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魔王、失われたお盆休みとマットレスの憂鬱

お盆という名の、六日間にわたる長期休戦が終わった。

魔王城の執務室は、夏の終わりの気怠い空気と、吹雪の深い溜息に満ちていた。


「…完敗でした」

吹雪は、傍らで静かに佇む竜の健太に、この休暇の戦況報告を始めた。


「初日、ニトリという名の城塞にマットレスを求め進軍するも、腰を襲った呪い(痛み)により、夕方まで動けず。二日目、同盟軍の将(友人)との会食に応じるも、遠征は辞退。その後はひたすら城でゴロゴロと…。三日目に至っては、記憶すら曖昧です」


五山の送り火は雨に敗走し、気づけばスマホのゲーム三昧で最終日を迎えていた。


「この六日間で失った軍資金(費用)、約一万七千円。さらに今月はマットレスと定期代で…合計二十二万円。加えて、寝室の環境改善のため、ベッドフレームも購入しました。合計、約八万円の追加出費です」

吹雪の顔は、財政難に喘ぐ小国の王のように、苦渋に満ちていた。


「しかし、問題は費用だけではないのです」

吹雪の悩みは、購入した寝具そのものにあった。


「腰が限界で、焦って購入してしまった。ネットで調べもせず、ニトリで比較を重ねた挙句、薄型のマットレスを選んでしまった。我はいつも、最終的に妙な選択をしてしまう癖がある…」


彼は、十五年も問題なく使えた前のマットレスを、汚れたという理由だけで捨ててしまったことを、今更ながらに後悔していた。


貧乏性ゆえに、まだ使えるものを捨てられない性分のはずが、今回は裏目に出た。


「『また買い換えればいい』などと考えてしまうあたり、金銭感覚が狂ってしまったのかもしれん」


「痛みが、判断を鈍らせたのだろう」

と健太が静かに言った。

「焦りは、賢王ですら凡庸な選択をさせるものだ」


その時、部屋にひょっこり顔を出したアリアが、寝室の方を指さした。


「ふぶきん、あの新しいベッド、ふわふわで気持ちいいね!」


彼女は、吹雪が購入したばかりのベッドとマットレスの上で、先ほどからゴロゴロと寝返りを打って遊んでいたのだ。


「…そうか、アリア。お前にとっては、ただ気持ちがいいものか」


アリアの無邪気な一言に、吹雪はハッとした。

コイルの数、ウレタンの品質、耐久性と耐荷重の違い…。

そんな小難しい理屈をこねていたが、まずは寝てみなければ始まらない。


しかし、彼の本当の憂鬱は、マットレスの品質よりも、もっと根深いところにあった。


「腰が痛い。ただそれだけで、何もやる気が起きなくなってしまう。友人の誘いも断り、ただ無為に時間を浪費した。年を取れば、もっと身体に不具合が出て、もっと何もしたくなくなる。その恐ろしさの、ほんの入り口を、この六日間で垣間見た気がします」


健太は、その言葉を静かに受け止めた。

「お前は、この休暇で一つの真理に触れたのだな、吹雪」


「真理、ですか」


「そうだ。時は、緩やかに、しかし確実に魂の熱を奪う。身体の不調は、その最大の協力者だ。そして、多くの者は『始めるのがめんどくさい』という壁の前に、ただ座り込んでしまう」


健太の言葉に、吹雪の目には力が戻った。

「ならば、我はその壁を、今のうちに破壊せねばなりません。身体が動く今のうちに、新しいことを始め、習慣という名の城壁を築き上げる。今後の我が人生の課題は、健康と、やる気と、生涯設計。それ以外にはない」


吹雪は、決意を固めたように立ち上がった。そして、痛む腰をかばいながらも、寝室へと向かう。


アリアが、ベッドの上から

「ふぶきんも一緒にゴロゴロする?」と声をかけた。


吹雪は、ベッドの端にそっと腰掛けた。

焦って買った、薄すぎるかもしれないマットレス。それでも、これは後退ではない。痛みという現実から逃げず、未来のために行動した、最初の一歩なのだ。


「ああ。少しだけな」

吹雪は、アリアの隣に、ゆっくりと横になった。


失われたお盆休み。

その代償は大きかったが、得た教訓もまた、計り知れないほどに大きかった。


魔王は、八万円の寝床の上で、老いという名の最強の敵と戦うための、静かな覚悟を決めるのだった。

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