あんたは、尼崎の男!それも、イケメンのね!
翌日の木曜日。
すずが少し重い教室のドアを開けると、天馬はいつもの一番後ろの窓際ではなく、廊下側の席の近くに立っていた。
見慣れない、おそらく四月に入学したばかりの一年生らしき男の子が、くしゃくしゃになったプリントを両手で握りしめ、ひどく困った顔をしている。
その隣には、同じく海外から来たらしい女の子がいて、スマホの翻訳画面を天馬に見せていた。
「あー、that might be tricky. We have strict rules here—if you miss classes or show up late, you can't get your credits. Why don't you go talk to the teacher first?」
(あー、それは難しいかもしれん。この学校にはルールがあって、遅刻したり欠席すると単位がもらえへん。先生に相談しておいで)
天馬が、低く落ち着いた声で、さらりと流暢な英語で説明する。
「Showing them this might help.」
(これを見せるといいかも)
「でも、It's not a 100% sure thing.」
(百パーセント確実ってわけじゃないからな)
天馬は、男の子が持っていた遅延証明書を指差した。
何を言われているのか分からず強張っていた男の子の顔が、自分の知ってる言語で説明されて、ほっとしたように綻ぶ。
「Thank you」
「別に。あ、あとな。A translation app is a must-have. Make sure to download it.」
(あと、翻訳アプリはマストアイテムや。ダウンロードしておけよ)
すずは、教室の入り口で少しだけ足を止めた。
天馬くんは、言葉を持っている。
英語も話せるし、日本のシステムを知らない子に的確に説明もできる。
困っている人を見たら、面倒くさがりながらも普通に手を差し伸べることができる。
それなのに、昨日は。
自分のことになると、途端に言葉が出なくなり、言えなくなる時があるのだ。
『尼崎です』
昨日の病室で、帽子をきつく握りしめながらそう答えた天馬の固い声を思い出す。
すずは胸の奥が、少しだけきゅっと締め付けられた。
「あ、バンビ」
視線に気づいた天馬が、こちらを向いた。
「おはよう」
「あ、お、おはよう」
すずが少しどもりながら返事をすると、天馬は一年生たちから離れ、いつもの窓際の席へ戻ってきた。
「今の子たちは?」
「あ、1年。遅刻した時の単位どうしたらええんかって話。」
「天馬くん、すごいね」
「何が」
「英語で説明できるの。すごく自然だった」
「簡単なやつだけ」
「でもすごいよ。あの子たち、すっごく安心した顔してた」
すずが真っ直ぐに見上げて素直に言うと、天馬は居心地が悪そうに少しだけ目をそらした。
「……まあ、慣れてるだけ」
ぶっきらぼうなその声が少しだけ照れているように聞こえて、すずは小さく笑った。
この学校は、全校生徒の三分の一が海外にルーツを持つ子どもたちだ。
親が出稼ぎで日本に来た子。在日二世や三世の子。
午前中は日本語学校に行って、午後だけこの通信制・定時制の混ざった高校に来ている子。
言葉の壁や文化の違いで戸惑う彼らにとって、天馬のように多言語を解し、日本の高校生活の「リアル」を知っている子は、教員以上に頼りになる貴重な橋渡し役なのだ。
すぐにキーンコーンカーンコーンと気の抜けたチャイムが鳴り、担任の佐伯先生が出席簿を丸めてポンポンと肩を叩きながら教室へ入ってくる。
「はいこんにちはぁ! お前ら、今日もちゃんと呼吸してるかー。寝てる奴らー、生きてるかー」
窓際で机に突っ伏していた陸が、顔も上げずに右手をひょろりと挙げた。
「生きてます」
「声だけ地底から聞こえとるわ」
教室にどっと笑いが起きた。
その一秒後だった。
バーン!
