で車買ったんだね! かっこいいよ!」

「ほんまやすごい! 陸、リッチメン! お祝いしよ!」

「うん!」

「とりあえず阪神高速のろ!」

「うん!」

「海いこ! 山いこ! ドライブしよ!」

「うん! うん!!」


「お前らまとめて一回黙れェェェェ!!!」

「キャハハハ!」と玲花が文字通りお腹を抱えて笑う。


「ほんま、どないなってんねんお前らの頭の中は! 脳内お花畑か!」

「だって女の子やもーん」

「はー、マジでアホ。あ、佐伯先生!! 今の聞いてましたよね!? どう思います!?」


 前方の教卓で出席簿をトントンしていた担任の佐伯に、陸は全力でヘルプを求めた。


「聞いてましたよ、佐伯大先生はなァー! もうお前らの危うさが全開すぎて、どのタイミングで会話に飛び込もうかずっと迷ってたとこや!」

「ほなはよ来てくださいよ! こっちは朝から現場行って仕事して疲れてんねん!」

「わかったわかった、とりあえず全員席につけ〜! ホームルーム始めるぞ〜!」


 バン! と、佐伯が勢いよく教卓を叩いた。

 そしてプロジェクターのリモコンをピッといじると、パソコンを叩いた。そして前のスクリーンにデカデカと【生活の注意事項】という文字が映し出される。


「全員、刮目セーい!」

 そこには、なぜか日本語と英語の両方で「心得」が書かれていた。


『学生生活の心得 / Student Code of Conduct』

 ・未成年のアルバイトは22時まで。

 ・暗くなったら出歩かない。

 ・大人にホイホイついていかない。


「ええかお前ら! うちのクラスはな、諸事情で大人が家にいない環境のやつが大多数や! つまり、手綱が緩みっぱなしなんじゃ! だからこうやって定期的にガツンと言わんと、時々緩みきってとんでもない事件が起きる!」


 佐伯はチョークを指に挟み、スクリーンを叩く。


「去年の今頃起きた、先輩たちのリアルな事件簿をいくつか紹介してやろう!


 エントリーナンバー①!

 ほぼ下着みたいな格好で夜道を歩いていた女子が、アホな大学生二人組の『家で猫見ない?』にホイホイついて行って警察沙汰になりました〜!

 エントリーナンバー②!

  原付の免許取り立てでルールをミリほども理解してないやつが、夜の国道をノーヘルで爆走して警察沙汰になりました〜!

 エントリーナンバー③!

 夜中にお腹が空いたからって、コンビニでスーパーカップ(超バニラ)を万引きして警察沙汰になりました〜!

 エントリーナンバー④!

 アホな悪い大人の甘い言葉に騙されて、夜の怪しいお店で働かされた未成年がいて警察沙汰になりました〜!」


 佐伯はそこで、ビシッと全員を指差した。


「はい、ここでクエスチョン! 親御さんがすぐに迎えに来られない場合、夜中の警察署に呼び出されるのは一体誰でしょうか! 」


 佐伯は教室を見渡したが、みんな誰だろうと話だした。

 佐伯は叫んだ。


「正解は……わしや! 全部わしじゃーーーー!!!」


 パチパチパチパチ、と陸が激しく拍手した。


「いやほんま、身に沁みますね。夜の外出がどんだけ危ないかよく分かりますわ」

「バイク乗り回して警察に捕まった経験のあるお前が言うな!!」

「ういーす」


 陸は素直に頭を下げた。

 すずはそれを聞きながら、(世の中ってそんなに危ないことばかりなのかなぁ)と、まだどこか他人事のように考えていた。


「想像しろ! 世の中にはマジで悪い奴らが五万とおるんや! あの手この手でお前らみたいなヒヨコを狙ってくるぞ! 若さとは怖いもの知らずとはよく言ったもので、うんたらかんたら……」


 熱弁を振るう佐伯の声を、すずは途中から全く聞いていなかった。

 なぜなら、スマホの画面にインスタのDM通知がピコンと跳ねたからだ。


『keita_tsubame:今日、部活休みになったから、もしよかったら学校まで迎えに行ってもいいですか?』


 圭太からのDMだった。

 すずが思わずフリーズしていると、佐伯の鋭い視線が飛んできた。


「聞いてるか鈴木ーーー!!! 一番ホワホワしてるお前のことや、お前ーーー!!」

「は、はいぃー!!」


「夜の飲み屋街をうろつくな! 用事は全部明るいうちに済ませろ! 分かったな!」

「はいぃー!!」


「ほんま、お前らは返事だけは一丁前なんやから……」


 ぶつくさと文句を言いながら、佐伯は授業の準備に取り掛かったのだった。


 ◇


 キーンコーンカーンコーン。

 授業が終わり、休憩時間。

 すずはスマホを見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「あ、またDM。圭太くんだ……」


 なかなか連絡のこないすずに、連投してきたのだ。


【keitatubame : 僕、国際会館のスタバで待ってていいですか?】


 その瞬間、机に突っ伏して爆睡していたはずの天馬が、ガタッ!!!と凄まじい勢いで顔を上げた。

 寝癖をつけたまま、低い声で訊ねる。

「……あのパン屋の息子? なんて?」

 玲花も横から身を乗り出す。

「えーマジ!? やるなぁ息子っ! 攻めの姿勢やん!」

「ええとね、今日部活がないから、学校まで迎えに行ってもいいですか?スタバで待ってていいですかって……」


 すずはうーん、と困ったように眉をひそめる。


「いきたくないん?」

「うう、そういう訳じゃないけど、でもうーん、断りづらいなぁだって、店長の息子さんやし、いつもお世話になってるし。。。」


 その様子を見た天馬の脳内で、黒い微笑みが浮かんだ。


  (……はぁ? あいつ、親が店長っていう自分の立場を利用して、無理やりすずの家に上がったんか? 断りづらいの分かってて? 最低やな。てか、だから一緒に飯食う羽目になったんか。すずから進んで誘ったわけじゃないんやな)


