魔王の選択肢とカラオケルーム
日曜日のマクドナルドは、人間界の縮図だ。
活気と無秩序が混在し、そして今、俺のすぐ近くの席では、一人の男が激しく咳き込んでいる。
「…健太。風邪をうつされる可能性が高いな」
「それが密集地での活動の当然のリスクだ。嫌なら、ここを離れるしかない」
俺、魔王吹雪は、執筆のために頼んだコーヒーのカップを手に、顔をしかめた。
隣ではドラゴンの先輩、健太さんが静かに紅茶を飲んでいる。
その向かいで、幼馴染のアリアがシェイクを幸せそうにすすっていた。
リュックの中には、後で食べるつもりの手作りバゲットサンドが眠っていた。
「うむ。やはり、新たなルートを開拓すべきだ。この後、ドン・キホーテを偵察し、さっき予約した『雷撃フィットネス(チョコザップ)』のカラオケルームへ向かうぞ。ウォーキングとブログ執筆、そして戦略的仮眠を両立させる、完璧な布陣だ」
マクドナルドを出て、天王寺行きの電車のホームで電車を待つ。
ここで俺はリュックからバゲットサンドを取り出した。
「こういう移動の合間こそ、手作りの弁当を消費するのにちょうどいい。無理に場所を探す必要はないのだ」
俺の言葉に、アリアが
「わーい、ピクニックみたい!」
と喜んで一切れ頬張った。
やがて来た電車に乗り込む。
幸い、俺の定期券の範囲内なので、交通費は無料だ。
「健太、気づいたことがある」
俺は切り出した。
「多くの者は、職場と家が近いことを良しとする。だが、それは間違いだ。職場が遠ければ遠いほど、このパスで無料で移動できる範囲は広がる。つまり、休日の行動選択肢が、爆発的に増えるのだ」
「ほう。移動というコストを、行動範囲というリソースに転換したわけか」
「その通りだ!『有料』か『無料』かは、思考に絶大な影響を与える。『数十円でも有料』なら人は躊躇するが、『無料』なら『とりあえず行ってみるか』となる。俺のこの遠い職場と原付きは、休日を豊かにするための最強の布陣なのだ!」
「わーい!じゃあ、あそこもあそこも行けるんだね!タダで!」
アリアが路線図を指差してはしゃいでいる。
そうだ。
家にいては冷房代と菓子代がかさみ、運動不足で不健康になるだけ。
こうして外出すれば、逆に節約になり、経験値も貯まる。
金がないからこそ、知恵が湧く。
無料の喜びを見つけ、行動的になれる。
金持ちであろうと貧乏人であろうと、気軽に動ける「無料」という選択肢は、何物にも代えがたい価値があるのだ。
「…と、言いたいところだがな」
俺の独白に、健太さんが水を差した。
「その素晴らしい哲学も、壊れた冷蔵庫の前では無力だ。貴様の現状の財政では、年間の貯蓄は良くて36万。突発的な出費一つで赤字に転落する。余裕資金は、一切ない」
その言葉は、冷たい現実だった。
俺の月の小遣いは1〜2万。
投資に回している金も、60歳時点で600万にしかならない。開業資金には全く足りない。
「…なので、副業の種や経験は、無料でいいからいくらでも撒いておかないといけない、ということだ」
俺の声のトーンが、少しだけ落ちる。
やがて、目的の『雷撃フィットネス』に到着した。
近くのスーパーでドリンクを購入し、予約したカラオケルームの扉を開ける。
誰にも邪魔されない小さな個室。
「ここが、我の新たな実験場か…」
俺が感慨深く呟くと、健太さんが静かに言った。
「そうだ。ここで仮眠をとるもよし、新たな執筆活動に励むもよし。未来への投資だな」
そうだ。これはただの昼寝場所ではない。
今後の休日の人生の選択肢を、一つでも増やすための、可能性を試みる場所なのだ。
俺は決意を新たに、部屋の中へ一歩踏み出した。
その時だった。
俺と健太の深刻なムードをものともせず、アリアが部屋に飛び込むなり、マイクとタンバリンを両手に握りしめた。そして、満面の笑みでこちらを振り返り、高らかに言い放った。
「さて、何から歌う?私、PVが面白い曲がいいな!」
俺と健太は、顔を見合わせた。
未来の資金繰りや人生戦略といった、壮大で重たいテーマが、タンバリンの軽やかな音一つで、どこかへ吹き飛んでしまったかのようだった。
やれやれ。俺は小さく笑みをこぼした。
「…分かった。だが、まずは一曲だけだぞ」
未来の種をまく前に、まずは今この瞬間の「楽しい」を、全力で謳歌するのも、悪くない。