教室の後ろの扉が、壊れるのではないかという勢いで開いた。
「はい! 私! 登っ場!!」
白玲花――玲花が、まるでパリコレのランウェイの先頭を切るモデルみたいに、堂々と教室へ入ってきた。
夏服になって、玲花の放つ華やかさはさらに増していた。
手入れされた栗色の長い髪はゆるく巻かれ、歩くたびに肩の上でふわりと揺れている。
短めのタイトなトップスから伸びる腰のラインは芸術的に綺麗で、短いスカートの裾からのぞく脚は、同じ人間とは思えないほどすらりとしていた。
完全に、自分の見せ方、登場の仕方をわかっている。
教室中の視線が、一瞬にして玲花一人に集まった。
男の子たちはもちろん、女の子たちまで目を奪われ、ぽかんとしている。
玲花は、クラス中の視線を真正面から浴びて、悠然と受け止めた。
恥ずかしがるでも、気まずそうにするでも、怒るでもなく、むしろ当然の権利のように片手を高く上げる。
「おはよー!」
そして、視線を感じた全方角に向かって、惜しげもなく投げキッスを飛ばした。
右へ。左へ。後ろへ。
さらに、すずが履いたことのない高いヒール靴で、軽やかにくるりとターンまで決める。
完全に、そこは彼女のステージだった。
「あれ? 拍手がなーい!」
玲花がわざとらしく唇を尖らせた瞬間、教室中から割れんばかりの拍手と指笛が鳴り響いた。
「ヒュー!」
海外から来た男の子たちも、その圧倒的な陽のオーラに当てられ、思わず明るい声を上げた。
すずは、はっとした。
前に、前の高校で聞いた「ヒュー」という声は、もっと嫌な響きだった。
影で、艶かしく、誰かの性を消費し、値踏みするような、ねっとりとした声。
でも今の「ヒュー」は全く違った。
底抜けに明るく、純粋な称賛で、歓迎している。
何より、玲花自身が、その視線を「自分がコントロールしているもの」として、堂々と受け取っている。
「ありがとうありがとう!! 今日も私、かわいいよな!?」
玲花が、教室の隅々まで届くような最高のスマイルを放った。
教室中がまたドッと沸いて笑う。
教壇の佐伯先生は、丸めた出席簿で自分の額を軽く叩いて天を仰いだ。
「白ー。お前、遅刻しといてなんでそんなレッドカーペット歩いてきたみたいな顔で堂々としとんねん」
「先生、いい女の支度には時間がかかるんです」
「それ、社会で通用すると思うなよ」
「でも先生、私が可愛いから許したいやろ?」
「許さん。だが絵面は強い」
「ほら!」
「ほらちゃうわ。さっさと座れ」
玲花は、ふふんと余裕の笑みを浮かべながら自分の席へ向かった。
その途中で、先日ケンカの発端となった男の子たちの方に向かって、ビシッと人差し指を立てる。
「あんたら、日本で暮らすんやったら、おしゃれは笑顔からってこと忘れたらあかんで!」
「エガオ?」
「そう、笑顔!」
玲花は、自分の頬を両手の人差し指でキュッと持ち上げて、ひまわりのようににっこり笑ってみせた。
「大事なことは着てるもんよりも、笑顔やで!」
そして、豊かな胸に手を当てて、わざとらしくウインクをして言う。
「これが、日本を生き抜く在日の先輩としての、あ・ど・ば・い・す!」
海外勢は一瞬ぽかんとしたあと、意味が通じたのか、顔を見合わせてわははと笑った。
「さぁ元気に! はいこんにちはぁ!」
「「「ハイコンニチハー!」」」
玲花のコールに、一年生たちがレスポンスする。それにつられて、周りの別の子も続く。
「こんにちは!」
「オハヨウゴザイマス!」
教室のあちこちから、妙に元気な、発音の様々な挨拶が飛び交い始めた。
佐伯先生が面食らった顔で目を丸くする。
「なんや急に! お前ら、俺の挨拶は無視するくせに白が言うたら笑顔で挨拶すんのか! 全員、接客業の朝礼みたいになっとるやないか!」
教室中が再び爆笑に包まれた。
すずも、お腹を押さえて笑った。
