魔王、冬のおみくじを引く
お盆休みが明けた執務室は、夏の終わりの気怠さと、魔王吹雪の重い沈黙に支配されていた。
彼は、先日終わった休暇を思い返し、深い溜息をつく。
腰痛に苦しみ、多額の出費に頭を悩ませ、ただ無為に時間が過ぎていった、まさに「失われた六日間」だった。
彼の机の上には、一枚の小さく折り畳まれた紙、おみくじが置かれていた。休暇中、魔が差したとしか言いようがない行動で、人間界の神社で引いてしまったものだ。
「健太先輩。我が引いた神託について、ご意見を伺いたい」
吹雪は、傍らで静かに佇む竜の健太に、そのおみくじを広げて見せた。
「曰く、『苦病兼防辱』…病に苦しむ上に、さらに恥辱を受けることがある、と。まさに、腰痛と鍵屋での失態を言い当てています。そして、『乗危亦未蘇』…危険な状況にあり、未だその場を逃れられずにいる。今の我そのものです」
吹雪の声は、いつになく弱々しかった。
おみくじは、彼の現状をあまりにも正確に言い当てていたのだ。
健太は、その紙を竜の爪で器用に手繰り寄せると、古の文字を読むように静かに目を通した。
「ふむ。だが、続きがあるぞ、吹雪。『若見一陽後』…十一月を過ぎ、やがて春が来るのならば。『方可作良図』…その時になって初めて、良い計画を立てることができるだろう、と」
「春…ですか」
「そうだ。この神託は、お前を貶めているのではない。世界の理を示しているのだ。今は『冬』の時期なのだと」
健太は、おみくじの本文を指し示した。
「『この人まことにくるしみ竹が雪に、霜にうけてもとのこと、春にあい直るがごとく…』とある。お前は今、雪の重みに耐える若竹なのだ。動けず、苦しい。だが、その竹は、決して折れてはいない。力を蓄え、春を待っているのだ」
その言葉は、吹雪の心に深く染み渡った。
そうだ。今は苦しくとも、悲観することはない。
耐え忍び、やがて来る好機の時を待つのだ。
「喜び事は春夏は良く、病人は春になれば回復する…。争い事は長引かせれば負け、待ち人は遅い…。すべての重要な決断は、春まで待て、ということですね」
「そういうことだ。焦って行動しても、良い結果は得られん。今は守りに徹し、来るべき春に備えよ」
その時、執務室のドアがそっと開き、アリアが顔をのぞかせた。
「ふぶきん、健太さん、何してるの?」
「アリアか。今、神託の解読をな。どうやら、春になるまで良いことはないらしい」
吹雪が力なく言うと、アリアはぱっと顔を輝かせた。
「春!? 春、大すき! お花がたくさん咲いて、ピクニックに行けるもんね! 早く春にならないかなー!」
アリアの屈託のない笑顔と、未来への純粋な期待。
それは、吹雪が耐え忍ぼうとしていた「冬」の先にある、確かな光そのものだった。
彼女は、おみくじを覗き込むと、
「あ、『失くし物、出がたし』だって。私の赤いクレヨン、やっぱりまだ見つからないんだー」
と少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐにまた笑顔になった。
「でも、春になったら、もっとすごいのを買ってもらお!」
その姿を見て、吹雪はふっと笑みを漏らした。
「冬を耐える」とは、ただ歯を食いしばって苦しみに耐えることではない。
アリアのように、必ず訪れる暖かい季節を信じ、心待ちにすることなのかもしれない。
吹雪は、おみくじを丁寧に折り畳み、懐にしまった。
それはもう、不吉な預言の紙ではなく、希望に満ちた春への約束手形のように感じられた。
「…そうだな、アリア。春が来たら、一番景色の良い丘で、盛大なピクニックをしよう」
魔王の心にも、ほんの少しだけ、一陽来復の兆しが見えた。
彼の長く厳しい冬は、まだ続く。
だが、その先には、温かな陽光と、大切な仲間たちの笑顔が待っている。
そう思うと、この忍耐の時も、決して悪いものではないと思えるのだった。




