母の部屋
とくに予定があるわけでもない。家に独りなんて慣れっこのはずだけど、最近は人の密度が高かったせいで寂しく感じる。手持ちぶさたになってフローリングへワイパーをかけた。
廊下を往復し、奥のトビラで立ちどまり、部屋の空気をいれかえた。坂木兄弟が来たとき、2階の荷物を移動したから物置きみたいになっていた。窓辺の棚へ陽があたり、母の笑った写真が見えた。
ここは母の部屋だ。
「母さんごめんね。物置きにしちゃって」
ひとり言はカーテンをゆらす風と光に消える。8年経つけど父も俺も踏ん切りがつかず、荷物が残ったまま時が止まっていた。
ヒマだったのもあり俺は部屋を片づけはじめた。まずは2階からおろしたダンボール箱を開封する。爺ちゃんがいた頃の健康器具などが出てきて、残すものと捨てるものをわけて整理する。
ユウマがいつのまにか入り口へもたれていた。熱中して気づかなかった。目が合い、彼は部屋へ入った。
「片づけ?」
「うん、ずっと放置してたから」
俺が泣いたから父も処分できなかったのだろう。服や化粧品も置きっぱなし、古くなって防虫剤のにおいが染みついてる。ユウマは何も言わずとなりへ座って手伝った。2人でやれば案外捗り、昼には分別したものを袋へまとめることができた。
ひと区切りつき、俺はキレイになった部屋へ足をのばして座った。ユウマはタンスから出てきたアルバムを見ている。
「へー、カエデって小さい頃こんな感じだったんだ」
「恥ずかしいから、あんまり見るなよ」
イジワルに笑うユウマからアルバムを取りかえし、母の写真が飾られた棚へ収納した。
母がいなくなって父は仕事をしながら子育てに忙しかっただろう。マミさんと互いに子育ての悩みを相談していたことは後から知った。父は疲れた顔を俺に見せたことがない、俺は役に立ってると思っていたけどわからなくなった。
料理も会話もうまい彼女、幸せそうな父。俺もこの遺品のようにそのうち整理され、忘れ去られるのではないかと不安になった。
「俺ってホントは要らないんじゃないかって……母さんのことも俺だけ引きずってる気がしてさ」
キレイになった母の部屋、達成感と共にもの悲しい気持ちになった。わだかまっていた想いがこぼれる。
「親にしか分からない苦悩ってのがあるんだよ。俺らじゃダメな時もある。カエデの母さんのことは引きずっててもいいと思う、忘れる必要ない」
「そうかな? でもマミさんがどう思うかな……」
「カエデを生んだ母さんは1人だ。いい思い出もたくさんあるんだろ?」
「……うん」
公園へ連れていってもらった手の感触は忘れてしまった。楽しい思い出なら記憶に残っている。
「俺の父なんて、よそに女つくって逃げるようなロクデナシだぜ? 勘ちがいしたオッサンが押しかけてきた事あったし、家のマミさんも苦労してるからこっちも必死」
足を投げだして座ったユウマは皮肉な笑みをうかべる。完ぺきに振るまうのも理由があって、マミさんのためと捨てられないため。彼には彼の葛藤があって、悩みながら生きてるのは俺だけじゃないのだと分かった。
「押しかけてきた人に、なにもされなかった?」
「俺とソウマが背後へ立って威圧したら来なくなった。顔青くなって、なかなか面白かったよ」
「ユウマとソウマがいたらマミさんも安泰だね」
「……ここへ来るまえ、相手が会社の上司って聞いてさ、幻滅して別れたらいいのにって思ってた」
「ひどいなぁ、父さんは家ではうっかり者だけど」
会社では信頼されて気概のある上司だとマミさんに聞いた。家にいる父しか知らなかったから驚いた。うっかり者の父を支えなければと長年思ってきたけど、その必要もなかった。
「それだけ家で安心できるってことだろ、カエデを見てたらわかる」
落とした視線を反射的に上げた。なんでもできる彼からすれば、俺の家事や言動は拙くバカにされていると思ってた。
カーテンが風にゆれた。彼のまつ毛へ陽があたり薄茶色に透ける。まつ毛とおなじ色の髪に埃がついていたから手を伸ばした。その手を取られ、手のひらへ口づけられる。ユウマは上目遣いにこちらを見つめた。ほそめられた瞳が艶めかしくて俺は目が離せなくなった。
「ホコリだらけになったし、このままいっしょに風呂入る?」
「えっ?」
恐怖とは異なるゾクリとした感覚、だが顔をあげた彼の口元は悪い笑みを浮かべていた。
「からかったなユウマ! ぜったい一緒に入らないからな!」
彼は笑いながら部屋を出ていった。ユウマが風呂へ入ってるあいだ、ゴミ袋を外の倉庫へはこび、母の部屋へ積まれていた荷物はなくなった。
入れかわりでシャワーを浴びる。ユウマはリビングのソファへ寝そべっていた。性格はちがうけど兄弟はどことなく似ている。
名前を呼ばれて近づいたら腕を引っぱられた。寝そべったユウマの上へ倒れる。
「学習能力なさすぎ」
ユウマが俺の頬を両手でつつむ。車のエンジンみたいに心臓が高鳴り、頬が熱くなって目をふせる。
「前のつづき、する?」
返答が出てこなかった。速くなった動悸を抑えていると、上半身を起こしたユウマがちかづく。生温かく濡れたものが唇のすきまへ入ってきて絡めとられる。前より激しい。
静寂の耳鳴り、ふだん聞こえない時計の針音がひびいた。火口へ溜まった溶岩がいっきに噴出するように、奥でくすぶっていた熱情があふれ加速してゆく。
離れても冷えない熱は俺の心を少しずつ燃やす。何かがつながってしまったようにソファの上でずっと見つめ合っていた。