笑いながら、自分の席について優雅に髪をかきあげる玲花を見ていた。
玲花ちゃんは、決して空気になろうとしていない。
見られることを、少しも怖がっていない。
自分が綺麗なことも、目立つことも、外国にルーツがあると見られることも、女として好奇の目で見られることも。
全部わかった上で、隠れることなくそこに立っている。
見られるなら、こっちが見せたい自分を、最強の自分を見せつける。
そんなふうに見えた。
すずには、まだできない。
人に見られると、無意識に肩が縮む。
目立ちたくなくて、声も小さくなる。
怒られたわけでもないのに、自分がここにいることを謝りたくなる。
でも、昨日、武庫川の橋の上で、天馬に向かって大きな声を出した。
――私は、かっこいいと思う。
あの時の声は、自分でも信じられないくらいお腹の底から出た、大きくて、強い声だった。
すずは膝の上で、きゅっと両手を握った。
私もいつか、あんなふうに。
小さくても、震えてもいいから、自分の言葉でちゃんと声を出せるようになりたい。
そう、強く思った。
***
授業の合間の休み時間。
「えー今日は……西倉天馬! 面談や。二十五階の談話室にこーい! その後、白も、鈴木も呼ぶからな。前後の奴は外のベンチで待っとけよ」
この学校は、スクールカウンセラーと担任との三者面談が定期的に組み込まれている。
それぞれの抱える事情が複雑な生徒が多いためだ。
単位が取れているか。出席日数はどうか。進級に問題はないか。
そしてそのほか、家庭環境やメンタル面について、大人が定期的に介入して相談することになっている。
エレベーターで上がり、ビルの二十五階の奥。
階段横の開けた談話室。
その横に待合用のベンチが並んでおり、三人は並んで座った。
ちょうど面談室のドアが開き、中から、髪は鮮やかな金髪、口にも耳にも鼻にもピアスをつけ、半袖から伸びる腕にはびっしりとトライバルタトゥーが入った男の子が出てきた。
顔が恐ろしいほど小さく、歩くたびにキラキラと謎の光を背負っているように見える。
その男の子を見て、すずは息を呑んだ。
(え!!!)
玲花がひらりと手を上げる。
「柏木やん。久しぶりー」
「あ、天馬。玲花。久しぶりー」
「いやお前、かれこれ半年ぶりちゃうん。学校来てなかったやろ。何してたん」
「ライブー。海外ツアー回ってたわ。つーわけで、俺まだ一年でーす」
「芸能人やん」
「いや、一応そうやねん。まぁゆっくり卒業するー」
(やっぱり! 間違いない、もしかして、あの超人気バンドの、クリアアップルの!?)
すずの心臓が爆発しそうに跳ねた。
「すず、この子、去年うちのクラスに一緒におった子」
「あ、新しい子? こんにちはー」
「こ、こんにち……は、あああああ、あの、もしかして、もしかして」
「あ、クリアアップルのボーカルでーす。よろしく」
「えええええええ!!!」
「すず、声でかっ。驚きすぎやろ」
「だ、だだ、だだって、だって! テレビで、紅白で……!」
「ははは。芸能人結構おるねんで。イケメンボーイズの子とか」
すずは働きながらも学校に通って、そして仕事を平然と優先し、高校の単位はゆっくりとるという姿勢に驚いた。
本当にいろんな考え方があるなぁと感心した。
「じゃねー今から収録あるから帰るー」
「ほいよー頑張れよ!」
「ありがとー」
柏木レイタが涼しい顔で手を振って去っていくのを見送りながら、すずは腰が抜けそうになっていた。
中から佐伯の大きな声がした。
「えー次、西倉天馬! 入ってきて〜!」
天馬は、廊下の角を曲がる柏木レイタに釘付けになってこちらを見向きもしないすずを尻目に、面談室のドアを開けた。
面談室には小さな窓が付いており、遠くにきらきらと光る瀬戸内海が見える。
一人がけのゆったりとしたソファが二対二で向かい合わせに並んでいる。
