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魔王ふぶきん、猫を探しに行く

魔王城の寝室で、吹雪は新しく手に入れたベッドの快適さに、静かな満足感を覚えていた。


床に直接マットレスを敷いていた時とは、高さが違うだけで世界がまるで違う。

腰の調子も、明らかに良い。


「スケジュールを埋め尽くすだけが良いことではない、と最近思うのです」

執務室で、吹雪は竜の健太に語りかけた。


「たっぷり寝た後の、真夜中の二時。誰にも邪魔されぬ、あの静かな空白の時間こそ、アイデアの宝庫なのかもしれません」


健太は、吹雪が己の身体と対話し始めたことに気づいていた。


先日ジェミニから得たという、

「現代生活と身体の設計のミスマッチ」

という知識。


吹雪はそれを真摯に受け止め、風呂でのストレッチやウォーキングを再開していた。


「我が身体は、『動き続けないといけない体』らしい。ならば、その声に従うまでです」


しかし、吹雪の思索は、さらに深い場所へと向かっていた。


「ただ歩くだけでは、脳が働いていない。景色はただの情報として流れ去り、思考が生まれない。それは、我の興味が、自分自身にしか向いていないからなのでしょう」


その言葉には、長年の自己分析の末にたどり着いた、痛みを伴う響きがあった。


「どこか、人を見下しているのかもしれません。だから、他者が何をしているか、何をしようとしているのか、気にも留めない。しかしそれでは、人生は豊かにならない」


吹雪は、新たな計画を口にした。

それは、いつもの休日パターンに、新しい目的を加えることだった。


「街を探索する趣味。ただ歩くのではなく、例えば『車椅子の者がこの道を通るなら?』というように、他者の視点を持って街を歩いてみる。そうすれば、孤独な人生だとしても、この大きな世界の一部なのだと感じられる。『寂しい孤独』ではなく、『穏やかで力強い孤高』の感覚を得られる、と」


そこまで語った吹雪は、少しだけ躊躇うように言葉を続けた。


「…しかし、人間観察というのは、どうにも犯罪めいた後ろめたさがあるのも事実です」

「ほう」


「ジェミニに問うたところ、『それはお前が思慮深く、他者への配慮がある証拠だ』と言われました。大切なのは『視線の質』。『監視』ではなく、『温かい好奇心』を持つのだと」


相手の幸せを願う物語を想像する。

観察を通して、自分は何を感じたかに焦点を当てる。

その「後ろめたさ」こそが、単なる覗き見に陥らないための、倫理的なブレーキになるのだ、と。


健太は、その言葉に深く頷いた。

「お前は、新たな魔法の入り口に立ったようだな、吹雪。他者への想像力。それは、どんな破壊魔法よりも、世界を豊かにする力だ」


吹雪の心は決まった。


「ならば、我は『街をほっつき歩くおじいちゃん』になる。ノートとペンと神託のスマホを手に、思いつくままを書き留め、それを物語やブログに昇華させる。友人を作る人間性を育み、人生を楽しく健康に生きるために」


その壮大な決意が語られた、まさにその時だった。


「ふぶきん!」

アリアが、執務室に息を切らせて駆け込んできた。

その目は、少し潤んでいる。


「大変なの! いつもお花をくれる、お花屋のおばあちゃんの猫ちゃんが、いなくなっちゃったんだって! おばあちゃん、すごく悲しそうな顔してたの! ねぇ、一緒に探しに行こう!」


アリアの、ただ純粋に他者を心配する心。

それは、吹雪が今まさに手に入れようと苦心していた、「温かい好奇心」そのものだった。


吹雪は、健太と顔を見合わせた。

健太は、静かに、しかし確かな目で頷いた。


吹雪は、机の上のノートとペンを手に取り、ゆっくりと立ち上がった。

「…分かった、アリア。行こう。我が『観察日記』の最初のページは、その猫探しの物語から始めることにしよう」


壮大な人生哲学の果てにたどり着いたのは、一人の老婆と、一匹の猫を心配する、ささやかな優しさだった。


魔王の新たな趣味は、理論ではなく、行動から始まる。

彼の心が、ほんの少しだけ、世界の誰かと繋がった瞬間だった。

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