魔王、動き続けないといけない体
魔王城の執務室で、吹雪は羊皮紙に記した休日の行動計画を睨みつけ、腕を組んでいた。
「料理をして、城塞で日誌を書き、詠唱訓練を行う。運動量も確保でき、合理的だ。だが…何かが、物足りない」
吹雪は、最近ますます強くなる身体からの信号に、困惑していた。
長時間玉座に座って思索に耽っていると、腰が悲鳴を上げるのだ。
「健太先輩。我が肉体は、欠陥品なのでしょうか。ただ静かにしていることすら、許されぬとは」
その嘆きに、瞑想から覚めた竜の健太が、静かに口を開いた。
「吹雪よ。お前は何も悪くない。特別に弱いわけでもない。お前のその状態は、お前のせいではなく、『人間の体の設計』と『現代の生活』との間に生まれた、避けられぬ『ミスマッチ(不適合)』の結果だ」
健太は、悠久の時を生きてきた者ならではの、大きな視点で語り始めた。
「我々の祖先は、一日中歩き、走り、狩りをしていた。お前の身体もまた、その『多様な動きのある生活』を前提として設計された、絶妙なバランスの上に成り立つ傑作だ。だが、この数十年で生活は激変し、『座ること』が中心になった。お前の身体は、この急激な変化にまだ追いつけていないのだ」
吹雪は、目から鱗が落ちる思いだった。
「では、我が身体に起きているこの痛みは…」
「故障ではない。『サイン』だ」
と健太は断言した。
「お前の身体は、現代の不自然な生活に対し、『そっちじゃないぞ!』『もっと動け!』と、痛みをもって教えてくれる、非常に正直で、センサー感度の高い身体なのだ。『こんな体』ではない。『大切なサインをちゃんと出してくれる体』と捉えるべきだ」
その言葉は、吹雪の中にすとんと落ちた。
そうだ。
自分の身体は、正直に悲鳴を上げていただけなのだ。そして自分は、その声に耳を傾け始めている。
「…ならば、我は、動き続けるしかない、ということか」
「そういうことだ。お前の身体は、そういう設計なのだからな」
吹雪の心にあった靄が、晴れていくのを感じた。
絶望ではなかった。
これは、自身の体との対話を通じた、希望の始まりなのだ。
ならば、休日の過ごし方も変わってくる。
ただ城塞に籠もるだけでは足りない。
街を探索する、新たな趣味が必要だ。
「ただ歩くだも芸がない。何か目的が欲しい…」
彼は、いくつかアイデアを思いついた。
『もし、この道を車椅子の者が通るなら?』
という他者視点の散策。
あるいは、自分の『美意識』に響くものだけを探す旅。
「そうだ。『書きたくなるもの』を探すためのウォーキング、というのはどうだろう」
雨なら城塞で歩き、晴れなら街を歩く。
書きたくなったら、近くの魔道喫茶を探す。
ちょこちょこ移動しまくるのだ。これなら、常に体を動かし続けることになる。
「そして、歩きながらの魔力収集(ポイ活)は、もうやめよう。これからは『イヤホン』を使い、耳から叡智を吸収するのだ」
吹雪が新たな決意を固めていると、部屋の隅で遊んでいたアリアが駆け寄ってきた。
「ふぶきん! じっとしてるの、つまんなーい! お散歩行こうよ!」
「アリアか。今、壮大な散策計画を練っていたところだ」
「けいかく? めんどくさいよー!」
アリアはぷくっと頬を膨らませると、吹雪の袖をぐいぐい引っ張った。
「それより、今すぐ行こうよ! 街にある、面白い形をしたマンホールの蓋、どっちがたくさん見つけられるか競争するの!」
マンホールの蓋。その、あまりにも単純で、楽しげな目的。
吹雪は、自分が考えた高尚なテーマを少しだけ恥じた。
そうだ。
目的とは、時にこんなにもシンプルで、衝動的でいいのかもしれない。
彼は、健太の方を見た。健太は、面白そうに、ただ静かに頷いている。
吹雪は、アリアに向かって微笑んだ。
「…分かった。その勝負、受けよう。我が『書きたくなるもの』と、君の『面白いマンホール』、どちらが先に見つかるかな」
壮大な人生哲学の果てにたどり着いたのは、幼馴染との、ささやかな競争の約束。
魔王は、自らの身体の声に従い、楽しむことを選び取った。
彼の新しい休日は、もうすでに始まっていた。