すでにスクールカウンセラーの木村妙子が、バインダーを手にして奥に座って待っていた。
「お前、カルピスでええか?」
佐伯が冷蔵庫を開けながら聞く。
「あ、俺コーヒーで」
「アホか。ここは喫茶店ちゃうねん」
木村がくすくすと静かに笑って、小さな冷蔵庫からドトールのパック入りアイスコーヒーを取り出した。
グラスに氷を入れて、天馬の前のテーブルにことりと置く。
「はい、アイスコーヒーどうぞ」
「あるんかい」
「えー、天馬くん、二年生になって、二回目の面談やね。今のところ単位も出席日数も順調ね。英語の成績は相変わらずトップよ」
「はい」
「ただ、こども家庭支援センターから連絡が来ていてね。親御さんが相変わらずご不在って来ているの。そこら辺はどうなの?」
「あー、父親が来週帰ってきます」
「嘘つくな。お前、こないだもそない言うてたぞ」
「でしたっけ」
木村が、少しだけ困ったように眉を下げた。
「天馬くん。あなたは今、福祉的な目線で見るとグレーゾーンにいるのね。お母様が去年お亡くなりになって、お父様は仕事で海外を飛び回っている。そしてあなたは外国籍のままで、お母様から受け継いだマンションに一人で住んでる」
「……」
「代理人であるお母様の弟さんは連絡がつきにくいし……。未成年の一人暮らしは、私たちがしっかり見守らないといけないと思っているの。まだ十七歳よ。もし一人でしんどいなら、施設や里親制度も考えてみてね」
「なんで施設が嫌なんや。神戸の施設はええぞ? ご飯もうまいし、すごい綺麗やし。ここにも施設から通っとるやつ、何人もおるで」
「俺があのマンション出たら、おじさんが住み着くでしょ? そしたら二度と自分の家に戻ってこれない気がするんで。嫌です」
「なるほどなぁ……色々あるわな、大人も」
「他に困りごとはない? 悩んでることとか。あと、ご飯は……ちゃんと食べてるわね。体つきが去年よりさらにしっかりしてるもの」
「困りごとっていうか……」
天馬はグラスの水滴を指で拭いながら、少しだけ考えて、言葉を選びながら昨日の出来事を語った。
すずの母親の病室でのこと。漏れ聞こえた言葉。
悪気がないのはわかっているのに、なぜか酷く傷ついたこと。
木村は、口を挟まずに真剣に耳を傾けた。
途中で、佐伯が我慢できずに切り出した。
「そんなもんでかい声で外人でーす言うたったらええ…いいった!」
木村が佐伯の手の甲をつねった。
「佐伯先生?静かにしていただけません?」
「はい、すみません。」
木村は咳払いして、天馬と向き合った。
「どの言葉が、一番天馬くんの心に引っかかった?」
天馬は少し黙った。
「……外人なん、って」
「うん」
「あと、手が真っ黒って」
自分で口に出して言って、天馬は少しだけ自嘲するように息を吐いた。
「でも、悪気があったわけじゃないと思うんです。むしろ、たぶん純粋に驚いて、顔立ちを褒めてるつもりもあったと思う。だから、余計に自分が何に引っかかって、なんでこんなにダメージ受けてんのかわからんくて」
「心はね、言葉が鍵になっているところがあるから、自分の感情をうまく言葉にできなくてモヤモヤしているのね?」
「言葉が、鍵?」
「そう。このズキズキする気持ちがなんなのか、その正体を知りたい。そうでしょう?」
「……はい」
木村先生は、少し考えてから、ゆっくりと静かな声で言った。
「悪意がない言葉でも、人を傷つけることはあるわよ。むしろ、悪意がないからこそ、無防備なところに突き刺さることもある」
天馬は黙ってグラスを見つめた。
「西倉くんは、昨日、鈴木さんのお母さんに会う時、“同じクラスの西倉天馬”として、一人の高校生として挨拶に行ったんだよね」
「……はい」
「尼崎で育って、武庫川の風を知っていて、鈴木さんを自転車で送っている、同じ学校のクラスメイトとして」