 完全に勝った。あいつは自爆した。 そう確信した天馬の口角が、密かに、けれど思いっきり勝ち誇ったように上がった。


「じゃあ……別に、好きとかじゃないの?」

 天馬が余裕の笑みで確認すると、すずは顔をパッと赤くして言った。


「ええっ、好きやけど、でも――」


 ――その瞬間、天馬の時が止まった。


 天馬の顔から一切の血の気が引き、口を半開きにしたまま完全フリーズ。目から光が消え、魂が口から3センチほど飛び出している。

 そんな天馬の臨終(臨終)に誰も気づかないまま、玲花が「ギャーッ!」と大騒ぎしだした。


「ええーーっ!? すず、あいつのこと好きなん!? それってどゆこと!? 付き合いたいってこと!?」

「ち、ちゃうよ!!もうなに言ってるのリョンファちゃんっ」

  すずはブンブンと激しく首を振る。


「人間として嫌いじゃない、良い人やなぁって意味の『好き』! それに私、今は進路のこととかママのこと悩みすぎてて、恋愛とかそれどころちゃうもん!」


(……シュウウゥゥゥウウ)


 すずの「違うよ」の一言で、天馬の魂が高速で体内にバックオーライした。


 危うく昇天するところだった。

 天馬の表情に「極上の安心感」が戻る。

 しかし、続く「それどころちゃう」の言葉に、今度はチワワのように悲しげに眉根を寄せた。


 玲花は「なーんだ、焦ったわー」と胸をなでおろしながら、すずにアドバイスを始める。


「でもさ、そんなん彼氏がおってもええやん? 彼氏ってただ一緒に遊ぶだけの存在じゃないよ。進路のこととか、しんどいこととか、一緒に考えて、一緒に悩むのも彼氏のすることやん?」


 玲花の「彼氏」という単語を聞いた瞬間、天馬の表情がカチッと切り替わった。


 急に背筋をピンと伸ばし、顎を引いて、カメラ目線ばりのキリッとしたイケメンフェイス(ただし目は必死)になる。


 そして、すずに向かって「俺、いつでも一緒に悩む準備できてますけど?」と言わんばかりに、無言でコクコクと深く、力強く頷いてみせた。頼れる男アピールである。


 その天馬の、一言も喋らないくせにうるさすぎる顔面変化に、横でずっと見ていた陸が冷ややかに割って入った。


「おい天馬。さっきから顔面の動きが忙しすぎて、視界の端でチラチラして鬱陶しいねん。無言で自己アピールすな。だいたいな玲花、お前の前の彼氏は一緒に悩むどころか、なんもせんやんけ。パン買ってきてって彼氏に言えよ」


 玲花はフン、と鼻を鳴らした。

「もう別れたし」

「は? お前別れてたんか」

「遠の昔の話ですー。向こうが新しい女作っちゃったから、秒でポイしましたー」

「はぁ? クソやん。別れて大正解や」

「ふん。警察にお世話になった過去がある陸に言われたくなーい。陸も十分クソだと思いまーす」

「いや、俺のはただの道路交通法違反やし! てか『日曜日だけ武庫川のこの道は車通ったらあかん』とか、そんなん地元民しか知らん罠みたいなルールやんけ! 不可抗力や!」

「いや、標識見たら普通に分かるっしょ。書いてんだから」


 二人の小競り合いを横で見ながら、すずはパチパチと目を丸くして言った。


「えっ……天馬くんと別れたの?」


 一瞬、全員が静まり返った。


 玲花「えっ天馬と付き合ってたの?」

 すず「えっそうなの?」

 玲花「えっ誰が?」

 すず「えっわかんない」


 すずが混乱の渦に巻き込まれる。


 玲花「え、何言ってるかわかんない……」

 すず「私も」


「待ってくれーーー!!!」


 陸が両手を広げて、二人の漫才をストップさせた。


「ややこしくなるから、すずは一回シャットダウンしろ! 玲花、お前からもハッキリ言うたれ!」


 玲花は髪をかき上げながら、フッと笑った。


「天馬はまぁ、顔だけは死ぬほどええけど、私のタイプちゃう。私にはもっとこう、毎日可愛いって褒めてくれて、お姫様みたいに甘やかしてくれて、『今日の靴下の位置、黄金比で最高に可愛いよ!』ってミリ単位で褒めてくれる男が必要やねん」


「注文が細かすぎるわ。靴下の位置って何やねん。ただの変態やろ」


 陸が心底呆れたようにツッコむ。


「当たり前やろ! 私は維持費のかかる最高級物件やねんから!」


 玲花が堂々と胸を張ると、それまで黙っていた天馬が、ボソッと低い声でトドメを刺した。


「……俺も、白(玲花)はない」

「こっちの台詞じゃボケー!!」


 玲花が即座にブチギレてノートを投げつけ、教室中にドッと大きな笑いが起きた。

 すずはみんなと一緒にケラケラと笑いながら、胸の奥が、ふっと軽くなるのを感じていた。

 玲花ちゃんと天馬くんは、付き合っていない。

 ただ、それだけのことなのに。

 なぜか、ものすごく安心した。


(……なんで私、今、こんなにほっとしてるんやろ)


 すずは、自分の手のひらを見つめながら、その胸のトクンとした高鳴りの理由を、まだうまく言葉にできずにいた。


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