「はい」
「でも、外見や国籍というルーツの話を自分のいない場所で出されて、不意に線引きされて、自分の居場所から『外へ』出されたように感じたのかもしれないね」
天馬の指が、膝の上で少しピクッと動いた。
「外へ……」
「そう。ここに属したい。ここで生きている。そう思って、自分なりにルールを守って頑張って生きているのに。なのに、自分以外の力が働いて、自分ではどうしようも変えられないもので、突然『部外者』として見られる。あなたが感じた痛みは、その疎外感だったのかもしれない」
相談室の中が、波の音だけが聞こえるように静かになった。
佐伯先生が、腕を組んだまま天井を見て言った。
「悪気ない爆弾なんよな。一番しんどいやつや。こっちが怒ったら、過剰反応してるみたいに、こっちが悪者みたいになる」
「……です」
天馬が小さく、絞り出すように言った。
「鈴木のお母さんを責めたいわけでもないし。……ただ、だるかったっすわ」
木村先生は深く頷いた。
「そう思って、いいと思うよ。だるい、しんどい、悲しい。全部正しい感情よ」
「……」
「それから、病室で自分のルーツを全部言えなかった自分を、責めなくていい」
天馬がはっと顔を上げた。
「自分のルーツや国籍のことを、いつ、誰に、どの深さで話すかは、あなた自身が自分で決めていい権利なの。他人に踏み込まれて無理に開示するものじゃない」
「でも、隠したみたいで」
「うーん……話さなかったことと、嘘をついたことは違うからね」
その言葉に、天馬の強張っていた表情が少しだけ緩んだ。
佐伯先生が、少し砕けた声で笑いながら言った。
「お前な、彼女の親への初回の自己紹介で、わざわざ戸籍謄本やら住民票まで出す必要ないって」
「あはは、ほんまや。重すぎるわ」
「そういうことや。お前が言える時に、言いたい相手にだけ言え」
木村先生が柔らかく微笑んで頷く。
「それに、西倉くんは昨日、嘘なんてついてない。ちゃんと言っているよ」
「何をですか」
「『尼崎です』って。堂々と」
天馬は黙った。
「あなたは尼崎で育った子。まずそこに立っていていいんだと思う」
天馬は、ゆっくりと目を伏せた。
その顔は、肩に乗っていた重い荷物を少しだけ下ろせたように、ほっとしているように見えた。
■■■
次に玲花が呼ばれた。
「白玲花ちゃんね。出席日数も単位も問題なし。ちょっと時々遅刻してるけど……まあ、許容範囲よ。アルバイトもあって忙しいのに、よく頑張ってるわね」
「やった! さすが私!」
「お母様はどう? アルコールは抜けたかしら」
「多分! 最近は寝てばっかりやから!」
「そう……。神戸市のこども家庭支援センターの方から連絡があってね。あー、ご自宅に訪問したけど、誰もいなかったって来てるけれど、どうしたの?」
「わかんないです!! 居留守ちゃうかな!」
「そっか。玲花ちゃん、水曜日と木曜日はアルバイトもないって言ってたよね? 今日の夕方、もしよかったらセンターの人と、少しだけお話してみない?」
「えー、それってしないとだめ?」
「そうね、実は下の弟くんたちにも中学校から声かけしてるみたいなんだけど、完全に面会拒否なの。玲花ちゃんが少しでも家の中の様子や、困っていることを話を聞かせてくれたら、私たちはすごく助かるし、ありがたいわ」
「……はぁい」
「安心せぇ。面談中、俺が隣に座って一緒に行ったる」
「ワースゴクウレシイ」
「なんで棒読みやねん!」
■■■
最後に呼ばれたのは、すずだった。
(どうしよう、、緊張してきた。私、何聞かれるんだろう)
すずはガチガチに緊張してソファの端にちょこんと座った。
「えー、鈴木すずさん。出席日数と単位は、全く問題なし。優秀よ。あ、でも体育だけ申請漏れてたから、これは佐伯先生、手続きお願いしますね」
「おい鈴木! 何してんねん! あんだけ期限までに申請せぇいうたやろ!」
「ご、ごめんなさい!」
佐伯が驚いて単位表を見る。
この学校では体育の時間が特殊で、通常の授業としては存在せず、年に三回しかなく、ボウリング大会や卓球大会などのイベントで一気に体を動かし、それを単位取得とするのだ。
「鈴木さんのところは、伯母様が緊急時やお母様不在時の代理人ね? 先日、お母様が入院されたと聞いた時、電話面談をさせていただいたけれど、とってもしっかりされて愛情深い方で安心したわ。今のところ、生活でお困りごととかはないかしら?」
「はい! 大丈夫です!」
「ご飯もしっかり食べてるかしら。」
「はい!」
「ふふ、元気ねぇ。今お母様が入院されてて、一人で心細いことも、すごく心配なことも多いと思うから。何か不安になれば、いつでも職員室来なさいね」
「はい!」
佐伯は驚いたようにすずの顔をまじまじと見た。
「鈴木、お前、最初来た時ずっと下向いてたのに、なんか腹から声が出るようなってきたなぁ。ええこっちゃ」
(え、私、そうなんだ。前より声、出てるんだ。嬉しいな)
「えーっと、それで鈴木さんは、進学希望だったわね? そしたら来週もまた進路指導の面談よ」
「え?」
「え? 入学時にいただいた個人シートには、進学希望にしっかり丸されてるわよ? お母様とそういうお話、してないの?」
「は、はい。あまり深くは……」
「そう。まだ話してないだけで、お母様はお嬢さんの将来を考えて丸をつけていらっしゃるはずだから、今度お見舞いに行った時にでも話してみてね」
「あ、は、え? 進学……」
「なんやお前〜、なんか考えてることとかあるやろ? 将来の夢とか、やりたい仕事とか」
「う、え? あ、あの」
「なんやまた急に小声になってもうてからして」
すずは完全に固まってしまった。
将来の夢。進学。
そういえば、神戸に引っ越してくる前、前の高校に通っていた頃までは、いつかなりたいものがぼんやりとあったのだ。
幼い頃からずっとピアノを習っていたから、音楽の先生や、保育士、幼稚園の先生になりたいと漠然と考えていたのだ。
自転車で十五分もかからない距離に白鳳大学という短大があり、そこへ進めば教員免許や保育士資格を取れることを、高一の時の担任が面談で言っていたことを、急にぼんやりと思い出した。
転校して。生きるのに必死で、どうしてあんなに好きだった夢を忘れていたんだろう。
「あ、あの、私、考えていた大学があって……」
「なんや、ちゃんとあるやんけ。先にそれ言えよ。どこや」
「えええっと、何町なんだろう。確か河合町ってところで……白鳳大学ってところで……」
「どこやそれ。町で言うな、市で言え市で」
「ええっ、市がなくて、たしか町で……」
「何言うてるねん! もうええわ、スマホだせスマホ。今すぐ調べろ」
「あ、はい!」
すずは慌てて鞄からスマホを取り出し、震える指で検索画面を開いた。
■■■
すずが面談をしてスマホと格闘している間、天馬と玲花は廊下のはじにある階段に横並びに座って、話をしていた。
手すり側に玲花が座り、その横に天馬が座っている。
「昨日、どうやったん。元気、ないやん?」
天馬は小さく息を吐いた。
玲花は踊り場に設置された窓の外の海を見ながら、いつもの派手で明るい笑い方ではなく、少しだけ低い、落ち着いた声で言った。
言葉を選びながら、慎重に昨日あったことを話した。
「……外人って言われた?」
少ししか、話していないが、玲花には十分だったらしい。
「腹たつな」
「……別に、相手に悪気あったわけちゃうし」
「知ってる」
玲花は即答した。
「でも、悲しかったやろ?」
天馬は何も言わなかった。
玲花は、窓ガラスに映る自分の顔を見た。華やかなメイクの下にある、自分のルーツ。
「うちら子どもはさ」
玲花はぽつりと言った。
「どこの国に生まれるかも、どこの家に生まれるかも、どんな名前になるかも、どんな顔になるかも、自分じゃ選んでへんやん」
天馬は膝を抱えて、黙っていた。
「それでも、選べなかったカードで、ここで生きてるやん。学校来て、バイトして働いて、めんどくさい課題して、友達作って、なるべく普通に笑ってさ」
玲花は、少しだけ自嘲するように笑った。
「みんなと仲良くなりたいし、日本で、ここでちゃんとやっていきたいし…。馬鹿にされたくないって言うか。うちら違うけど、でも普通やでって言いたいっていうか。」
「……」
「それやのにさ」
玲花は、天馬の方を見た。
「外人って、急に見えない線引かれたらさ。一生懸命、馴染もうとしてんのに、そら悲しいよ」
天馬の喉が、小さく動いた。
「はぁ。向こうはただ見たままを言うてるだけやからええねん。あー言わんかったら良かった……」
玲花は、まっすぐ、強い瞳で天馬を見た。
「でも、悲しいもんは、悲しいやん。やろ?」
その言葉は、やけに静かだった。
でも、天馬の胸の奥の、一番固く結ばれていた結び目に、まっすぐ落ちて解いたように見えた。
「相手の前で、悲しいとか傷ついたとか言うたら、それはそれでややこしいことになる。空気が悪くなる。だからうちらは言わへん。飲み込む。でも、ほんまは言いたい。だから、同じ痛み知ってる友達の前でだけは、悲しかったって言うていいよ。」
「……お前、そういうの全く気にせんタイプやと思ってた」
「気にするわ。めちゃくちゃ気にするし、めっちゃ傷つくわ」
玲花は、少しだけ鼻を啜った。
天馬は、驚いて玲花を見た。
その瞳が潤んでいて、言葉が出ない。
玲花は、階段の向こうにある瀬戸内海を見つめながら、にっと口角を上げて笑った。
その大きく見開かれた瞳が、うっすらと潤んでいる。
「私、あんたの気持ち、ものすっごいわかるよ」
「……」
「外人や言われてな。悲しい時と、悲しくない時、あるねん、私も」
「うん」
「でも!とりあえず!一つだけ確実に言える!」
玲花はじっと天馬を見て笑った。
「あんたは尼崎の男。それもイケメンのね!せやろ?」
天馬は、少しだけ目を伏せて、息を吐いて、笑った。
「……うん。まぁ顔は整ってると自分でも思う。それに、尼の裏道はほとんど知ってるつもりや。」
「間違いない! そこは誰に何言われても譲らんでええと思う!」
玲花は天馬の肩に、ゴツンと少し強めに頭突きをした。
瞳が潤んでいることがばれたくなくて、不器用に誤魔化したのだ。
「神戸のいい女である私が認めたる」
「……お前、生まれは神戸ちゃうやろ、元々は武庫川団地やん」
「えーの!今は神戸市なんやから! そいで! あんたがここで生きてることまで、誰かにわざわざ説明して、許可もらう必要はない」
天馬は、しばらく黙っていた。
それから、胸のつかえが取れたように、小さく、深く息を吐き出した。
「……ちょっと効いたわ」
「やろ?」
玲花は得意げに、にかっと笑った。
「在日の先輩からの、あ・ど・ば・い・す」
「それ今日二回目やろ」
「大事なことは何回でも言うねん」
二人が少しだけ、肩の力を抜いて笑い合う。
その時、下の階からドタドタと騒がしい足音を立てて、男の子たちが数名上がってきた。
天馬は、玲花が手すりにぶつからないように気にしながら、彼女の背中側にそっと手を当ててやり、壁側へ少し体を寄せる。
天馬の大きな体の下に、玲花がすっぽりと守られるように収まった形だ。
「で? あんた、バンビとはどうなん……」
二人は急に顔を近づけ、声のトーンを落として内緒話のように話し出した。
「クッキーのお礼か……映画は!? 今、新しいディズニー映画やってるやんか。すず、絶対にディズニー好きやで!」
「映画か」
「それやったら、高校生千三百円やし、あんたのバイト代でも奢れるやろ?」
「いける。ポップコーンもいける」
「決まりや。今日帰り誘い。わー、すず手作りクッキーとかやるなぁ!」
二人は小声でヒソヒソと、楽しそうに作戦会議を続けたのだった。
その光景を、面談を終えたすずは、廊下の角の陰から見ていた。
玲花が、天馬の肩に、頭をこつりとして、二人が分かり合ったように笑い合った。
不意に、天馬が腕を上げて、玲花をかばうように手すりに腕をついて、二人の体が密着した。
そして顔を寄せ合い、声を落として親しげに話し出した。
胸の奥が、ちくりと、針で刺されたように痛んだ。
二人は……ただのクラスメイトじゃ、ないのかもしれない。
同じようなルーツの痛みを知っていて、言葉にしなくても分かり合える、特別な絆があるのかもしれない。
そんな考えが浮かんで、すずは声をかけられず、そっと踵を返した。
玲花ちゃんは、天馬くんの痛いところに、あんなに自然に手を伸ばせる。
私は昨日、ただ大きな声で「かっこいい」と叫ぶことしかできなかった。
それでも、天馬くんは少し笑ってくれたけれど。
でも、私はまだ、天馬くんの抱えている複雑な背景を全然知らない。
玲花ちゃんが羨ましいのか。
天馬くんが誰かと秘密を共有しているようで、遠く見えて寂しいのか。
それとも、自分もあの隣に立ちたかったのか。
すずには、まだ自分の感情の正体がうまくわからなかった。
ただ、胸の奥が、締め付けられるように痛かった。
***
一人で教室に戻ると、すずは自分の席に座り、鞄からお気に入りのノートを取り出して、その端を指でなぞった。
もっと知りたい。天馬くんのことを。
でも、知りたいからといって、土足で勝手に踏み込んでいいわけではない。
天馬くんが言いたくなったら、聞く。
昨日そう決めたのに、心はそんなに簡単に割り切れるものではなかった。
すずは、ノートを開いた。
頭に浮かんだことや、これからすることを、忘れないように書いている秘密のノートだ。
パラパラと捲る。
<泣かない。できることをしていくだけ。>
母が入院した日に書いた、少し震えた文字が目に入る。
そして、今日の面談のことを思い出した。
働きながら、学校に来ていた柏木くん。
進学にチェックをつけてくれていた、ママ。
そうだ。
私、落ち込んでいる暇なんてない。
することも、考えることも、たくさんあるんだ。
これからのこと。
進学のこと。白鳳大学のこと。
将来の仕事のこと。
学費や、生活のお金のこと。
考えることは、山のようにある。
すずは、シャープペンシルを取り出し、ノートの新しいページに小さく書きだした。
ーーーーーーー
みんな、大人になる前に、きっと考えてる。
どんな大人になるか、多分いまぐらいに考えてた。
私も考える。
佐伯先生も、木村先生も、
自分がやりがいのあることを選んで、
そうして頑張って、大人になった人。
と、思う。
それと、色んな人と関わってる。
ーーーーーーー
そこまで書いて、すずは少し迷って、ペン先を止めた。
幼稚園の先生や、保育士さん。それも素敵な夢だ。
でも、今日、天馬くんが一年生を助けていた姿や、
この学校にいる多様なルーツを持つ子たち、
それを助けている先生たちを見ていて、少しだけ違う道が見えた気がした。
すずは、決意を込めて、少しだけ力を入れて書き足した。
ーーーーー
★することリスト★
どんな、大人に、なるかを考える。
やりがいのある仕事を考える。
進学のこと、伯母さんとお母さんに相談する。
ーーーーー
文字にすると、少しだけ心が落ち着いた。
すずはノートを閉じ、小さく息を吸って、顔を上げた。
リアクションや、☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると、執筆の励みになります^^
感想、ご指摘、ブクマも大歓迎です!
よろしくお願いします!




